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なぜ生まれたのか?人生の意味について考える
- 何一つ、よかったなぁと思えることはなく、なぜわたしは生まれてきたんだろうと思います。
- わたしが生まれてこない方が、母も別に苦労することもなく再婚していたかもしれないし、わたしもひどい目にもあわず、誰の迷惑にもならなかったと思うのです。
- 死んでしまったらいいんでしょうが、死ぬ勇気がまったくありません。
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質問者が選んだベストアンサー
あなたの投稿を見て私に何か力になれることはあるんだろうか? と、思いました。 回答の方もずっと読みました。 質問の内容以外にも、色々わかった事があります。 自分なりに努力をされてきたことも解りましたし、 生活保護に対する考え方、宗教観、ペットの事、親戚に対する気持ち、 奨学金に対する気持ち、、、 それらを読んで率直に思ったことです。 今、あなたはきっとすごく疲れていて、心も体もくたくたで、なにもかも嫌になってしまい 考えることがみんなネガティブ思考になっているだけなのかも?と、、、 文章はちゃんと読みやすいですし、 奨学金や親戚から借りたお金はちゃんと返さなくてはいけないと、真面目に考えているし 生活保護等に対しても、借りなきゃ損みたいにかんがえているわけではないですし、 神様(何か心からすがれるものとして)の事を信じているけれど、 信仰の為に盲目的になって他の助言に耳を貸さないような状態でもない。 嫌なことが重なり、落ち込むことが多くあったから、自分自身に自信が無くなっているかも 知れないけれど、母親の事をちゃんと認めている所もあるから、嫌いだとか、 軽蔑しているみたいな事は書かれていませんよね。 小さい時の孤独感や寂しさから、今の対人関係に自信のない部分は、関係あるかも知れませんが 必死に働いて大学まで行かせてくれたお母様に感謝している気持はありますよね。 生活保護に対して頼らず生きたお母様の事を、誇りに感じているんではないですか? 質問者様は、今心が傷つき、疲れてしまったので自分の何もかもが自信が持てなくなっておられますが 信じてはみませんか? お母様の事を愛していた自分のこと、 人としてプライドを持って生きていたお母様の子供である自分の事 お母様に愛されていた自分の事、 お母様にとって自分がちゃんと生きがいになっていたこと、 病気になって亡くなられたお母様は精一杯生き抜いたと思える自分がいること お母様に感謝している自分もちゃんと自分の中に存在していること ありがとう の気持ちが、持てたら、、あることに気づいたら、 次は、ちょっとずつ、自分の良いところへも目を向けて、 前を見てみてください。 朝の光を感じて下さい。何か希望が見えるかもしれません。 感銘を受けた話が一つあります。 「吐く」という字は、口から+のこと、-のことを両方をいうこと 口から、-のことを言わないこと プラスの事だけ言い続けると すると、 「叶う」という字になります。 何か、変わればいいですね。
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ANo.8です、こんばんは。 丁寧なお返事有難うございます。 こんな(OK Waveさんごめんなさい)ネット上のやり取りですが『私たち』には、 『今生きてる証』ですね^^。 社会に対しての憤り・・・全く同感です。 表現方法、言葉使いの差こそあれ、愚痴りたくなる・・・当然と言う気がします。 社会個々の批評、批判は『愚痴でしかない』ので 『私たちは今、社会の傍観者、観察者』になっちゃいましょう。 そして、じっくり、現世、世の中ってやつを『見抜き、見定めて』やりましょうよ。 その上の憤死なら、玉砕ならこれもまた『一興』かも知れませんよ。 それにはもう少し『観察してやらないといけない』でしょうかね・・・? >わたしには人に対する根強い不信感があります。 >その不信感を払拭する術が欲しいのです。 『信じる事』とは『理解する事』ではないでしょうか? その理解も『一部、部分的ではなく』、全的な障壁なき理解です。 ですから『不信=理解不足または全的理解の過程』となるように思えます。 人でも森羅万象でも全的理解なくしては『不信で良い』のです。 従って、不信感の払拭は『理解を深める』事で徐々にそれは進むのではないでしょうか? そのためには私たちには『生の時間がまだまだ必要』ってことですね。 聖書も般若心経(経典)も『人生の地図』です。 それぞれルートは違っても『到達する頂上は一箇所、同じ』です。 