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不特定多数への誹謗中傷とはなにか。
誹謗中傷とは他者への悪口・謗りであるということは理解していますが、通常相手が特定(単数とは限らないが少なくとも個別に対象が特定…個人・団体等)されているべきものだと思ったのですが、実は違うのでしょうか? <不特定多数への誹謗中傷という概念>は果たして成立するものかどうかをお教えください。もし成立するということでしたら出来れば実例を添えて教えてください。 ある筋から「不特定多数への誹謗中傷は認めることは出来ない」というコメントをもらったのですが、直感的にこのような言い回しに疑問を抱いたのと、もし不特定多数への誹謗中傷なるものが成り立つとするならば、世の中にある啓蒙的な文言は全てこれにあたり、例えばある習慣を問いただす(禁煙者を否定するコメントはすべて禁煙者への誹謗中傷となってしまう)ような行為は全て認められなくなってしまうのではないかと思うのです。そうした矛盾についても言及していただけますとありがたいです。純粋に日本語的な問題と解釈してご回答いただいてかまいません。(といいますか、この質問への純粋な回答以外の内容をこの質問へかこつけて書き込むのはお避け下さい) 恒例ですが無用なトラブル回避のため、必要と考えた回答へのお礼と最小限の補足のみとさせていただきます。
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不特定多数に対する誹謗中傷、というのは、やはりインターネット時代の概念のような気がします。 たとえば、先の回答者さんが出してくださった例を考えてみましょう。 >「喫煙者はみんな低脳のバカだから、みんな肺癌で死ねばよい」 たとえばこの文章が、他のメディア、たとえば新聞に載ったとします。 いったい誰が腹を立てるでしょうか。 言った人間の知性をせいぜい疑われる程度で、何らかの反応を引き出すことはむずかしい、と思います。 ところが、たとえばこのサイトに 「gooなんかに質問を出すやつも答えるやつも、大馬鹿だ」というコメントを誰かが書き込んだとします(あくまで例ですので、この例文に反論しないでください)。 おそらく非常に多くの方が、不快感を感じられることと思います。 言っているレベルはほとんどちがわない。 けれど、媒体がちがうのです。 これはマクルーハンの『人間拡張の原理』あたりから説明できるんじゃないかと思うんですけれど。 詳しくお知りになりたかったら、“クールなメディア、ホットなメディア”で検索をかけると、たくさんヒットすると思いますので、ここでは非常に簡単な説明に留めておきます。 マクルーハンはデータ的に高い密度を持つメディアを“ホットなメディア”、情報が少ないものを“クールなメディア”と呼びます。たとえば、写真がホットなのに対し、マンガはクールなメディアです。 ここで重要なのは、情報の密度が低い場合、「受け手」が補充することになるのです。 活字メディアは、非常にホットなものですから、情報の流れは一方通行になっていきます。受ける側の参加度は低いものになっていきます。 マクルーハンは1960年代にすでに『聴衆の量的規模が大きいというのではなくて、すべての人びとが同時にそれに関与し参加するということのためにマス・メディアなのである』と、今日のインターネット時代を予見するようなことを言っています。 インターネットの最大の特徴は、不特定多数同士を結びつける媒体である、ということです。 不特定多数が結びつくことによって、これまでになかった形態の感情の交流というものが生まれてきた。 「不特定多数に対する誹謗中傷」という概念も、そうした脈絡の中で考えるべきではないでしょうか。
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- d-y
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>これくらいなら誹謗中傷にあたらないという感じでの例示もいただけますとありがたいです。 科学的データによって実証された健康上の害悪を無視して喫煙を続けている人たちは、理性的な判断を放棄しているのだと思わざるを得ない。非喫煙者の立場からすれば、喫煙によって肺ガンになった人の治療のために、自分たちの税金や健康保険料が使われると思うと、割り切れない思いを禁じえないのである。 言っている内容は前の「低脳バカ」の文章とそれほど変わりませんが、これくらいに言えば「誹謗中傷」とされる可能性はかなり少ないと思います。 結局、発言の客観的内容よりも、主観的意図(相手をけなしバカにするための発言なのか、冷静に議論をしようとしているのか)が重要な基準のような気がします。 発言者の主観的意図がどうなのかは、読み手が主観的に判断するしかありませんから、「誹謗中傷」にあたるかどうかを判断する客観的な基準はないのだと思います。 上記の文章にしたところで、「俺への当てこすりだろう」と思う人がいないとは限りませんし、ちょっと刺激的なことを書くと文句を言う人はいるかもしれません。 難しいですね。
お礼
例文のご提示ありがとうございました。 読んでみるとd-yさんの認識と私の認識は非常に近いものであると感じました。程度の判断は難しいものである…納得です。だからこそ、その判断には慎重にならないといけないし、判断するならば公正さを失ってはならないとも再度思いました。 改めてのご回答ありがとうございました。
- ghostbuster
