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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:『思考は現実化する』や『マーフィーの法則』は何でも叶うのか?)

『思考は現実化する』や『マーフィーの法則』は何でも叶うのか?

このQ&Aのポイント
  • 19歳男子が感じる感情の浅さと恐怖心について述べています。
  • 自分には深い感情や気持ちがないことに気づき、他人との関わり方を変えたいと思っています。
  • 質問者は「マーフィーの法則」や「思考は現実化する」という方法を通じて感情や気持ちを持つことができるのか疑問を持っています。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

ご質問拝見いたしました。 ご質問者様はご自身の感情が浅いと感じられて随分お悩みのようですが、本当にそうでしょうか? 文面を読む限り、死に対する恐怖はとても深い感情の様に思われました。 「そういう感情なんかいらない」とご自身をお認めにならないとご自分の深い感情とも向き合えません。 恐怖もまたご自身に宿った大切な感情です。 死ぬ事が怖いのは体が無意識に「生きたい」と思っているからです。 お腹が減るのは体からの無言のメッセージです。 お腹が減る生き物は全て「生きたい」と思っています。 人間は自分の未来に「死が待っている」事を知ってしまった悲しい動物です。 これは生きている全ての生き物が平等に抱え込んだ悲しみかもしれません。 回避できない定めなのですから、仕方がないと悲しみを受け入れる事です。 実は仏教では生きること、とりわけ幸福に生きるにはをどうすれば良いかを真剣に考え抜いた後に生まれる智慧が沢山詰まっています。 死んだらみんな仏様になって極楽へ行くと信じて生きる事にしています。 死んだら地獄に行くのではなくて、今生きているこの世界が地獄なのです。 人の死に触れて、ご自身の命から脅迫を受けるようになられて恐ろしくていられないというのも地獄そのものです。 人生20年説と言う言葉もあります。 20年の節目に人間は生まれ変わると言う考え方です。20は成人で60は定年です。 丁度ご質問者様も19歳という事で、新しい生まれ変わり、今までとは違う新しい舞台へ変化して行かれる時期なのだと思います。 今生きていることを極楽に変える為に。 今は本当は地獄なのだけど、生きながら極楽に変える方法があります。 それは、自分を中心に据えて考える事をやめる事。そういう自分を心の中で殺す事です。 地獄にいる自分を殺す事で、生きながら極楽へ行けます。 自分中心に物事を考える事はそれだけで罪になります。地獄は罪を受ける場所です。 自分中心の罪は自ら地獄を生み出すのです。 「生きたい」「死にたくない」はご自身に宿る仏性の声です。 人はみな平等に仏様になる事が出来るのですから、仏の声です。 仏様の与えてくださる試練を、自分の「持つ」ものと自分中心に考えてしまうと苦労しますが、煩悩や欲望も仏様のものだと思えば付き合い方が随分変わるのではないでしょうか? 「死にたくない」と思う気持ちは仏様とご自身とも同じものなのですから、受け入れ、認める事です。 ご質問者様は長い間ご苦労もあったでしょう。 僕も死への恐怖にとらわれて、正しく物事を見る事が出来なくなった時がありました。 何を見るでも自分の思いがべったりくっついてしまって、ありのまま素直に見る事が出来なかった。 自分中心のこだわりを捨てた。 僕も20歳位の時に、自分のために生きるのはやめよう。少しでも他者に優しく、親切にしよう。そう思った時に新しい問題が出てきて、心が動き出しました。「人はどうすれば許す事が出来るのか?」そういう問いでした。 哲学や宗教の勉強も随分しました。 ご質問者様にとても良い本があるのでお勧めします。 瀬戸内寂聴さんの「寂聴 仏教入門」です。文庫本で714円+税です(^^ゞ この本はとても楽しく読む事が出来ますよ。 生きることを真剣に考え、どうしたら楽しく生きられるのか沢山ヒントが詰まっています。 きっと、こだわりを捨てる事がご自分の人生を最大限に生かす事になるであろう事にお気付きになります。 ご参考までに。

alufareven
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ちょっと文章がわかりづらいもので、申し訳ないです。 今では、死ぬのが怖いと思う気持ちもなくなりましたが、生きてる意味がないように思えて仕方がない状態です。 でも、無意識に生きたいとは思ってるとは思います。 なぜなら、死にかけると無意識に生きることを選択しているからです。 他人のために生きる人生は、素晴らしいと思います。 自分も、そうしたいと思うのはあるのですが、どこか怖いというか 自分が他人のために生きれるのかな?と思ってしまいます。 自分で自分の心の動きが全くわからない状態となってしまっていますが、自分も少し回答者様のアドバイスしてくださったようにしていきたいと思います。 ありがとうございます。

その他の回答 (6)

