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ボランティア活動における責任とは
私はよく地域のボランティア活動に参加しています。 イベントのスタッフ等です。 自分の空き時間があれば、ボランティア活動に優先的に参加しています。 しかし稀に、自分の用事があったりして、活動に参加しない・できない場合もあります。 最近も仕事で行けなかったため、その旨を主催者側に伝えたところ、「なぜ来ないのか、こないと困る」などと、行かないことを責められるような言い方をされました。 もちろんイベント直前ではなく、前もってお伝えしたのですが。 自分としては、出来る範囲で精一杯手伝いしているのに、 そのような言い方をされると、とても不愉快に感じて しまいます。 こんなことなら参加しなければよかったな、とも思います。 確かに、まったく責任を持たずに活動に参加されては 主催者側としても困るとは思います。 しかし、あまりに責任を押し付けられては、活動に 参加しにくいと私は感じます。 そこで、同じような体験をされた方、またこの分野に お詳しい方のご意見を賜りたいと思います。 ボランティア活動参加の心得などなど。 どんなことでも構いませんので、よろしくお願いします。
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はじめまして。 私は、福祉施設の職員経験者であり、ボランティア経験者でもあります。 施設側にも、ボランティア側にも、色々な人がいるのは確かですよね。 私が職員側の時はボラさんに、ボラ側の時は職員さんに、それぞれ無責任さや適当さに困り、イライラしたものでした。 やはり相性などもあるのでしょう・・・。 残念ですが、福祉の仕事をしているからと言って、又はボラをしているからと言って、全ていい人だとか、みんなと上手くいくというものでもないと思います。 職員側でもボラ側でも、約束を破られればお互いに困るものです。 ただ、その処理の仕方や態度に問題があれば、しこりが残り、一生懸命な程、今後に影響しますよね。 今回のケースでは、hikkymさんに落ち度はないと思います。 そもそもボラというのは、自分に無理のない範囲で出来ることをやるもので、出来ないことを出来ないと言うのは責任ある態度であり、そういうものが通じないと、ボラは長続きしないと思います。 hikkymさんは、初めから「出来ない」とおっしゃっていたのですし、その職員に焦りがあったり、ボラの定義を間違って受け取っている気がします。 その職員の言動は、気になさらないでいいのではないでしょうか。 hikkymさんは、多分責任感のお強い方だと思います。 だからこそ、心配されているのですよね。 でも、大丈夫ですよ。 ただ、今後もその様な態度を職員にされるならば、ここで書かれた様な話をしてみるとか、行動に出た方がお互いの為だとも思います。 それでも駄目な相手ならば、他の方との関係や、やりたい内容のボラであるなど、事情はあるかと思いますが、ストレスが溜まるボラはしない方がいいと思います。 身体を大切に頑張って下さい。 参考に、ボラ関係のアドレスを載せておきます。
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- mrtmrk
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私は高校1年の女子です。 主に小学校や中学校に訪問してレクリエーションしたり、 地域の奉仕作業をしています★ 私の入っている団体では、 もし急に活動に参加できなくなってしまった場合は、 責任者に連絡し、 自分の代わりに活動に行ってくれるメンバーを探します。 これが直前だと結構大変だったりします^^; 私たちはこんな感じでキャンセルする場合の 責任をとっています。 「参加しない」か「参加する」 の2択から「参加する」を自ら選んだわけだし、 責任をもって行動しないと自分に損はないけど 相手にはすごく迷惑になっちゃうものですよね。 だから「責任」が重荷になってるぐらいのほうが 調度いいのかもしれません。 いまいちわかりづらくてスミマセン!
