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母が創価学会員です・・・いくつか質問させてください
今から4・5年程前、母が創価学会に入信しました 家庭内で色々悩み事があり、学生時代の友人に勧誘されたのがきっかけのようです ある日、家にご本尊様(小さい掛け軸みたいなの)が突然置かれ、入信したと聞いた時はだいぶショックを受けました 家族に一言も相談が無かったことと、 あまり良い印象のない創価学会だったという事です そして今も良い印象はありません (選挙の時とお布施の時しか学会員の地域の人と交流が無いみたいです ゲンキンだなぁと思ってしまうのですが…) そして、この度私も大きな悩み事をかかえ、キリスト教の門を叩こうとしています (もちろんまずは礼拝・牧師さんとの会話だけと思っていますが) 母と違う宗教へ興味を示したのは、教会がとっつきがよさそうなのとイメージの良さ、学会員2世になってしまわない為の抵抗なのかもしれません 動機が不純だと言われるかもしれません… そう思ってご不快になられた方は申し訳有りません 今回私が質問をしたかったのは (1)母が創価学会員・娘が礼拝に通う身になることは二つそれぞれの宗教からして、認められるのでしょうか? (2)母と私は一緒のお墓には入れないのでしょうか? (私が一生独身を通した場合です) という事をお伺いしたいのです ご存知の方がいらっしゃいましたらよろしくお願い致します
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- f5system
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複雑ですね。ぼくは両方とも経験がありますが、幸福のことを考えると、母親と違う宗教をしても適いませんね。むしろ、母親と同じ目線で見守ってあげた方が良いとおもいます。所詮、学会員といっても、普通の仏教なので、同じ目線で考えやすいかと思います。キリスト教は排他主義なので、ちょっと、民族的に合わないのです。つまり、幸不幸の原因を内面に求めようとしないのですね。すべては、神の御心なのですと説く。あきらめみたいな気持ちが最善なんですね。ところが、仏教は自分が努力した分だけ幸せになると説くから、現実的で分かり合え安い。つまり、宗教があまりにも違いすぎるわけです。ですから、1と2は自由ですが、あまりにも180度離れている感じなんです。
- imadegawa
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昔の私と全く状況が同じですね。 私は高校時代色々と悩み、とにかく何かにすがりたい、誰かに話を聞いてもらいたいと思い、「宗教」に興味を持ち始めました。 母が学会員だったことへの反発や、キリスト教への憧れもあり、タウンページで調べて、近くの教会に通い始めました。 1の質問に関してですが、それは当然オーケーですよ。何も問題ありません。宗教は押し付けられたり押し付けたりするもんじゃありませんから。母は熱心な学会の活動家ですが、自ら教会に電話してくれました。 2に関してですが、一緒のお墓に入りたいのなら、どちらかが妥協するしかないでしょう。
- -kasumi-
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私は学会員3世(こういう呼び方をするのかどうかもなぞですが)ですが、カトリックの男性と結婚しました。 しかも、主人は結構敬けんなカトリックです。毎週日曜(土曜もたまに)ミサに行っています。私もついて行きますし、息子(洗礼済み)もつれて行っています。 別に家族間で宗教が違っていても個人の自由だからいいのではないでしょうか?うちの両親ほか、学会員の親戚、近所の学会員さんなども反対はしていません。 あくまで個人の自由でしょう。 ちなみに神父さんは私の信仰の自由を認めてくださっているので、何も言われたことはありません。 ただ、一部のカトリックの方には「奥さんはどうしてカトリックにならないのか?」といわれたり、無理やり勧誘のようなことをされることもあります。 後は私がいくら嫌がっても神父さんに祝福してもらうことを皆で結構強く勧めますね。そのぐらいでしょうか。 どんな宗教でもいろんな人がいるということですね。
- horukusuwa-gen
