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私はとても影響を受けやすいです
私はとても影響を受けやすいです 人がこうなんだよと言ったことをわりとすぐにそうなんだーと思ってしまいます; 前に読んだ本で“最悪の事態を考えると危険を避けられる”と書いてあったので、そうなんだーと思い物を見るときに最悪の状態を考えるようにしたらやたらと怖くなってしまいました(´`; 紙を見てもこれで目とか切れたらどうしよう!とか食べ物も何か変なものが入ってたらどうしよう!とか普通に生活するのにやたらと疲れます(笑 こういう風に書くとかなりばかばかしいんですが…想像して緊張したり汗をかいたりするので困っています ホラー映画を見てる感じ?みたいな…^^; どうしたら治るんでしょうか。 そんなこと起こらないから大丈夫って安心したいのですがつい不安になります(´_`
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- Wendy02
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私の若い時もそうでした。それも、宗教がらみだったから、最後にはノイローゼになってしまいました。思ったことは、その通りになるって、本気に信じていました。。 >“最悪の事態を考えると危険を避けられる”と書いてあったので、そうなんだーと思い物を見るときに最悪の状態を考えるようにしたらやたらと怖くなってしまいました(´`; 私は、その言葉で救われましたね。それは、カーネギーという人の話です。書名は忘れましたが、もし、違う人の話で読んでいたら、ぜひ、オリジナルのカーネギーの本(創元社)を読んでみるとよいです。最悪のことを用意しておけば、慌てることがないし、最悪のことは、確率的にめったに起こることではないという内容です。 何でも楽観的でうまくやれる人と、悲観的で失敗するのではないか、と思う人の差って、次第にどんどん人生で差がついてしまいますから、絶対に、どこかで歯止めしておかないと大変なことになってしまいます。 新興宗教って、何でも願えば思ったように行くというような教えがありますが、それがことごとく失敗した時に、自分が心配性だからということは分かったのです。 でも、その心配性というのは、自分の気持ちでありながら、親の新賠償のコピーなのですね。親は常に心配していた人だったからです。だから、何かをするときにもおっかなびっくりだから、失敗し続けるのです。それに、子供が何かうまく行っても、直接には喜ばないし、他人の悪口ばかりで、その内、自分も含まれるのだろうなって常に思うわけです。 それで、そういう人の本質的な特徴は、孤独で人を信じられないという所が、心の隅にあるのです。だから、まず見掛けでもよいから、同じレベルぐらいの友人と一緒に何かしてみると、意外に楽にいろんなことが出来ます。不安って、一人だから出てくるものだと思います。孤立しないことです。新興宗教には足を突っ込まないことです。それが、私の人生訓です。
お礼
宗教はなんか怖そうなのでちょっと…; うちは両親とも心配症ではないと思います。というか楽観的なほうです ただ友達はかなり心配症だったかな? たしかに1人でいるといろいろ不安になってきたりします。 人に話しちゃうと楽になれたりしますね。 ありがとうございました*