聖書創世記曰く、『土くれから人形を作り神なるものが息を吹き込んでできた』のが私たち。 神なるものの『息』とは、『神なるものの自らの心を吹き込んだ』って事ですね。 ですから『私たちには神なるものの心が宿っている』のです。 全く >人はみんな、神様の心を一部もらってそれを自分の心にして生きているということです。 と、同じですね^^。 >なのに、それを実感したことはただの一度もありません。 本当ですか・・・???忘れちゃったのではないですか・・・? お母様に『お乳を貰って、オムツをきれいな物に替えて貰って』そんな昔があったような? なかったような?気がしませんか・・・? 母親って『裏切ってはなかった』、そんな存在に思えます。 >限界なのです。 大丈夫です、限界で朽ち果てる時には『土くれ人形』は土に返り『神の心のみが残る』のです。 >皆さんの心の中にいるだろう神様に答えを求めているんだと思います。 そうです・・・『私たちの心はそれの心』、もちろん誰一人例外はありません。 >だから、どなたか教えて欲しいのです。 >わたしが何をどうすれば、世間はわたしを許してくれるのでしょう? >わたしが存在することはそれほど悪いことなんでしょうか? もしかしたら・・・いや、もしかしなくても『悪いことなんて存在しない』のではないでしょうか? ならば『許してもらう必要はない』って事んありますよね。 >わたしはそれほど世間に迷惑な存在なんでしょうか?と。 『世間=私たち全て』ですから、『お互い様、お陰様の、お世話様』ってなりますね、きっと。 それでは。
お礼
thank2012さん、ありがとうございます。 ご親切にわたしの話を根気強く読んでくださり、いろいろ考えてくださってありがとうございます。 ここまで皆さんのコメントをいただいて、一つ、わたしは気づきました。 確かに、皆さんの心には神様がいるな、と。 わたしがここで自分の心を恥も外聞もなく、さらけ出してみて得たのは、 皆さんの温かい励ましやご助言、いろいろな知恵です。 こうしたらもっと良くなるんじゃないか、 あれをしてみたら、と皆さん、それぞれの立場からいろいろと考えてくださった、 そのお一人、お一人の気持ちがとてもうれしくて、涙が止まりません。 確かに、わたしは忘れていました。 確かに、わたし自身が気づかなかったんです。 自分で自分の心の扉を開いて、相手の心にノックし、求めてこなかったんだと思います。 そして、お互い様、お陰様、お世話様という心も忘れてました。 thank2012さん、そして皆さん、本当にありがとうございました。
- tttyyyuio
- ベストアンサー率6% (13/196)
社会に適応できないとか、世間から迷惑と思われてるとか、 そんなふうに考える原因は 営業職で上司にいじめられたからじゃないですか? 成果主義でない職種ならば質問者さんの人格を否定するような人は いないんじゃないかと思います。
お礼
ありがとうございます。 正直、職種の問題ではないことはずっと分かっています。 人格を否定されたことは、職場に限らず、どの人間関係でも一貫してそうだったんです。 結婚してもそうだったし、学生時代も友人関係も、営業だろうと、事務に転職しようと、 終始、そうだったので、どうにもならなくなり、こちらに投稿しました。 そうやって相手のせいにはもう、できないところまで来ているので、 わたしは訳が分からなくなりました。 それに、疲れてしまったのもあります。 いろいろな啓発本を読みました。実践してもみました。 でも、どう頑張ったってそんな理想的な人格になどとてもなれません。 人の話を聞き、段取りよく仕事を片付け、有益な人脈をつくり、情報網にも長け、 遊びもよくし、感情的にもならず、自制もできる。 批判されても我慢でき、にっこりと笑って相手の意見にも耳を傾ける。 言い訳もせず、叱られても冷静でいられ、相手への気配りができ、 周りを観察して的確に行動できる。 正直、今ではこうした性格になるための努力をすることにうんざりしています。 そんなに立派な人間にならなければ、わたしは人並みの人生を送ったり、 人から承認してもらえないのかと思うと、たまらなく生きるのが嫌になるのです。 わたしがこのままで生きることは、人を不快にさせ、迷惑なことなのかと思うと、 悲しくなります。 わたしとて、自分の性格はとても嫌です。 つい出てしまう自分は気弱で、無責任で、だらしなく、不器用で遊びには疎いし、 叱られたらどうしても意気消沈し、冷静ではいられません。 感情的にならないでおこうと思っても、元々、とても感受性が強く、自意識過剰なので 無意識に被害妄想になってしまい、ヒステリーになってしまうことがあります。 