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頭が良いねと言われるのが嫌でたまりません
- 頭が良いと言われることが苦痛になってしまった理由
- 同じような経験をされた方いますか
- 褒め言葉を素直に喜べるようになるにはどう考えを変えたら良いか
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。褒められることが苦痛に感じることがあって、そのことで悩んでいらっしゃるのですね。 褒めるということは、一見人間関係を良くしような、よいことのようですが、実はそこに上下関係をはらんでいます。人を評価するということは、その時点でいわば「上から目線」でしゃべっているのです。ですから、その内容がたとえポジティブなものであっても、いわれた側は何か違和感を感じてしまいます。極端な例ですが、例えば北島三郎さんに「歌うまいですね。」といえるでしょか?それ以上失礼なことはありませんね。しかし北島三郎さんに「歌うまいね」といわれれば、受け入れることはできるかもしれません。(演歌ファンであることが前提ですが。。。笑)つまり、実際に自分が目上と思っている方から褒められるといやではないのです。 また、そもそも、人を評価できるということは、その人のことを相当程度理解していないとできないはずです。それなのに「あなたはこうだ」といわれると、なぜあなたにわかるのか?という疑問が出ると思います。その内容が自分の認識とあっていればいいのですが、今回の件ですと、自分では頭がいいと思っていないのに、頭がいいといわれると、それは自分の感覚とは違うよ、ということになり、認識の違いから距離感や疎外感、孤独感をかんじるかもしれませんね。同じ人間なのにね。 「頭いいよね」ではなく、「ありがとう」だったらどうですか?あなたが何かすばらしいことを言って、そのおかげで「ありがとう、いいこと聞いた。」「ありがとう、楽しかった、助かった」といわれれば、それはうれしいのではないですか?あるいは頭がいいことを心から喜んでくれていることが、態度から伝わってくればいいのではないですか? 「頭いいよね」と言ってくる人の、裏にある何かをあなたは感じていらっしゃのかもしれません。それはあなたに対する嫉妬かもしれません。自分のコンプレックスをごまかすために、無意識に優位に立とうとしているか、あなたと同じ土俵に上がりたいのか。。。 とにかくあなたが感じていらっしゃる感覚は特別なものではなく、人間だれしも感じるものだと思います。 もちろん抱えている問題は人それぞれなので、すべてを一般論でかたることはできません。その前提で参考になさっていただければと思います。
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- garyu1230
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こんばんは。 >・同じような経験をされた方いますか。 「同じような」と言っていいのかどうかわかりませんが、 「頭が良い」 と言われて苦痛に思ったことはあり、あなたの書かれている内容にも共感しました。 >・私は自覚なく人を馬鹿にするような態度をとってしまっているのでしょうか。 おそらく、それはないと思います。 でも、 「もしかしたら、人を馬鹿にするような態度をとってしまっているかもしれない」 という思いは、消すことなく、お心に留めていただきたい。 あなたに悪気がなくても、相手を傷つけることはあると思います。 あなたに責任はありませんが、思考力の不足に悩んでいる人は現実におられますし、そういう方の前では「言い方」に気を付けていたたきたい。 >・どうして「頭が良い」と言われることが苦痛になってしまったのか、理由として考えられることはなんだと思いますか。 「頭が良いんだね」 こういうセリフを皮肉の意味をこめてあなたにぶつけた人が、過去に何人かいるのではないでしょうか。 褒め言葉を使ってけなされたり否定されたりすると、人はとても深く傷つくものです。 あなたの心に、いまだに癒えない傷があるのかもしれませんね。 >・褒め言葉を素直に喜べるようになるにはどう考えを変えたら良いと思いますか。 考え方を変えるより、褒め言葉を発した人が本当に褒めているのか、あるいは複雑な感情をほめ言葉に託しているのか、それを見極めるよう、観察眼を磨く方がよいのではないでしょうか。 「この人は本心から褒めてくれている」 と、あなたが感じていながら、それでも不快に思うなら、考え方云々ではなく、あなたの心が病んでいるのかもしれません。 あと、一つだけ、気になる点があります。 >ただ、言われる人によってはと言われてうれしい場合もあります。 >私がその人を尊敬したり憧れたり、追いつきたいと思っているような人たちです。 ここが、非常に気になります。 では、あなたを尊敬している人に言われた場合は? あなたにあこがれている人に言われた場合は? あなたを目標とし、あなたに追いつきたいと思っている人に言われた場合は? このあたりに、答えがあると思います。
お礼
ご回答有難うございました。 私はおしゃれをしたり手先を使うことが好きなので、「きれいにメイクしてるね」とか 「これ作ったの?器用だね」なんて言われればうれしく思います。 「肌が真っ白でいいね」とか「白髪がなく真っ黒な髪でいいね」なんていうのも 素直に「有難う!でも維持がけっこう大変なのよ」などと笑って言えます。 でも「頭が良いね」には素直に喜べないんですよね。 一例ですが、何かについて話をしている時、「それはなぜ?どうして?もっと知りたい」と 私なら思います。でもひとしきりしゃべって「頭良いんだね」と 言われるとそこで話が終っちゃうんですよね。 あ~この人にとって興味のない話題をベラベラ話しちゃったんだろうな、とか自慢話を しているようにとられたかなと凹んだりもしますし、「生まれつき頭の出来が違うんだよ」 なんて言われると「いや、そういうことじゃなくて…」って思います。 