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人権作文を書くことになったのですが

人権作文を書くことになったのですが 何を書けばいいと思いますか また書き方もいまいちわからないので教えてください 中学生です

質問者が選んだベストアンサー

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  • shubal
  • ベストアンサー率20% (402/1958)
回答No.1

すべての地域・国々の民族や人種を、すべての人が平等と考えることは地球最後の日になってもきません。つまり民主主義は夢のまた夢です。この世界には最後まで権力を持つ者と貧困にあえぐ者の二種類しかいません。

ukioya
質問者

補足

そのことについて詳しく教えていただけませんか

その他の回答 (4)

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

#4です。 そこに小さな書き間違いがありました。1)男女平等について1のところで、 その旦那さんの面倒も見なくてはならない => その旦那さんの親の面倒を見なくてはならない としておいて下さい。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.4

教えて上げます。 宿題の答えを教えてあげるのは普通は行けないのですが、それを教えてもらって勉強になることもありますので、それを教えてあげます。 これは作文ですから、皆が思い付くようなことを書いても余り評価してくれません。だから、皆さんとは何か違った、これは面白いと先生も教わってしまうことを書くべきです。 さて、日本人の多くの方は人権という言葉は西洋人から教わったと思っています。しかし、日本の歴史を良く見てみると、人権に関して西洋人なんかよりも何百年も前から気が付いて実行していることが一杯在ります。その幾つかの例を紹介します。 1)男女平等について1: 鎌倉時代の武士の法律では、親の財産を子供に残すときは男と女の差別をしてはならない、と書いてあります。実はその法律の中には、子供は財産を貰った場合には必ず親の面倒をみなくてはならないとも書いてあるのですが、ここで男と女の間の問題が起こってしまった。女の人はお嫁に行った後ではその旦那さんの面倒も見なくてはならない。ところが、もしその女の人が自分の親から財産を貰うと、自分の親の面倒も見なければならない。これでは女の人は男の人と比べて大変ではないかと言う意見が法律を作る時に出ました。そこで確か15、6人の人達が法律を作る時に議論をして、結局多数決で、女の人も大変だが、男と女を同等にして、女の人も財産を貰えるようにしようとなったのです。そうしないと、女の人の地位がどんどん下がってしまうからだと言うことでした。ここで驚くのは、鎌倉時代にはもう既に「多数決」と言う、やはり人権問題で大切なことを実行していたことです。 2)男女平等について2: 日本は稲作の国ですので、稲作農家では女の人は大切にされていました。何故なら、田植えは稲作労働の中でも一二を争うくらい大事なことでしたが、男の人は体の構造上長時間前屈みになっていることが出来ません。この作業は女の人の方が男の子の人と比べて桁違いに楽なのです。だから、昔の田植えのときは男の人は赤ちゃんの面倒をみたり、あぜ道から稲の苗を田植えをしている女の人に放り投げる役をしていました。だから、女の人もこのことに関しては体力では絶対に負けないので、男の子の人も尊敬してくれていました。どのくらい女の人が農家に取って大事と言う例に次のことがあります。女の人が結婚しても直ぐには男の人の家に住みませんでした。赤ちゃんが生まれるまでは、男の人がお嫁さんの所に住むか通うかしていたのです。何故なら女の人は貴重な労働力なので、それを相手に上げてしまうと、その家でも困るからです。 3)子供の人権について: 江戸時代の始めの頃から、日本の法律では子供と知恵おくれの人の犯罪は大人よりも罰を軽くしていました。これは、子供の人権を守るために大変に重要なことです。だから、そのことに気が付いた西洋人も日本より2百年ぐらい後になって、日本と同じように子供と知恵おくれの人の犯罪を軽くするようになりました。  このことで有名な「八百屋お七」という歌舞伎の劇の話しがあります。ある江戸の大火事で、まだ16才と若かったお七さんが焼け出されてあるお寺で皆と一緒に生活を始めました。そのとき同じお寺に逃げて来たすごく素敵な若いお侍さんと仲良くなりました。ところが、焼け跡も収まってみなは元の場所に帰ることになり、お七さんはそのお侍さんと別れなくてはなりませんでした。別れた後も、恋しくて会いたい会いたいと思っているうちに、ある考えが浮かんで来ました。また火事になれば一緒になれると思ったのです。そこで、放火をしようとしている時にそれが見付かってしまいました。お奉行様は事情が分っていたので、お七さんの本当の歳を知っているのですが、お七さんに「お前は15才だよね」と聞きました。15才までなら犯罪に関して子供として扱われることに法律でなっていますから、牢屋にしばらく入っているだけで済む。しかし、これが大人なら火付けは死刑です。しかし、お七さんは、まだ未熟だったので、自分は立派に恋が出来る大人だと言いたくて、自分は16才だと頑として言い続けてました。その劇を見てる人は「お七さん、なんて馬鹿なんだ、15と言いなさい」と心で言いながら皆涙を流す場面です。そこでお奉行様は仕方がないので、お七さんに磔の死刑を宣告したと言う話しです。こんな話しが、ヨーロッパで子供の人権を本気で考え始めるよりも2百年も前から日本にはあったのです。 江戸時代までは封建的で遅れていたと言う人も言いますが、そんなことは無い、日本人の人権意識はヨーロッパよりもずっと進んでいたんですね。 これらの話しを紹介して、「日本人の人権意識は昔からずっと進んでいたと思いました。」と書いて作文を締めくくれば説得力があって面白い立派な作文になりますよ。

  • Ganymede
  • ベストアンサー率44% (377/839)
回答No.3

どんだけアホなんだよ……。なぜ、「人権作文」で検索してみないのですか? 毎年、全国の学校で出ている宿題です。入賞作もたくさん見つかるし、「人権作文の書き方」などというサイトまであります。 入賞作をまねして、ご自分の体験も盛り込んで書けばいいじゃん。上手い文章をまねするのは、文章修行ではよくあることです。丸写しはダメですよ。まねと丸写しの違いは分かりますね。

  • aokisika
  • ベストアンサー率57% (1042/1811)
回答No.2

>人権作文を書くことになったのですが どのような経緯で人権に関する作文を書くことになったのですか? その経緯の中で、人権に関する具体的な問題が出たと思います。その問題について、ご自分が感ずることや考えたことを書けばよいのです。