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日本の司法制度についての意見
- 日本の司法制度の問題点として、三権分立とはいいながら裁判所の権力が強く、裁判官のミスジャッジが認められることに疑問がある。
- 国民審査でミスジャッジした裁判官には被告と同等の罪を課すべきという意見や、裁判員制度に不信感を抱く意見が存在する。
- 信頼性に欠ける司法制度を改善するためには、国外追放や島流しのような刑罰を導入し、法律を理解する教育を強化する必要があると主張されている。
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以下続き Q(4)法律を適用するといっても、全国民に法律を理解させているわけではない。全国民に法律の理解度テストでもさせたのか?と思います。ルールを知っているものだけの独断的判断で全てが解決しているといえます。 A:法治主義の根幹に関して、法律に無知であっても不利益を被らないようにするのは必要な措置です。したがって、地方自治でも国政でも法律相談の窓口を設け、様々な係争(その予備軍)事項と予見される問題に関しては、アドバイスを行っています。 さて、”一見してルールを知っているものだけの独断的判断が解決している”という批判に関しては同意できそうですが、これも問題があります。 まず、スポーツにもルールがあるように、社会維持のためにはルールが必要です。 そのルールブックが法律なわけですが、一般社会は、すべてのルールを理解せずとも恙無く生きてゆける程度になっています。 まず、ここでは法律における無知を問題にしていますが、自然人全てが法において無知であることが示唆できます。 法律ではなく、『法』と述べているのは、道徳・倫理に関しては、ルールではなくマナーに近くそれが司法が判断することの一番の問題点とも言えるでしょう。 法律的無知を解決しても、法的無知を返上しきれないことから、どうやっても、司法権力の独断的判断によって社会秩序が形成されるしかない・・という部分が指摘できるわけです。 したがって、法律云々ではなく、法という視点で捉えれば、司法の独断は必然という指摘をしておきます。その独断を予定しているのが、法治主義国家ですし・・・・ Q(5)実際に罪を持つ法律を適用するなら、車の教習のように一から全ての法律を教えるべきだと思います。車の運転と同じように、法律適用には命がかかっています。そうでなければ法治国家とは名ばかりの詐欺国家になってしまいます。 結局はどんな人にも強制的に法律を適用するのですから、それを教えるのは正に義務教育というものでしょう。日本で暮らすためのルールを学ばせないで法律適用するのもおかしなことです。 A:前述したように、明確化できない法の問題がありますので、教導できない部分があるので、どうしようもありません。 質問者は、司法を法律だけで考えているようですが、司法の重要な部分は、裁判官の良心的部分(道徳・倫理)の余地もあるのです。 そして、法律ではない法の領分こそ司法の盲点だからこそ、民主的基盤が要請されているわけです Q(6)移民も日本の法律を理解させた上で入国させれば良いと思います。法律テストで日本の生活に適応できるかを入国させる判断基準にすればよいです。 本来は、それを行うのは当然のことかもしれません。 日本というのはこれまで勘違いしていたのでしょう。今までは「国民は法律を知っていて当たり前」だったのだが、本当は知らない人ばかりではないでしょうか?。だから犯罪が減らない。無知のまま死刑になった人も結構いるかもしれません。だから、これからは「きっちり法律を教えて覚えておくのが当たり前」としたらどうかと思いました。 A:まず日本人云々以前に、自然人の法的無知が大前提で法治主義が成立していることを示唆しておきます つまり、法律的知識がなくても、個人の良心によって社会が維持できる、というのが現代社会の大前提です。質問者が設けている前提条件などは妄想に過ぎません。 そして、知るべきは、法律ではなく法であることを示唆しておきます。(法治主義の隙間を生きるなら法律を学ぶのがいいとは思いますがw) ちなみに、平等な法治主義国家などありません。