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被虐待児でもある、38歳の女性の手紙
- 母親に向けた手紙を書く被虐待児の女性が、経験や心の葛藤について語る
- 被虐待児の心は経験した人や専門家にしか理解されないことを伝える
- 同じ境遇の人へのメッセージとアドバイスが込められた手紙
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お返事ありがとうございます ダメージ 私は顔を見るだけで、電話をするだけで動機がして、しばらく睡眠にも食欲にも影響が出るんですよね なので対決したら、過剰な反応が起こるんじゃないかと思って お母さんが自殺? しませんよ・・・そんな人は虐待なんてしないんですよね・・ お母さんがお父さんを・・・しませんよ・・・しても夫婦ですし、お互い様でしょう 会社に・・これは考えられますが、毅然とした態度でのぞみたいですよね 愛情の反対は無関心 という言葉があります 私は距離をとり、自分の時間を過ごし、無関係になる事で実践しているつもりなんです 初めは違和感がありましたが、年数が掛かるほどに馴染み、充実した無関心を重ねていけている満足感を得られるようになりました 話が飛びますが、5番さんの回答に同調します 少々乱暴な言い回しでしたが、愛情がこもった内容に感動しました 自分の時間を過ごしませんか? 苦しい思い出を、無理に忘れるなんて出来ないですよね まだまだ忘れなくても良いんです そのままの貴女でいいんです そのままでいいから 私たちは豊かな感受性を持っているはずです 人の痛みに気づき、労わりを知っているはずです それを理解してくれる人は必ずいますよ 私もわずかな親らしい思い出に苦しむ事ありましたよ いまでも思い出す事はありますが、今は懐かしい良い思い出として大切に出来るようになりました 憎しみは消えませんが、動機などは起こらなくなりました なぜ決別できたのか? 考えてみました 子供を産んだからかもしれません こんなに愛しい存在にあんな事を・・・それを実感した時に、わずかな思い出は何の意味も無くなりました そして一方的に連絡を絶ちました 彼らの気持ち、良い分など全く意味がなく、必要でも無くなったのです 想像してみてください ペットでもいいです 友人の子供でもいいです か弱く愛しい存在を、その両親に引き渡せますか? 託せますか? ・・・それが答えなんですよ まずはワンちゃんとかハムスターとか愛しい存在を身近に置いてみませんか? 今現在 コントロールに精いっぱい とありました 対決する事で、得られる未来もあるのかもしれません 前進したいと思うきっかけになるかもしれません ・・・経験がないので、判らないのですが 経験者の方のレスがあるといいですね 私でよければ何度でもレスします 同志です 私は貴女の見方です 応援しています
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- ADATARA
- ベストアンサー率43% (583/1345)
はじめまして。 58歳の男性です。定年まあと少しですが,心理の仕事をしております。釣り人でもあります。 さて,御質問のことですが,読んでいただきたい,ということなので読んでみました。 いろんな考えがあるのでしょうが,提案として,当時の御質問者様にお会いになり,慰め,励まし,希望を持たせてあげたら,フラッシュバックや思い出しの怒りは収まると思います。 世の中には,過去に,御質問者様のような過酷で,心に傷を持った人が少なからずいます。また,誰だって過去を振り返って,ああしとけば良かったとか,とても辛かったという体験はあります。 こういうときは,タイムマシンに乗って,当時のご自分に会い,現在(当時の自分から見れば未来の自分)はこうして元気にやっているからと告げて,慰め,励ましたあげることで心の修復ができます。 タイムマシンといってのホンモノではありません。あくまでイメージの世界です。 興味があるなら,その旨言っていただければ回答文面の範囲でお教えいたします。 お気持ちは理解できましたが,親を非難することで,フラッシュバックや思い出しの怒りを収めようという発想はいかがなものかと考えます。 今,現在は,そのことを除けば,精一杯の人生を歩まれているのでしょうから,過去は過去として,未来に向かって前向きに現在を生きる視点が本線だと思いました。 なお,このイメージ式タイムマシン(通称,ADATARAタイムマシンと言います)は,未来にも行けます。5年後,10年後の御質問者様にお会いになって,どんな暮らしをしているのか聞いて来たり,アドバイスをもらってくることも出来ます。 今,御質問者様にとって現実的な心の修復方法は,親を非難することではなく,恨みは恨みとして認めて上で,心の修復をすることだと思います。 経験から,怒りや苦しみは,なつかしさに変えることが可能ですよ! (ADATARA式イメージ・タイムマシンは,過去に大きな心の傷を抱えた人が心の修復をすることにより,社会生活を実りあるものにしようと開発中の心理技法です。)
