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人は何のために生きているのでしょうか?
- 人は何のために生きているのでしょうか?祖母の人生から考える
- 祖母の人生は長く、養女として育てられ、戦争を経験し、5人の子供を育てた。しかし最後は一人で亡くなった
- 人生には楽な方へ逃げる選択もあるが、最後に待っているのは死。人生の意味について考えさせられる
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少なくとも、ものすごく人の為に働いた人ですね。痛みや心配があっても生きている実感は大きかったでしょう。老後は、やる事はやったという満足があったと思います。子供に面倒見てもらおう、というより。 自分が生きている事を感じられる事。その瞬間の連続が人生を作るのだと思います。逆にいえば、経済的も教育も愛情も受けて、楽だけど自分の役割を見いだせないのは不幸かも。「何もするな」と上級貴族の奥様に収まってからそう言われて自分を失ってしまう悲劇、小説になってますね。 シベリアに咲く花も、春を待ち続けて、暖かくなった途端に人生(?)を満喫し、秋の訪れと伴に花の生涯を終えます。地中に大きくなった球根を残して。蝶もセミもそれぞれの命があり、楽しいのかどうか知りませんが、子孫を残す「永遠の鎖」のたった一つを繋ぐ役割だけは果たして。おばあさんの体を通して5人の命を作り出したんだから、それだけでも偉い。 実のある人生とは、生きた証を残す事ではないでしょうか。子供生み育てる、作品を残す、人に感謝される事をする、命を救う、地域に貢献して住人の生活を楽にする。悪行でも生きた証と勘違いする人がいますけどね。
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こんばんは。 私たちにとって、『生死』は避けて通れない道、 そして、奥深い様々な記憶や、感情を残してゆく…のですね。 >一体、人生とは何なのでしょうか? wanabe_hikiさんは、どうしても今、明確で根拠のあるその答えが知りたいのですか…? そうすると『現在のツール』では、 『言語と表現、そしてwebと言う制限の範囲でしか』回答する事ができません。 唐突ですが、wanabe_hikiさんは『リンゴ』をご存知ですよね。 国語辞典でも、百科事典でも植物図鑑にも『リンゴは載っている』訳ですが、 何れにも『リンゴそのもの』は載ってはいません…よね^^。 『艶やかに紅く、甘すっぱい香りの、瑞々しい、 歯切れ軽やかな…そして、とても美味しいリンゴ』は載っていないし、 十分な解説説明も為されていません。 すべての解説、図解、写真等は『リンゴの特徴的な一部分』を顕しているだけですね。 しかし『リンゴはリンゴそのもの』に間違いはありません。 wanabe_hikiさんが『知っているリンゴ』は、『正しくリンゴ』、 そのもの以外はリンゴではありません。 例えば此処で 『人生とは~~である』と明言したとします。 『~~』には、どの様な単語を入れてくださっても結構です。 …人生とは苦しみである。 …人生とは楽しみである。 …人生とは経験である。 …人生とは食べる事である。 …人生とは働く事である。 …人生とは学ぶ事である。 ・・・如何ですか?何れも『正しい』のではないでしょうか? もしくは、何れも尤もらしいのではないでしょうか? しかし、それら全ての『~~』は、『人生の一部分、一断面、一視点』からのみ、 人生についてを断片的に表しているだけであって、 『全的(全体的、統一的)には表してはいない』のです。 『知る事、知っていると言う事』は、とても難儀な事です。 増してや『全的に知る(全知)』となれば、至極でしょうね。 仮に、『それについて99%知っている』としても、それは正解ではなく『誤解』なのです。 何故なら『知っていると言いながら1%の”未知”』を含んでおり、 その事を無視していますから、それは正しくはありません。 こんな言葉があります。 『”悟った”と言う者に悟っている者はいない… ”悟っていない”と言う者は、これから悟る事が出来る者である…』と。 人類数千年の歴史を以ってして、これだけ文明が発達しても、 まだまだ未熟、成長の余地があるようで、 『人生』と言うモノを『単純明快に示したもの』も無ければ、 『”人生”を全的に、しかも万人に表現、説明できる物質的なツールはない』のが現実です。 なぜ『物質的な~~』と言う表現をしたのか…? それはもうwanabe_hikiさんが、何となく、それとなく『感じて』頂けたら幸いです。 それでは。