機会平等であって、その機会平等は日本ではかなりのレベルで達成できているでしょう ・・・・・・・・・・・・・・ 文末に・・・・ 質問者が根本的に理解していないことに”法律以前に法が問題”ということがある 自然人が普通に健全に生きてゆくのに、法律の知識は必須ではなく、必要なのは、社会維持のために必要な”法”知識なのです。 そして、この”法”は不文律であり、tpoで可変的なものであり、把握するためには、実体験を踏む方法が多いと言えるでしょう。 質問者が該当するとは言わないが、法律的に不利益を被った人が、法律の正義を問う事例があるが、それ以上の適切な規範を提示しないで文句を言う人が多い。(代替案なき批判) そういう非建設的な法律批判は多いが、関心しない部類のものが多い。 本件も基本的には、不可能なことを前提条件にしている非建設的意見だと思うが、質問者はそれで満足しているのかもしれませんが、私からすれば、不毛としか思えませんし、批判の前提条件・視野に関して言えば、あまりにも幼稚と思えてしまいます。 私見として理解できなくはありませんが、”理解できなくはない”程度のお話だと思います。
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- tomo-tomo01
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(1)について 「国民審査でミスジャッジと思われた裁判官は、被告と同等の罪を受ける」ということですが、すべての裁判について、国民審査を行うのでしょうか?すべての裁判ではないとすると、国民審査を行う裁判の選定は、誰が、どのような基準で行うのでしょうか? また、国民は、どのような証拠に基づいて、「その裁判はミスジャッジだった」と判断するのでしょうか?そして、「国民審査の結果がミスジャッジではない」保障は、どのように担保するのでしょうか? (2)について 裁判員制度自体の是非はさておき、(1)を前提にして「裁判員制度は意味がない」というのは、ちょっと趣旨が理解できません。(1)を前提にした場合、裁判所の判断がミスジャッジだったかどうかを最終的に判断するのは、国民審査を行う国民ということになりますよね?そうすると、裁判そのものに国民が参加する裁判員制度を否定しながら、裁判官のみによる裁判の正当性について国民審査で判断する制度を肯定する根拠がよく分かりません。 それはさておき、裁判員をサクラだと決めつける根拠がよく分かりません。確かに、裁判員裁判は、その運用次第では、裁判員をサクラにしてしまう危険性はありますが。 ちなみに、裁判員にまずもって求められているのは、法律解釈ではなく、「証拠に基づいて事実を認定すること」ですが、どこまで厳密にしているかはともかく、日常的に多くの人がしていることです。 「スーツのポケットから出てきたラブホテルのライター」をもって、「旦那の浮気」を認定する奥さんのように。 (3)について 「司法制度をなくして、刑罰は国外追放か、島流しにすればいい」ということですが、現在の裁判所を廃止するとした場合、誰がどのようにして「この人は○○罪を犯した。よって国外追放(島流し)だ」と判断するのでしょうか?そして、その判断が、現在の裁判所よりも適切な判断をすると言える担保はどうやって確保するのでしょうか? (4)、(5)について 法教育がおろそかになっているというのは仰るとおりだとは思うのですが、現実問題として、「全国民に対しすべての罰則のある法律を理解するまで教える」のは、実際には不可能です。 仮に、そのようなことを義務付けるとすれば、法律以外の勉強をする時間はなくなってしまうでしょうし、法律以外の勉強をしなければ、法律を理解することはできません。なぜなら、法律は、社会を営むために人間が作り出した道具なのであって、その道具について知るためには、社会をよく知る必要があるからです。 そして、これだけ高度に複雑になり分業化がすすんだ社会では、一人で生きることはできませんから、法律の分野に限らず、「それぞれの分野で働く人を信用すること」が社会の前提にならざるを得ないでしょう。どの程度信頼するのかは、また別問題ではありますが。 (6)について (4)や(5)と同様に、移民に対しても、同じような法律テストを課すのも、現実問題としては不可能でしょう。 ところで、「裁判所の権力が強い」と仰っていますが、それは「他の国の裁判所と比較して強い」と考えているのでしょうか?それとも、「あるべき裁判所の権力と比較して強い」と考えているのでしょうか?