  • ple6
  • ベストアンサー率63% (1284/2018)
回答No.7

的外れな回答になるかも知れないですが・・・。 質問を読み返して、ふと思ったのですが、もしかしたら「無関心」というご質問者様が書かれているこの一言が鍵なのかも知れないです。 人は関心が無い物は見えていても見ていないですし聞こえていても聞いていない、つまり心に留めていないんです。 つまりは自分に興味を今まであまり持っていなかった。もしくは周りから押し殺されてしまって興味を持たないようにしていたのかも知れないです。 マザーテレサさんの言葉に「愛の反対は無関心」というような言葉があったと記憶しています。 少なくとも自分の感情を冷静に見られる現段階の質問者様の状況は良いことだと思いますので、あとは現在、心で感じている僅かな変化に関心を持つためにさまざまな物に関心を持って行くことから始められてはいかがでしょうか? あくまでも、私が感じたことですが、ご参考になれば幸いです。 お読みくださりありがとうございました。

alufareven
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >「無関心」というご質問者様が書かれているこの一言が鍵なのかも知れないです。 そうえいば、小学生ぐらいの頃から関心がないことはなかったような気はしますが、それでも今この年齢になって考えてみて、他の人よりは関心が全くないんだなぁということに気づきました。 >自分に興味を今まであまり持っていなかった。もしくは周りから押し殺されてしまって興味を持たないようにしていたのかも知れないです。 うーん、無意識の内に…ということでしょうか。 というと、ちょっと大袈裟なことを書いてしまいますが、虐待などでしょうか? …自分はまわりとくらべうと、それほど人と比べると傷ついたりするよりは、聴き流してしまう性格みたいで、あんまりそういうことはなかったのですが…。 このような文章を書いているので驚かれるかもしれませんが、自分は能天気な性格過ぎて、人生を真剣に考えることもなく、生きてしまって。 現在そんな自分を好きになってくれた人がいて、その人の人生を見たとき。 自分の人生は本当にいい加減で、友達付き合いについても考えたことないし、本気で悩んだことがない。苦しい想いをしたこともなかったし、それについても後悔したこともなかった。 本当に行動どころか、考えることすらしないで生きてきました。 どうして、こんな生き方をしてしまったのだろうか…と原因を探して両親が原因なのかと思ったこともありました。 すいません、ちょっと少しお話をさせて頂きたかったのです。 自分は周りの友達や同年代話しているよりは、両親のお友達。 つまり大人の話の方が興味があって、一緒にお話をしたいのに、 「子供はいいから」 などなど言われ、友達と遊ばされる状態でした。 まさかそれが無関心となった…ということはないとは思いますが…。 今の自分は、変われないんじゃないかなという思いもあり。 それに対して、不安感というか感情がわかない自分がいて、なおさらダメなんじゃないか…とう思いもでてきます。 なんか、ちょっと勢いで文章を書いてしまいました。 >で感じている僅かな変化に関心を持つためにさまざまな物に関心を持って行くことから始められてはいかがでしょうか? そうしたいと思います。 回答ありがとうございました。

  • hyuuma8579
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回答No.6

死を恐れるのは、ごく自然な感情だと思いますし、心の作用(良心作用)が健全な証拠です。 逆説的に考えたらわかります。 死を恐れるのは、生を充実させようとする良心の働きです。 「このままで死んだら大変だよ」と教えてくれているわけです。 このまま死んだら死は恐怖でしかないが、「然るべき生き方をしなさい!そうすれば死は怖いどころか喜んで迎えるものなのだから・・・」というような言葉が隠されていると思います。 つまり、死への恐怖心は、生き方を踏み外さないためのガード(ブレーキ)作用であって、あなたを幸せに導くために必死に働いている良心から発露しているものです。 ですから、死を怖れることが主体ではなく、死を恐れる必要のない生き方をすることが主体だということです。 早い話が、あなたの良心は、あなたに対して「正しく生きなさい!!」ただそれだけを言いたいのです。 正しく生きれば、天国へ入れるが、間違った生き方をすれば、地獄に行くしかない・・・ (※ここで言う天国とか地獄は、宗教教義的な意味ではなく、心の満足不満足を便宜的に言い換えただけのものです) つまり、自分の生き方が正しかったかそうでなかったか、納得いく人生だったかそうでないかは、自分の心が一番知っているというわけです。 精一杯、人様のために生きる人生を歩むなら、死の何を恐れる必要があろうか!たとえ今死んでも一片の悔いもなし!!こんな心境かと思います。 正しい生き方、真剣な生き方、人を愛する生き方、ものや時間を大切にする生き方、裏切らない生き方、etc. 悔いのない生き方とは・・・あなたもいろいろ想像できると思います。 想像するだけではなく、想像した通りに生き抜くことができて、死を乗り越えることができるのです。 それと、あなたの感情や心がないという問題は・・・ ないのではなく、感情という情感性は、自己責任において成長完成させていかなければならないのです。 心も同じです。 心とは、知・情・意の三機能の働きを言うのです。 この三機能の相関関係は、知って実践すれば、情が啓発され、知って感情がわかれば、行動欲(意欲)が生まれ、感情に従って行動すれば、真理を見出すことができます。 あなただけでなく、幼いうちは、知も情も意も、みんな未熟者です。 知→真理 情→美 意→善 知情意が求める真美善への追求欲を素直に求めた人は成長し、そうでない人は未成熟なままに・・・ 人格の成長の差として現れるのです。 本を読み実践することは、知の機能と意の機能の発動と考えられますから、結果として情が啓発されることになるでしょう。 だが、本を読むことよりも一番てっとり早いのは、人を愛してみることです。 たとえば、赤ちゃんを愛そうとした時、あらゆる知識が必要ですし、愛情がなければ赤ちゃんは泣くし、四六時中目を離さず、見守ってあげなければなりません。 こうして、知も情も意も全部フル稼働せざるを得ないというわけです。 これでは、未熟でいられる暇はありませんね。 このようにして、人が人を愛する時、愛した自分こそが成長という宝物を与えられるのです。