お礼
回答ありがとうございます。 thank2012さんのおっしゃっていることの全てが理解できたとは思えませんが、 少なくとも、今私が発している問いがweb上や本に回答が書いてあるような類の問いではないことは理解できました。 しかし頭ではわかっていても、どうしてもそういった分かりやすい解を求めてしまうのが、人間の性なのかもしれません。
- Kanayawa
- ベストアンサー率18% (6/33)
そんなの、 自分だって分かんないよ。 だから、一生懸命生き てるんじゃん。 というのが、 私の意見です(^^`)
お礼
そうですね。 一生懸命生きて、その過程で意味を見つけられるのかもしれませんね。
地上に生きている人達は,自殺志願者や病に伏している方でない限り,普段「死」について考える事は少ないでしょう。 「死」を考える機会として,身近な方の「死」が,誰の身にも訪れます。 あなたの目に映る相手の人生は,あなたの価値観で見たものであり,お祖母様がどの様に感じ考えて来たのかは,ご本人しか知り得ない事です。 人生と死についてですから,日本人に馴染みのある仏教のお話を引用しますが,人生とは「一冊の問題集」であり,1人ひとりがそれぞれに課題を持って地上という学校に「入学(誕生)」し,玉石混淆の中で問題集を解いて行き「卒業(死)」していくものだと説かれています。更に死後の世界があり,地上での生き様(どれだけ問題集を解いたか)に応じて行く先が決まるとも説いています。この世で,不公平にさらされ理不尽な思いをし,端から見れば不幸な人生に見えても,それがその人の学ぶべき課題のひとつであり,そんな中を努力し善良な心で生き,人の為に生き抜いたならば,その心に見合った素晴らしい世界に行くことになると説いています。 信じる信じないは,お任せしますが,この世の先があると考える方が,あらゆることにつじつまが合うし,何よりも人生の目的が見える気もします。 この世限りで,死=終わりと考えると,あなたのお考えのように,可哀想過ぎる事になりますが,その考え方で周りを裁いても何も解決しないのではないでしょうか。 これは逃げの教えではありません。(宗教はそう見られがちなので) 「自分の人生(行動・発言)に責任を持って生き抜け」そしてその結果を認め受け入れよ。 ゆえにより良き生き方を選択せよと。 私はそう解釈しております。ご回答になりますかどうか…ご参考まで。
お礼
>信じる信じないは,お任せしますが,この世の先があると考える方が,あらゆることにつじつまが合うし,何よりも人生の目的が見える気もします。 回答ありがとうございます。 正直、自分にはこの世の先があるとは信じられません。 死=終わりという考えが頭から離れません。 >これは逃げの教えではありません。(宗教はそう見られがちなので) 申し訳ありません。私はそういう偏見を持った1人です。 しかし、この先も偏見を持ち続けるという保証はありません。 その時には、解釈を参考にさせていただくかもしれません。
- Oubli
- ベストアンサー率31% (744/2384)
人は皆必ず死にます。 他の生物も同じなのですが、死を自覚した上で生きるのは人だけかもしれません。 で、宗教が生じました。ここで、特定の宗教を勧めることはしませんけどね。 あなたの周りのだれ一人として、自分は永遠に死なないと思っている人はいないでしょう。 あなたのお祖母さんもいずれは死ぬと知りつつ、立派な人生を送られたのでしょう。 人生とはそういうものです。幸あれ。
お礼
>あなたのお祖母さんもいずれは死ぬと知りつつ、立派な人生を送られたのでしょう。 >人生とはそういうものです。幸あれ。 いずれ死ぬと知りつつ、立派な人生を送る・・・ なかなか難しそうですね。 少なくとも今の自分にはできそうにはありませんが、 これから生きていく途中で何かを見つけるのかもしれませんね。
- scr84063
- ベストアンサー率23% (40/172)