お礼
>>「国民審査でミスジャッジと思われた裁判官は、被告と同等の罪を受ける」ということですが、すべての裁判について、国民審査を行うのでしょうか?すべての裁判ではないとすると、国民審査を行う裁判の選定は、誰が、どのような基準で行うのでしょうか? また、国民は、どのような証拠に基づいて、「その裁判はミスジャッジだった」と判断するのでしょうか?そして、「国民審査の結果がミスジャッジではない」保障は、どのように担保するのでしょうか? 国民審査がミスジャッジではない保障は、存在しないでしょう。現在の裁判官のミスジャッジを保障するもがいないのを、全国民が代わりに補うというわけですから。 一人の裁判官は人間です。神ではありませんので、間違いは起こりえます。国民全員でミスジャッジかどうかを判断すれば、公平に全国民の意見を反映できるのでよいでしょう。証拠の確認方法については、証拠をインターネットやテレビを通じて確認して、検討することも可能です。そして、審査の対象にする裁判ですが、そこまでは考えていませんでしたが、こうしたらどうでしょう? 例えば、裁判員の方が裁判所の判決に異論を唱えたら開始するというのはどうでしょう?。その方が本来の役割っぽいですよね。裁判員は外部監査役のようなものになればいいですね。量刑は裁判官に任せましょう。その結果を裁判員が判断しましょう。または、裁判員を分けて、二役作りましょう。回答者様達は、裁判員でも量刑の適切な加減が行えるとお考えのようですから、よい方法だと思えませんか? >>法教育がおろそかになっているというのは仰るとおりだとは思うのですが、現実問題として、「全国民に対しすべての罰則のある法律を理解するまで教える」・・・・略 これは、私は全ての法律とは言っておりません。どこかにそんな記述がありましたか? 国のルールですから、主要教科と同じぐらいは、できるだけ教えるべきだと言っているのです。 >>「裁判所の権力が強い」と仰っていますが・・・ No3の回答者様がきちんと説明されていますが、実際に裁判所は他方からの抑止力もないようなもので、明らかに強い存在だと思いませんか?
- kumap2010
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>>3回連続ミスがあったらそれはもう運が悪かったと諦めるしかありません >あなたに対してそのようなことが起きた時、果たしてそれで納得しますかね? >3回どころか10回20回と連続してミスが起こることなんて世の中にはザラにあります。生きている間ずっとミス続きのことだってないわけではありません。 納得できるかどうかじゃなく納得するしかないんですよ。 それを防ぐためには「犯罪者を取り締まりしないこと」しかないんですから。 「ごく希に冤罪が起きること」 と 「犯罪者だらけの世の中になること」 のどちらかしか選べないんだから普通は前者を選びます。 >>実際には裁判員は国が選定したサクラに決まっているでしょうが、 >>>>なぜそんなことが言えるのですか? >これは確かに事実を確かめたわけではありません。 >ですが、この日本では、裁判に興味がない人もいるのですよ。日本人全員が裁判に対して知識がある者や興味があるものではないんですよ。学校を卒業してから、文字を殆ど使わずに生きている人だって中にはいますよ。今だって裁判員制度なんて言葉すら知らない人だっているかもしれません。そういう人達だって住民登録されています。それなのに、全てをランダムにクジで決定して判決に参加させていると思いますか? 思います。 日本の識字率は100%ですし、裁判員制度に来た人達にはその都度時間をかけて説明をされています。 つまり日本語を理解出来る人であれば何も問題はありません。 もちろん言葉を話せない人や介護が必要な人などは法律上除外することになっています。 それに、重要なのは「ランダムかどうか」ではなく「判決が国民の意思に沿っているかどうか」でしょう? 仮にサクラだとしても国民が納得する判決が出てたのなら何も問題は無いはずです。 そしてすべての判決は国民が見ることが出来る。 よって、サクラがいるかどうかというような推定は何の意味もありません。 >例えば、野球やサッカーは国民的スポーツだからといって、全ての人に審判ができるわけではありません。ストライクゾーンがどの辺だか確実にわからない人もいるでしょう。 審判が素人でも、教えれば誰だってある程度のことは出来るでしょう? なぜ「教えない」という前提で話してるのかが謎です。 