人からうんざりされて放り出され、今に至るのです。 だから、自分のそういった嫌なところが出ないよう、必死で自分を抑えてきました。 いいところが一つも見出せず欠点ばかりが目立ち、とりあえずその欠点を隠して相手に同調することばかりに気を遣い、何とか与えられた場所に自分を溶け込ませようとすることしかできません。 それでも、客観的に自分が見れていないと言われました。 また、自分のことばかりに必死で、周囲を見ていない、気配りができないとも言われました。 そうだと思います。 だから、社会では働けない、組織の中ならなお更、無理だと拒否されてきました。 そうして、根源的にお前の居場所はどこにもないのだと言われている気がしてならないのです。
- kiflmac
- ベストアンサー率22% (160/717)
私は「人間は生きている意味はない」と思っています。私自身も生きている事に意味がないと思います。生きている事で意味がある人間なんて、日本で言うと皇居に暮らしてる人達位でしょうか・・・ みんな貴女と一緒で死ぬ理由とか勇気がないからとか何か欲望があって、生きてるだけの話だと思いす。 歴史的な偉人も生きてる時に私は生きている意味があるなんて思ってもないし、考える事すらしていないのに(思念、願望は考えたとは思いますが)、あの時あの人がこんな意味がある事をしたんだ。って他人が過去形で語られる事だと思います。 だから、貴女も生命体なので、どうせいつかは死ぬので古墳が作られる位の凄い事を考えてみたら良いんじゃないでしょうか。
お礼
返信、ありがとうございます。 おっしゃるとおり、意味なんて本当はどこにもないんだと思います。 どうせ死んでしまえば、みんな、チリになるだけだし、王様も、一般庶民もみんな、同じだと思います。 生きて死ぬのはみんな、同じですが、ただ、みんな、家族がいたり、生きて誰かや何かの記憶に残ればそれはその人の生きている証だと思います。 つまり、人とのつながりがあるということは、人からその存在を認められているということであり、そこで初めて生きている価値、もしくは意味が見えてくると思うのです。 古墳が作られるというのは、その人の存在を残したいという世間の認知度ではないでしょうか? もちろん、古墳規模でなくてもお墓レベルでも同じだと思います。 形が大きい、立派に限らず、誰かからその存在を認めてもらっているほど安心できるものはありません。 でも、私の場合、生まれてきてからずっとその存在を認めてもらいにくい環境に育ってきて、いろいろなことがあり、さらにいっそう認めてもらえない状況になっているので、このまま生きてても死んでいる存在とまったく同じなのです。 無縁というのはそういうことです。 誰からも気に留められないし、留められても一瞬で通り過ぎて一秒で忘れられてしまう。 名前もあってないようなものであり、だったら、最初から生まれてこなくてもいいのではないかと思うのです。 その上、世間からはっきりと「お前が生きる場所はここにはない、あっちに行け」といわれ続けてきたので、もうどこへ行ったらいいのかも分かりません。 また、何が何でも「そこへ入れてくれ。仲間にしてくれ」と懇願する気力も消えつつあります。 それでも、ネットで投稿するのは、多少なりとも誰かと話してつながりが持てるからです。 どこかにまだ、わたしと縁を結んでくれそうな人や場所があるかもしれないという希望があるからです。 でも、それも一瞬なのでわたしがこのまま消えていくだけの存在だと思うと、どうしようもなく切なく、たまらなく悲しくなるのです。
こんにちは。 相当『切羽詰って』いらっしゃるご様子ですね。 前後致しますが、 >ずっとこんなことを思っているわたしは病気なんでしょうか? との事、shiropp 様の状況でしたら誰しも『落ち着いて考える事は出来ない』のではないかと存じます。 また、 >でも、いまさら過去は変えられず、今なお、わたしは存在している。 とおっしゃる事が出来るshiropp 様は 『その状況でありながら冷静、しっかりしておられる』と感じます。 過去は変えられない、しかし今存在している・・・という事は、 『問題ある所に答え在り』なのです。 『今』、shiropp 様にできる事、 まずお近くの『福祉事務所(または役所の生活福祉課)』を訪ねてみて下さい。 そして『ありのままの現状とこれまでの経緯』をお話ください。 『生活保護』の対象にも充分なられますが、 『緊急一時保護施設(衣食住の確保)』なるものも存在いたします。 着の身着のまま、無一文、身分証明書も無しであっても、 『緊急一時保護施設』の入所対象になります。 