「愛情深い」という言葉があります。
「愛薄い」という言葉もありますね。
しかし「愛情」というものは、増えたり減ったりします。
他者に向ける愛情もあれば、受ける愛もある。
自分が感じる愛もあるし、感じさせたい想いも「愛」と言ってもいい。
しかし、そういった愛というものも、時に壊れるし、時に唐突に出会うことだってあるんですよ。
発見する、というかね。
つまり「愛情」というものには「形」というものが無い。
「最愛」といいますけど、器が無いものがどうして「最も」だと言えますか?。
大きさも無く、濃くも無く、薄くも無い…愛情と言うものは「不確定」なものです。
しかし「無い」わけじゃないんですよね。
どうして「最愛」を知りたいか、どのようなものなのかと知りたいのかはわかりません。
ある意味「あこがれ」なのかもしれないけど、それは本当に「雲をつかむようなお話」なんですよ。
ましてや「無いから不幸なのか?」と、問われるならば「そんなわけ無いでしょう」と答えるしかありません。
あなたはちゃんと、愛情を誰かにもらいながら生きてるはずです。
そのことについて、ちょっと考える時間を作ってみてください。
まったく愛をもらわずに、生存できている人間なんていません。
どのようなときに、自分を愛情をかけてもらったのか、自分は愛を他人にかけたのか…それをイメージすることです。
そうすることでだんだんと明確に「愛について」が実感されるし、話すこともできるようになるものです。
そうすればおのずと「最愛」の意味もわかります。
手にしたければ、自分から動くことです。
方法はもう話しましたからね。