- ベストアンサー
死について
ガン末期の親を持つ者です。 親とは別居しており、年末年始は帰省しておりました。 やせ細った親を見て何か言いたいのに涙しか出てきませんでした。 今回だけではなく、会うたびに言葉よりも涙が出てきて 何も伝えられません。 同居して介護している人のほうが大変だと百も承知なのですが・・・。 涙をどうしても我慢できないため 涙を流しながらでも気持ちを伝えるしかないのかなと考えております。 もし同じような経験をした方がいらっしゃったら お話をお聞きしたいです。 よろしくお願い致します。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
#3です。 >死んじゃいやだと、私は無理なことを言いたいです。 >私は最後まで聞き分けのいい子にはなれそうにありません。 それでいいと思いますよ。 たとえ不可能なことであっても,死なないで欲しい!という強い気持ちは伝わりますから。 #3でも少し書きましたが,もしこれが夫婦や友人だったら,意外な反応に病人が驚くことはあるでしょう。 でも,質問者さんの場合は親御さんですよね。質問者さんの性格も考え方も知っているわけですから,「やっぱりそう言ってくれたか」ぐらいですむと思います。 私は,両親よりもかわいがってくれた祖父を数年前になくしました。 祖父は献体をしましたが,生前,献体に反対する親戚と,予想される反対の趣旨をあらかじめ私に言ってくれていて,実際その通りになり,そのまま押し通しました。 それぐらい,親というものは子どものことを理解しているものだと思います。 取り乱したって,いいじゃないですか。 『論語』にこういう話があります。 孔子の最愛の弟子が若くして亡くなってしまいます。そのときに孔子に「あなたのような教養ある紳士でも感情が制御できないほど悲しむことがあるのですか」と聞いた人に向かって孔子はこう答えます。「そうか,そこまで悲しんでいたか(=自覚はない),だが彼のために悲しまないとしたら,いったい誰のために悲しむことがあるだろうか」。 >私は涙のせいにして親の病気から目を背けているのかもしれません。 目を背けてもいいから,話をしにいくようにしてはどうでしょうか? なにもかも完璧でなくてもいいんです。 目を背けるよりも極端に言うなら,病名を受け入れられないとしても,話をなさってください。
その他の回答 (7)
貴方が泣いてしまうと、お父様は余計に自分の『死』を感じたり、貴方を悲しませている、と辛くなってしまうと思います。 我慢する必要なんてないはずなんだけど、今は気丈に振る舞う事がお父様への優しさなんじゃないかなって思います。 前に、白血病で余命宣告をうけた子供のドキュメントを見た事があります。食べたい盛の子供が食事制限をされ、『食べさせろー!なんでこんな意地悪するんだー』と泣きじゃくる子を見ながら、私の方が泣けて泣けて仕方なかったんだけど。母親は気丈にも、『治れば食べれるんだよ』と強く言っていました。しかしその後、すぐにトイレに行き、一生懸命『顔』を洗っていました。 なぜかって、顔を洗いながら泣いた方が目が腫れないんですって。悲しい知恵ですよね。病室に泣き顔で戻れないでしょって。そして一頻りそんな事をして、またいつもの様に気丈な母親に戻る。 それって一つの優しさなのではないでしょうか。どうにもならない、どうもしてあげられない、その辛さは私も身内の死で経験しました。 勿論、伝えたい事は伝えるべき。私も、最後に言いたい事が沢山あったのに言う事はできませんでした。 涙でうまく言葉に出来ないなら、口から言葉に出さなくても、手紙を出してでも伝えた方が良いと思います。 今やるべき事は泣く事じゃなくて、お父様と意思疎通ができる今を大切にする事なんじゃないかなぁって思います。
お礼
コメント本当にありがとうございます。 ついさっき手紙を投函してきたところです。 私も何か役に立てないかと、 そういう本やテレビを見たりしました。 自分を基準に考えてしまい自己嫌悪に陥りました。 自分が落ち込む時間はそう許されてはいないので アドバイスしていただいたとおり 今を大事にしていきたいと思います。
- thomasparr
- ベストアンサー率31% (6/19)