そして『借金問題』も『福祉課または緊急一時保護施設のケースワーカー経由』で、 『法テラス』と言う国の機関(全国の県庁所在地、もしくは政令指定都市に必ずあります)を 利用すれば、『ノーリスク(金銭負担無し)』で『債務処理(最終的な自己破産も含む)』を 行う事が可能です。 万が一『ケースワーカーの対応が思わしくない場合』は、 各役所に『議員会館(市町村議会、区議会)』がございますから、 そちらで『共産党議員(出来れば女性議員)を指名』して、 ケースワーカーの対応含めてご相談されればよろしいかと思います。 最後に本題の >生まれてきた意味がわかりません。 になりますが、これは『特定できるものではない』と思います。 なぜなら、人生に於いて幾多の艱難辛苦があるわけですし、 それを超えた時に『何かがある』からです。 そしてまたその意味も一つとは限りませんしね・・・。 苦労の真っ只中で『それを知る事ができる』のは正しく聖人賢者かも知れません。 shiropp 様の『今なお、わたしは存在している。』・・・。 何時でも私たちは『今を生きている』、 強いて言えば『過去を生きる事も、未来を生きる事もできない』のです。 shiropp 様の『存在』・・・、netの世界ですが、陰ながら応援しております。 それでは。
お礼
励ましてくださって、ありがとうございます。 いろいろと皆さんのレスを読ませていただいて、私自身、書いているうちに わたしは弱っている振りをしながら、実は社会にものすごく憤って愚痴っているのだと気づきました。 確かに、足元を見れば答えはありますね。 「どうにもならない」 わたしは自分の境遇を社会からずっと責め立てられているような気がしてなりませんでした。 子供の頃からいじめられる度に言われるのは「親がいない」「母子家庭だから」でしたし、 その後はいびつな環境ではぐくまれた人格を「育ちが悪い」「性格が悪い」となじられてきました。 「こんな性格になったのは自分のせいじゃない、わたしだってこんな人間になりたかったわけじゃない。 それでも、必死に生きてきたのにそれでもなお、責め立てられるのか?」という思いばかりが今もずっと根強くあります。 だから、他の方のような周囲に迷惑をかけるし、申し訳ないから死にたいという謙虚な気持ちなど微塵もありません。 むしろ、死ぬとしたら、わたしの場合、憤死に近いんだと思います。 どなたかがおっしゃったように、わたしには人に対する根強い不信感があります。 その不信感を払拭する術が欲しいのです。 それは物理的なものではありません。 聖書に書かれてある言葉のように、「人はパンのみに生きるにあらず、すべては神からの言葉によって生きるのだ」です。 わたしが宗教で得た答えは、人はみんな、神様の心を一部もらってそれを自分の心にして生きているということです。 なのに、それを実感したことはただの一度もありません。 信じても、信じても、その度に裏切られてばかりきたわたしはもう、限界なのです。 だから、ここに投稿したのはわたしは皆さんの心の中にいるだろう神様に答えを求めているんだと思います。 だから、どなたか教えて欲しいのです。 わたしが何をどうすれば、世間はわたしを許してくれるのでしょう? わたしが存在することはそれほど悪いことなんでしょうか? わたしはそれほど世間に迷惑な存在なんでしょうか?と。
- tttyyyuio
- ベストアンサー率6% (13/196)
不況ですからね、貧すれば鈍するというように 借金なんて返さなきゃいいんですよ。 口約束で借りた金なんぞ知らんとでも言ってればいいでしょう。 期限も決めてないんだし、心残りなら、余裕のある時にでも払って 死ぬまでに完済できたらいいなくらいの心持でいればいいんじゃないですか? 奨学金についてもそうです。 払うのやめちゃいましょう。 たぶん、請求がくるだけで、裁判起こしてあなたの財産からなんとしてでも 取ってやろうとまではしないと思います。 それで当面の解決しなければならない問題は家探し、職探しですね。 家探しについては不便を我慢すれば安いところはあると思います。 保証人は親戚に頭を下げればなんとかなりませんか? ちょっと検索したんですけど保証人紹介を商売にしてる人たちがいるようで 最悪その人たちに頼んでみてはどうでしょう? URL貼っておきます。 http://www.hoshonin-center.com/ 職探しについては・・頑張ってください。 あなた自分で頭悪いと言ってますけど 文面を拝見する限りそうは思えません。 探せばなにかしらあるでしょう。 性格については詳細がわかりませんので、なんとも言えないです。 どういう場面で社会に適応していないと気づくのでしょうか? 