- 締切済み
正論で相手を追い詰めてしまいます。
男性は理論的、女性は感情的 と、よく聞きます。 私は女性なのですが、理論的な考え方しか出来ず、正論しか言えません。 ただし、正論好きというわけではありません。 「喧嘩になった時は正論なんて求めてないんだから、もっと感情論で話してくれ」とよく言われます。 それでも、自分の思考が感情まで辿り着けず、どうしても理論的なことしか言えません。 自分がどう感じているのかがわかりません。 なんとか感情まで辿り着いて、自分の気持ちを吐露出来たとしても、必ず話しながら泣いてしまいます。 そんな風に努力して感情的になれるのも、私が心から好きな人や物に対してだけで、あとは自分に何があっても何をされても何も感じず、他人事のように思えて客観的に話してしまいます。 いじめられても、罵られても、理不尽な暴力をふるわれても、知らない人に襲われてもそうでした。 不謹慎な例えではありますが、ニュースで「遠くで誰か知らない人が事故死しました」と聞いた時の「ふーん」というような感覚で終わってしまいます。 はじめは本当に苦しかったはずなのですが、何年も何年も苦しい状況が続いたおかげで感情が一部麻痺してしまった感じです。 正論は正しいから正論なので、間違ってはいません。 ですが、正論は人に優しいかと言ったら必ずしもそうではありませんし、正論で人を傷付けることも追い詰めることも多々あります。 それが分かっているので、とにかく話し方を直したいです。 ただ、小学生の頃からこうなので、すっかり根付いてしまって直し方もわかりません。 感情的に話そうと思っても、上記の通り自分の感情が見当たらないため黙り込んでしまいます。 どうやったら上手く感情的に話せるようになりますか?
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- yuuri-k
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ずっと辛い思いや苦しい思いをされてきたのですね。感情が麻痺してしまうくらい。 心が壊れてしまうのを防ぐ為にもっている防衛本能の1つなので、今の状況は質問者さんが悪い訳ではないので、酷だと思います。でも、大切な方の為に変わりたいって思いは、すごく伝わるので少しでも参考になればと思います。 努力して感情的になれるのは、私が心から好きな人や物に対してだけ。 今は、それだけでもいいと思いますよ。泣いてしまうくらい辛くて苦しくて、感情を見せるということに抵抗もあるはずだから。 上手く話せなくても、泣いてしまってもいいと思いますよ。質問者さんの好きな人は、それでも待ってくれたり、聞いてくれたりするのではないですか? 最初から上手く話せる必要はないんですよ。上手く話したいなら、泣かずに感情を言えるようになった後に考えたらいいことだと思います。 上手く話したい。話そうとするとそれだけプレッシャーが余分にかかります。 高すぎる目標を最初から掲げてしまうと挫折しやすいです。ネガティブな方が普通を通り越して、ポジティブになるとか、タバコを1日五箱くらい吸うヘビースモーカーが明日から一本も吸わないって言ってるのと変わらない危うさを感じます。焦らず、確実に小さな目標をクリアしていった方がいいかと思いますよ。 喧嘩に正論は必要ないってのは、なぜかわかりますか? 私は根が感情的で白黒はっきりつけたい方なので、質問者さんとは状況は違っても、悩んだり試行錯誤してきた結果たどり着いたのは、世の中正論や理屈で割り切れないことがいっぱいあるということです。 喧嘩って正論とか理屈とか相手もわかってるんです。わかってるけど、それだけでは割り切れない思いや感情があるから、ぶつかるんだと思います。 何人か人が集まれば、全員が100%満足できる状況ってのは難しいと思います。そういう時って妥協点を探すことが大切だと思うんですが、正論って妥協点がないですよね。間違ってるか正しいかだけで、間違ってることは受け入れないから、選択肢が1つしかない。でも、正論以外なら、お互いに少しずつ妥協してということが、出来やすいです。 どうしても正論で、という場合は7~8割に押さえた方がいいです。逃げ道を作ってあげるというか…。 理論的な方法でも、多角的に物事を見ると今とは違った見方ができると思いますよ。相手の立場になって考えることです。立場が変われば、物の見方もかわりますよね。 あと、少し厳しいことをいうと好き嫌いとか感情とか全て抜いて事実のみを言うというのは、質問者さんの言う事実に誤解や思い違いがなければ、喧嘩してる他の方も、わかってる事実なので(実際には、各々のフィルターを通して見てるので、多少の違いはあっても)何も言うことはないかもしれないです。 その事実を踏まえた上で、どうするかが問題であって質問者さんの言ってることは、単なる事実確認だと思いますが、違いますか? 私が喧嘩相手なら、あえて空気を読まずに『事実は、そうだね。それで質問者さんはどうしたいの?』って聞いたら、どんな答えがいただけるでしょうか? 仮にそこで正論を言って終了なら、論破したというより、これ以上はムダかなって引いただけのような気がします。喧嘩にも話し合いにもならないから。
- ta_kuchan
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ここの書き込み?OKWAVEの質問をしてきた人に 正論ぶつけたら ちっせぇだの 何だのと ボロクソに言われた書かれた事あるww 質問者様のお気持は少なからずわかります。 正論を言うと相手は 屁理屈でしか返せなくなっちゃうんだよね。 それじゃ会話というか議論?にもならないでしょ? >どうやったら上手く感情的に話せるようになりますか? 感情的・・・・別に感情的にならなくても良いとは思うけど まず自分が思った事を口に出す前に深呼吸。 そして 立場が逆だったら・・・と一瞬考える。 全て逆の立場になるって考えるって事。 もうすこし具体的に書けば・・・ >ニュースで「遠くで誰か知らない人が事故死しました」と >聞いた時の「ふーん」というような感覚で終わってしまいます これがもし 自分の大好きな人が事故死しました。 と聞いて 「ふーん」で終われる? 終われないよね? 立場を入れ替えて考える努力をしてみてはどう?
