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大相撲八百長を許す?
- 大相撲における八百長について考える。
- 八百長相撲とは何か、許せるかどうかを問う。
- 柔道の八百長に関する意見と共感について。
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ケース1 = 許せない。例え千秋楽に勝ち越し・負け越しがかかった相手でも全力で当たり相撲をとるのが礼儀である。 ケース2 = 許せない。怪我した部分を攻めるのは、これ常套手段。谷の言う通りそれこそ相手に失礼千万。そこを攻められないで押さえ込みにかかえて勝った山下泰裕選手も複雑な心境だったと思う。 ケース3 = 共感できる。勝負は常に非情でなければならない。 補足:かつて貴乃花が膝の半月板を損傷し、武蔵丸との優勝決定戦で勝って優勝を成し遂げたが、あれは武蔵丸が気の毒というもの。ファンの多くは貴乃花を応援してた筈。武蔵丸としては突き押しを徹底すれば楽に勝てた筈。しかし空気に流されてあの様な結果になったのは、残念でならない。 怪我をするのは、あくまでも自分の責任。ちゃんとした受身を取らない、或いは無理な体勢で勝とうとするから怪我をするのであり、山下選手の怪我も、貴乃花の怪我も本人の責任と言える。清原が死球で怪我が多かったのもそのせい。避け方が本当に下手。勝負の世界に情けは無用。
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- hyakkinman
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いいじゃない… 人間くさくて。 相撲は、プロレスと同じだと思ってたから… 今回の春日錦さんたちも、許せますよ。 ガチンコで、年間6場所なんて、かわいそう。 ガチンコにするなら、せいぜい2場所じゃないと。 柔道は、いまだにスッキリしない。 判定勝ちのルールとか… あと…、 「勝ち負けにこだわると、柔の心が無くなる。」感じ。 怪我したまま試合にのぞむことは、相手に失礼じゃないのかな? 不思議。 山下さんには、棄権してほしかった。 谷さんは、議員になったこと自体が、八百長に思えます。 柔の道を、後に続く人たちに指導してほしかったです。
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- vaierun
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1=許せない 昔からそうしたことはあるとされていました。 勿論、公にではなく。 勝ち越しが決まっているので負けるであろうと予想した力士が勝つこともあり、逆に驚いたという経験は寧ろ楽しく感じました。 しかしながら真剣勝負だからこそと観戦した人に対しては甚だ失礼以外の何物でもありません。 「国技」の冠を取り払い「相撲プロK-1」などの名称にすれば許せます。 2= これは私も山下選手が語っているのをテレビで観ましたが 「そんなことないですよ。バンバン蹴られました(苦笑)」 こんなコメントだったと記憶しています。 記憶違いかもしれませんが飛ばします。 3=言葉には共感できません。 わざと怪我の部位を執拗に攻めた、という印象も受けるからです。 相手の怪我を意識せず、自分の実力を出し切ったゆえのことだと私は理解しました。 この姿勢であれば素晴らしいと感じました。
お礼
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- bakiboko
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まず、相撲と柔道では比べる前提が違います。 <ケース1> 相撲は給料をもらっている「プロ」です。自分のためでなく、観客の為にプレーするのです。真剣勝負をみせていると銘打って真剣でない勝負をしている。応援してくれているファンの気持ちを裏切って「相手への同情」という自分の気持ちを優先している。・・・許せないと思います。 <ケース2・3> プロでないスポーツは「自分の為に」「趣味」でしていることだと思います。ケース2でも3でも「好きにすればいい」と思います。趣味でやっていることなのですから、「今日は気分が乗らないから手を抜こう」でも文句を言われる筋合いはないと思います。 が、例はおそらく「オリンピック」ですよね。税金でスポーツをしている彼らに「国民の為」という義務が発生しないかという点が微妙ですね。するとケース2はケース1と同様の理由で「許せない」となりそうですが、ここの他の回答を見ても「許す」派が多数のようです。つまり国民が求めているのは「勝利」よりも「スポーツマンシップ」「人情八百長試合」である可能性が高いということです。だとしたらまあ「義務を果たしている」ので「許される」のかもしれませんね。 <余談> 質問の趣旨とは関係ないのですが、山下選手が例の試合について後年「ラシュワンが僕の負傷部位を攻めてこなかったというのはウソです。ばんばん攻めてきたし、それが正しいとも思います。僕が逆の立場でもそうします」と言っていたのを聞いたことがあります。 すみません。質問者様の質問にケチをつけている訳ではなく、このQ&Aを見て「ラシュワンってなんていい人なんだ!」となる人がいるかもしれないので「そうでもないって説もあるよ」と参考にしていただきたいと思っただけです。 ・・・手を抜いても勝てるだけの実力差があれば、「負傷部位をさける優しさ」があってもいいと思いますが、結局負けてますからね・・・個人的には「スポーツマンシップ」は負けたことの言い訳では?と疑われても仕方がないと思います。 「100%の相手と闘いたいので負傷部位を攻めない」 「相手の怪我をしているところを攻めてあげるのが、相手に対する優しさです」 先述した通り、「趣味」である以上どちらでも構わないと思うのですが、そのスポーツを真剣に、命がけでやっている人ほど後者の考えに近くなるように思います。「フェアプレー」「スポーツマンシップ」に重点を置くのは、「観客目線」あるいは、本当に「軽い趣味レベル」でスポーツをやっている人のような印象があります(注:それが「悪い」と言っている訳ではありません)
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- エイブラハム リンカーン(@sk1272)