最後に >こんなわたしでも、生まれてきた方がよかったんだよ、と思えることはあるのか知りたいのです。 ↑それはこれからのあなたの生き方次第だと思います。 先のことなんて誰にもわかりません 少なくともいいことあるといいなぁと思っているだけじゃなんにもならないです。 性格が社会に適応できない、大いに結構じゃないですか。 無理に適応することはないですよ。 素のままではなく、仮面を被って仕事をすればいいんです。 嘘をつけばいいんです。 自ら思い描いたキャラクターを演じればいいんです。 舌先三寸で人間関係なんてどうとでもなるんです。 考えてみれば簡単なことじゃないですか。 死ぬのなんのといわないで、生きられるんだから生きればいいじゃないですか。 どうせ否が応でも死んじゃうんですから。死に急ぐこともないでしょう。 いいところに職が見つかるといいですね。
お礼
ありがとうございます。 とりあえず、奨学金は猶予願いを出して今年でその期限が切れます。 去年まで母が倒れて病院代がかさんでいましたので、どうにも払えず、返済を止めていました。 でも、どちらにしても早く払ってしまわないといつまでも追われ続けます。 家も保証人のいない物件を探せばいいですし、生きて行こうと思えば、贅沢を言わずに我慢すればいくらでも方法はあると思います。 そのことは頭ではよく分かっているのです。 教えてくださっているtttyyyujoさんをはじめ、皆さんのご好意はとても感謝しています。 ただ、すべては職を得て、せめて生きる場所がほしいのですが、 その生きる場所がありません。 仮面をかぶって仕事しようにも、わたしはそれがとても下手なのです。 それができていれば、これほど追い詰められた状況にはならなかったと思います。 わたしは自分を偽っても必ずボロが出て、自滅するのです。 そこが社会に不適応なんだと思います。 どんな人でも、すべてがすべて適応しているわけではないと思います。 皆さん、苦労していらっしゃるんだと思います。 それでも、仮面をかぶって大人らしく振舞える。 わたしはそれができないのです。どうすればそうなれるのかを必死に模索してきました。 でも、いつも首を横に振られて飽きられながら、「あなたは成長できないでしょ」といわれるだけです。 自分の努力はいつも無駄だといわれている気がしてならないのです。 どうすればいいんだと思います。これ以上、何をすれば皆さん、わたしに納得してくれるんだと。 わたしはいつも、「死んでくれ」と社会からいわれている気がしてならないのです。
- deuch
- ベストアンサー率23% (30/127)
生活が厳しいなら、生活保護を申請されてはどうでしょう。 日本国民である以上、健康で文化的生活を送れる権利があるわけで、 国はそれを補償するよう憲法に定められているわけですし。 何のために生きるのか?答えは人それぞれでしょう。 家族のため、ありふれた幸せのためという人も居るでしょう。 私の場合、まだ独身で家庭を持つ予定などありませんが、 自分の能力を何かしら社会のために役立てることが一つの目的となっています。 あとは、好奇心が生きる原動力となってますね。 「まだ見ぬ景色が見たい」、「10年後はどんな世の中なんだ」、「科学技術はどこまで進歩するんだ」 などなど…。知らずに死んだらもったいない。
お礼
ありがとうございます。 deuchさんがそうやって社会で役立ってくださっていることはとてもすばらしいことだと思います。 社会から、誰かから必要とされている、と感じられることほど、幸せなことはありません。 それが人の生きる原動力であり、愛されている実感だとわたしは思います。 でも、わたしにはそれがずっとありません。 わたしにも何かやれることがあるんじゃないかと、必死に生きてきたつもりです。 でも、これまでことごとく、失敗してきました。 元夫からは「お前は何もしなくていい、何かすると周囲が迷惑だ」といわれましたし、 仕事先などからも「生活できないんだったら、働くより結婚したら」と言われました。 つまり、社会では役に立たないから後は身を売るしかないと言われたんだと思います。 そうやってプライドを捨てて、それこそ何でもやってきましたので、生活保護をもらってまで生きる理由が分かりません。 もう、どうにもならないから生活保護をもらって人に養ってもらう、 それこそ屈辱以外の何物でもなく、生きている価値すらないように思えてならないのです。 それと、わたしは小さい時から母に、 「わたしは一度も生活保護なんてもらったことはない。 人にタダで養ってもらうような、そんな情けない生き方は一度もしたことがない」と散々、言い聞かされて育ってきたので、生活保護はわたしにはとても抵抗があります。 つまり、生活保護をもらうようになったら、わたしは本当に生きる価値がないとレッテルを貼られた気分になるのです。 だからといって、生活保護制度が悪いと言っているわけではありません。 とても必要なものだと思いますし、それを必要な人にはちゃんと支給すべきだとも思っています。 その人達を見下すつもりも毛頭、ありません。 でも、わたし自身は人から「父親がいない」「母子家庭の子」「育ちが悪ければ、性格も悪い」といろいろとレッテルを貼られ、見下されたり、哀れまれたりして生きてきたので、 これ以上、レッテルを貼られて人から後ろ指差されるのがたまらなく嫌なのです。 そんなにまでして生きなければいけない理由が分かりません。