裁判員制度では何日もかけて説明を受けているんですから。 ボール半分外れていたのがストライクだと判定されたらそれが国民の意思であり、それが正しいストライクゾーンです。 スポーツは線引きが決められていますが、法律に線引きは無いんですよ? >(3)については、説明する順序を間違えました。懲役は実質の軟禁に値するため、懲役にするなら国外追放や島流しにしたらどうかということです。スポーツで言えば永久追放です。 じゃあ司法を使って島流しにする人を決めるってことですか? それ、何の意味があるんですか??? 島流しや国外追放だって実質の拉致ですが? 警察無しの世の中で生きていけると思ってるのは平和ボケしすぎです。 刑務所のほうがまだマシですよ。 最初の文面だと司法の怠慢による冤罪について指摘してるようにしか見えないんですが、 論点がなんなのかさっぱりわかりません。 >一般生活で触れる可能性のある法律は義務教育ですべて習ってます。 >本当ですか?軽くチョロっと行っただけでは???きっちりやらないと駄目だと思います。 それじゃあ全国民に365日毎日法律の授業を受けさせますか? 翌日には忘れてるかもしれませんからね。居眠りしてる人もいるでしょうしね。 仕事も何も出来ませんが構いませんか? >>それ以前にあなたが法律を知らなさすぎです。 >そう思われるのであれば、もし回答者様が私に裁判されるとしたら少し怖くないですか? 私はそれを言っているのです。 怖くないですよ。あなた一人で決めるわけではないですから。 それに、裁判員と裁判官は別であって、最終的に決定するのは裁判官です。 >>わざとじゃなくても罪になる犯罪は学校で必ず習っています。 >まず、それを国民は復習していますか? それに、わざとかわざとじゃないことを確認する方法は学んでいますか? だからまず実際に「忘れたために犯罪になった」という例を教えてくださいよ。 「他人に暴力をふるってはいけないということを忘れていた」なんて人がいますか? 「他人の物を盗んではいけないということを忘れていた」なんて人がいるんですか? 法律の大半ってたった一つの道徳に集約されてるんですよ。 「自分がやられて嫌なこと、他人の嫌がるようなことはしない。」 これを知らない、忘れたなんて言う馬鹿はいません。
お礼
再び回答ありがとうございます。 >>納得できるかどうかじゃなく納得するしかないんですよ。それを防ぐためには「犯罪者を取り締まりしないこと」しかないんですから。 わかりました。もし、回答者様がその状況になったときは、納得してくださいませ。 >>思います。日本の識字率は100%ですし、・・・・・中略・・・・仮にサクラだとしても国民が納得する判決が出てたのなら何も問題は無いはずです。 判決が国民の意思に沿っていたというのは、一体どのようにして統計を取られたのでしょうか?反対する運動がないので、国民の思うとおりの選挙ができたという認識だけだと思います。大抵の人は他人の裁判に関して我関せずではないでしょうか? 識字率100%というのは、殆どの者は義務教育により毎日学校に行き、勉強していたからです。これは私も納得できます。(実際は99パーセント以上ですが)逆にいうと、法律の勉強を満足に行っていない方の、法律の解釈や判断を満足に行える者は何パーセントですか?そしてそんなに短期間で教えて判断できるものならば、法律系の資格試験は簡単なように感じ取れますが、実際に合格率が100%の試験が殆どないのはなぜですか?きちんと勉強しても合格圏に達しない人がいるのはなぜでしょう?単純に法律の解釈とは難しいからということですよね。そして、裁判員になったら教えて下さるというならば、初めから義務教育でしっかり学ばせてもよいでしょう。別に365日行う必要はありません。お礼で述べたように、主要教科と同じ頻度で行えばいいでしょう。読み書き計算のように、一生忘れない基礎ができると思います。個々の家庭ではそんなことはやらないから、学校で行う必要があるのです。 そして、裁判員が選挙管理委員会や裁判所が選定したサクラであることは問題であります。量刑を重くするために仕組まれていたら、被告の不利益になります。そして、サクラでなかったとしても、裁判員制度自体は、回答者様のように、裁判員制度で国民の意思を反映できていると思う方がいますが、変だなと思います。確かにほんの極一部の国民の意見だけは反映できましたが・・・。教育もきちんとしていないのに、中途半端な感じがしてなりません。 >>スポーツは線引きが決められていますが、法律に線引きは無いんですよ? 過去の判例が実際の線引きではないでしょうか?