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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:海外援助について)

海外援助の必要性について

このQ&Aのポイント
  • 海外への援助の必要性についてアンケートを行います。小学生ぐらいの子供が学校に行けずに働いていたり、エイズの蔓延や女性蔑視などの深刻な問題が存在する一方で、先進国が援助することは正しい行為なのかについて考えます。
  • 海外援助には、ダム建設や上下水道の整備などのインフラ整備も含まれますが、基本的には海外援助はしないほうが良いと考えます。ただし、その国の人自身が学ぶために、往復の交通費から滞在費までを提供して自国で学ばせる制度は有効だと思います。
  • 先進国が先端技術を導入する前に、その国の発展の途中のレベルを経験することが重要であり、援助に頼りすぎることに懸念を抱いています。海外援助の必要性について、その国の人が主体となって切り開いていくべきだと考えます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hs1510
  • ベストアンサー率27% (443/1640)
回答No.7

ANo.5です。お礼を読ませて頂きまして・・・。 >海外援助は基本的にするべきでは無いと思います。 私自身は、現地の需要と合致すればあっても良いと思っています。 例えば、飲み水に困っているような地域で、「上総堀」等で井戸を掘り水路を作る。それも現地の人に教えながら。(一種のインフラ系だと思います) 先端技術の導入によるインフラでなくとも、上記の様な援助は、出来るものだと思っています。 又、砂漠化防止の為に植林を現地の人と協力して行う。   フェアトレードに関しても、全てを知っているわけでは有りません。しかし、私の知る限りにおいては、きちんと末端の方まで届いている様ですし、最初は、他国の人が「教える」と言う形だったのが徐々に自分達の手で組織運営もと変わってきています。 特に、生活の糧を稼ぐ事の出来なかった女性達が、自分の手で稼ぎ子供を育てる事が出来るようになったと聞くのは とても嬉しい事です。このような地道な1歩1歩が大切なのだと思っています。 >TVで見たある国では物資の滞りについて「早く持ってきて欲しい」と、援助ありきで思考しているのが気になり これは、恐らく援助に賛成の多くの方も気になるところだとは思います。 どちらか一方にシフトするのではなく、両輪で行うのがベストだと思います。

ESMUYCARO
質問者

お礼

hs1510さん 再度の回答、ありがとうございます。 >飲み水に困っているような地域で、「上総堀」等で井戸を掘り水路を作る。 う~ん、勢いで質問を投げた所も有りましたが、これは考えていなかったです。これは有りですね。この様なローテクでの援助なら、良いかも知れないです。 >砂漠化防止の為に植林を現地の人と協力して行う。 苗木をどうするかですね。その国の種を使っての苗木作り(ハイテクを使わずに)はOKだけど、他から移植した苗木はNGだと思うのですが(ちょっと意味が違いますが地産地消の考えで)。 >フェアトレードに関しても、~~~きちんと末端の方まで届いている様です 私も知りませんでした。お詫びします。

その他の回答 (6)

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1846/10420)
回答No.6

困っているから助ける それでいいと思います。 ややこしい論を重ね、誰かを疑っていけば100%正しい援助などないでしょう。 余力があるから救いの手を差し伸べる。 よく「魚を与えるより釣りを教える」論を目にしますが、これも私は「魚を与える」も「釣りを教える」両方正しいわけではない、両方間違っているわけではない。と思っています。 ただ論を重ねて何もしないよりは思いつきでもいいから何かすべき。 100の援助のうち99が無駄になっても1が届けばそれは援助である。 99人が援助に甘えても援助で救われた1人のリーダーが育てばその国は変わる。 私は頭が悪いので単純にしか考えられませんが。^^;

ESMUYCARO
質問者

お礼

cucumber-yさん 回答ありがとうございます。 しいて言えば、私の問い掛けは「魚を与えるより釣りを教える」論です。更に言えば、釣りもそこまで教えなくても良いのかな?と。 天災や災害で困っているから助ける。それはするべきです。ちょっと他の回答者さんへのお礼と矛盾するかも知れませんが、疫病の流行に関しても緊急援助は必要かも知れません。 でも国の基盤作りから参加するのは、先進国のエゴなのかな?と感じるのです。そりゃ、こっちは金も有れば知恵もある。博愛精神に基づいて援助もするよ~と言うのは簡単です。でも連続した文明/文化/技術の成長と言った面では、如何なものなのかな?と。 >ただ論を重ねて何もしないよりは思いつきでもいいから何かすべき。 ⇒これは私も賛成です。論じるより行動。これは本当に大事です。