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学会員です。また私は葬儀屋に勤めております。 まず、(1)のお墓の件ですが慣習として例えば寺院墓地でお寺が管理している墓地の場合にはそこの寺の僧侶をよんで葬儀をしないと墓地に入れないとはよく聞く話です。しかし、あくまで慣習ですので法律的にはまったくの論外です。仮にそこのお寺が他所でやったから駄目だ!といっても法律が守ってくれます。また、墓地にも公営墓地や共同墓地といろいろありますし結局のところ関係はないと思います。 (2)の件ですが、これは信教の自由が憲法で定められておりますし、各ご家庭ではいろいろありますので お母さんが学会員であって本人がキリスト教徒は全然おかしくはありません。 以上となりますが、宗教には2つはありません。 1つがあのようにいっているのに1つは違うことをいっているなんてありえないからです。(正しいものは)昔の自動説と天動説ではないですが、わたしの意見ではキリスト教では現代の科学でも見事に論破されております。聖書根本に現実から逃げるだけで単に夢物語を追いかけるだけです。(ましてやその教義自体も年々人の手によって作り加えられているものがほとんどだと思います。) 本当に悩んでおり、真剣になるのでしたら本当の宗教を考えなくてはなりません。 私は職業上、様々な宗教に縁しておりますが経験の上からも学会は1番正しいと確信しております。 それは、仏教というのは釈尊から始まっており、その釈尊が説いた最高の教典である法華経を文底の立場から解釈したのが日蓮大聖人です。 大集経に説かれているとおり末法の白法隠没の時期が到来して200余年に上行菩薩の再誕としてお生まれになり、民衆救済のため出世の本懐である大御本尊を顕されたのです。(当体は久遠元初自受用報身如来) それをかつての日蓮正宗の檀徒集団として現代社会にのっとて広げたのが創価学会です。 まあ、理屈はよしとして結局のところ現実がよくならなければ話にはなりません。科学や数学と一緒です。世の中は法則があります。法華経には生命論が説かれており、因果(原因と結果)律を宿命として打開するのは本人の生命力しかないと法則として捕らえているのです。何故?あんなの拝んで効果があるはずがないとシンプルになるとは思いますが・・・。 学会員は800万世帯を超える宗教団体です。 詳しいことはお母さんに聞いて、試してみるのもいいと思います。
- fire-boy
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皆さんそれぞれに考えてらっしゃるようですが、少し気になったことがあったので書き込ませてもらいます! love-smileさんは「選挙の時とお布施の時しか学会員の地域の人と交流が無いみたいです」とおっしゃっていますが本当にそうなのでしょうか??自分の母親も学会員ですが、座談会というものがありますし、それ以外にも同中もあるので、毎日家事をする暇がないほど駆け回っていますよ。なのでlove-smileさんのお母さんが相当学会活動を拒まない限り、交流がない事はありえませんよ! あと、これはアドバイスですがlove-smileがどの宗教につこうと自由だと思います!問題は自分がその宗教をどれだけ信用し熱心にするかだと思います!そうじゃないとあとあと都合が悪くなった時、全ての責任をその宗教のせいにしかねませんからね!
- 512mb
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ないでしょうか。もちろん、太鼓判を押して保障するという訳ではありませんが・・・。 創価側から言えば他宗教を信奉するということは認められない事ではとちょっと心配です。 ただ、創価も昔は「他宗を信じると地獄行き」なんて普通に言ってましたが 最近はそんなことを言うと現代社会に馴染まないということなのか 他宗教を悪く言う事をやめました(代わりに今は元の総本山を攻撃しているようです) もし、あなたが田舎住まいでしたら、考え方の古いおばちゃんが沢山いるでしょうし 熱心なお母様やその人達に古い事を言われてしまう可能性はあると思います。 (というか、まだまだその気質は抜けてないので、かなりいやな顔はされるでしょう) >(2)母と私は一緒のお墓には入れないのでしょうか?(私が一生独身を通した場合です) 誰かが答えてらっしゃいましたが、お墓の持ち主の決める事でしょうから できないことではないと思いますが、もしお墓がお寺の敷地内に有るのでしたら 法要などは仏式になる可能性があります。お墓が、市の管理する霊園にあるのでしたら 和洋折衷ももっとやりやすくなるでしょう。まあ、まだまだ先の話ですね。 私としては、お母様と信仰するものが違うのなら、おうちを出られて 誰か同じものを信仰される方か、信仰に理解のある方と結婚されてはどうでしょう。 (お母様がもっと年を取ったら、もっと許容範囲が小さくなって、毎日ケンカばかり・・・ となる事もありえます)これは、別に創価うんぬんという意味ではなくて、人は年を取ったら 誰でもそうなるということです。 ----- それとこれは個人的な感想ですが、宗教にハマル人というのは心にぽっかり穴が開いた人です。 その穴を塞ぎたいと思ったり、何かを信仰したいと思うのは人の本能に近い欲求だと思いますが たとえそれを信仰で埋めたとしても、それを物を穴にぎゅうぎゅう詰め込んだようなもので 穴が治った(問題が解決した)という訳でもないでしょう。 