去年母を亡くしました。 今も混乱しています。 癌で断末魔の苦しみを耐えていた 痩せ細った母をありありと思い出して、「ううー」と頭を抱えうずくまってしまいます。 しょっちゅうです。 また夢で「そうだニンジンジュースで助かる。 早速やらなきゃ。 よかった今ならまだ ぎりぎり間に合う!」と目覚めると、「あれ?もう母は死んでいないんだっけ?」と現実にかえり、 さめざめ涙することも度々です。 常にあるのは、今も闘病中もどうしようもできない無常感です。 生きている間に抱きしめてあげて下さい。 私は本人の前で泣いたっていいと思います。
お礼
コメント本当にありがとうございます。 抱きしめてあげたいです。 この前初めて薬の副作用で苦しむ姿を目の当たりにしました。 その時私は見ているだけしか出来ませんでした。 回答をくださった皆様に本当に感謝しております。 何も出来ないかもしれないけれど、自分の考えうる限りのことをしたいと思っています。
- mama4615
- ベストアンサー率18% (987/5267)
はじめまして 二児の母です。 四年前 実母を闘病の末 亡くしました。 同居している人が一番辛いかも知れませんが、涙をどうしても我慢出来ないなら 出向くべきじゃないです。 涙を流せば 相手はとても不安を感じます。 貴方の発した言葉よりも 貴方の不安、寂しさを感じ取って、自分に重ねてしまうでしょ? 末期だと 当人が知っていたとしても 死ぬことを怖がらない人は居ません。 だって、今有る家族、今有る物全て置いて行かなくてはならないですから。 だから 貴方が逢う時には 絶対泣いてはいけません。 泣くのは 貴方が親孝行を何もしてないからじゃないでしょうか? 何か言いたい、何か言わなきゃならない、何かしたい と焦っても 何も始まらないのです。 そんなに悠長に構えている程 当人は感じてないはずです。 今日出来た事が明日突然出来ないかもしれない、、、たかが箸を持つ事さえ。。。 トイレに行くにも 昨日まで スッと立てたのに、今日はふらつくかも知れないのです。 貴方が泣いたら 当人は 全てにおいて不安になりますよ。 貴方に対しての不安、貴方が将来どうなるのか、、、幸せになれるのだろうか、イザって時に決断出来て、行動できるのか、、、って事も不安になるでしょう? 私的には それが一番大事な親孝行だと思うのです。 何処か旅行を計画するのも 行動力が必要、今動けるなら連れ出してあげる事も一つの方法だと思います。
お礼
コメント本当にありがとうございます。 おっしゃるとおりです。 私は親孝行は何一つしてきませんでした。 残された時間を相手を思いやって行動しようと思います。 まだ自分の考えをまとめられないのでもう一度良く考えてみます。
- kentyounohosi
- ベストアンサー率25% (5/20)
強かった親が病気になった姿を見るのはとても辛いことですよね。 今の質問者さまの心をお察しすると胸が張り裂けそうです。 もう27年も前のことですが、癌で父を亡くしました。 父は自分が具合が悪いのに、仕事帰りに毎日病室に通う私のことを最後まで心配していました。 最後の日のICUで、みんなが父を囲んで心配している中、意識が混濁していたのでしょう、 父は私に向かって「今日はもう夜遅いから、みんなが心配するからもうお帰り」と言いました。 そこに家族全員が揃っていたのに・・・、自分のことより娘の私を心配していました。 親というものはこれほどまでに子供のことを思うことが出来るのか、父の言葉を聴いて 涙が止まりませんでした。 私は「わかったよ、ありがとう、でももう少し側にいるよ。」と答えるのが精一杯でした。 時が経ち、私も親になりました。 このときの父の気持ちが今、わかりすぎるほどわかります。 質問者さまの今の気持ちを何も隠さず、ありったけ親御さんに伝えてあげてください。 涙も隠さず、言葉も出来るだけ多く、後悔の無いように、とはいってもどれだけ言葉を尽くしても 親の恩に報いることは出来ないでしょうが、気の済む限りお伝えすれば良いのではないでしょうか。 別居していて、毎日というわけには行かないでしょうが・・・。 先立ってしまう寂しさと無念さ、残していく子供の心配、など親御さんは毎日きっと不安でしょうがないと思います。 だから、安心できるような言葉をかけてあげてください。 泣きながらでも質問者様の心からの言葉を聞けば、親御さんも「この子の親で本当によかった」と思ってくださって、きっと安心して治療に専念できるのではないでしょうか。 親御さんのご回復を心からお祈り申し上げます。
お礼