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【ケース1】 去年のJリーグで、すでにJ2降格が決まっている京都が、 最終節でFC東京をJ2に道連れにした試合がありました。 団体競技では非情になれても、 個人の競技では、情が入ってしまうのは致し方ないと思います。 ましてや大相撲の仕組みは、 他のスポーツには類を見ないシステム。 つまり番付が一枚違えば天国と地獄。 あまり感心はできませんが『許す』の範疇でしょう。 【ケース2】 許すも何も立派なフェアプレーです。 実際に当時の論評は、 金メダルを取った山下選手より、 怪我をしている箇所を狙わなかった、 エジプトのラシュワン選手を賞賛する意見が多かったような気がします。 日本国民でさえです。 【ケース3】 これは微妙ですね。 怪我をした部分を狙うのは常套手段ですが、 同時に怪我をした選手の選手生命に関わってきます。 但し、相手が投げ技に弱いとか、寝技に弱いとか、 そういう意味での『弱点を狙う』という意味ならば、 共感は持てますね。
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ケース1 →たしかにこれは『八百長』というレベルのものではなく、そういう心理状態になってしまっただけだと思います。頭では真剣勝負でも、体が半分無意識に手を抜くって事ではないでしょうか。 結果、許せます。 ケース2 →あくまで『戦法』だったと思います。意地悪く受け止めるなら「そんな弱点を攻めなくても勝てるさ」という。 そういう意味では、戦法が間違っていただけと受け止められても仕方がありません。 結果、許せます。 ケース3 →彼女の言う「優しさ」とは、無駄に試合を長引かせず、真正面からぶつかった上で早々に試合を終わらせるという意味に受け取れます。 相手のプライドも保たれます。逆に言えば、ケース2の山下さんの場合、この試合後のプライドはどうだったのかが当時から気にはなっていました。 結果、共感が持てます。
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- 誠治(SEIZI・SAGE)(@romanda201)
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>今日TVでね デーモン閣下が言ってたけどね 「当日、組み合わせの相撲」とね まあ、携帯電話等を取り上げることが前提だよね?
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- muni621
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こんばんは 1…TVで見てたなら許せます。が大金はたいてマス席で見てたならがっかりします。 2…許せます。というよりラシュワン選手は100%の山下選手と闘いたかったのでは?という気もしますね。 3…すみません初めて聞きました。でも弱点を攻めるだけが礼儀とは思えませんが?確かに同情するなら何とやらですが…私は武道って最初の礼[私と闘いをしてくれて有り難う、宜しくお願いいたします]と終わった後の礼[闘ってくれて有り難うございました]こそ大事なものと思いますが…相手をしてくれる人がいて初めて[試合]になるんですから。
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- localtombi
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ケース1は「人情相撲」とも呼ばれて、昔からやられていたらしいですね。 言ってなくても、“あうんの呼吸”でお互いにそれとなく分かるような感じ。 勝敗が全てというスポーツの世界にあっては、絶対にあってはならないことだと思います。 ケース2とケース3は微妙ですね。 普通であれば、足のケガも普段の練習や修行が足りない結果起こったものですから、そこを配慮して攻めないのはおかしいと考えがちですが、仮にその足を攻めて優勝したらきっと後で、“柔の道に反する行為”みたいに物議をかもすことになるのでしょうね。 スポーツマンシップと勝負は、場面によっては結構矛盾するように思います。 「美徳」と考えるか「余計な同情」と考えるか、それは当人の気持ちの有様に関わって来るんだと思います。 「そこを攻めて勝つ」「そこを攻めなくて負ける」・・この選択に本人が気持ち的に納得できれば、どっちでもいいような気がします。
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- cucumber-y
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【ケース1】 真剣勝負という触れ込みで金を取って勝負(商品)を提供していながら真剣勝負ではない。 八百長と呼べます。が許せます。 【ケース2】 相手に気遣ってそこを責めなかったとは言い切れません。 同一条件での真剣勝負で、とことんどちらが強いか確かめたかった格闘家の思いであったかもしれません。 そうであれば許すどころか拍手を贈ります。 【ケース3】 これも一つの考え方。 ただ、谷氏級の柔道家であれば寝技に入った瞬間に押さえ込むよりも勢いが止まらなかったフリで相手の頚椎を捻じ切るほうがはるかに容易でそれをやれば、その瞬間に「相手の死」という不幸な事故の結果 、勝負としては勝ちますが彼女もそこまではやりません。 生き死にの勝負とまでは徹していない=手を抜いている こう見ることもできます。 相手を死に至らせるまででは無くとも一生残る障害を与える気であれば使える技が柔道には多くあるが彼女はそれを使わないと考えれば、彼女の言葉に100%の共感はできません。
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ケース1 無気力に見えれば許し難いし、真剣勝負に見えれば許すかどうかなんて考えませんので、その実態まではこだわりません。 それでも大相撲を対象にした賭博の都合によるものだったら問題ですが。 ケース2とケース3は当事者の信念の問題なのでとやかく言う気になりません。 大相撲の八百長問題は本当は警察の組織存続(と言うより温存?)のためにムリヤリなヤクザ壊滅を持ち出した結果の一つではないでしょうか? そっち方面はあまりに形式的で実体の無い成果を求め過ぎているように思え、大相撲の八百長問題はそのとばっちりに思えるんですが。
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