信仰するということは、大抵生活全般にその独自のルールを適用するということでもあります。 どうしたらいいのかわからない人生の悩みにぶち当たった状態にある時、 することが決めてある宗教(祈れ、お布施をしろ、新会員を勧誘しろ等)は 何をしたらいいかを悩んでいる人には楽なことでしょう。 頭を使わなくて済みますし、苦しい選択を投げる事が出来ますからね。 ただそれで問題が解決したのかと言えば、違うと私は思います。 自分の人生の問題は悩んで悩んでそれでも自分で選択していく姿勢でないと、気がついたら 誰の為の人生を生きていたのか、ということになりかねないと危惧します。 年とってはまってしまった人や長く活動した人ほど、そのことを自分で認められずに やめられなくなります。 (人生は後戻りできませんから、それを認めてしまうことは残酷な答えを残すだけなので) あなたもどちらかと言えば気真面目な感じを受けますので、以上の事を気をつけてください。 信仰を助言とし、祈りの対象とする程度ならいいのですが、人生の選択を全て宗教に 預けてしまうことは人として問題ありと考えます。教えを教えとして全て受け入れるの ではなく、自分でひとつひとつ吟味することを忘れないでください。 無批判に「教え」と言われる物を取り入れ、自分で考えることができなくなった人の為のHPを 上げておきます。
- aya-aya77
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love-smaileさん、こんにちわ。(^^) 我が家と逆のパターンだと思ったので、私なりの経験をお話したいと思います。 私は最愛の男性に裏切られ、死のうとした人間です。 それにより、病気になり、仕事もできなくなり、人間も信じられなくなり、頭がおかしくなっていきました。 リストカットもしたし、親さえ刺し殺そうとしたくらいです。薬も飲みましたよ(服毒自殺ってやつですね)。 親さえ、親友さえなにもない・・自分には「死」しかないと毎日思っていました。 そんななか、私の一人の友人が「私の家に来て!」と迎えにきました。そして、私の手にお数珠をかけ「これがねご本尊様なの。ただ南妙法蓮華経と言って。心の中でご本尊様に、思いを全てぶつけて!!」といわれ、ただ南妙法蓮華経と20分と唱えました。泣きました。涙が止まらず、友達が「いいんだよ、〇〇ちゃんは十分苦しんだんだね。 大丈夫、絶対に幸せの境涯になれるよ!!」と言ってくれました。彼女の家に2泊しましたが、始めにあった時の私の印象は「ゾンビ」だったそうです。「あ、やばい!目が死んでる!」と。でも、家まで送ってくれたのですが、そのときには笑えるようになっていました。 それからが葛藤の毎日でした。 始めは私も「宗教」と聞いただけで毛嫌いしていた人間です。私は関係ないと。 もちろん、母も私と同じ「無宗教派」です。 でも、確かに元気にはなってきた。自分はご本尊様が胸中にいるからがんばれる!でも・・・入信となると・・・。 母に「どうしたの??なんでそんな元気になったの?」 とビックリされたので、(それほど人相が変わったそうです。ちなみに、母とは別居してます。) ご本尊様のこと、入信したいことなどをはなしました。 もう、大反対です。「私が死ぬまで絶対許さない!!」 って。でも、私は勤行、唱題を続けました。別に私自信がまったく別の人間になってしまったわけではなく、信じられる裏切らない存在が、私の胸中に刻みこまれたのです。 友達からの勧誘は一切ありません。ただ、私に「こういう幸せになれる道もあるんだよ。」と教えてくれただけです。なので、私は自分の判断で勤行し唱題しそして、入信しました。その間約半年でしょうか・・・。 その私の姿、行動、発言を見て母は 「あなたの人生だし、あなたの自由だから好きにしなさい。でも、ママは宗教は嫌いだからママは巻きこまないでね。」と理解してくれました。 確かに、キリスト教ってきれいなイメージがありますよね。つい、先日もその友人とその話をしていました。 あなたが入信しても「学会二世」ではありませんよ(^^) あなたが入信して、お子さんを産んで入信させれば「福子(ふくし)」となり、学会2世誕生ですけどね。 そのことにこだわる必要はないですよ。 ようは、宗教は強制されるものではなく、自分の信心から沸き起こり、始まるものだと思うので。 私は入信したからといって、なんら変わりない生活ですし、他人からの評価が下がったな~んて事も全然ありませんよ(^^)。きっかけは人それぞれです。 ただ、お母様に抵抗するためにキリスト教・・・もしくは他宗教にはいられるのはどうかと・・・思いますよ。 逆に、信心されている方々に失礼だと思いませんか? (きつい言い方でごめんなさいね~) あなたが幸せになる為に・・・それを考えることが一番です。 宗教選択は自由ですよ。ご心配なく。(^^) なんだか、回答になってなくてごめんなさいね~!!