  • hs1510
  • ベストアンサー率27% (443/1640)
回答No.5

衛生面を含めた教育の普及は欠かせないと思います。 又、目先の事で言えば、フェアトレードは欠かせないと思います。 インフラ系の大きな援助も必要とは思いますが、援助ではなくフェアトレードにより自分達の手で貧困から抜け出す事はとても重要だと思います。 安全で安心できる物を継続的に生産することができ、生産者が十分暮らしていける価格や賃金を保障して生産者を経済的に支援し、彼らが安心して働ける場を作り出し、貧困から抜け出す手助けをすること。 援助や寄付ではなく、労働の対価(賃金)、商品の代価、これを公正にする事こそが人々の自立、途上国の発展の一歩だと思います。

ESMUYCARO
質問者

お礼

hs1510さん 回答ありがとうございます。 <インフラ系の大きな援助も必要とは思いますが ⇒質問のメインとしては、これが必要無い!と言う事でした。 フェアトレード、理念は立派です。でも、本当にそれが最末端の労働者まで分配されているのでしょうか? インフラやフェアトレードなど、先進国主導で物事を考えたりするのでは無く、その間に多くの命が失われ、多くの血と涙が流れても、自国の事は自国で育てる。但し、学問的な手助けはするよ、と言うのが質問の主旨でした。

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11790)
回答No.4

>小学生ぐらいの子供が学校にいけずに働いている >エイズが蔓延している >女性蔑視が甚だしい >疫病などの為、毎日何人もの子供が尊い命を失っている 但し、こういう状況に陥っている国は政情不安によるところが大きく、自国ではどうにもできない状態です。 教育もない、仕事もない、収入もない・・・生活の基本的な部分が成り立っていないような状態では、「自助努力」はとうてい望めません。 そういう部分においての援助は否定するものではないと思います。

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11790)
回答No.3

私もその通りかと思います。 今までの援助でよく聞くのはODAですが、橋やら道路やら病院やら・・・そういう生活インフラの事業支援をすることで、援助先の国民の生活を豊かにするという目的ですが、結局は参画する日本の大手商社や大手ゼネコンにお金が還流する仕組みです。 また一部のお金は、その国の権力者や地元有力者の懐に入ってしまうという問題も起きています。 大きな問題は、例えば近代的な病院を作って最新式の機械を導入したとしても、技術指導や恒久的なメンテナンスをしないで、作って導入したらそこで終わりということです。 扱える医師や看護士、技術者の養成をしないのでその機械は使われないままになって、故障していく。いわゆる宝の持ち腐れです。 日本の援助は、そういうものが非常に多いような気がします。 農業支援でも向こうが必要としているのは、作物の作り方や育て方、そしてそれを生活の糧としてどう流通させるかという仕組みなのに、用水路を作ったりダムを作ったり・・そういうハコモノが多いです。 ハードの部分に片寄りすぎています。 向こうの人に対して、生活や経済的な自立を目指すべく援助をするならば、そういう教育なり指導なりといった「ヒューマンパワーの育成」に力を注ぐべきと思います。

ESMUYCARO
質問者

お礼

localtombiさん 回答ありがとうございます。 文章から、真剣に回答頂いた事に重ねて感謝します。 おっしゃる通りです。私も開発途上国にて、JTのハイライトを1カートン100円程度で買った事が有ります。聞いたら、援助物資の横流し品との事。