お礼
アドバイスありがとうございます。 先日…つい2日前、初めて私に会いました。幼少期の、5歳位の私です。 「ごめんね」と抱きしめました。強く、すがって抱きついてきました。「苦しかった」と泣いていました。 今まで彼女に会おうと何度も試みましたが、影も形も目の前に現れたことはなく、初めて先日出会いました。「ここにいたの!」と抱きしめました。 何かが、私の中で変わった、と確信しました。 ADATARAタイムマシン、大変興味があります。 ぜひ、ご伝授ください。
- Ednozomi
- ベストアンサー率28% (24/85)
No1で回答したものです。 質問もちょこっとあたので私の場合親とどうだったのか詳しく書きますね☆私は自分の性格もあり人間関係にはとても困りました。でも結婚もし子供もいます。嫁ぎ先でもやっと友人もでき、何ら不自由もない生活をしているはずなんですが、なぜか周りの人の様に心底幸せじゃない私がいつ何時もいました。。! 自分の心の中を見てみると?(例えで数字にして見ます)心の中が数字全部で10だとして私はいつも4くらい怒りが占めていました。なんでもない日でも4は怒りがあるのですから、嬉しい事があっても怒り交じり、ちょっと頭にくることがあったら怒りで8とかを占めます、おかしいおかしい?と思いながら親の事は自分で封印したつもり解決したつもりでいたんですがやはり私の場合父に対する怒りが4なんだなとある時思いました。(家の場合母もそうですが父が根本ですので) えーそれから子供たちを見せるのと自分も帰りたい気持ちも積もり、3,4年前に帰った時、怒りがピークに達していけない私はこの人を殺してしまう・・と思う瞬間もありました>< 自分を殺人者にするわけにもいけない、子供たちを殺人者の子供にする訳にも行かないと思いそして帰ってきて対策を色々考えました。対策はご本人と同じで手紙を出すか、電話をするでした。その結果考えられるのが 1、向こうが何もやっていないと拒否 2、過ちに気が付き、和解する 3、無視する 4、逆切れする 5、簡単にはいはい、その場しのぎで謝るなど 手紙は書きました(自分の心の中の整理にとても良かったです)電話だと切られる可能性が大きかったので!そして私の場合は考えて考え抜いた挙句、手紙は出しませんでした。。なぜかと言うとー、言った所で変われる人じゃなかった所がそうする一番の理由になりました。(言って置きますがこれは私の父の場合です)言った場合きっと何言ってんだこの馬鹿娘!とお前の教育が悪かったと母にあたるか、向こうから縁を切られるかと思ったんです。多分受け入れて更正は無理です。。>< これが出来ればこの上ないですよね~!!! ま、それはおいといて、で、踏ん切りもつかないまま今年の夏にもう一度帰ってみました。(これははっきり言って私の中での決心でした。多分縁をきって帰ってくるか、決着を着ける時だと思っていました)そして田舎に帰った所で向こうはやはり同じ様子でした・・笑 ある時(こいつも自分の事意外私のことを考えてるのか)とははのふとした会話から読み取れたときがありました。それを聞いた時・・・そこから私の答えが出た気がします。 この人が死んでからそれか死ぬときに気が付いて貰えばいい・・そう思ってからですね私の心の中の怒りがすーっとなくなっていったのは。。でも帰ってきて少し経ってからです。(一緒にいるときは向こうは子供の私や孫の支配に大忙しですから無理でした!苦笑) 私の場合は出さない手紙、そしてもう一度親と関わってはっきりしましたが、もし一つアドバイスがあるなら、距離をおいたほうがいいです!それは連絡とか実際に遠くに住むとかです。遠くに住んでもこっちにその気があるとちょっとでも分かると電話や送り物攻撃色んな方法で支配下に置こうとします。 私とあなたたちは 『 別の人間 』 と言うのを充分に分からせることが大事ですよ。 あ、付け加えますが、家は姉も支配癖があります!姉とはめーる交換してましたので、姉にはめーるではっきりと言った記憶があります!!!謝罪はありませんですが、彼女の性格の場合理解してもらいました。そちらも近過ぎずを守っていればいい関係です!なのでその人それぞれ対処法はあると思いました。 私がその時よく役に立ったサイトを付けておきますね!!! http://www.counselingservice.jp/lecture/lec44.html がんばってくださいね!!!!!