コメント本当にありがとうございます。 誰しもが体験することなのに 私は目を向けることがまだできず ずるいなと感じております。 お恥ずかしながら 涙は我慢できそうにないですが ちゃんと自分の気持ちを伝えてこようと思います。 親を心配させるような もしかしたら自分自身、言わなければ良かった、 もっと安心できる言葉をかけてあげるべきだったと 思うかもしれませんが 今の素直な気持ちを伝えてきます。
- LTCM1998
- ベストアンサー率31% (238/746)
私は無宗教なこともあり,冷たいようですが次のように考えています。 がんや認知症などで死んでいくのは,その人が周りに対して行なうラストサービスである。 なぜなら,突然の悲劇とちがって,がんなら余命という持ち時間があるし,認知症などでは周囲の手をわずらわせることによっていくらかでも亡くなったときにほっとする(してしまう)ようになっていて,それは本人よりも周囲の悲しみをやわらげることに貢献しているからである。 涙は別に恥ずかしいことではないし,親御さんはそういう涙を流す質問者さんを知っているはずなので,泣きながらでも伝えたいこと・聞きたいことは話したほうがいいと思います。 せっかくそれだけの時間があるのですから。 私は逆に全然泣けなかったです。どっちもいていいのだと思います。 外見の言動よりも中身の気持ちについて,見送られる側こそ知っているはずです。
お礼
コメント本当にありがとうございます。 今度帰った時伝えようと努力しようと思います。 死んじゃいやだと、私は無理なことを言いたいです。 私は最後まで聞き分けのいい子にはなれそうにありません。 私は涙のせいにして親の病気から目を背けているのかもしれません。
死とは、肉体は確実に死に向かうけど、魂だけは又違う世界に向かう、これを彼岸とも言いますけど・・・・・ 死を受け入れ出来ないで悲嘆に暮れる方居ますけど、人生における思い出を一杯のこしてくれる大きな存在も親ならです。 それだけ愛おしい親さんとは、最高の人格者では無いですか? 世の中、憎さで息絶える方も居ます、惜しまれて行く親さんがどんなに良い死に際かとも言えませんか? 看護出来る家族もそれなりの覚悟も出来るなど、急に行く事故死なら、心の整理が出来ない侭、喪に服するしか出来ない。 静かに穏やかに行ける人生は最高と思えるのは、死んで行かれる方もそれを送る側もお互い同じ思いで共感出来る思い出作りと言う作業に入る段階なら、最高のプレゼントと思います。 両親は急に他界して居ますし、看取る事なしも辛いものはないです。 死の実感が長い間沸いて来ない分、物音では敏感な自分が居た、それだけ死とは急に来ては困る存在なんです。 葉っぱのフレディと言う絵本有ります。一度見てください、日野原先生が演出したミュジカルですけど、本当は絵本です。http://homepage3.nifty.com/ayano_s/kenken/happa2.htm これで人生が変わる方も居ますけど・・・・・・ 通過儀礼(イニシェションとも言います)避けて通る事出来ない別れです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
お礼
コメント本当にありがとうございます。 葉っぱのフレディは読んだことがあり、やはり泣いてしまいました。 心からの笑顔で接せれたらいいなと思っています。 また会いに行こうと思います。
- daigo1013
- ベストアンサー率17% (72/404)
私が死ぬ方の立場だったなら・・・。 「死」はだれにでも平等に訪れるものです。もう、「死」を悟っているでしょう。 毎回、泣かれたら辛いです。 いつかは必ず迎えがやってきます。その時は笑って見送って欲しいです。 いつもと変わらない日常のなかで「死」を迎えたいです。
お礼
コメント本当にありがとうございます。 つらいですよね。 私は本当に自分勝手で相手に対しての配慮ができないようです。 もう時間は限られているので早く改めないといけません。 最後の時は笑顔で見送りたいです。
お礼
コメント本当にありがとうございます。 あれから手紙を書いて投函しました。 文字にしたらいくらか落ち着くことができました。 来月帰省をした時にもう寝たきりですが一緒に過ごそうと思ってます。 あれができない、これができないと思うよりも前に 何がしたくて、今の自分に出来ることは何かを考えて それをしてあげたいと思います。