• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:彼女が学校のボランティア活動を嫌って参加しません)

彼女が学校のボランティア活動を嫌って参加しない理由とは?

このQ&Aのポイント
  • 彼女が学校のボランティア活動を嫌って参加しない理由について、彼女の普段の行動や考え方を考えると理解しがたいものです。
  • 彼女は学校やゼミでのボランティア活動には参加せず、その代わりに個人で社会貢献的な行動を積極的に行っています。
  • 彼女はボランティアと慈善活動にははっきりと違いがあると考えており、ボランティア活動には偽善的な要素があると感じているようです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.16

No.14です。 もう一つ、今度は学問的な見地から。 学問というものは、「習う」だけではだめで、「研究する」必要があります。 「研究」するためには、批判的な視点が欠かせません。 彼女は、ゼミで参加する活動を「偽善」と喝破しています。 ならば、それを検証して、どうあるべきかを発表することがゼミの中で必要になるとは思いませんか? ゼミで参加が半ば義務付けられているということが、無批判に奉仕活動に参加せよと言っているのではないと思うのです。活動参加はあくまでもフィールドワーク、研究材料なのではないでしょうか? 活動への参加を通じて、その活動の偽善性(例えば、ひも付きでパトロンの意向に逆らえないとか)を発表して行くのも立派な研究です。「なぜ、偽善と喝破できるにもかかわらず、それを発表しないのか」、「なぜ、活動に参加せずに偽善と喝破できるのか」、「なぜ、彼女の認識をゼミに投げかける必要がないのか」、「なぜ、活動に参加することで自分の認識を検証する(認識を改めようと裏づけようと)必要がないのか」あなたが彼女に教えを乞うてはいかがでしょうか? そういうことを考えずに、ただ単に嫌悪感だけで拒否しているのならば、それは学問に向かう姿勢ではありません。 嫌悪感の正体を論理的に暴くことこそ必要かと思います。

noname#132457
質問者

お礼

先ほど彼女に会う機会があったので、なぜ参加してもみないのに偽善だと思うのかを聞いてみました。 彼女の言い分はこうです。 ・オープンキャンパスの時に一緒に参加したが、ほかのゼミ生に知識がなさ過ぎて迷惑にしかなっていなかった。高校生から聞かれたことの答えが分からず、適当なことを言ったりごまかしたり。自分の学校についてもその程度の知識なら、普段からそんな姿勢でボランティアに臨んでいるなら、それは大きな迷惑にしかなっていない。 ・学園祭の時に実行委員会として参加したが、ゼミ生が迷子の子どもを見つけどうしていいかわからず、ほかの学生に押し付け合いをしていた。そんな責任能力のない行動を平気でする人が、無償で行うボランティアをこなせるのか? ・一番最初のボランティアでゼミ生が養護老人ホームに行ったとき、彼らはゼミの時間にお年寄りの悪口を平気で口にしていた。そんな気持ちでボランティアに行く人たちと一緒にボランティア活動など恐ろしくてできないと思った。何か問題を起こした時に、私は責任をとれる自信がない。 最終的な決定的な事項は「自分の責任能力で請け負えないことはしたくない」でした。 彼女の場合は嫌悪感というより、畏怖しているのかな・・・と思いました。 なかなか口を開いてくれませんでしたが、皆さんの意見を伝えてみると話してくれました。 やはり僕には思いもよらない理由です。

その他の回答 (16)

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.6

ボランティアとは「参加する」という意味合いがあります。 ですから強制はしないとはいえ、なんとなく参加しなければいけない雰囲気を「作り出している」場所において、ボランティア精神が明確化してるかというと、それは少し疑問です。 ゼミのボラ活動に参加している人には、彼女を卑下する権利はありません。 しかし、現実にそういうことが起きているわけですので、彼女は避難的に距離を置くことを選択したのでしょう。 偽善かどうかはわかりませんが、彼女が気持ちの上で毛嫌いする行動なのですから、これは彼女のプライベートな問題です。 彼女が自己意思で行っている「行為」も、おそらくは彼女は「慈善活動」などとは思っていないはずです。 彼女には、強力な「核」がすでにちゃんとあって、他者の行動とともにある必要性を感じられないのでしょう。 私は彼女のようなスタンスは好きですし、説明不足の面は大きいですが、自分が他者に対して「何かを行う」ということは「プレゼンテーション」であり、それゆえにこそ「失礼無きよう丁寧であるべき」と考えます。 そういった「謙譲」のスタンスで無いと、行動によって他者から学ぶ、という意味合いからは遠くなってしまいます。 彼女はそれを知ってるんじゃないでしょうか。 だから「偽善」と言い切れるのかもしれません。