お礼
母親の、物凄く低い声で「なに~」と般若の顔で言われるとき、母の異常性を感じ、自分の命さえも危ない、と感じています。いまだに彼女はします。(我慢しているようですが) 彼女が私と和解したい理由はただ一つ。自分の老後が孤独でさびしいものになるから。老後経済的、精神的に面倒を見て欲しいから。その匂いがプンプンします。 私の3つ下の従妹もサバイバーです。彼女は結婚し子供も産みましたが、母親(伯母)の毒によって壊れた心のまま、サバイバーであったということに気がつきもせず、3年間の結婚生活の末、子育てに苦しみ、産後鬱になり、そして離婚しました。(元夫が親権をとりました)。 彼女が離婚した原因は、「親の悪口を嫁ぎ先で言うから、あちらは『そんな親の悪口をいう娘はいらない』と捨てられたんだ」と私の母はしきりに私に言っていました。 手紙を書いて、自分の気持ちは整理できました。 この手紙を出すか出すまいか、出さずに絶縁するか、今まだ迷っています。
ひどい親ですね。親じゃないね。 でも珍しくないです、あなたの親のような人たちは。 あなた、親というものに夢を見過ぎだよ。 スポーツ選手の親と比べてどうするの。あんな親、一握りでしょ。 あなたが家を出て幸せになることが最大の仕返しだと思う。 年老いた親は益々変わりませんよ。昔の反省なんてしませんよ。手紙なんて真剣に読むわけないでしょう。自分が苦労して育てたことだけを都合良く覚えています。だから昔のことであれこれ絡んでくるあなたのことを「親の心子知らず」と思っている。 もうホントに、親なんかに何を言ってもムダ。時間のムダ。もう先に死ぬ人でしょ。ほっときなさい。 だけどなかなかそれが難しい。 それはなぜ? あなたには今、親しかいないからでしょ。 さみしいのでしょ。 責めてるのじゃないよ。 38という年齢なら、臆病にもなります。 だから、恋人を見つけなさい。 結婚相談所でもお見合いでも、出会いの場へ向かいましょう。 必ず、あなたじゃないとダメだという人がいるから。 24時間話しても話しきれない悲しい話も、フラッシュバックも受け止めてくれるような人がいるから。 親と決別する前(小康状態を保つこと)に、とにかく恋人を探す。 40歳くらいになるまでに見つければいいよ。 子供も産める年齢だから。 そして絶対に子供を産もう。 これは保証しますが、あなたはいい親になれるよ。 あなたが親にして欲しかったことを、自分の子にいっぱいいっぱいしてあげなさい。 あなたは、それが出来るから。 あなたの手紙読んでわかりました。 あなたは、親に、いっぱいして欲しいことがあって、それを心で叫んでいたはずだよ。 あなたなら、我が子がせきで苦しんでいたら夜通し抱っこしてあげられるでしょ。 他の子よりも我が子が一番可愛く見えて、自分の親ばか加減に自分で呆れちゃうでしょ。 子供が大きくなっても抱きしめて、「大好き」ってささやいて、ほっぺにチュ、してあげるでしょ。 あなたの子供は「ママが世界で一番好き」って言うから。 いい子に育つと思います。 その時にあなたは子供の頃の苦しみはこの為だったのかしらって思うと思います。
お礼
ありがとうございます。 涙が出ました…実際に、ボロボロ泣きました。 家は、もうすでに約9年前に出ているんです。よく周囲で「家を離れて自立すれば、親のありがたみがわかる」「どんなに仲が悪くても、距離を置いたらいい関係が築ける」と言われ、実際に一緒に暮らしていた頃よりはマシになりました。 しかし、帰るたび、旅行に行くたび、母の顔が般若に代わり、そのたびにパニックになり、母のご機嫌を取ることに翻弄され、疲労困憊し…という状況でした。 母は、ひょっとしたら境界性人格障害かもしれません。 