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#2です。質問者さんの問題意識とずれているようなので、少し補足させてください。 質問者さんは、「不特定多数に対する誹謗中傷」という言葉の適用範囲、ということに問題意識がおありなのでしょうか。 法律にはとんと無知なので、「誹謗中傷」の法的定義はわかりません。 広辞苑によると「誹謗」=「悪口」、「中傷」=「無実のことを言って他人の名誉を傷つけること」のようなので「中傷」だけならともかく、誹謗中傷、とくると、どこからどこまで、という範囲の設定がむずかしくなると思います。 ということは、受け手が「誹謗中傷」と感じとる表現が、誹謗中傷である、ということではないでしょうか。 ひどいことを言われて、自分が傷ついた、不快な思いをした、と感じる表現が誹謗中傷である、と。 その曖昧さにむずかしさがあると思います。 対面では、何の根拠もなく相手に「バカ」と言われれば、不快感を覚えます。ただ、相手のことを知っている(情報をたくさんもっている)ため、この人はなんでこんなことを言っているのだろう、という方に意識が向かい、誹謗中傷された、という意識を持つ前に、何らかの話し合いが始まっていくと思います。 まったく逆に、非常にたくさんいるところで、まったく見知らぬ人間が、「バカ」と叫んでいたとします。 受け手は叫んでいる人間の正気を疑うことはあっても、それが自分に向けられた誹謗だとは思いません。 日常生活で、「不特定多数に対する誹謗中傷」ということが成立しにくいのは、受け手が「それは自分のことだ」と受け取りにくい、従って、そのことで自分が傷つけられた、と感じにくいからだと思います。 たとえばまた、#1さんの例に戻りますが、 >「喫煙者はみんな低脳のバカだから、みんな肺癌で死ねばよい」 といったところで、受け手はたとえ喫煙者であっても、自分のこととは思わない。 ところが、仮に「愛煙家同盟」といった団体があったとして、そこで親睦会をやっている最中に同じことを言いに行けば、「みんな」と対象を特定しなくても、おそらく「誹謗中傷」と受け取られ、なんらかの制裁を受けることになると思います。 内容ではないのです。 たとえ「不特定多数」に向けられた言葉であっても、受け手が、それは自分のこと(あるいは自分の所属する団体のこと)ととらえ、自分の感情を傷つけられれば、それは「誹謗中傷」になっていく。 #2で言いたかったのは、インターネットという媒体では、たとえ不特定多数に向けられた発言でも、自分にひきつけて受け取られやすい、ということです。参加意識が極めて高い媒体だからなのです。 ですから、批判をする場合は、日常生活よりもはるかに慎重でなければならない。 内容というより、表現方法であり、言葉の選び方などの面で、「誹謗中傷」というか、他の参加者の感情を不用意に傷つけないやり方を、それぞれが意識的に選び取っていくしかないのではないか、と思います。 こうしたルールはいまだ発展途上にあるわけで、ときには窮屈であったり、それこそ「検閲を受けた」「表現の自由を奪われた」と思うような事態に遭遇することも、十分に考えられます。けれども、逆に自分がそうしたルールを作っていく側に立つこともできるので、そうした意味では、まだまだ主体的な空間たりうる、と思います。
お礼
受け手が「誹謗中傷」と感じとる表現が、誹謗中傷である、ということではないでしょうか・・・ 実はこの点がとても重要な問題だと考えています。 質問文中にも書きましたが、これでは『正当な啓蒙的発言も皆気に入らなければ<誹謗中傷>にされてしまうのではないか』という危惧が具体化してしまうのです。 内容というよりも表現方法である部分で救われるかもしれませんが、この危惧は最後まで払拭されません。表現のラインに受け取り手の感情が優先されれば同じ事だからです。
補足
お礼を忘れてしまいました。 疑問は深まった感がありますが、少しずつ問題点が整理できてきたように思います。 有意義なご回答ありがとうございました。
- d-y
- ベストアンサー率46% (1528/3312)
「誹謗中傷」とは「根拠のない悪口」のような意味らしいですから、「喫煙者はみんな低脳のバカだから、みんな肺癌で死ねばよい」くらいに言えば誹謗中傷に当たると思います。 もっと一般的に言うと、「○○の人はみんな、困ったチャンだ」というパターンの発言は「不特定多数への誹謗中傷」に当たることが多いと思います。 ○○の人はみんな ⇒不特定多数 困ったチャンだ ⇒悪い評価であることは間違いない。 問題は、悪口に根拠があるか否かだが、不特定ならいろんな人がいるはずなのに、十把一絡げに評価を下すのは根拠がない可能性が高い
お礼
ご回答ありがとうございます。 スッキリした説明で見通しが出来たと感じます。 例文はとてもひどいものでもとより愚説なのですが、『~くらい言えば誹謗中傷にあたる』という言葉から、対象ではなく程度であるのだと理解できました。不特定多数なら…根拠が無い可能性が高いとしめくくっているところからもd-yさんの判断基準がそこにあるのだと思いました。 根拠があり理性的な判断に終始しているものは誹謗中傷にあたらないということでよいのでしょうか? もしよろしければ、これくらいなら誹謗中傷にあたらないという感じでの例示もいただけますとありがたいです。
お礼
媒体の違いによる・・というお話、とてもためになりました。個が多数に「個対個」として話し掛けることが出来るメディアならではと解釈し納得できました。 あわせて例示にあがったどちらにも言えることというのは『具体的に考えるのはバカらしいくらいの内容』ということではないかと思いました。その点ではやはり『内容の重み』というのが重要とも再認識いたしました。 ご回答ありがとうございました。