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私は現在、膠原病と戦っています。
私は現在、膠原病と戦っています。 未だ娘は小さいし、かと言って父親は居ません。 娘は、反面教師なんでしょうか医者になると言ってくれるのですが、其れまで体がもつのかどうか。 その苦しみから逃れるために…と言うと語弊が有りますが、教会の門を潜りました。 皆様温かく迎え入れてくれて、淋しさは全く感じませんでした。 だた、残り少ない人生を奉仕で過ごしたいのですが、如何せん母子家庭であるから働かないといけない。 色々な矛盾で押しつぶされそうです。
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- tomban
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回答No.1
どういった宗教かわからないし、一般論でいいますね。 宗教を心の支えにするのは良いことです。 ただし、それは「自身の生活があって、その生活を送るときに解決法が見つかりづらい時」に、支える杖としたほうがいいということです。 そうでないと「杖だか足だか」になってしまう。 杖はあくまでも杖であり、杖があるから足は要らないわ、ということではないということです。 宗教は「信仰」というものがあります。 信仰の力というものはほんとうに強いもので、当人がどう考えても世間ずれしていると思われるのに、それに気付かないということも往々にしてあります。 それゆえに「自覚」がいるのです。 逆に言えばそれをとやかく言わないような宗教は、私が思うには危険です。 まずは生活の確定を目指すこと。 安定のための「心の支え」を宗教に求めるのは構いません。 結局のところ「自分の生きざま」というのは、自分で模索していくしかないんですよ。 その「生き様」のベースとして、宗教倫理があるのは、別におかしなことではありません。
お礼
有難うございます。 毎日、色々思う事があり心が潰れてしまいそうなんですが、娘の顔を見ると癒されるし、教会に行くと癒されています。 膠原病と戦うのはしんどいですが、今は精一杯生きようと思いました。 心強い御意見有難うございました。