私を脅すとき、本当にサイコホラーのような顔、声音、目になるのです。睨まれたら最後、ブルブルと震えて動けず、彼女の言うなりになる… 最近まで、「子供は作れない」と思っていました。怖くて、今から何十年も、子供を産んで育てて、同じことをしないか、子供を愛することができるかと… でも、私はサバイバー。サバイバーで生き残ったのだ、と気がつきました。 気がついたとき、今まで全く出てこなかった、幼少期の、怯えた小さな私が、自分の足元にいて、私を見上げていたんです! 「やっと、私を助けてくれる気になったのね」 と彼女は言いました。 ごめんね、ごめんね、今まで気がつかなくて。逃げてばかりいて…と、泣いて抱きしめてあげました。 彼女は、私の胸で泣いていましたが、まだ、笑っていません。 私が、両親と決別する、という覚悟を持ち、行動したときに、初めて笑ってくれるのかもしれない、と思っています。
補足
実は、すでに家を出る頃から、今交際している彼とずっと付き合っています。 彼にはまだはっきりとは自分がサバイバーであることを伝えていません。 が、何か辛いことを抱えている、というのを理解してくれています。 彼は私よりも15も年上で(バツ1)、諸処の事情により子供を産む(育てる)経済的余裕がありません。
- ojiyagasuk
- ベストアンサー率29% (9/31)
私も被虐待児の中年女です 本も読みました もう12年は音信不通にしています ときどき、対決したくなる衝動に、かられますが、我慢しています 私の復讐は長期に渡るんだと思うようにしています 本の薦めのとおり、対決には意味があるとは思いますが、 接触する事での私のダメージが大きすぎる気がするのです・・ 消極的な理由ですが、年数が進むと、これはこれで大きな意思表示になりますよ やつが病気になろうと、さびしい生活をしようと私は一切かかわりません 出来るだけ孤独で、非人道的な生活を長く送ってくれればと願っていますよ もちろん葛藤が全くないとは言いませんが、これで良いと思っています 葬式も出ないし、遺体も引き取りません 対決する事で心の重しが軽減する人もいるみたいですから、お引き留めはしませんが ダメージが少なければいいのに・・と気がかりです 大事になさってくださいね
お礼
回答者さんの親の、ほんの少しの優しい面や楽しい思いで、ほんの少しの「正しい親」だった面を思いだしたりしませんか? 虐待されたことや時間の方がずっと多いのに、なぜか私は思いだし、辛くなる。 それだけ、虐待されて殴られ、罵倒され続けても、どこかで両親を愛してしまっていたのだと思います。 でも、それこそが洗脳であり被虐待児の不幸だということはわかっているのですが… ダメージ、というのは母親がとちくるって、私を殺そうとしたり自殺しようとしたり、父を殺そうとしたり、脅迫しようとしたり、会社に押し掛けてきたり、ということでしょうか。
- ttt1214
- ベストアンサー率20% (65/323)
きっと親に未練があるからフラッシュバックすると思います。 自分の場合は完璧に絶縁(決別)しました。 手紙を書くことは、心のどこかで、仲直りを望んでいると思います。 俺は両親と決別した事で、今までにない力が出て来ましたが、それなりに幸せに生きてます。 本当に決別したいなら手紙をだしてもしょうがないし、手紙に集中すればするほど恨み節にしかならなくなり、自分が小さな人間になってしまいます。 手紙を出さずに決別をしたほうが良いと思います。
お礼