それに、○○の罪は懲役何年以上と刑期の線引きもされています。大体の線引きは裁判官が決定するでしょうが、懲役10年以下の刑が妥当といったところで、懲役が5年と10年ではかなり違うことでしょう。回答者様の人生が5年余計に拘束されて潰れたら何と感じるでしょうか?それが専門知識を持たないたった数人の裁判員により加重されてしまう可能性がありますから酷い話です。実際に裁判員が受けた印象により実刑が重くなったことってありましたよね。 >>じゃあ司法を使って島流しにする人を決めるってことですか?それ、何の意味があるんですか???島流しや国外追放だって実質の拉致ですが?警察無しの世の中で生きていけると思ってるのは平和ボケしすぎです。刑務所のほうがまだマシですよ。 そうですか。刑務所のほうがマシですか。しかし、過去にオーストラリアやニュージーランドはイギリスの受刑者の方が中心となって開拓しました。今は立派な先進国になっております。回答者様が言う拉致とは違います。「日本のルールを守れないなら、日本では暮らせない。だから他の国の地で自由に頑張れということです。外国語が話せないならロシアに未開拓の土地を買ったから、よかったら他の罪人と一緒にここで暮らせ。開拓用の資材は少々分けてやるから、自ら開拓して頑張れ。でもルールを破ったのだから、被害者の感情もあるし、生きている間は日本へは戻れないぞと。」と、こういう意味です。これを行う意味は、前の質問のお礼で述べているのもあります。自由に暮らせはしますが、刑のようなものでしょう。その地に警察がいなければ、生活を安定させるために、どこかでそういう役目をする人が出てくるかもしれません。そうなれば、刑務所にいるよりも更生できているといえませんか?そして、何もなければ開拓するしかありませんので、大量の受刑者で自発的に5年も開拓をすれば、小さな町が作れているかもしれません。そして彼らの子供は罪人ではありませんので、日本と交流できるでしょう。刑務所の中にいるのとどちらが良いか私にはわかりませんが、このように世界に学べる方法があるということです。 *文字が入りきらないので、補足に追加します。
補足
お礼の続き、 >>だからまず実際に「忘れたために犯罪になった」という例を教えてくださいよ。「他人に暴力をふるってはいけないということを忘れていた」なんて人がいますか?「他人の物を盗んではいけないということを忘れていた」なんて人がいるんですか?法律の大半ってたった一つの道徳に集約されてるんですよ。 「自分がやられて嫌なこと、他人の嫌がるようなことはしない。」これを知らない、忘れたなんて言う馬鹿はいません。 繰り返しおっしゃっているので、回答者様に説明するには過去の例が必要なのでしょうが、 自分がやられて嫌なことは、他の人にも同じように当てはまることが多いですが、中には当てはまらない人もいるのです。嫌なことには多少の個人差がありますから。ですので、法律を知らなかったので犯罪になったケースもあると思います。わざとでなければ犯罪にはならないとおっしゃってましたが、警察・検察はわざとであると仮定して捜査や取調べをするでしょうから、安易な供述により不利な立場に陥ることもあります。ですので、法律知識があれば、下手な供述が減り誤解を減らすことにもなります。 過去の例ですが、普段から裁判はニュースで確認するぐらいでしかないので、何かの裁判での被告の言い分を新たに探さねばなりません。どの裁判でそうなったかを全く知りませんので、時間に余裕があるときに調べてみます。 >>論点がなんなのかさっぱりわかりません。 N0.3・4の回答者の方もおっしゃっていたように、確かに的確な代替案の見当たらない非建設的意見なのでしょうが、ネット上の皆様は、独占的立場の司法について、どうお考えなのか聞いてみたかったということです。私は法律の適用をするなら義務教育でしっかりと教えるべきだというのが一番思うところです。 きちんと教育がされていないのに、死刑や長期刑を適用してもいいのか?ということです。
- bismarks05
