最近、ある心理学の教授と話していて知ったことがあります。
私が「ゆとりの子(わが子)は、分数が何であるか、まるでわかっていない」
とグチったのですが、教授の言うに、
「ゆとり世代は大学生になっても分数が苦手。うちの学生たちもそうなの」
なのだそうです。
「思考力低下」のひとつのファクターとして「ゆとり教育」のことを書きます。
小学校で分数を教えるとき、
「上と下をひっくりかえす」とか、「上同士、下同士で計算する」とか、
やり方だけを教えてドリルでイヤというほど叩き込みます。
掛け算の時は掛け算だけやる、割り算になったら割り算だけ、
だから計算は速くなったように見えるのですが、
一年くらいたって、割り算と掛け算ごちゃまぜで問題を出すと、
「何算にはどのやりかた」というセットを忘れていて、
結局ちっともできない。
そうなったとき、「分数とは『1』を分割した数(分母)と、断片の数(分子)だ」
という認識がないので、自分で処理できなくなるのです。
驚いたことに、我が娘は中学3年に至り、
連立方程式に入ってから、初めて「ひとつの考え方として」ツルカメ算に出会いました。
あんた、食塩水とか、トンネルと鉄橋とか、花壇のレンガとか、つるかめ算とか、
やったこと、ないの?!
―――そんなもん、知らん!
教える側としては、「理屈がわかる年になれば、カンタンにわかること」だから、
論理的な思考法を、中学に先送りしたのかな?なんて思いました。
(自治体の教育委員会によって、違うのかもしれませんが)
今、子供に数学の「カッコの外し方」を説明しようとすると、
いくら簡単に話しても、ついてこれません。
「面倒な話」と思った瞬間、頭がスルーに切り替えてる感じです。(性格もあります!)
(2×3+6)2(2乗)を説明するのに、
(ジャガイモ×タマネギ+カレー粉)の2乗は、
ジャガイモ2個とタマネギ2個とカレー粉2個、じゃないの!
カッコでくくってあったら、それはもうカレーライスになってるの!
だから、カッコの2乗は、カレーライスの2乗なの!
それで解るからナサケナイ。
これで私にわかったことは2つあります。
1.小学校の4~5年でやった論理的な問題は、
幼い頭に、確実に論理思考することを訓練していた。
(オトナになれば簡単にわかる話、というのは、小学校の前段があってのことだった)
2.理解させる前に、何がわかっていないかを先回りしないといけない
(この場合、カッコとは何であるか(箱とか器とか)が解っていない。
説明の工夫が必要だ)
同様に、分数であればおそらく、分母とはどういう状態を指しているか、が解らない。
そうすると、記号をいじくるだけで、正解を当てればラッキ、となって
「やり方の記憶」に終始してしまう
ということでした。
もう一つのファクターとして、「何が何でも」という要求がないです。
昔の子は、モノがないから、やりたいことをするには、工夫しなければできなかった。
いろんなものが手に入らないから、「やりたいこと」がハッキリ見えた。
今は、それがダメなら別がある…
結果、「何が何でも」、工夫して手にする必要をあまり感じていない様子。
ご参考になれば。
お礼
staratrasさん 回答ありがとうございます。 たしかに、「考えなくてすむ」時代になった気がします。 私も考えない大人になってしまわないように、気をつけようと思います。 とても参考になりました、ありがとうございました。