そうなんですかね…そうかもしれませんね。 仲直りは望んでいません。私は一生許さない、と思っていますから。 でも、私がなぜ手紙に書いて送ろうかと思っているかといえば、理由は以下の通りです。 1. 親は自分の虐待した内容をほとんど覚えていない。だから親子復活を切望してくる。 2. 自分がやったことの非道さを、すべて詳細に認識してもらい、娘に頼ろうなどお門違いだということを認識してもらいたいということと、娘が絶縁したとしても無理がないと理解してもらいたい。 3. とにかく、貴方達の面倒はみれないし見る道理もない。 ということを、客観的にわからせたいのです。 優しい母親の口調、顔、言葉で、やり直しを希望されると、迷うんです。 でも、出さない方がよいんでしょうかね…やはり。
- zz400n
- ベストアンサー率14% (351/2354)
読みました。 貴方にこれだけ傷を負わせた親にそこまで付き合う事は無いように思います。 泣くような体験をして成人してもなお理不尽な制裁を受ける。 老後の事なんかする必要はありません。 わからないのが (1)就職して実家を出なかった事 本文中にお金を貯めて~と書いてあったのですが、イタリヤ旅行等お金を使用する事も書かれています。 実家を早くに出て行けば貴方の心の傷の1/3程度は無かったのではないでしょうか? (2)結婚 事ある毎に両親に紹介していますが、結婚が決まるまで待ち出て行くのが先決なのではないでしょうか? 特にアメリカ人と結婚した方が幸せになったのでは? 男性も虐待の事実をしれば無理に親に逢うような事は無いような気がします。 (3)復讐や対決を考えるより穏やかな生活を考えるようにしましょう。 いくら親が老人ホームを訴えても聞く必要はなく、従う必要もありません。 復讐を考えて罪を作るよりか忘れて、気にしないのが一番です。
補足
(1)就職して実家を出なかった事 DVを受け続けた女性(男性)が、なぜ別れられないか、というと長年の間に無意識にしみついたコントロールで洗脳されてしまっているからだと思います。 親から「あんたには自立なんてできない」「一人暮らしをすると悪い男にひっかかる」「お金がなくなり、貧乏をする」と事あるごとに幼少期から植えつけられてきたせいもあります。 自分自身、「一人暮らしをしたい!」と何度も思い、実際に部屋探しをしたりしました。 でも、親から「金、金、金」と言われてきて、実際に当時貯金もなかった私は、「お金さえあれば逃げられるのに。お金さえあれば自立できるのに」と思っていました。お金に縛られていました。 たとえば、多少の蓄えがあっても、「これくらいの貯金で、一人暮らしをしてすっからかんになり、不幸な生活になり、この家に戻ることになったらどうしよう」と不安でした。 お金なんてなくてもやっていけたのが事実ですが、私は完全に洗脳されていました。馬鹿ですね。 (2)結婚 親に紹介したのは、アメリカ人の彼と、DVの彼の2人だけです。他にもたくさんの男性とお付き合いしましたが、結婚を考えていた人だけです。DVの人の場合、当時29歳で結婚に焦り、もう誰でもいいから結婚したい、と思ってしまって紹介してしまいました。 アメリカ人の彼との結婚は、本当に当時は望んでいたことですが、それまでの長年の親の暗黙の支配で、「アメリカに行けば親から見捨てられる。家を捨てる。兄も捨てる。友人も、何もかも捨てなければいけないのだ」という感覚になっていました。被虐待者にとって、見捨てられ不安というか、計り知れなく、怖くてできなかったのです。つい最近まで、親の虐待をはっきりと認識できず、なぜ?なぜ?というモヤモヤとした怒りの塊だけあり、若干20歳だったあの時の私には、まさか自分が虐待されている、とは思っていなかったのです。 ですので、あの時は、親を大切に思っていました。 (3)復讐や対決を考えるより穏やかな生活を考えるようにしましょう。 そうですね。 でも、老人ホームのお金だのなんだのと話が出てきたら、兄からの要求や親戚からの中傷で無視をしたとしても…苦しいです。