- kokogp
- ベストアンサー率0% (0/1)
自分は小さい頃に母親に捨てられ、さらに大人になって他の人と合わない自分に絶望した(現在も変わらない)ので回答したいと思います。 自分が生まれてきた理由について考えてしまうのは他人が信用できなくなりつつある人に共通する疑問な気が私はします。おそらく考えても考えても納得できる答えは辿りつくことは出来ません。 色々と調べている内に、生まれてきた理由を考えるのは人間の根源的な欲求であり生きる理由や意味など確定的に答えられることは何一つないと言うお坊さんがいるのを発見しました。自分はこのお坊さんが言うことをとりあえずの答えとして自分を納得させています。参考URLを載せておきますね。全部見てみてください。5/5まであります。
お礼
ありがとうございます。 動画はとても面白かったです。 ただ、正直、わたしは宗教の裏表も経験しています。 母自身、いろいろ苦労していたのもあって宗教には熱心に救いを求める人でしたので、 小さい頃からお寺にも行かされましたし、私自身、成人してしばらくは熱心な信仰者だったと思います。 仏教はもちろん、キリスト教も学びましたし、 一人一人、生まれる時、死ぬ時といった生死が違うこともよく分かったので、 天の神は確かに存在するんだと信じていますから、今なお、無神論者ではありません。 でも、あなたと同様、わたしも生まれてから背負わされた荷物が重すぎて、 それをどうにか下ろしたいと思っているのですが、下ろす場所がわたしには見つかりません。 親に捨てられた人、虐待された人、天涯孤独な人、体に障害や病気を持った人、経済的にずっと困窮してきた人など、この世には苦労している人がたくさんいることもよく分かります。 でも、そうやって最初からハンディを背負わされている人間が人並みの幸せを得るためには背負わされていない人たちよりもずっと努力しないといけません。 つまり、なぜ、その努力しないといけないのかがわたしには分からないのです。 また、どう努力すれば背負わされた荷物の重さを感じなくできるのかが知りたいのです。 例えば、よく会社の面接などでも言われます。 「コミュニケーション能力の高い人材」、「明るくて個性のある人」など。 正直、生まれた時からそういった能力や学習できる環境に恵まれていない人間は、職には就けない、社会から不要だと言われている気がしてならないのです。 だから、倍以上の苦労します。でも、わたしには根っこがない。 自分を偽り、明るく振舞ってもきましたが、正直、不自然さが目立ち、人から言われることは 「あなたはどこか変。ちょっと変わっている。近寄りがたい」です。 わたしはいつも、社会から不要だと言われているのに、 生きていくために何とか追いすがり、「どうか、仲間に入れてください」と惨めに訴え続けなければいけないのでしょうか? かといって、「もういいや、わたしを要らないという社会に追いすがるようなみっともない真似はやめた。わたしはわたしらしく、一人で生き抜いてやる」と思っても、 人で成り立っている社会で、そういう孤高のような暮らしはできません。 仕事は人とつながって始めてできるものですし、人がいないと成り立たないということは身にしみてよく分かっています。 わたしはどうすればいいのかよく分からないのです。 何を、どうすれば普通に暮らしていけるのかがよく分からないのです。 つまり、わたしは自分は死にたくはないんだけど、死んだ方がいいと、常に社会から言われている気がしてならないので、それをどうにかしたいんだと思います。 だから、答えがないと言われたら、それこそ本当に「お前は救いようがない」と言われているような気がするのです。
- yoshi1349
- ベストアンサー率13% (91/673)
確かに、その様なことが続くとそんな考え方に成るのかもしれない、自分を責めたり、怒りすら覚えるよね、でもね貴女がこの世に生まれてきたのは必ず意味があるんだよ、今は辛い、悲しい、虚しい、色々と有るだろう、将来も希望すら持てない、、確かに不幸と言えば不幸だね、 でも、貴女より悲しみに暮れて居る人も多く居ることも事実だね、私も多くは語らないけど、、その1人です。 どうか生きる意味を見出してください。