alufareven
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >死を恐れるのは、ごく自然な感情だと思いますし、心の作用(良心作用)が健全な証拠です。 今の自分は死について考えたとき、小学校時代ずーっと悩んでいたせいなのか、今考えても怖いとは思わなくなってしまいました…。 私の解釈では、行動(実践)が感情を生むということなのかな?と思いました。 小学生のときに、行動するには気持ちが必要だ。自分には気持ちがない、だからやらない。 そう思って、今まで生きてきました。 本当にバカな生き方ですよね。 今でも、その考えが無意識に定着しているのか、感情面では、後悔はしていないと思います。 でも最近、好きな人ができたというか、好きになってくれた人の人生を見たとき、今までの自分の人生を見たとき、初めて悩み始めたという感じです。 …悩んでも、あまり変わりありませんでしたが…。 どうすれば、気持ちや感情が起きるんだ?という感じです。 しかし、自然に気持ちって待っていて起きるものでもないんですね。 初めて行動して、気持ちが生まれるものだと思いました。 今は怖いですけど、自分の意思で行動して、自分の中で感情や気持ちを育てていきたいと思います。 人に愛される自分より、人を愛する、そんな幸せを感じてみたいです。 ありがとうございました。

noname#134608
noname#134608
回答No.5

ご丁寧なお礼頂戴しまして有難うございます。 一つ気付きましたので『連投』失礼致します。 『感動』・・・は必ずやって来ます。 『未体験ゾーン』ですから、過去ではなく未来です。 例えば『絶景』と呼ばれる景色、 芸術、『初めて見るアート』、 音楽、『鳥肌の立つ楽曲』・・・、 『そして自然の営みの発見』。 これらはこれから『旅をするも良し』、 また、日常生活を注意深く生きていれば遭遇します。 19歳男子ですね・・・。 近未来『わが子の出産』に立ち会う可能性も大きいですね。 何れにせよ『感動』は長く生きれば生きるほど、 さまざまなモノに出会い、より大きな感動に遭遇します。 その時まで…お楽しみに! それでは。

alufareven
質問者

お礼

再度回答ありがとうございます^^ 感動、ですか… 僕は今まで、人生を振り返ると、全く人に感謝もしたこともなく、感動もしたこともなく生きてきました。 小さい頃から、何かを意識して生きたことがなかったのですよね。 志もなく、適当にいい加減に…です。 それはこの歳になって、気づきました。 >日常生活を注意深く生きていれば遭遇します ありがとうございます。この言葉にすごく勇気づけられたというか。 自分も変われるのかな?という思いがでてきました。 本音を言えば、誰かを本気で愛してみたいですね。 というか、今、好きな人…かな。 そういう人がいるので、愛したいという気持ちがあります。 愛されたい、よりは愛したいですね。 回答ありがとうございました