お気持ちは分かります。 私の祖母も数年前に亡くなりましたが、明治生まれ、若い頃は単なる飯炊き屋のようにこき使われ、晩年は寝たきりで「早く死にたい」が口癖でした。 彼女の人生は一体何だったのだろうと思いました。 話は変わりますが、私は仕事で発展途上国の方に行っていたことがあり、生まれてから死ぬまでホームレスという人をたくさん見てきました。 また、生物学上は人間でも、牛や馬のように扱われている人を大勢見ました。 この人たちの人生とは一体何だろうと思いました。 しかしそういう貧しい国の子供たちの方が、目が輝いていて幸せそうに見えました。 日本の子供は、物は豊富なのに、目が死んでいてとても不幸そうです。 私たちも生活を維持するために追われ、見方によっては不幸です。 発展途上国の人は、日本人を見てかわいそうと思っているかもしれません。 結局、人間は生まれてきた時代とか国とか家庭とか、宿命から逃れられず、その中で自分なりの幸せを見つけるしかないのではないですか。 他人が見て、あの人は幸せだったのかとか勘ぐるのは無意味だと思います。 自分の人生を全うすることだけを考えればいいのではないですか。
お礼
>結局、人間は生まれてきた時代とか国とか家庭とか、宿命から逃れられず、その中で自分なりの幸せを見つけるしかないのではないですか。 >他人が見て、あの人は幸せだったのかとか勘ぐるのは無意味だと思います。 > >自分の人生を全うすることだけを考えればいいのではないですか。 確かに、祖母の人生を今更どうこう言ったところで、祖母が幸せになるかと言うとそではないですよね。
- huutenno
- ベストアンサー率17% (5/29)
人生の目的は「楽しむこと」それ以外にはないと思います。
お礼
そうですね。 最期(結果)が死なら、「楽しむこと」という過程を重視するのもまた生き方かもしれません。
- まつい たかあき(@mamitakun)
- ベストアンサー率28% (273/954)
wanabe_hiki さん、こんにちは。 一人は一人の楽しさもあります。 祖母様には祖母様の人生の楽しみや悲しみがあったのでしょう。 死は将来の現実ですが、現在の現実は「生」なのですので、 いかに、「生」をつないでいくか、どういう生きざまを見せるか、 今、家を継ぐのでもめているのはそれぞれの方々の生きざまですよね。 そうして生き生きと生きていくのですね。 おそらく、祖母様の気持ちがここにあるのなら、そういう生き生きとしている 皆様を微笑んでみているような気がします。「まだまだいろいろあるわよ。」って。
お礼
回答ありがとうございます。 >一人は一人の楽しさもあります。 確認するすべはもうありませんが、 確かに祖母がどう思っていたかは祖母にしか分かりませんね。 >それぞれの方々の生きざま なるほど、生きざまの為に生きるという感じでしょうか。
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お礼
>少なくとも、ものすごく人の為に働いた人ですね。痛みや心配があっても生きている実感は大きかったでしょう。 そう言っていただけると、祖母も自分の人生に納得して逝ったのではないかと想像できます。あくまでも私の中の想像でしかありませんが、私自身は納得できました。 --------------------------------------- この場を借りて、本質問に答えていただいた皆様に改めてお礼を申し上げます。 祖母が急逝し、心の整理がなかなかついていない時に、「すぐに回答ほしいです」の分類で、勢いで立ててしまった質問に温かい回答をしていただき、ありがとうございました。 実生活の都合などから、お礼が遅くなってしまった点、失礼いたしました。 皆さまからの回答で、「人生とは何か」という問いに、自分の中で一応の答えは出せたと思います。 「自分の納得のいく人生を見つけられるかどうか」 言葉に表すとありきたりな言葉になってしまいますが、私の心の中では、納得したうえで、この言葉を理解できたと思います。 このような納得ができたのも、皆さまからの回答によるものです。 けじめとして、本質問を締め切りたいと思いますが、ベストアンサーとしてお一人を選ばなければならないようです。 個々人の方それぞれの回答にさまざまな思いを感じたため、「この人が一番」というものは決められません。そのため、便宜的に最新回答者であるBeagleboy様を選ばせていただきます。 皆さま本当にありがとうございました。