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質問者の教育レベルは問わないことにして、事実だけを指摘しておきますと 一般的に『日本の司法は、権力的に他の三権よりも弱い』と言われます。 それは、違憲立法審査権の発動が極めて少なく、行政・立法の裁量権を広く認める法解釈を行うことからも、学術的にも指摘されています。 <ちょっとした一般教養のある人は、日本の司法が弱いってのが普通ですがね> 同時に、日本は三権分立とは建前論以前の嘘で、 立法と行政が連携・連帯(議院内閣制度)ですので三権分立の実態とは異なります。 (学校教育が適切に三権分立を教えていない影響でしょうが) >明らかなミスジャッジだと思われる場合でも、実際の対抗策は、国民投票や国会での裁判官への罷免しか行えないですよね? 国民審査は最高裁裁判官のみで、裁判官の弾劾裁判が数少ない罷免措置ですが、明かなミスジャッジという判断ができたとして、責任を負わされる道理はありません。 憲法76条において、裁判官は、憲法・法律のみに拘束されることが明記されていますから、辞職を督促する程度の世論形成が限界ですし、憲法的にも政治原則的にも、裁判官のミスジャッジを原因に罷免を行うのは不適切でしょう >刑事裁判であれば、訴える側の警察が全員まともでなければ正常に成り立たない制度であり、あまり信用の置けない制度ではないでしょうか?。 訴えるのは、警察ではなく、検察です そもそも、刑事訴訟に限らず、法廷闘争は当事者全員が全うな自然人であることを前提にしています。 ”全うじゃない(行為責任能力のない)人は免責されますから” 「まとも」の基準が不明ですが、法廷闘争とはそういうものですし、それが法治社会の現実です。それがイヤなら、法治主義じゃない国に移民するのが適切だと思います。 Q(1)国民審査でミスジャッジと思われた裁判官は、被告と同等の罪を受けるというのはどうでしょうか? A:そのような立法は不可能ですし、ミスジャッジの判定者が問題になります。簡単にいえば、司法を判定する権利があるのは、国民だけであって、だからこそ国民審査があるわけです。 (ちなみに、なぜ同等の罪なのか?が理解できませんが、スルーしておきます) Q(2)裁判員制度なんか意味ない。結局は裁判官のアドバイスに従っているだけ。 その方がよさそうですが、そんな民間人の判断で懲役刑の加重が決められてしまうのだから、結構酷い話であります。 A:あまり論理的に質問に妥当性を見出せないのですが? 本文を読み限りは、職業裁判官の批判が全体を占めており、その職業裁判官による偏見・視野狭窄を軽減するための裁判員制度については、むしろ反対しないのが論理的な意見だと思いますが、どういう論理なのでしょうか? ちなみに、裁判員制度の全体像を見る限りは、裁判官の助言から独立して裁判員の良心で判断している、と思われます。実際に裁判官と裁判員の意見の不一致から評議を繰り返した事例もありますし・・・・ (最終的に、裁判員・裁判官の意見の一致で判決が下っているので、裁判員も<ある程度>納得して評議を終えている、というのが現実のようですが) そもそも、民間人の価値観の方が、職業裁判官よりも民主的でありえるし、価値観的に納得できる背景も強いと思いますが・・・ Q(3)そのような信用のおけない司法制度をなくして、刑罰は国外追放か、島流しにすればいい。 そうすれば、単純にこの日本地域での縄張り争い、またはこの地での生存競争に負けただけになりますが、 法律を適用し、超長期刑や無期懲役刑などにすれば、法の名の下に無理やり監禁・軟禁しているのと同じです。それとも実際には国民から犯罪者とされた者を保護しているのが刑務所だということでしょうか? A:非現実的な意見でしょう まず、島流し・国外追放措置ですが、受け入れ国がない状態での国外退去措置は、国際法上での違反行為ですから、仮に制度化するならば、受け入れ国と用意するか、受刑者だけの自治体を用意するのが現実的でしょう。 ちなみに、<法の名の下に>個人を束縛することを近代人権は予定していますし、そのような考えから様々な人権が導き出されています。 簡単にいえば、”「個人の尊厳」のために、個人の尊厳を制限する”という相互矛盾的な行為が人権の前提であり、その人権・個人の尊厳の秩序を形成するのが法律・法と考えるべきでしょう。 そして、刑務所とは、矯正施設であると共に、社会隔離措置によって、犯罪者被害から健全な自然人を保護するために存在すると考えてもいいと思います 以下回答は続く
- kumap2010