- Ednozomi
- ベストアンサー率28% (24/85)
読みました。 始めの一歩を踏み始めるいいきっかけになるのではないかと思いました。 私も同じ年齢です。同じような境遇で最近までいつも何どきも訳の分からない怒りの感情を持って生きてきました、それに少し前に気が付き良くなったのが今年の話です。 お話で少し分かるのが、親が二人係で完全に支配しようと言うのが分かります、でもそれはあなたの人生ではないと思います。親の支配から解かれてこれからはあなたの人生を歩んでいけるようにがんばってください!!!応援しています。
お礼
ありがとうございます。 同年齢、同じ境遇の方の助言、本当にありがたいです。 良くなるのですね。希望が見えます。 質問者様は、親と対決または決別したのですか? 対決or決別した上で、その後の人生が良くなったのですか? それとも、自分で気がつき、考え方を変えることで良くなったのですか?
お礼
同志…同志と言ってくれる人が、この日本にいたなんて… 心から嬉しいです。 私が何に怯えていたか、ということがはっきりわかってきました。 虐待、蔑み、暴言、呪い、脅しを行う両親が、「平常」のとき、小学生の頃から「結婚するときは、父親が了承した男でないと絶対にダメ」「どこの馬の骨だかわからない男にやるものか」「学費を出してもらったんだから、少なくとも28歳までは働いて親に貢献するのが当然」「結婚するときは、三つ指をついて『長い間お世話になりました』と言え」… 私は、自分の彼や将来の夫になる人を、この虐待親に会わせなければならないこと、どんな相手でも非道なジャッジをされるだろうこと、結婚式でお涙頂戴の親への手紙や花束贈呈が死ぬほど嫌だったこと、結婚してもサバイバーであることを隠し続けなければならないと信じて疑わなかったこと…すべての自分の人生は、親を満足させるためにコントロールされていること… 特に、母親の思考パターンが私に染みついており、「こうしたら、こう出る」というのが手に取るようにわかります。それが、実際にそうだから恐ろしいのです。 今まで努力して得た仕事上のポジション、私が愛するもの、大切にするものをすべて妬み、嫉妬し、破壊しようとしてきた母が、「娘が何をされたら一番嫌がるか」を常に探し、実行してきた… 私が無視し、距離を置けば、贈り物をし、会社に「悲しい親」を装って上司にコンタクトを取る…すべて彼女がやりそうなことです。 動悸、パニック、フラッシュバック…彼女と接触を続ける限り、それが永遠に続くこと、地雷をどこで踏むかわからない恐怖におびえ続けて生きること… それは、「もうたくさん!」とはっきり思えます。 ただ、恐怖が私から消えません。
補足
一昨日、メールで絶縁宣言をしました。 手紙はやめました。 でも、結果、短いメールの方が彼女を傷つけたと思います。 手紙は、今読み返してみると私の心の叫びが連なれており、裏を返すと母の愛情を欲して、修復を望んでいる私が見え隠れしています。 メールでは、淡々と今の私の状況と、私に要求されても私は何もできないこと、しないこと。もう、連絡はしないでほしい、という冷たい内容となりました。 短く、端的なだけに、彼女の心をえぐったのではないかと思います。 メール送信後、私のしたことは間違っていない、と思うと同時に、悲しさがこみ上げてきました。 私は天涯孤独を自ら選んだのだ、ということ。 愛すべき母の一面もあったのに、すべて切り捨てた、ということ… 私は、共依存だったのかもしれません。 皆さんの温かい励ましと御理解、大変助けになりました。 ありがとうございました。