お礼
ありがとうございます。 正直、見出したいです。 でも、見出す方法が分かりません。 今までわたしなりにいろいろとやってみました。 探してもきました。 でも、わたしにはどうしても分かりません。 yoshi1349さん、あなたはどうして生きようと思ったんでしょう? 友達がいたからですか? 家族がいたからですか? 恋人がいたからですか? 仕事があったからですか? どの本も、人の言葉にもそういった何らかの「救い」らしいものがあります。 でも、わたしにはそれがまったくといっていいほど、ありません。 それでも、生きる意味をどうやったら見出せるんでしょう? その方法を教えてほしくて、ここに投稿しました。 もし、ご存知でしたら、教えてください。
- star-road1
- ベストアンサー率20% (1/5)
私も、死ぬ勇気がありません。 存在しているのが社会に対して申し訳ないという気持ちで毎日生活しています。 でも・・・生きています。 毎日TELL ME!って叫んでました。 でも、理由なんてないんじゃないかな。 とりあえず生きてみようよ。俺も生きるから。 wipe your tears and dry your face
お礼
返信、ありがとうございます。 でも、そうやってだまし、だまししてきて、もう限界です。 かと言って、死のうという気力すら湧かないのです。 変でしょ? わたしは、star-road1さんのような謙虚な気持ちはまったくありません。 だから、嫌われ者なんだと思います。 社会に対して申し訳ないというより、正直、社会を恨んでもいるし、 何よりわたしを生んだ母が憎くて仕方ないときがあります。 このように、性格悪い、顔悪い、頭悪い、金ない、家ない、仕事ない、友達・恋人いない。 ない、ないだらけで救いようがないのです。 それでもどうして生きているんでしょう? わかりません。 だから、知りたいのです。何もかも与えられないのなら、最初から生まれてこなければいいのにと
- deuch
- ベストアンサー率23% (30/127)
あなたが幼少期の環境の影響で内向的になったと言うのなら、 今後のあなたの行動次第では外交的に変われるはず。 接客業とか、営業とか、ダメもとでやってみてはどうでしょう。 最初は上手くできなくても、誰しもそのうち慣れます。 人と接することに慣れてしまえば、つながりもできるでしょう。 >こんなわたしでも、生まれてきた方がよかったんだよ、と思えることはあるのか知りたいのです これは、気の持ちようだと思います。 ポジティブになれば、「今日もよく働いたなー」とか、「風呂の後の一杯はたまらんなー」とか、 「よく寝た~」とか、「いい湯だな~」とか、「今日も元気だメシが美味い」とか、 「天気が良く心地よいな~」とか、「虫の音が聞こえるなー」とか、 些細なことでも幸せ感じれますよ。 ネガティブなことばかり考えていたら、心の余裕が無くなり、 こういうちょっとした幸せに気付かないものです。
お礼
ありがとうございます。 せっかく、励ましてもらって申し訳ないんですが、 これまでの人生、ほとんど営業と接客業をしてきました。 その度にお客に嫌われる、同僚から意地悪される、ノルマがきつくて毎日、泣きながら暮らす、 給料は薄給で、暮らすことすらままならぬの状態でした。 それでも、やれる仕事がないので、仕方なく自分を殺しながらやってきました。 (ほとんど失敗してますが・・・) 外交的に変わろうと努力もしましたが、人との距離感がうまくつかめなかったり、 第一印象で嫌われたりと、結局、いろいろ試してきましたが、どれもうまくいった試しはありません。 もう、自分が一体、何をどうすればいいかも分からないのです。 ポジティブな気持ちにはいくらでもなれます。 今ある現実から目を背ければ、何も考えなくていいので、 「ああー、緑がきれいだな」とか「今日のご飯、なかなかいいできジャン」と いつだって笑うこともできます。 でも、すぐに路頭に迷う可能性の方が大なので、現実から目をそらして生きていけない状況になってきています。 死ねない理由は、わたしの弱気もありますが、一緒にいる老犬がかわいそうでたまりません。 わたしが死ぬのなら、彼も殺さないといけません。 そんな勇気、わたしはありません。 なので、何とか生きていかないといけないという気持ちもあります。 でも、生きる術がどうしても分からないのです。 人から邪険にされるだけなのに、どうして人で成り立つ社会に生きていけるんでしょう?