  • hanzo2000
  • ベストアンサー率30% (552/1792)
回答No.2

海外援助は、 生命維持のための援助 発展のための援助 と、少なくとも2つに分けて考える必要があるでしょう。 瀕死の重傷を負って死にそうな人に、 「学問を身につければきっと君の役に立つよ」といって 大学受験の願書を渡しても意味がありません。 生命維持のための援助は、ほとんどの場合、 無条件に必要とされています。 元気な人が働きもしないで 「早くうまいメシもってこいよ」と言っているなら それは確かに過剰な援助でしょう。 しかし、生命の危機に瀕している人が 「早く持ってきて欲しい」 と懇願するのは当たり前です。 ケースバイケースで捉えるべきです。 発展のための支援ですが、 これはあなたのおっしゃることも理解できます。 しかし、ではたとえば、援助対象が砂漠地帯だったとして、 砂漠で植物の栽培を学ぶのに、日本で何ができますか? 時間とコストをかけて、日本において現地の環境を再現する? そんな馬鹿な。 現地に行って現地で支援することが必要であるケースもありますし、 それが効率的である場合も多いはずです。 逆に、日本に来させた方が高効率と言えるケースはあまり多くないように思えます。 少なくとも、日本における施設維持費がかかってしまいます。 しかも日本の土地代の高さは世界有数です。 援助すべき国は、病人みたいなものです。 手術しないと死んでしまうのか、 通院でいいのか、 本人がリハビリをがんばらないといけないのか、 症状は様々です。 死にそうな人に「もっと自分で何とかしろよ」と言いたいなら、 それは私は違うと思います。 リハビリをがんばる段階なら、 「その国の人がその国の人自身の手で切り開いていく」 のはよい援助であろうと思えます。 しかしそれは、リハビリ段階にある患者にしか通用しないこともまた事実でしょう。 個別具体論として、病人である援助国に、 適切な医療(援助)が提供できていないなら、 個別具体的に対処していけばいい話ではないでしょうか。

ESMUYCARO
質問者

お礼

hanzo2000さん 回答ありがとうございます。 文章から、真剣に回答頂いた事に重ねて感謝します。 先進国と記入した通り、対日本だけで考えているのでは無いです。ですから適材適所と申しますか、各先進国の得意分野にあわせて受け入れれば良いと思います。 また、質問文に書いた様に、極論ですが目の前の瀕死の人を見捨てても自国の人が自らの手で自国の人を救うべきなのでは?と思ったわけです。 >砂漠で植物の栽培を学ぶのに、日本で何ができますか? 反論する訳では無い(偶然例え話しが合致しただけ)ですが、砂漠での植物栽培は日本が最先端技術を持っています。既に実用化の段階に来ています(薄いメンブレンに、種を植え付ける方法です)。 質問の意図はご指摘されている様な短期での対処処方では無く、時間が掛かってでも(目の前の課題に眼をつむっても)自国の人が自国の為に自らの手で行うべきでは?と言う事です。

  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.1

ダム建設や発電所建設がホントに現地の要望や需要があるのか疑問という点には、条件付きで賛成しますが・・・ 教育や医療、衛生管理の面こそ手厚い位の援助が必要だと考えます。 「疫病などの為、毎日何人もの子供が尊い命を失っている」も 「女性蔑視が甚だしい」も 「疫病の蔓延」も 結局は、衛生面での悪条件と教育の不備とが根本と考えます。 悪い衛生環境から、子供の死亡率が高い->少ない子供では安心出来ない->沢山の子供を産む->子供が多ければ衛生面も教育面も劣悪なまま 教育が劣悪では、次代の発展のための人材が育たない->貧富の格差が広がる->貧しい家庭では子供も労働力->更に教育は劣悪に->人権意識だって当然育たない と、悪条件のスパイラルから抜け出すことは望めません。 一部の人だけを先進国で先進的な教育を受けさせても、格差の助長を生むだけでは無いかと考えますが? 翻って日本の歴史を考えて見ると、江戸時代にはたとえ農村部であっても寺子屋という初等教育機関が存在していて、最低限の教育レベル(読み書きそろばん)が普及していたからこそ明治以降の急速な発展が可能だったのです。 そう言う意味で、第一には教育環境、第二には衛生管理は無視できないと考えます。 蛇足ですが、エボラ出血熱などに類する驚異的な感染症が今後も現れるかもしれません。 途上国の医療レベルが劣悪な儘では、気がついたときに手の施せない状態に陥る可能性だって否定できません。

ESMUYCARO
質問者

お礼

trajaaさん 回答ありがとうございます。 文章から、真剣に回答頂いた事に重ねて感謝します。 >一部の人だけを先進国で先進的な教育を受けさせても、格差の助長を生むだけでは無いかと考えますが? ⇒おっしゃる通りです。しかし、それも国の発展の為には「通る道」なのかな?と思います。 ですから、trajaaさんがおっしゃる教育として民主主義や公務の役割を先進国で学ぶべきなのでは?と考えるのです(残念ながら、この2つとも日本で学ぶ事は難しいですが)。 極端な貧富の差は、どこの先進国でも通ってきた道だと思います。

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