褒められたくてその話をしているわけじゃなくて、ただそのトピックについて その人と話を深めたいだけなんです。 >ただ、言われる人によってはと言われてうれしい場合もあります。 >私がその人を尊敬したり憧れたり、追いつきたいと思っているような人たちです。 この場合は皮肉や嫌みではなく「正当に評価された」「頑張りを認められた」って感じるんです。 そういう人たちって「頭が良いんだね」で話が終ったりはしませんし、そのような言い方はしませんよね。 ディスカッションしながら話を深め、教えてくれたり、意見を聞かせてくれます。 最後に「あなたは素晴らしい能力を持っているからもっと伸ばすといいよ」みたいな 褒め方をされれば「ああ、うれしいな、もっと頑張ろう」という気になります。 「意外と出来るんじゃん」などと多少の勘違い(?)も含めて誇らしい気分になります。 嫌な言い方ですが、「知的レベルの格差」っていうことを自分の中に持っていて、 無意識に人に対して態度で示してしまうのでしょうか。 お礼をお読みいただき、また何かお気づきの点がありましたら お願いします。
理由は「自分はごく普通の知的レベルだと思っている」からだと思います。 ほとんどの人間は調べれば解かる事を調べる事すらできない、覚え方の工夫すらできない、あなたがごく普通に行っている事ができないのですよ。この質問文にその知的さがにじみ出ている。あなたはさらに自分の得意不得意まで把握し、どこが失敗だったかをしっかり見据えている。そんな事はほとんどの人間ができないのです。 そういう人たちとすれ違いが起こるのは、自分の出来る事が相手にも出来ると錯覚するから。 例えば「メモ取りたいんだけど」と行った時にメモ用紙しか持ってこない助手に「ペンがなきゃ書けねーでしょ!バカ?」とツッこめるほどの余裕があれば褒め言葉を素直に喜べるようになれると思います。人生、上だけ見ていてもだめなんですよ、下も見ないと。
お礼
ご回答有難うございました。 おっしゃること、最近少し気づいてはいました。 一例ですが、何か物事をする時、私は「こんな手順でこんなふうにすれば効率がいい」と 事前に考えたり、仕組みや構造を知ってどうしたら問題解決できるかなど考えます。 もちろん考えずにやってみたり、失敗することもありますが、基本的には物事を見て 観察したり考えながらすすめていきます。 そして得手不得手はあるにせよ、人間はたいがいのことは出来ると思っているし、 身体が思うように動かせないこと以外は、たいがのことは出来てしまいました。 ですから健常な人に対して「不自由なところがないのになんで出来ないの?」と 思うことはよくありました。そういう人は向上心がない、やる気がない、気がつかない、 そういう人なのだと思っていたのです。 何度同じことをしても覚えてもらえなかったり工夫がなかったりすると、顔では笑って いても、心の中では「やる気あんの?良くしていこうとは思わないの?」と 怒りすら湧いてくることもあります。 そんな相手から「頭良いですね」なんて言われると「私、普通なんだけどなぁ」と思って しまうんですよね。 「バカ?」とつっこめる相手ならいいんですけどね^^ でももしかしたら本当に出来ないのかもしれない、私は少し人より出来てしまうのかもしれないと 思ってもいいのかなという気がします。 お礼をお読みいただき、また何かお気づきの点がありましたら お願いします。
- akiko0828
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肢体に不自由があるということですが見た目でわかるなら健常人なら当たり前のことをすごいですね、とか賞賛されることがかえって差別に聞こえるのかも? ハンデがあるということを無意識にコンプレックスに思っているのではないでしょうか。
お礼
ご回答有難うございました。 ハンディがあることは小さい時からのコンプレックスで自覚しています。 そのハンディを少しでもカバーする為、頭を使うこと・手先を使うこと、いろいろと 努力というよりは楽しみながらやってきました。 自分にとって普通にできることを普通にやっているだけなのに「すごいですね」と言われると 「もし私が健常者ならそんなことは言われないだろうなぁ」となんだか複雑です。 お礼をお読みいただき、また何かお気づきの点がありましたら お願いします。
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お礼
ご回答有難うございました。 北島三郎さんの例は言いえて妙でした。 「頭が良いね」と言われて生まれる感情にはいろいろなものがあります。 ひとつは距離感・疎外感、「私はどうせあなたとは世界が違うのよ」みたいな ニュアンスを感じたり(例えば裕福な人に「世界が違うわねぇ」と感じるような) 「私には理解できない話をしないで」と遮られているような感じ。 ある時は、私は頑張っていることを評価してもらいたいのに、生まれつきのものだとか 努力していないように思われること。 私は数学は興味があってもかなり苦手です。「数学って全然出来なくってダメなんだけど 頑張って勉強してみようと思うんだよね」などと言えば「もう今更勉強なんてしたくないわ。 やっぱり頭がいいんだよ」とか、「やっぱり頭の良い人は関心ごとが違うんだね」などと言われたり。 また、私が「これってこういう仕組みだからこうした方がいいんじゃない?」と軽く言えば 「ああ、頭が良いねぇ」と。そういう時は嫌な気分というよりは「なんでこんな簡単なことが わからないんだろう?見ればわかるのに…」と思ってしまうこと。これは自分が自分で起こす 嫌な感情ですが、とにかくあまり良い思いはしません。 養護学校の時から「障害のある分、人より努力しなさい」と言われて育ちました。 障害というハンデをカバーしようと勉強したり、知識見分を広めたりしなきゃと思いますし、 努力とは思わずそれを楽しんでいます。 私自身が「体は不自由だけどこんなこと出来るんだよ」と無意識に優位に立とうとしているのかもしれません。 お礼をお読みいただき、また何かお気づきの点がありましたら お願いします。