回答No.4

なんでも叶います ただし、待っているだけでは何事も叶いません ものによってその実現難易度の差はありますが、 大事なのは諦めず試行錯誤しつつも続けることでしょう F1ドライバーの片山右京さんの言葉にこんなものがあります 特別才能があるわけでもないし、特別の何かを持っているわけでもなかった ただ、続けていたら周りの人がどんどん辞めていって気付いた時にはTOPになっていた

alufareven
質問者

お礼

回答有難う御座います。 何でも叶う…。 でも諦めてはいけない… 感情や強い気持ちがもてるようになてたらなぁと思ってるんですが、それってどういう風に行動すればいいんだろうと思ってしまいました…。 でも、他の回答を見て思ったのですが、意思を持って行動すれば、気持ちや感情がもてるようになるんじゃないかな?と思いました。 ありがとうございました。

noname#134608
noname#134608
回答No.3

こんばんは。 皆さん長文のご回答になってしまっているようですが、 なるべく簡潔に回答したいと思います。 >それが相当ショックだったことがありましたけど…。 ひとには『適応能力と共に慣れ』が起こります。 その相当なショック(感情の揺らぎ)で、 それに満たないものには反応が鈍くなっているかもしれませんね。 しかし、『感動』は心震えるもの、 または『思考すら停止するもの(頭の中が真っ白、 ただ呆然と立ち尽くすのみ)』と言う感じです。 >漠然と自分の感情がわかる…という感じです。 日常の『感情』とは、そんなものですよ。 湧いては消える『シャボン玉』のよう、 それを『捕らえる事も手にすることもできない』のではないでしょうか? しかしそのシャボン玉をよく観察(洞察)する事は難しい反面、 大切ですし、面白い事ですよ。 それが『恐怖と言う名のシャボン玉』であってもね。 >「マーフィーの法則」や「思考は現実化する」の方法でいれば 『方法』いわば『マニュアルに依存する』のは如何なモノか…、 と思いますが、 『思考』は確かに現実化します… 正確には『現実化する可能性を充分備えている』となるでしょう。 『思考』とは『過去の経験や体験の結果』、 現在の脳内で『反応』しうるものです。 ですから、『思考+(現在の、今の)意志』が 実現へと繋がるのです。 >人が一体どういう気持ちで生きているのか、すごく知りたいです。 『気持ちが優先してはいない』と思います。 生きているのではなく(自然の摂理の中で) 『生かされている(大地や空気や水・・・によって)』のです。 そして『そこに気持ち(意志)を介在させて』、 自ら変化、進化の方向を選択しているのではないでしょうか・・・? 簡潔にと言いながらそれなりに長くなってしまいました。 お詫び致します・・・では。

alufareven
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >ひとには『適応能力と共に慣れ』が起こります。 >その相当なショック(感情の揺らぎ)で、 >それに満たないものには反応が鈍くなっているかもしれませんね。 なるほど…。以前偶然動画サイトで人が実際に首を斬られてる映像を見てしまって、でもそれに対し、何も感じない自分がいました。 このまま見てるのも嫌だったのと、何も感じないとしたら、嫌だからなぁという思いでその動画を消したことがありました。…小さい頃は嫌だったのに、今は平気…慣れてしまっているのですね。 >しかし、『感動』は心震えるもの、 >または『思考すら停止するもの(頭の中が真っ白、 >ただ呆然と立ち尽くすのみ)』と言う感じです。 自分には全くわからないです、ね…。 もともtあまり考え事する訳ではないのですが、やっぱり心が震えたことがありません。 一度でいいから、そういった体験をしてみたいです。 >『思考+(現在の、今の)意志』が 実現へと繋がるのです。 確かに法則ばかりに頼っていてはいけませんね。 過去の体験というと、特にたいしたことないし、怠けて生きてきた感じですが… 思考+意思で実現へと繋がるとのことですので、意識して思考をこれから先はがんばろうと思いました。 >『そこに気持ち(意志)を介在させて』、 自ら変化、進化の方向を選択しているのではないでしょうか・・・? 気持ちとは、意志として見ていいのでしょうか? 気持ちがない自分とおもってましたが、意思を気持ちと同じとみるのなら、私もこれから先、勇気を持って行動することができます。 >お詫び致します・・・では いえいえ、とんでもない、ありがとうございました!

回答No.1

あなたは、事故などで本当に感情を無くしてしまった人がどれほど異質な存在になるかを知っていますか? 本当に感情がない人は、こんな所に書き込みをしません。 なぜならば、自分が他人と違っているという発想自体が生まれないからです。 あなたに本当に感情がないのならば、今頃は大騒ぎになっています。 周囲の人から見れば、感情がない人というのは、本当に異質な存在なのですから。 質問者さんにとって「自分に感情がない」というのは周囲の他の人と自分を差別化するための手段なのだと思います。 そう思うことで、自分は他人と違うという自己意識の確立を図っているのです。 それは立派な感情です。

alufareven
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 感情はあるにはあるのですが、あまりにも浅いな…と思ってしまうのです。 そんな自分も違和感を感じることがなく、生活してきました。 でも、最近になって、いろんな人たちを見てるときにふと、自分ってなんだろうって思いました。 知り合いがみんなが、みんな感情豊かに生きてるのを見ていて、自分は…と思ってしまったから、感情がないのでは?と思うようになりました。 今、自分が思ってること。これも感情なのでしょうか…。

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