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どちらが正しい?我慢を強がるか、ありのまま正直にいるか
- 私たちは日常生活の中で、我慢をし強がりでいることと、ありのまま正直にいることの両方を経験します。しかし、どちらが正しいのでしょうか?ヘンリー・フォード氏の言葉によれば、どちらでも正しいと言えますが、個人的にはありのまま正直にいることが重要だと思います。
- ありのまま正直にいることは、自分に正直に生きることを意味し、強さを必要とします。自分の弱さやできない自分を直視することは難しく、努力を要しますが、それによって自分自身を成長させることができます。
- 一方、我慢をし強がりでいることは、自分の弱さやできない自分を見せないための手段です。しかし、このような姿勢は長期的には崩壊する運命にあります。過度な我慢や強がりは、自己を抑圧し、本音を出すことができなくなる可能性もあります。
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どちらが正しいの意味がイマイチ分かりませんが・・・ ○ありのまま正直にいること。=我侭。KY。 ○我慢をし強がりでいること。=やせ我慢。見栄っ張りの意地っ張り とも、取れると思います。 どちらか一方が正しいなんて事はないでしょう。 でも、両方正しいとも間違っているとも思いません。 強いて言えば、どちらが正しいという考え方が間違っているような 気がします。
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>我慢をし、強がりでいることに、何か意味があるのでしょうか? 思うのですが……。 それは、「我慢をし、強がってしまう自分」に、正直に生きている、ということかもしれませんよ? みんな、誰も彼もそんなに素直な性格なんでしょうか。今まで生きてきた過程で、どこかひねくれたり捻くれ曲がってしまったり、そういうことありませんか? これっぽっちも? すべてすくすくと、まっすぐに生きてきました? 私は、違います。なんだかいろんなところで捻くれ曲がってしまってここまできました。正直でいるべきところで強がってみせたり、強くあらねばならないところでひよったり、肝心なところで逃げたり、真っ正直な気持ちを変にねじ曲げて解釈してしまったり。そうやって、あちこちで曲がった人間に成長してしまいました。 だから、「常に正直である」ということは、それは「今の、ありのままの自分を偽って、正直な人間を演じないといけない」のです。さて、「ありのままの捻くれ曲がった人間を隠して正直な人間を装う」ことと、「ありのままのひねくれた人間のまま生きる」のと、果たしてどちらが「正直な生き方」なのでしょうね? 強がって、カラ元気で、偉そうにして、そうやって精一杯突っ張って私はここまできました。それが「私のありのままの正直な姿」です。良くも悪くも、私はそうやって生きるしか術を知らないのです。だから、強がってみせます。自分に正直に。ありのままに。
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- k_kota
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ちょっと見方が偏ってると言うか、 我慢をし強がりでいること。と言うのが具体的にどのような考え方かが分かりません。 私にとっては強がりも正直もイコールです。 そして、むなしいこととも思いません。 なので、私とあなたには認識の齟齬があると言うことです。 ですが、それを無視してむなしいつっぱりと言い切られると正直いやな気分です。
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- townsx10
- ベストアンサー率8% (10/113)
わずかなものを奪い合って、掴みあう光景を連想するんですが それは餓鬼道に堕ちたこじきのことですかね
お礼
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- kamezou
- ベストアンサー率43% (21/48)
私は前回のご質問を存じておりません。 また、高尚な人間でもありません。 ですが、 正直な = 子供 (?) と連想してしまいます。 社会が子供では成り立ちません。 そこで、ご質問のような”我慢”ではなくお互いの”妥協”にて社会は構成されていくのではないのでしょうか。 個人レベルとしては、我慢であり(お互いにとっては)相手の尊重となると思います。 よって、どちらも正しいと
お礼
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- townsx10
- ベストアンサー率8% (10/113)
人の権利を侵すことを権利のように思っている人間は迷惑なので 刑務所に行ってくれというのが自分の正直な気持ちです 刑務所の方が住みやすいと思います お奨めです
お礼
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お礼
物事は、捉えよう、ですね!(^^) ありのまま正直でいると、○カ正直にも。(笑) 我慢をし強がりでいるのは、マズイかな、と、思います。(なんとなく どちらが正しいという考え方が間違っている! という捉え方は、最も正解に近い気がします。(正解なんてない。全ては、相対的でしかない) ありがとうございました!