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<頭でなく心で理解できた>・・・が理解不能です。
<頭でなく心で理解できた>・・・が理解不能です。 マンガでのセリフです。心で理解できたとは、何も理解していないという事では無いでしょうか。 理解・共感とは心ではなく頭でするものではありませんか。頭無しでどうやって分れというのでしょうか? 中高生あたりで読んでから、私はすでに成人。未だに分かりません。誰か分かりやすい意見を下さい。
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「スランプなんて誰にでもあるんだよ」 この一言言われて、言われた相手がどう感じるか。 「そっか、俺ばかりじゃなくこいつも今スランプなんだよな」とか「なるほど、誰にでも起こり得る一過性の不調時ね」なんて頭で一々考える? 同じ不調の時を経験した人なら“うん。だよな(俺ばっかじゃないんだよな、こいつだってきっとそういう時があったんだよな)”って心が納得するでしょう。 心で理解すると言うのはなんと言えばいいか分からないけど心が共感するって感じ。頭ではなく心が“うん!”とうなずく感じ。 「同病相哀れむ」を理解できないとか軽蔑するか“(そう)なんだよな”と思うか。
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- -9L9-
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No.7、No.10です。 No.10で、 >物事を完全に理解することなどあり得ないと言いつつ、 私はそんなことはどこにも書いていません。 と書きましたが、よくよく見直したら書いてましたね。すみません。お詫び申し上げます。 改めてこの点についてコメントします。 私の認識は、本質的にはおそらくNo.9の方と同じであり、ただ「理解」についての言葉遣いが違うということだと思います。私は問いの内容から、自ら満足する感情を「理解」と表現しましたが、No.9の方は納得することを「理解」と表現しているように思います。ですから私は共感も理解の中に含めて書きましたが、No.9の方は理解と共感を別建てで論じているのでしょう。 私が「完全に理解できない」と書いたのは、相手の心は所詮自分自身ではないのだから、テレパシーを持たない普通の人間としては相手が何を考えているのかなどは本質的に全てを掌握することはできない、ただ、理解した気持ちになって納得することはあるということです。そしてその納得した内容は実際に相手の気持ちの全てを完全に掌握しているのかもしれないし、していないかもしれず、神ならぬ人間にはその本当のところは知りようがないとしても、納得した以上は理解したということにして行動するというのが通常の人間の心のありようでしょう、ということです。脳科学でも、「他者を理解する」とは「他者を理解したと思い込むこと」であるというような立場であったと思います。 それでも、現実に同じ音楽で同じように感動したり恋愛で相思相愛であることを実感できたりするのは、それを各人の間で共有する「共同幻想」によるものであって、それは言葉の成立以前から人間に備わった心の機能なのでしょう。ですからこれは、理屈上の理解や言葉とは次元の違う話だということです。 要は(前にも書いたかもしれませんが)言葉や理屈などというものは心(脳)の働きの中でも極めて狭い部分だということです。言葉で言い表せなかったり理屈が通らなければ理解できないという程度の脳であれば、それはあたかも低レベルのコンピュータープログラムのように、データが完璧にそろわなければ正しい結論が出せない硬直的で機械的な機能でしかないということでしょう。
お礼
またありがとうございます。 こちらこそ、分かりにくくて済みません。
- -9L9-
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>物事を完全に理解することなどあり得ないと言いつつ、 私はそんなことはどこにも書いていません。「理詰めで理解することはできない」と書いただけです。理屈でない感覚としての理解は十分あることです。音楽や絵画などの芸術や恋愛感情などに端的に表れているように、言葉で言い表せない、また、理屈など必要なく「理解できる」ことというものが心の作用にはあるということを書いたのです。 >言葉以前に同調・同感(シンクロ)しろというのは矛盾を感じます。 私が書いたのは、言葉なんて人間の心の理解力の構成要素のごく一部に過ぎないということ。言葉なんてものは人間の能力の中でごくごく後発的なものであって、思考の表層部分のさらにその一部に過ぎないのだから、人と人とのコミュニケーションは、言葉よりも先にシンクロによる理解があるということを書いたのです。 