- yosutebito
- ベストアンサー率33% (3/9)
1) 創価学会のことは伝聞しか知識は無いのですが、それが 認めようと否と、貴方がどう言う考え、行動を持つ/する ことは無関係です。 キリスト教は基本的には 「来る者は拒まず、去る者は追わず」だと思います。 2)どなたかも仰っていましたが、遺骨を墓に納めるかどうかは墓の所有者が決めることです。 以下のことは、余計なことですが、他人の独り言として 聞き流してください。 1)お母さんの入信 人にはそれぞれ固有の考え、生き方があっても良いのでは ないでしょうか。 その宗教の考えを他人に押し付け なければお母さんの生き方を認めるべきでしょう。 そうでなければ、自分以外の人格を否定することになりませんか。 他人の人格を認めて、はじめて自分の人格も 認めてもらえるのではないでしょうか。 2)悩み、困難があって宗教にすがっても根本的な解決 にはならないと思います。 何かの助けが必要かもしれませんが困難に立ち向かって乗り越えて下さい。 逃げたり 避けて通るばかりでは解決しません。 何でも話せる親友とか信頼できる知人にうちあけられませんか。 直接関係無いことですが、生きるについて、生きがいとか 難しいことではなく、ストレスを発散するために、学業、 仕事以外に、何か打ち込めることを見つけられないですか。 そうすれば、悩み、困難に対する見方、考え方が だいぶ違ってきます。 極端に言えば「なんだ、こんな ことに悩んでいたのか」と思うようになります。 私事で恐縮ですが、私も創価学会は好きではありませんが、他人の信仰を否定しません。 私個人は神仏はいないと信じています。 人間は死ねば 焼いて灰になり、土に戻ると考えています。 大変失礼なことも言いましたが、気に障ったら無視して 下さい。 ラブースマイルさんが困難を乗り越えて強く なることを望んでいます。 長くなってすみません。
- kicho
- ベストアンサー率14% (173/1192)
キリスト教そのものは全く問題ありませんが,キリスト教を名乗るニセモノ団体・イカサマ団体がうようよいます。このような団体には充分気をつけてください。彼らはあなた様のような「迷える子羊」を手ぐすねひいて待っているのです。彼らに洗脳されたら逃れられません。恐ろしいことです。その一例として,霊感商法などで有名な某協会があります。 町の教会なら問題ないでしょうが,世の中には宗教の名をかたる偽善団体がワンサカいるので,それらを正しく見極めすることが非常に大事です。
(1) 家族単位で同じ宗教なんていう決まりは、どちらの宗教にもないでしょう。お母さんは、徳が下がったなどと言われるかもしれませんが・・・。 (2) love-smile さんがお墓に入るときに、そのお墓の所有者が認めるかどうか次第でしょう。そもそもお墓は宗教と関係が深いので、他宗教の様式のお墓に入ることを love-smile さん自身が嫌だと思うかどうかが先だと思います。 自分の信じる宗教があれば、結婚式や葬式などで譲れないものがあると思うべきです。娘の結婚式に出席しなかった母親の話なんかもあります。宗教を否定はしませんが、この手の問題は、後悔しない覚悟で行動するしかありません。
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