noname#132457
質問者

お礼

確かにボランティア精神を問われると、ゼミ生にあるかと言われたら…困るところです。 僕にはまだ難しいことはわかりませんし、精神論ともなってくるともはや理解することが難しい・・・。 プレゼンテーションの意味を調べてみました。 いろんな意味がその一言に含まれていて、それだけでちょっと頭がパンクしそうです。 僕が感じたことは、プレゼンテーションは「相手に必要なことを見抜いて、必要な助けを必要な分だけ出せること」じゃないかと考えました。間違っていたらごめんなさい。 けれどそう考えると、彼女の行動は確かに「プレゼンテーション」です。 一見困っているように見えない人でも、気づいて助け舟を出せるのはいつみても不思議です。 遠慮して助けを受け入れられない人でも、「あなたになら助けられてもいいかな」という態度に変わっていく姿もスゴイと思います。 それを自然とできる、またできるようになってきたこれまでの積み重ねを考えると、確かに僕たちゼミ生のやっているボランティアは彼女に鼻で笑われてもおかしくないほど軽いものだなと思います。 本当にゼミ生は彼女を卑下する権利はありませんね・・・。

noname#171468
noname#171468
回答No.5

ボランティアとは、自発性・無償性・責任感・先駆的など最後は自分で決め自分で動く作業です、強制的にしても見返る物は見えない、それもボランティアの世界にはつきものです。  普段席を譲るとか、妊婦さんに席を譲る事はその場でお礼が聞ける、リアルで感謝の言葉を聞ける一般的なコミニーケーションの延長になる、モラル扱いで終わる所です。  ボランティアとは、即お礼とか自分への見返りがない分、達成感がない、体感性もないなど、それを見いだす力が無いと継続はきつい世界です。  仕事は見返る意味が給与です、それが一切評価されないのもボランティアの世界とも思います。  この彼女は見返りが見えないから、出て来ないし稼働出来ないではないですか?  見出しがないそれが自分を正当化出来ない判断にもなる分、無償で動くボラに継続性はかなりの難易度です。  自分の為になる意味も含めて稼働する、それが自発性です。  それが根底から沸かない方には出来ない、強制までして行うのは一回限りで終わる話です。  継続する事はその活動で何か見えない宿題を貰うと次へ繋ぐなど、継続出来る活動とは何か、忘れ物をした感じなどがあれば、持続へとステップして行けます。  目的意識も無いなら、継続はまず不可能です。  この彼女が何で活動したいのか、その趣旨は出ていない段階ならボラは稼働出来ないのは極普通の感性とも思います。  ボラとは人助けプラス自分支援とも言えますから、自発性は出て居ない方を呼び込む事は相当な難儀な物です。地域支援でも出て行かない方も多い時代に、地域の祭り役とか出て行きますか?何の見返りもないなら普通の理性でも回避的行動に出ませんか?  単なるものずきでは出来ない活動もボランティアの世界とも思います。  無償と思う方には、高いハードルです。  ボラの底辺は(地域で暮らせる)皆さんが居るから暮らせると言う理性の有無では無いですか?  金で事がすむ時代に既得な事を率先する方を呼び込む事は社会貢献でも相当な一面です。  その子の親がそうした姿勢を見せて来た家なのか、損得で行くなら割に合わない、それも無償で動くボラなら来ません・・・・・  ボラは無償活動故お礼はない、慈善事業は即お礼が帰るその違いと思いますけど・・・・・

noname#132457
質問者

お礼

難しい話ですので、全部が全部理解できていません。ごめんなさい。 ボランティアに本当に見返りがないか、と言われたらそんな事はない、というのが答えになります。 「ボランティアをやります!」と高らかに宣言していますから、ボランティアをすればお茶の一杯も出ますし、ねぎらいの言葉ももらえます。感謝もされます。 そこは彼女と変わらないと思います。 彼女がお礼を求めて動いているのかはわかりません。 でも何かをしてもらったのに対して、お礼を言われるのは当然だと思います。ボランティアが~とか問わず。 人として生きていくならそれはマナーだと思います。 僕は社会文化系のゼミにいますが、ボランティアはモラルの延長だと学びました。 上の質問にも書きましたが、学校のボランティアも、彼女の行動も根底は同じだと考えています。 彼女と一緒に町にも繰り出しますが、たとえ助けてもお礼を言ってくれるとは限りません。 まれに席を変わった人から「若いのに最初から座らなければいいのよ!」と罵倒されたりすることもあります。 困っている人に声をかけても「若造なんぞに助けられる筋合いはない」と怒鳴られることもあります。 それでも彼女の行動はゆるぎなく変わりません。 また行動も人に限りません。 駅でドミノ倒しになっていた自転車を黙って戻し始めたり、誰かが倒した看板を黙って立てたり、奈良公園で鹿が広告を食べていたら必死になって引きはがしたりしました。 「お前がやったのか!」と勘違いされても、弁解もせず謝って作業を続けます。 ただ人に対する行動より、そんな行動のほうが「簡単」だと考えたから記載しませんでした。 そんな行動を知っているからこそ、僕は彼女の行動が全部が全部、お礼を求めてのものだとは考えません。 だからこそ、学校のボランティアをなぜ嫌がるのかが分かりませんでした。