シンクロの意味がわからないということですが、「共感」といったらわかりますか?ただ、この言葉だと深みがないのであえて「同調・同感」と書きました。「シンクロニシティ」とか「非言語コミュニケーション」とかを書こうかとも思いましたが、それも独特の色合いがある言葉で、私が言いたい部分はいわゆる「波長が合う」という点なので、あえて、わかりやすいだろうと思った「シンクロ」と書いたのです。私はアマチュアミュージシャンなので、ライブの時など、一つの歌で多くの人と一体感を感じることが良くあります。そのような一体感を持つ瞬間が典型的な「シンクロ」の状態だろうと思います。 結局、「心で理解」が理解できない人にはどう言葉を選んだところで無駄かもしれませんが。 >他人を心で理解するほうが本来の人間性であるなら心で理解するというのが具体的になんであるのか教えてください。 自分で発見することです。私は言葉で言い表せない理解というものがあると言っているのです。色々な比喩を駆使するなどで伝えることはできなくもないかもしれません(相手次第なので)が、所詮、他人に教えられたところで単なる知識にすぎず、自分で理解したことにはならないでしょう。 禅に「以心伝心・不立文字」という言葉がありますが、私はこれは別に崇高な宗教概念ではなく、人と人の交流の本質だと思っています。言葉や理屈というものの本質は、人間という動物の諸々の自己利益の獲得のための道具であって、それを全面的に押し出すことは結局は争いのもととなりかねないものです。現に、言葉のみのコミュニケーションであるインターネットのSNSや掲示板でトラブルが絶えないのはそのためだろうと私は思っています。 それにしても、質問やその後の補足などを読んでいると、「ロボットに人間の感情というものをどう教えるか」というようなロボット工学などの本で読んだ「ロボットに何をどう教えたらいいのか」というテーゼ(提題)を彷彿とさせる内容で、あたかも感情を持たない理屈だけのロボット(のコンピュータ)を相手にしているように感じます。あえてこんな質問をしているのは、プログラム開発などの何らかの意図があってのことなんでしょうか。
お礼
再びありがとうございます。 ちょっと私には難しい話です。 NO9の方が言ったような、その時の感情を同じように実体験する事が「共感」であり「心で理解」という事であるという事でしょうか? 例えば、Aさんの体験を同じようにBさんが体験すると「言葉以前に同調・同感(シンクロ)する」という事であっていますか。 ロボットと言いますが、別に感情は否定していません。 寧ろ、私から見たら別々の人を理屈で無く共感しろという方が、人間の感情の複雑さを無視しているように感じられてロボット的に見えます。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
頭でするとはどういう意味でしょうか。 理屈で説明がつくということですか? では、論法的に異論のない思考とはどういうことでしょう。そんな事が可能でしょうか? 人間の思考は想像力豊かです。一見何の慣例のない事柄でも結びつけ解き明かすことも可能な代わりに、真実関連性のないことでも強引に同じものとして結びつけることも可能です。 脳(思考)はどんな理不尽なことや矛盾することでも容易く実現してしまいます。実際上は最強の楯と矛はありえませんが脳の中では出来上がってしまいます。 でも脳は様々な知識を動員してそれらを結びつけ、理屈を考えます。 理解は頭でできても、共感は頭ではできませんよ。感とは感じることですから、どんなに理屈が通っていても共感とは言いません。それは共感したつもりになっているだけです。 理屈で考える以前に体感的に反応する。それが心で理解することです。
お礼
ありがとうございます。 >理屈で説明がつくということですか? 頭でするとはどういう意味でしょうか。そうです。 つまり同じような体験をしその時の感情を実体験する事を、「心で理解する」「共感する」というわけですね。 感情とは理屈や思考による面もあると思っています、ですから結構新鮮な意見です。
補足
すいません、ちょっとおかしくなりました。 >理屈で説明がつくということですか? 頭でするとはどういう意味でしょうか。そうです。 ↓ >頭でするとはどういう意味でしょうか。理屈で説明がつくということですか? そうです。
- vaierun
- ベストアンサー率22% (331/1496)
理性と感情の違いです。 例えば親友が不倫していて相談されたら 社会的に認められないこと(理性) 恋する気持ちは理解できる(感情)
お礼
ありがとうございます。 現象や発言に関してどう感じたかなんですね。
- -9L9-
- ベストアンサー率44% (1088/2422)