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(1)それでは誰も裁判官などやりませんよ。 人間が人間を判断する以上、絶対に間違いは存在するんですから。 だからこそ司法には自由心証主義という原則があり、 裁判官の判断には一切の責任が発生しないという決まりがあるのです。 これは日本に限らずアメリカでもヨーロッパ各国でも一緒です。 そしてミスジャッジをなるべく防ぐために控訴という制度があります。 1回だとミスの可能性があるから3回審査出来るようにしているのです。 確率的にごく低い3回連続ミスがあったらそれはもう運が悪かったと諦めるしかありません。 (2)>実際には裁判員は国が選定したサクラに決まっているでしょうが、 なぜそんなことが言えるのですか? 裁判は一般市民が傍聴することが出来ますし、 市民の意思と反する判決が出た場合はそれに対して疑問を呈することが出来ます。 しかしそんな例は聞いたことがありません。 むしろ国民の同調を得るような判決ばかりですが? いったいどの事例を見てそう思ったのか教えて貰えませんか? それともただの妄想で言ってるんですか? >(3)そのような信用のおけない司法制度をなくして、刑罰は国外追放か、島流しにすればいい。 司法が無いなら刑罰の決定を誰が決めるんですか? あなたに対して「あなたは犯罪をしたから島流しだ」っていきなり言われて執行されたらあなたは納得するんですか? やってないって言ってもそれを審査する場所が無いんですよ? (4)無知は罪なり。 (5)一般生活で触れる可能性のある法律は義務教育ですべて習ってます。 (6)それ以前にあなたが法律を知らなさすぎです。 法律には過失犯規定というものがあり、 「わざとじゃなければ罪にならない」という犯罪が多数。 わざとじゃなくても罪になる犯罪は学校で必ず習っています。 よって、過失犯規定の無い法律は学ぶ必要が無い。罪にならないんだから。 もし「法律を知らなかったために逮捕された」という例があるのなら教えてください。
お礼
回答ありがとうございます。 >>3回連続ミスがあったらそれはもう運が悪かったと諦めるしかありません あなたに対してそのようなことが起きた時、果たしてそれで納得しますかね? 3回どころか10回20回と連続してミスが起こることなんて世の中にはザラにあります。生きている間ずっとミス続きのことだってないわけではありません。 >>実際には裁判員は国が選定したサクラに決まっているでしょうが、 >>>>なぜそんなことが言えるのですか? これは確かに事実を確かめたわけではありません。 ですが、この日本では、裁判に興味がない人もいるのですよ。日本人全員が裁判に対して知識がある者や興味があるものではないんですよ。学校を卒業してから、文字を殆ど使わずに生きている人だって中にはいますよ。今だって裁判員制度なんて言葉すら知らない人だっているかもしれません。そういう人達だって住民登録されています。それなのに、全てをランダムにクジで決定して判決に参加させていると思いますか? 例えば、野球やサッカーは国民的スポーツだからといって、全ての人に審判ができるわけではありません。ストライクゾーンがどの辺だか確実にわからない人もいるでしょう。裁判はど真ん中のストライクの事案ばかりではないでしょう。被告からするとボール2個外れているのにストライクと判定されるかもしれません。そのような危険があるので、今のところはある程度人選を行っていると思っています。 (3)については、説明する順序を間違えました。懲役は実質の軟禁に値するため、懲役にするなら国外追放や島流しにしたらどうかということです。スポーツで言えば永久追放です。これの国民の利点は、出所後の犯罪者のことを気にせず、日本の中にいる人をより一層信用できるようになるということです。罪人にも利点があります。国民からの白い目から逃れられ、貧しい地になるかもしれませんが、新たな人生をやり直せるということです。 >>一般生活で触れる可能性のある法律は義務教育ですべて習ってます。 本当ですか?軽くチョロっと行っただけでは???きっちりやらないと駄目だと思います。 それに身についているか確認しているんでしょうか?回答者様の記憶力がどれほどか知りませんが、人間は一度聞いたことの全てを覚えていられることは難しい生き物です。 >>それ以前にあなたが法律を知らなさすぎです。 そう思われるのであれば、もし回答者様が私に裁判されるとしたら少し怖くないですか? 私はそれを言っているのです。 >>わざとじゃなくても罪になる犯罪は学校で必ず習っています。 まず、それを国民は復習していますか? それに、わざとかわざとじゃないことを確認する方法は学んでいますか? 一度学んだだけで身につくなら、大抵の世の中のことを身に付けることができます。 しかし、現実には一度学んだだけでは忘れることもありますから、国がルールを適用する上で、義務的に復習させることをした方がいいんじゃないでしょうか?