- 517hama
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こんばんは 自分もボランティア活動をしているものです 経験が長いせいか主催者側と言うか企画をする機会も多くなっています その経験から書かせていただきます ボランティアの種類にもよるとは思いますが・・・ 確かに企画する側から言わせていただければ、例えボランティアでもやはり計画段階で予定した人数と、変更があれば困ることもあります よく自分たちが言うのは、企画する側もボランティアでやっていることです(これば組織によって違いますが・・・) お互いボランティアでやってるので気を遣いましょうと言うことです それとボランティアする側だけでなくしてもらう側の人の事などもあるかもしれません。 あと、気づいたのですが、他国のボランティア習慣と日本の習慣とで比べるよりは、日本の習慣(風習)に会わせたボランティア習慣が育ってきているので、そのことをよく考えてみてください いろいろな考えがあるとは思いますが、参考になればと思います
- s37235
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こんばんは 私は視覚障害者のボランティアをやっているものです。 その団体で先日総会があり、メンバーの一人である視覚障害の方が発言していました。 ボランティアはそもそもアメリカで発祥し、時間の空いているときに望んでいる人のためにするものであると。 視覚障害者のためといっても時給をもらって仕事として手引き(腕を持ってもらって案内すること)をする人は”時間があれば”じゃなくて仕事。 みなさんが言っておられるように仕事とボランティアはちがうもの。する側もされる側も誤解のないようにしないとね。
お礼
確かに仕事とボランティアはちがうものですね。 しかし、両方とも責任ある行動が求められると認識は必要だと私は思います。 ご回答ありがとうございました。
- furaibo
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ボランティアを受け入れた経験者として・・・ ボランティアだからということで、無責任にドタキャンする人がいることも事実です。ボランティアの人数枠がある場合にはすぐには、補充が利きません。ボランティアの人も立派な戦力として、当てにされているのでしょう。思わず主催者の方が、困ったという気持ちをストレートに出してしまったのだと思います。それほど、他意があるようには思えません。 ところが、hikkymさんの相談を見ている限り、けっして無責任な対応をしているのではないと思います。主催者は、本来その程度のやりくりを見込んだ余裕を持っていてしかるべきです。 我が国では、まだボランティアが十分には根付いていません。コーディネート論も手探りの状態です。一方で、行政が受け皿となる場合には、経費削減や人員削減の肩代わりとしてしか見ていないケースが少なくないのも残念ながら事実です。それが今回のケースに現れているのではないでしょうか? ボランティアは一種の契約だと思います。受け入れ側はやってもらいたい内容を明確にする、ボランティア側はその内容を承諾した上で協力できる範囲を明確し、お互いが納得した上で、活動するのが本来の姿だと思いますが、残念ながら、その点が曖昧になっていることが多く、トラブルにつながるのだと思います。正当な主張ならはっきり意思表示し、お互いが歩み寄れる活動にしていくのが正しい方向だと思います。それでも活動の方針が合わない場合は無理して一緒にやる必要もないのではないでしょうか?
お礼
早々とご回答頂きありがとうございました。 >我が国では、まだボランティアが十分には >根付いていません。コーディネート論も >手探りの状態です。 やはり他国に比べるとまだまだなんですね。 ボランティアをしたいという人はたくさん いるのにコーディネーター役がちゃんと機能して いない、というのは私も強く実感します。 せっかくの戦力を生かしきれていないようにも 思えます。 私も将来的には、furaiboさんのように ボランティアを受け入れる仕事をしてみたいと 思っています。 今回の件で、一層コーディネート論に関して 興味が湧きました。 腹立たしい体験でしたが、自分のやりたいことが 見えてきました。 貴重なご意見、ありがとうございました。
お礼
ご意見ありがとうございました。 「福祉に携わる人」=いい人。 つい思ってしまうんですよね・・・。 今回の件は、活動方針の違い、ということで活動を差し控えようと思っています。 主催側はボランティア人員が少ないので、私一人に多くの仕事を任せたかったのだと思います。 その気持ちは十分分かります。 でもその結果、私の負担が重くなり、ボランティアを辞めるようなことになってしまいました。 ボランティアを組織していくのってなかなか簡単ではありませんね。 自分の責任感が足りなかったために、このような結果を招いたのではと悩んでいましたが、 励ましのお言葉を頂き、とても気持ちが軽くなりました。(単純ですが・・・) 今回のご意見を参考に、またボランティア活動に頑張ってみようと思います。 ありがとうございました。