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倫理観

経済を学ぶことによって 倫理観を学べると思いますか。

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  • covanonki
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回答No.4

経済を学んだ人が、これを世の中をよくするために用いようとするのか、それとも私利私欲のために利用し ようとするのかによって、これは変化すると思います。 そもそも「倫理観」とは何か。これは、「倫理学」と呼ばれる、一種の道徳哲学の中から生まれた物だと 思いますが、道徳とは、「モラル」や「マナー」などといった、いわゆる行動の規範となるべき考え方だと 思うのです。 もし、本当に世の中の人が倫理観に満ち溢れ、正しい行動ばかり取るのであれば、このような考え方は登場 しないはずです。 要は、こういった、モラルやマナーといった、いわゆる「不文律」や「慣習法」を守ることができない人 たちが昔いたためにこういった考え方が生まれたのです。 きっと、「経済学」を体系化した人たちも、最初は「金儲けをしよう」とか、そんな不純な動機からはス タートしていないはずです。むしろ、ユダヤ人たちが好き勝手に金儲けをし、一部の人間だけが徳をする ようなやり方を、見るに見かねた人間が、経済を体系化し、研究することで、これを法整備化し、彼らの 無茶な行動を取り締まろうと考えてこういった学問をスタートしたのではないでしょうか。 ところが、このように経済の考え方が体系化されてしまうと、取り締まりやすくなると同時に、その整備 の枠をくぐって、より不純な動機のためにこれを用いることも可能になるわけです。 これは、現在の日本についても同じことが言えると思います。一部の経済を学んだ詐欺師たちが、マクロ 経済とミクロ経済をコンフューズさせ、ミクロの世界にしか通用しない理論を、マクロにまで適用させよ うとする。 そうすると、経済に対して不勉強な人間は、少なくとも「ミクロ経済学」の中では体系化され、ひとつの 完成系にいたっている理論ですから、整合性も取れており、あたかも正しい考え方であるかのように勘違 いしてしまうため、容易に欺かれ、必要以上に日本の経済に対して危機感を覚えたりする。 ところが、きちんとミクロ経済とマクロ経済を分離して考え、きちんと日本という大きな行政体に対して 適正な経済の考え方を応用すれば、日本人がいったいどの部分に対して、どの程度がんばれば自分たちの 生活が良くなるのか、ということが簡単に見えてきます。 ここまでの間は苦しい思いをしなければならないけど、この間、こんな風にがんばったら、この時期に 自分たちの生活が好転して、豊かではないけれど、ほどほどに満足のいく生活が送れるようになるんだ、 とか。 逆に偽りの情報を振りまく似非経済学者たちに欺かれ、今本来やっておかなければならないことと真逆な ことをしてしまうと、10年後か15年後くらいに、この国にとんでもない社会問題が発生して、日本経済は 大変なことになってしまうんだ、とか。 経済学は立派な武器になります。 経済のことを正しく理解し、様々なことに応用することで、正義が正義であると主張し、貫き通すこと が可能になります。 私は、経済学と倫理学とは、≒だと思っています。

その他の回答 (5)