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最近、司法のずさんさが浮き彫りですね。裁判員制度も身のある制度には思えません。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね。裁判員制度は中途半端な感じがしますよね。司法のずさんさというのは、信頼性が欠けているということですよね。それなのに権力が独立している司法は少し怖い気がしますね。
お礼
長文の回答ありがとうございます。 >>一般的に『日本の司法は、権力的に他の三権よりも弱い』と言われます。 違憲立法審査権の発動が極めて少なく、行政・立法の裁量権を広く認める法解釈を行うことからも、 学術的にも指摘されています。 これは、裁判所の憲法の番人としての役割についてでしょうか? >>裁判官のミスジャッジを原因に罷免を行うのは不適切でしょう。 私はここの部分を言いたかったのです。 国会と内閣は、内閣不信任と衆議院解散の制度がありますので、不信があれば常に両者が対立することができますが、裁判官にはそれがないということです。ということは、独占的立場を持つ裁判官は、本当に良心の塊でなければなりません。 >>訴えるのは、警察ではなく、検察です。 そうです。間違えましたが、無知な一般国民からすると同じようなものに感じます。 >>「まとも」の基準が不明ですが・・・ これは、回答者様がおっしゃる「良心」ということでしょう。 警察や検察は一般国民よりも裁判官の判断基準をよく知っているはずですから、供述や証拠など裁判官の心象に合わせることも可能だと思います。ですので、良心のある警察や検察でなければ、不利益を被る可能性があります。 >>Q(1)国民審査でミスジャッジと思われた裁判官は、被告と同等の罪を受けるというのはどうでしょうか? A:そのような立法は不可能ですし、ミスジャッジの判定者が問題になります。簡単にいえば、司法を判定する権利があるのは、国民だけであって、だからこそ国民審査があるわけです。(ちなみに、なぜ同等の罪なのか?が理解できませんが、スルーしておきます) これは、説明しますと、ミスジャッジ判定は国民投票で行い、例えば全国民の5分の3~4がミスジャッジと投票した場合に断定すればいいのです。 冤罪になった方の苦痛は計り知れません。冤罪とは無罪なのに罪人扱いされたということであります。裁定を下した裁判官が罪を犯していないのに、同罪と認定されても何らおかしくはありません。現法では人を殺せば死刑になることもありえます。それは被害者感情を考えてのことでしたよね。そう考えたら同じことですよ。冤罪被害者の気持を考えたら、裁判官は罪を問われるべきでしょう。そうすることで、裁判官もより真剣に裁判に取り組み、冤罪を減らすことができるかもしれません。 別の例で表せば、トラックの運転手だって人を殺したくて運転している人はいませんが、どんなに注意しようと、飛び出した者を跳ねて殺してしまう場合もあるでしょう。仕事上の事とはいえ、それでも罪を被り、刑務所に何年も入るのですよ。ならば、裁判官だって同じです。 冤罪をしたくて裁判官になる人はいませんが、事実を見抜けずに冤罪にしてしまうことだってあるでしょう。ならば、罪は被るべきではないですか?罪人とされた人を何年も苦しませたのですよ。それができないならば、トラックの運転で人を殺せば業務上過失致死罪になるのはおかしいのです。それに裁判官は無給ではないです。 >>あまり論理的に質問に妥当性を見出せないのですが?・・・・・(中略) むしろ反対しないのが論理的な意見だと思いますが、どういう論理なのでしょうか? 裁判官の方への批判というわけではなく、司法制度に対する体制がおかしいと感じるのです。裁判官への権力集中も問題とは思います。それなのに国民に対する法律の教育は大して行われていない。 >>法治主義じゃない国に移民するのが適切だと思います。 法治国家の国が殆どでしょうから、数少ないですね。それに、日本語が通用する国も非常に少ないので大変です。 >>非現実的な意見でしょう まず、島流し・国外追放措置ですが・・・・ これは、ロシアから土地を購入するがいいと思います。国土世界一で、未開発地域も多い。軍隊も強いし、罪人が何かした場合も有事に備えられる。 現行制度で罪人が更生しても、被害者は罪人に日本に存在されるのは嫌かもしれません。 >>そして、知るべきは、法律ではなく法であることを示唆しておきます。(法治主義の隙間を生きるなら法律を学ぶのがいいとは思いますがw)ちなみに、平等な法治主義国家などありません。機会平等であって、その機会平等は日本ではかなりのレベルで達成できているでしょう 法の問題。法律と法の違いをしっかり説明して下さいましてありがとうございます。世の中には法治主義の隙間を狙う者が多数存在します。法律知識だけで良心が見当たらない人が沢山います。ですので司法制度も間違っているのかなと感じてしまいます。 私からすると客観的で専門的な見解が多く、私の知らないことも沢山ありました。とても勉強になる回答だと思いました。どうもありがとうございました。