私は仏教徒で禅宗徒ですから「以心伝心・不立文字」ということを常識として教わりましたが、これは何も宗教上の特別なことではなく、コミュニケーションにおいて当たり前に起こっていることです。 コミュニケーションにおいて言語の果たす役割は50%に満たないと脳科学か何かの本で読んだ記憶があります。あなたのいう「頭」というのが何なのかよくわかりませんが、人間の論理的理解力などたかが知れているので(要するに神ではないので)何であれ物事を完全に理解することなどあり得ません。ましてや混沌である人間の気持ちを理屈で考えようとするなどというのは、私には「信じがたい・気持ち悪い」ことです。要は、同じ人間として言葉以前に同調・同感(シンクロ)するのがコミュニケーションの基本だということです。 子供のうちは自分の世界を超えられず他人とのシンクロが難しいでしょうが、さまざまな経験を積み、また色々な本を読んで疑似体験を積むことなどで他人とシンクロする感覚を掴むのが正常な成長というものだと思います。それができないのは、年齢に関係なくまだまだ子供ということだと思います。 人間の歴史の中で、言語などおそらく一万数千年程度の歴史しかないし、ましてや現在私たちが合理的と考えている科学的方法論なんて啓蒙主義以降のせいぜい二~三百年程度のものであって、これが本当の真実であると信じること自体が妄想かもしれないし、理詰めですべて理解するのは神ならぬ人間にはまず不可能です。 人間は言語や理屈など無い時代からコミュニケーションをとって社会を営んできたはずであり、他人を心で理解するほうが本来の人間性であると私は思います。
お礼
ありがとうございます。 すいませんが抽象的なことしか書かれていない為あなたの考えが理解できません。 物事を完全に理解することなどあり得ないと言いつつ、言葉以前に同調・同感(シンクロ)しろというのは矛盾を感じます。 シンクロするというのが具体的に何なのかも書かれていません。他人を心で理解するほうが本来の人間性であるなら心で理解するというのが具体的になんであるのか教えてください。 よろしくお願いします。
- k_kota
- ベストアンサー率19% (434/2186)
親孝行は死んだらできないと言うのは頭で理解できますが、 心で理解するのは実際死んだ時なのかもしれませんね。
お礼
ありがとうございます。 実感の事なのかもしれませんね。 夏休みの宿題もそうですよね。やらないと後で自分が困ると分かっているならとっとと終わらせたらいいのに。
補足
あ、すいません。 頭でなく は 言葉ではなく の誤りでした。
- debukuro
- ベストアンサー率19% (3634/18947)
よく分からんけど分かったような気がするのです
お礼
ありがとうございます。 キャラクターによってそういうことはあるかもしれませんね。
- hunaskin
- ベストアンサー率30% (1854/6060)
「おれ、頭悪いからむずかしいことはわかんないけど、なんか気持ちは納得できたよ」ってことですよ。 頭の悪い人だって何かしらわかったような気にならなきゃ事は進まないじゃないですか。 頭が悪いから理解と言うべきでないところで理解と言ってしまっているだけです。 仕方ないんです。
お礼
ありがとうございます。 キャラクターによってそういうことはありえますね。
- cucumber-y
- ベストアンサー率17% (1846/10420)
算数で考えれば明らかに損したことが、気持ちでは得したと感じるようなことではないでしょうか。 高校時代くらい(小遣いで遣り繰りしている時代)に、よくある話だと、困っている子どもを駅で見かけたので声をかけてみると「お財布を落としたので家に帰れない」と泣きべそをかいている。 そこで、自分の財布から電車賃を出して、その子にあげた。 子どもは切符を買って何回も何回もお礼を言って、改札を通ってもまだ何度も振り返り頭を下げていた。 無事、子どもを見送ってから自分の電車賃が無いことに気づき、深夜までかかって歩いて帰宅。 その話を翌日、友人に「昨日は大変だったよ。」としたところ「馬鹿だな、ちゃんと自分の電車賃残しとけよ。・・・でも、良かったな。」こう言われ「あぁ。」と答える。 こんな感じではないでしょうか。 恋愛ごとなら、「収入が無い男性だけど別れられない」女性が散々、彼氏の愚痴を友人に話した後に「でも、好きなんでしょ。」「うん。」とさらによくある話のように思います。
お礼
ありがとうございます。 なるほど。理屈で考える事と感情では同じ方向であると限りませんからね。
「理屈ではなく、気持ちで理解できた」という事ですかね。 もしそうだったら、理解できますが(^^ゞ 難しいですね。
お礼
ありがとうございます。 それも考えたのですが、「理屈ではなく、気持ちで理解できた」でも私は良く分かりませんでした。 理解は頭でするもので、気持ちでするものではないような。 ただ、1の方の言う事を考慮するとそういう考えもあるのかなと思いました。
お礼
ありがとうございます。 難しいですね。 つまり実際に体験した者は、言われた事をより身近なものだと感じる事ができるというわけですね。