回答No.6

思います。 ただ、そこから学んだものは倫理観の何たるかが垣間見えるくらいのもので、倫理観そのもの、倫理そのものを学べるもののではないな、と思っております。 学術には、数学・物理学・生物学・医学・経済学・政治学・倫理学・文学・歴史学・心理学・経営学・地学・情報学など他にも沢山ありますね。 そして、人生観・死生観・宇宙観・人間観・動物観・倫理観・道徳観・世界観・価値観など、観の付くものも非常に多くのものがあります。 学術は、西洋のルネッサンス以降に、西洋が主に開拓開発してきた領域でございまして非常に体系化が進んでいますね。○○学と付くのは、こうした西洋が主に開発した学術によって体系化されているものと考えてもそうそう遠くはないかと思います。経済学はその内の一つです。 それでは、○○観と観が付くのはどう理解すれば良いのでしょうか? 観は、見るという意味がありますが、ただ見るのではなく心を入れて見るだとか、心の目で見るだとか、意志を込めて見るなどの様に、見る側の意志が介在してきます。観察する側の心や意志を反映させて見るのが観ですね。見るは五感覚でただ見える世界なのに対し、観は五感覚は勿論ですが氣感覚やサムライ感覚などの心によって観る世界です。 そうしました時に、学術は五感覚でパッと見える世界ですので経済学は五感覚的にパッと見て分かりやすいものの体系化でございますし、観察する側の心や意志を介在させない状態から関わろうとする姿勢ですね。だけれども、人間ですから経済学をやり進めて行く内に、何かしらの心が介在したり意志を反映させたくなるものです。 そうした時に、観が働きます。日本人は特に、観と相性が良いです(サムライの精神やわびさび美学などは観そのものでございます)。 ですから、経済学をただ学んでただ受け入れて、ただ情報を流し込み暗記するという学びのスタンスですと観は生じませんので、当然にして倫理観を学ぶ事は無理だと思います。しかし、自分ごとと繋がって経済学と触れていますとその内に心や意志を経済学に介在させたくなってきます(それは学術の領域を超えています。また学術ではそれを良しとしません)。 その時に観たいと想うものが人生であれば人生観が、観たいと想うものが宇宙であれば宇宙観が、そして観たいと想うものが倫理であれば倫理観に触れる事が出来ます。 冒頭に述べました『学べるかと思いますが倫理観の何たるかが垣間見えるくらいのもので、倫理観そのもの、倫理そのものを学べるのではない』というのはそういう意味です。 倫理観そのものを学ぼうと思いましたら観をマスターする事が近道です。 学術は西洋を中心として発展してきましたが、ここ数年で既に学術の限界が見えてきました。 観は東洋が最も得意な分野ではありますが、西洋の学術ほどの体系化に弱い現状があります。 ところがここ近年、学術の要素を持ちながら観を体系化している観術が注目されている事をご存知でしょうか?観術は、学術を補いながら尚、新しい領域を開拓開発する事に成功しているもので、日本が発祥です。 学術は、モノを変化・運動・移動させる技術として成功しましたが、観術が成功しているのは、モノの観方を変化・運動・移動させる技術として成功しています。モノの観方、即ち観点を自由自在に変化・運動・移動させるので○○観が自由自在に行ったり来たりしながら、○○学を全てマスターする事が出来るものです(学術を補うのが観術です)。 本来は、○○観の土台の上に経済学があって欲しいものですが、日本から発祥した観術よりも西洋から発祥した学術の方が古い為に、経済学を通して○○観に触れる・・・というくらいしか道がなかったのが今までだったのではないでしょうか? 以上、参考にされば幸いです。

回答No.5

無理です、民主党が証明しました。

noname#121559
noname#121559
回答No.3

経済学とは収益を目指すもの、社会倫理とは道徳の向上を目指すものです。 無関係かとおもわれます。

szkars
質問者

お礼

色々な考え方がありますね。 ご回答ありがとうございます。

回答No.2

経済を学ぶ事によって、むしろ倫理観低下を 学びかねない。経済を学ぶ目的は、殆どの人に とって「いかに金をうまく廻して利益を得るか」 であり、グローバル経済下で勝ち残るためには 甘さを一切排除し、法すれすれの行為になりがち。 それでも満足出来ないと、法を変えるべく政治家に 働きかける。そこはマイナスの倫理観の場と言え そうだ。経済学博士が大勢いそうな大銀行が貧乏人 に甘言を弄してサブプライムローンを組ませ、その 債権を売って買い手に貸し倒れリスクを転嫁、買った 側は転売して・・・。そこに倫理観のかけらもない。

szkars
質問者

お礼

そのように考えるのなら、倫理観を学べているのではないでしょうか。少なくとも私はそう思いました。 経済を追求することが倫理観の低下を招いている現状をとらえ、今後どのようにしていくべきか考えなくてはなりませんね。 経済と倫理観の関係についてもっと深く考えてみます。 ご回答ありがとうございました。

noname#255857
noname#255857
回答No.1

思わないです。 料理を学ぶことで経済観を学ぶとかならともかく、関連性が無さ過ぎるような。

szkars
質問者

お礼

私も思わないです。 志望大学の面接で過去に聞かれたみたい なのですが、何と答えるか迷いました。 思った通りに答えるのが一番ですよね。

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