- ai-aou
- ベストアンサー率24% (33/136)
問題は正論にあるのではありません。結果を追求しようと、結果を先に持ってくる事で、思考停止に陥り、選択肢がひとつになるからです。結果ありきで、答えだけで他人と繋がろうとすると、世界が記号化するから、他人に対しても、上か下か、右か左かだけで対応するようになる。感情鈍麻して自分が形骸化し、枝葉末節の小手先だけで外界をこなすようになってしまう。肥大化した自己愛の問題と考えるのが、近道だと思いますよ。 親の理想に応える子供時代などで、感じ方の自由を制限されて来たりすると、自己愛が肥大してしまうんです。頭で理解しようとすれば情緒が欠落する。医者や弁護士などに多い病理でもあります。 他人事のように自分の話しをするのも、感じる事が危険だから。こうあるべき理想、ではなく、起きている真実は何なのか、という立ち位置になると他者を尊重出来るようになり、正論武装は必要なくなります。正しい事が、いつでも正しい訳ではないと、理解出来る大人になるからです。 このような回答は、受け取る側の準備が出来ていないと誤解を招く危険があり控えますが、質問者様はそうではないと思い手助けしたくなりました。応援しています。
- ni_si_ki
- ベストアンサー率19% (302/1586)
私の個人的な感想なのですが、正論を振りかざす人の多くが依存傾向にあるんじゃないかしら。 育ってきた過程において得た成功体験に基づくものが多いようが気がするんです。 ●お利口さんにしていたらご褒美がもらえた ●お父さんお母さんの言うことを聞いていれば何でも言うことを聞いてもらえた そういう体験を積んできた人は社会に出てからもそれを押し通す悪い癖が出ます。 一生懸命相手に尽くしたのに、見返りがなかった。 そこであなたの正論(持論)が登場します。 とまあそんな風に感じました。 あなたのしていることは、誰の為なんでしょうか? 相手の為の称して実は自分の為ではないですか? それを指摘されると正論(持論)を繰り出してしまうのではないですか? 一度自身を振り返ってみて下さい。 言い方を変えるのではなく、あなたの考えそのものを変える必要があるということです。
- ShirokumaX
- ベストアンサー率31% (290/932)
再び回答させて頂きますが。 >私の場合、全く自分の感情や「絶対に正しい」という思い込みを交えず、ただ事実だけを整然と言ってしまうのです。 >だから、誰も反論する事が出来ません。 >反論されたことが、まずありません。 >事実すぎて、反論する余地がないのです。 >それを自他共に理解しているので、「正論」という言葉を使いました。 ほら、私の言ったとおりでしょ。 「事実」なんて、その「事実」の観測者の数だけあるものです。ですから、自分が「事実」だと思ったことだけが「事実」だと述べるのは、私の言う「自分だけのテーゼを述べている」ことに他なりません。 仮にあなたの見た「事実」だけが「事実」だとしましょう。しかし、「事実」を「言う」という事自体、何らかの目的および文脈があるものです。あなたがそこでその「事実」を持ち出すことにはなにか理由があるはずです。そのことを理解していないということは、やはり「自分だけのテーゼに固執している」ことです。 反論されたことがないと言いますが、されたことはあると思いますよ。ただあなたが、反論したその人の言うことを「自分にとって事実出ないので頭から受け入れない」という状態なので、呆れられているないし諦められているだけで。 「事実すぎて」?事実にすぎることがあるのですか?ということは事実にレベルがあるのですか?ということは「事実」にもいくつかあることになりますね?あなたの「事実」が相手の「事実」よりも「正論」であることの根拠はどこにありますか?あなたの「事実」以外のものを「事実」と認めたくないという以外の理由を提示することができますか? 自他共に理解しているそうですが、あなたはそう思っているかもしれませんが、他の人があなたの「事実」が「事実すぎる」と「理解している」というのはどういう根拠で言ってますか?あなたの「正論」に反論できないからですか?あなたはジンテーゼを拒否してあなたのテーゼに固執しているだけなので、前にも述べましたが呆れられているそして諦められているだけかもしれませんよ。 「正論」は「正論」なのよ!と言わんばかりのこの補足が、私の言う「ジンテーゼを拒否して」「テーゼに固執しているだけ」の状態にあなたがあるということを物語っていると思います。
補足
