発狂を嬉々として待っている??
先日、このOKWAVEで以下の内容の質問をさせていただきました。
そのままペーストさせていただきます。
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「心の病気とまではいかないけど・・・・」
こんばんは。
タイトルにもあるとおり、心の病気とまではいかないけどちょっと悩んでいることがあります。
なんといいますか、私は、たまに爆発してしまうのです。精神的に。
その原因は恋人です。恋人が私のこと好きだろうか?と心配したり、嫉妬心にかられているうちに、どんどん不安になり、その不安を恋人に理不尽な形でぶつけてしまい、当たり前ですが冷たい態度をとられるとものすごく悲しくなってしまいます。
具体的にどうぶつけてしまうかというと、いっぱい、怖いというか暗いメールをしたり、電話を何十回もかけまくってしまうのです。そんな行動をとっている自分も、うまくコントロールできないかんじです。
悲しくて悲しくてしかたなくて、号泣して、自分がどうにかなってしまいそうで、携帯電話を真ん中からまっぷたつに割ったり、自分の体を無性に傷つけたい衝動に駆られたり、叫んだり、普通の状態じゃなくなります。自分で発狂するのではないか?と心配になります。そんな自分のコントロールができなくなるのも不安になります。
前の恋人と付き合っている時はそれが一ヶ月に一度くらいありました。だけど、別の人と付き合いだすと、まただんだんスパンが短くなって、一週間に一度になりました。そして一週間にそれが何度も起こるようになり、今では毎日なんとなく慢性的に悲しくて、ささいなきっかけですぐに泣いてしまいます。
なんとなく、病気というほどではないと思いますが、それでも困っています。どうしてこうなってしまうのか、どうしたら治るのか、知りたいです。こういう状態の前後は無気力だったりあまりものが手につかないので、もっと精神的に元気で動じずにいたいです。
わかりづらい質問ですが、よろしくおねがいします。
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この質問に対して、一件だけ回答をいただいたのですが、その要点が、
「恋人に依存している」「あなたは発狂を嬉々として待っている」
というものでした。
その回答は文面から真摯に答えていただいてるのがわかったので、アドバイスとして真剣に受け取ったのですが、
「依存している」はまさにそのとおりだなぁと納得できる一方、「私は発狂を嬉々として待っているのだろうか?」と考えるとどうも心苦しいです。
「発狂を嬉々として待っているか?」と、もしきかれたら、そういう部分は否めないかもしれない。自分ではほんとうに、苦しんでいて、悩んでいて、発狂なんてしたくないし、するわけないと思っているけれど、どこかにもしかしたら嬉々として待っている自分がいるのかもしれない・・・
だけど、それを認めたがらない自分がいるなら、認めることが改善の第一歩で、
でもそんなことはない気がするし、「嬉々として待っている」自分がいるとするなら、自己嫌悪だなぁ、
などと、考えていると、ぐちゃぐちゃしてきてしまいます。
私は自分をどう考えるべきなのでしょうか?
また、上の質問内容をみると、やはり「発狂を嬉々として待っている」印象をうけますか?
わかりづらい質問で申し訳ないですが、なんでもいいので答えていただけると幸いです。