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お礼
3danngoさんはとても寛容で、人格的にすばらしい方だと文章を見ててもよく分かります。 励ましてくださってありがとうございます。 うらやましい限りです。 あなたのような方だったら、きっとわたしは悩むことなく、対人関係にも苦しまず、楽しく人生を謳歌していただろうと思います。 自分を振り返ってみて、わたしは自分が母を愛していたかどうかは疑問です。 そもそも、わたしは人を愛せることができるんだろうかとも考えます。 本来、わたしはとても冷淡な人間だと思うからです。 母はわたしとはまったく正反対の人で、美人で要領もよく、甘え上手でありながら自立心に長け、気配りもある程度、できる人でした。 何より自由な考えの人で、自分のやりたいことなら何でもやり、それを自分なら実現できると強く信じる自信のある人でもありました。 だから、正反対のわたしがもどかしかったのか過干渉で、わたしのすることに何から何まで口を出さずにはいられないらしく、「あんたは何をやっても駄目ね」が口癖でした。 そのくせ、自分がやりたくないこと、面倒なことはわたしに押し付けるところがあり、 また、下品で金銭欲も強く、借金癖があり、人の意見を聞き入れず、我がままで要領の良さからごね得するような人でもあったので、 わたしは正直、外で母と歩くのが嫌でたまらないことも度々、ありましたし、 母のわたしへの否定的な言葉や暴力が我慢ならず、一度、本気で殺そうと包丁を握ったこともあります。 だから、ずっと軽蔑してましたし、嫌ってもいました。 それでも、自分の親であり、養ってもらっているという負い目がありましたし、 私自身、彼女に精神的にも経済的にもパラサイト(過剰依存)していたと思います。 でも、彼女が倒れた時に自分の生い立ちがすべて発覚し、さらに借金のすべてが明るみになってからは 少し冷静に彼女のことを振り返れたと思います。 最後は世間から見たら悲しく哀れな死に方だったかもしれませんが、 それでも、あの人は自分に正直に、やりたいように生きていたところもあるから 彼女の人生はそれでよかったんじゃないかと母をうらやましく思う時があります。 そうは言っても、本人ではないので、わたしのような出来の悪い娘のせいで、苦労して心配事が重なり、楽させてもらえなかったと悔やんで死んでいったのかもしれませんが。 わたしは未だ、母を恨んでいないと言ったら嘘になります。 借金とわたしの人生に汚点を遺して逝った母を思うと、恨みが募って仕方ない時があります。 だから、わたしが彼女を愛していたかどうかわかりません。 ただ、いまさら、母を責めてみても何も変わらないし、どうにも現状が改善されるわけではないので、無駄だと思って彼女のことを考えないようにしています。 でも、3danngoさんのコメントを読んでいて、少し救われた気持ちになりました。 それは、「吐く」という話です。 確かに、嫌な話ばかりをしていたら、自分でもそんな考えに感化されてしまい、 自分で自分の気持ちを落ち込ませるだけですね。 性格改善の努力はできそうにありませんが、いいことを口にする努力はしてみようと思います。 自分の気持ちがよくなるのは確かですから。