うーん…うまく伝わりませんね…。 まず、私が「正論」や「事実」という言葉を持ってきたのは、自分の考えが正しいと思っているからではありません。 友人や恋人や家族から、「お前が言うことは正論ばかりで、全てが紛れもなく事実すぎるから相手は何も反論できなくなってしまう。そういうところは直して、もっと感情的に話した方がいい」 と言われたため、そのまま言葉を引用しただけに過ぎません。 「自分は正しい」と思っているのではなく、「他の人間から私に対して言われた言葉をそのまま使っている」ということをご理解ください。 また、「正論は正しいから正論」というのも、「正論」という言葉は読んで字の通り間違った意見を指す言葉ではなく、正しい意見を指す言葉である、という意味でした。 今度はきちんと伝わりましたでしょうか…?
- blackmind
- ベストアンサー率38% (37/97)
正論しか言えないのは自分の気持を押し殺しているからでしょう。 自分の気持を素直に表せなくなるような過去の経験はありませんでしたか? 正論しか言わないというのは一般論を提示しているだけで、 自分の意見は述べていません。 喧嘩の場面で「感情論で話してくれ」と言われるのも自分の気持や意見を述べていないからと考えられます。 何らかの原因で自分の気持を表せなくなった結果、感情を仕舞い込み、自分の意見に一般論(理論)を求めてしまっているのでしょう。 感情的になりたいというのは、 質問者様が少しづつ心を開きたいと思っている証拠です。 まずは、自分の気持ちや感情を素直に出せる習慣をつけた方が良いと思います。 最初は日常的な小さなことから、 何かを食べたとき、遊びに行ったとき、テレビを見たときなど、素直な気持ちを感じてください。 (美味しい、不味い、楽しい、驚いた、怖かった、など) それを続けて自分の気持をしまい込む癖を直せれば、 理論(一般論)とは別に自分がそれをどう感じるのかを知ることができるようになります。 そしてそれを素直に表現したものが感情的な意見になります。 感情的な意見が理解しづらいのは、一般論ではなく個人の感情に意見を求めるからです。 だからこそ同じ気持を持つ者には大いに共感されます。 対して正論が相手に冷たいのは、 否定された相手は大局的に少数派であると自覚させられるからです。 正論でもそれをもって得た個人の感情の意見であれば、相手を必ずしも傷つけません。 また何も相手に意見を合わせる必要もありません。 そのために自分の気持ちを変えることは間違いです。 たとえ意見が異なっても相手の意見を尊重(応援)することはできます。 それこそが感情的な意見であり理屈では説明できない気持ちになるわけです。 時間がかかるかもしれませんが頑張ってください。
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8905)
>「喧嘩になった時は正論なんて求めてないんだから、もっと感情論で話してくれ」 この人は喧嘩をする前から勝ち目がない事をわかって言っているようですが・・ 自分の思い通りにならないから、喧嘩を吹っ掛けてきた状況ですかね。 まぁ、大人の喧嘩であれば正論でいいのではないでしょうか? きつく断言しない程度で。 >そんな風に努力して感情的になれるのも、私が心から好きな人や物に対してだけで、 他人が亡くなってもそう感情的になる人ばかりではないと思いますが、直接危害を加えられても何も感じないのですか? この人、頭おかしいんじゃないの?くらいは思いますよね。 治療費が掛かれば腹も立ちますよね。 >正論で人を傷付けることも追い詰めることも多々あります。 時と場合によると思います。 わざわざ言う必要のない事もありますから・・ >どうやったら上手く感情的に話せるようになりますか? 喧嘩で感情的になっていたらいつまでも続きますし、最悪血を見ます。 普段の会話であるなら、流されるだけで意見しなければいいと思います。
- mojitto
- ベストアンサー率21% (945/4353)