noname#130564
noname#130564
回答No.4

彼女はきっと人が意図的に作り上げたボランティアを善しとしないのでしょう。 本来ボランティアは決められてやるものではないですし。 彼女が真のボランティア精神を持っているのに対して周りの人間は空気でやっているのです。 そこが双方の温度差でしょう。 彼女の行動こそが真に現代社会に求められる行動と言えます。

noname#132457
質問者

お礼

皆さんの回答を見て、彼女の行動を本当のボランティアととらえるか、それともお礼の言葉をもらえるために行う単なるモラルとなるのか、見方も色々だと思いました。 強制でやらされるとしても、ボランティア精神には変わりはないのかな?とも思います。 僕は学校のボランティアに参加しますが、彼女のような当たり前にできそうな行動はできません。 なので、彼女のほうがスゴイことをしていると思うのですが、お礼をもらえるためにやっているといわれるとなんか悲しいし、元も子もない気がしました・・・。 自分のためであっても、社会に求められていることには変わりないですし、 それができない人が多くいるのも事実ですから、たとえ彼女の行動が偽善であってもやはり求められ、だれかを助けていることには変わりないですね。

  • kernel_kaz
  • ベストアンサー率23% (665/2872)
回答No.3

強制、 皆がやってるから仕方なく、 頼まれたから これらは偽善でしょうね だから彼女は嫌うんですよ 彼女の感覚が正常で、他のゼミ生の方が異常 そしてそれに麻痺して気付かないことが、私にしてみれば不気味でさえある

noname#132457
質問者

お礼

皆さんの回答を見て、彼女の行動を本当のボランティアととらえるか、それともお礼の言葉をもらえるために行う単なるモラルとなるのか、見方も色々だと思いました。 強制でやらされるとしても、ボランティア精神には変わりはないのかな?とも思います。 僕は学校のボランティアに参加しますが、彼女のような当たり前にできそうな行動はできません。 なので、彼女のほうがスゴイことをしていると思うのですが、お礼をもらえるためにやっているといわれるとなんか悲しいし、元も子もない気がしました・・・。 でも、確かに強制されないとできない、というのはなんだか違悲しいですね。 困っている人がいたら助けるのは、当たり前の感覚のはずなのに、僕含めゼミ生はそれができていません。

noname#126682
noname#126682
回答No.2

何故いやがるのか、彼女に聞くと良い。

noname#132457
質問者

お礼

聞いてみた結果が「こんなボランティアなんて偽善と変わらないじゃない」という答えでした。

回答No.1

彼女の行動こそがほんとうのボランティアです。 そもそもボランティアは強制でやるものではなく 自発的な行動で行なうのがボランティア精神であると思います。 他人に言われたから みんなしているから 学校でやれといわれてる サークル活動に組み込まれている 他人の意思で作為的に感じるものを彼女の精神は拒否しているのでしょう 彼女は自発的な精神で自然に行動されているすばらしい方ですよ

noname#132457
質問者

お礼

皆さんの回答を見て、彼女の行動を本当のボランティアととらえるか、それともお礼の言葉をもらえるために行う単なるモラルとなるのか、見方も色々だと思いました。 強制でやらされるとしても、ボランティア精神には変わりはないのかな?とも思います。 僕は学校のボランティアに参加しますが、彼女のような当たり前にできそうな行動はできません。 なので、彼女のほうがスゴイことをしていると思うのですが、お礼をもらえるためにやっているといわれるとなんか悲しいし、元も子もない気がしました・・・。 少なくとも僕も彼女は素晴らしいと思います。 たとえ自分のための行動でも、僕は彼女を見習いたいと思います。

関連するQ&A