質問者さまって本当に理論的なのか?というのが正直なところです。 理論なんてのは物事の結果、予想、自分の願望や欲望、感情を理(ただし理は「一石二鳥」と「二兎を追うものは一兎をも得ず」などのように相反するものを自分の都合で使う)を以て論じることであって、要は相手に伝えるための道具に過ぎません。 そして論理には相手に伝えたい目的(結果を納得してもらいたい、自分の気持ちを分かってもらいたい、相手にこうしてほしい)があるわけです。 自分で帰結することに論理は不要です。 ところがどっこい、質問者さまの場合は >自分の思考が感情まで辿り着けず、 >自分の感情が見当たらない とのこと。 論理の目的であり、起点である自分の感情がご自分で分かっていないのなら、それは屁理屈にもなりません。 (屁理屈でも目的はちゃんとある) 一体、何について論じておられるんですか? 例えるなら、論理はハサミです。 相手に何かを伝えようと色紙を切り抜いているときは立派な道具です。 しかし伝えようとしていることもハッキリしていないのに、紙を切るのは単なるゴミを増やしているだけです。 本来の目的もなくして持て余して振り回せば、それは凶器です。 論理は人を傷つけません。 人を傷つけているのであれば、それは言い方の問題です。 言い方がよければ、論理が破たんしていても、怪しい宗教法人にお金をつぎ込む人がいます。 その逆に論理がいくらよくても、相手の感情を逆なですれば、嫌われます。 質問者さまの場合は、自分はどう思って、何をしたいのか、言い方は相手に適しているかを考える方が先だと思います。
- ShirokumaX
- ベストアンサー率31% (290/932)
私の経験上、「自分は正論を言っている」と言っている人に限り、大局を見ていないものです。 テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼという言葉をご存知かもしれませんが、「正論を言っている」人の大抵が、自分のテーゼに固執しているだけで、ジンテーゼの立場からアドバイスがあると、「私のテーゼは絶対に間違っていないのだ!」と考えて、ジンテーゼを拒否し、ジンテーゼにアンチテーゼのレッテルを貼り攻撃する。 私はあなたがその手の人間であるとしか思えません。本当に論理的な人は、自分の意見を絶対の正論などとは考えません。 >どうやったら上手く感情的に話せるようになりますか? とのことですが、ご安心下さい。ほぼ間違いなく、「正論は正論」と言って正論を述べているあなたは、引いた立場から見れば十分すぎるほど感情的です。ヒステリックに自分のテーゼを繰り返しているだけでしょうから。 もう一度述べますが、本当に論理的な人は、自分の意見を絶対の正論などとは考えません。 この言葉の意味がわかった時、あなたは今の「正論しか述べない自分」のことを消したい過去のように恥ずかしくなるでしょう。
補足
私の場合、全く自分の感情や「絶対に正しい」という思い込みを交えず、ただ事実だけを整然と言ってしまうのです。 だから、誰も反論する事が出来ません。 反論されたことが、まずありません。 事実すぎて、反論する余地がないのです。 それを自他共に理解しているので、「正論」という言葉を使いました。
昔の自分を思い出します。 正論を言わないためには、議論への興味をなくすことです。 それぞれ考え方には好き嫌いがあるんです。 っていうか、好き嫌いしかありません。 あなたのおっしゃる正しさも「こう考えるのが正しいと思うのが好き」 ってことです。 わかりますか? すべての客観は実は主観なんです。 こういう話、普通の人じゃ理解できませんが、 あなたならわかるはずです。 結局、すべて好き嫌い。 そう考えると、正しいなんて言うことをバカバカしく感じます。 こうして、ぼくは議論への興味を心からなくしました。 あと、それを言ったらどうなるか。 リアリストになることです。 正論言って追いつめて、自殺させたら、なんのための正論ですか って話です。 求める正しさを現実的に正しいところに持っていくのです。 だから、人を殺すのはまちがっていますけど、 正論で追いつめるのもまちがっています。 現実に他人を苦しめているのですから。 という人情ある考えで生きたほうがしあわせかなって。(笑) ぼくが好んだ考えがこれです。 議論への興味をなくし、論理的思考力を捨てること。 現実的効果を考えること。 この二点が重要です。
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補足
子供の頃はひどく厳しく育てられたため、ご褒美というものすら貰ったことがありませんでした。 というより、親の言うことを聞こうが逆らおうが、殴られたり邪険に扱われたりしていました。 私が理屈っぽいのは、自分のためで間違いありません。 理屈を盾にして、正論を武器にしているような感じがします。 おそらく、弱い感情的な自分を守るためなのだと思います。 ただ、そんな自分を変えようとしているこの努力は、私と関わる人のためのものです。