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充実している人と虚脱している人
充実している人と虚脱している人 人生に山谷があり、感情にも夏冬があるように、人はあるとき人生が充実していると実感し、またあるとき虚脱感とそれを追いかける焦燥感に駆られることがあります。 哲学のカテゴリでご活躍される方々の「充実感を感じる時」「虚脱感を感じる時」をお聞かせ願いませんか? もちろん、知りたいのは、充実感の原因は何か、虚脱感の原因は何か、ということですが、充実感に関しては長期間維持の秘訣、また虚脱感に関しては早期脱皮の秘訣があればそちらもご紹介ください。
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知りたいのは、充実感の原因は何か、虚脱感の原因は何か、ということですが、充実感に関しては長期間維持の秘訣、また虚脱感に関しては早期脱皮の秘訣があればそちらもご紹介ください。 と言う事なので、その根本を貫いている原因 を書いてみます。 充実感を感じると言う事は、自分が自分として何も疑いを持たない時と言えます。自分自身を疑わないという言い方が、分り易いかも知れません。或いは自分自身に満足を覚える時と言う言い方でも良いかも知れません。 虚脱感とは、自分を信じられなくなる、或いは『自分は何のために?何をしているのか?』が分らなくなってしまう事が、意識の根底にはあると思います。つまり『自分を疑う』という事です。 この事は突き詰めた場合、自分を意識するのか、或いは意識しないのか、という事になります。自分を忘れている時が『充実感』を感じている時です。自分を、或いは自分が意識している時『虚脱感』を感じていると思います。 その虚脱感を違和感と言う風に言い換える事も出来ますし、或いは漠然とした不安と言う言い方も出来るはずです。もっと言うなら『罪悪感』と言う言い方も出来るはずです。何故ならばその『感じる内容』は皆同じ自我意識に送られてくる、同じ情報を、個性によって違う事として『解釈している』と考えられるからです。 人間は自我意識と、その自我意識に送られる情報によって、毎日がつつがなく送れていると言う事になります。その『送る者』と手を取り合っている場合が『充実感の原因』という事になります。自分をわすれている時の事です。 虚脱感を感じている時とは、自我意識のみで、世界を見渡している時の事です。意識の根底で『何かが?』自分をせきたてている事です。『分らない者』の存在を意識してしまう場合です。この事が古今東西を問わず、人間が悩ませられてきた問題と思うからです。 『分らない者』に意識が行っている場合には、孤独感や漠然とした不安に悩ませられる場合があります。この不安らしきものが原因という事になります。 これ等を繋ぐ根本問題とは『心の矛盾』と言えます。人間には心が二つ有るからです。一つは顕在意識を束ねています。もう一つは『無意識界や潜在意識界』を束ねています。それともう一つ大事な役目を持っています、それは『命そのものを働かせる』役目も担っています。 心臓も肺も胃も腸もホルモンの調節も、自律神経の調節も全ての命を繋ぐ働きをしている者の事です。今言ったものを疑う時から、心臓を働かせる者を疑う時に『心臓神経症』の症状になっています。肺を働かせる者を疑う時に、呼吸困難を伴う神経症になっています。 自分自身を疑う時にその疑う事自体、言い方を替えるなら疑った内容を『症状』として感じています。心を疑う事が『心の病の元』になっています。 是は『自我意識が出やすい』処に問題があります。優勝が掛かった一打を打つ場合と同じです。自我意識が出やすい事を『メンタル面が弱いと言います。』優勝が掛かった一打を打つ場合に『自分が出ないように打つ事が、』優勝に近ずく事になります。 ”充実感に関しては長期間維持の秘訣、また虚脱感に関しては早期脱皮の秘訣があればそちらもご紹介ください。”と言う事に関してもいえます。自我意識が出ない事を学という事になります。 自我意識が働いていない時に『誰が』働いていますか?と言う事が答えになります。 その者が分かる時が自分自身を知る時です。仏教では『生死の問題が解決した』と言う言い方です。キリスト教では『神の僕になる』と言う言い方をしています。 どちらも同じ事を言っています。『心の矛盾』が解決した姿の事です、自分の心が争わなくなる事を言っています。この心の静けさを涅槃と言ったり、神と和解した、と言っています。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.3です。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ 要約すると、 「俺には充実感に満ちた日々も無ければ虚脱感に襲われる日もない。なぜなら既に死んでるから。」 ということでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ですから ☆☆ (回答No.3) ~~~~~~~~~~ ですから 虚脱感について脱皮するしないということがありません。充実感にしても 言ってみればすでに初めに充実していますので 一時的・部分的な充実感は おのれには無く あくまで周りからやってくるものです。 こんな感じでどうでしょう? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★★ 俺には充実感に満ちた日々も無ければ ☆☆ 充実感にしても 言ってみればすでに初めに充実していますので
お礼
申し訳ありません。自動応答プログラムの初期不良のようです。 いえね、人間に理解できない言語の場合には、自動応答の方へ回すことにしたんですけどね、その自動応答プログラムが未熟で、基本的な反復も間違えるみたいです。 徐々に改善しますので悪しからずご了承ください。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
>ブラベクトルというのはなんかの暗号ですか? 私は論文を書いて来たせいで、文章の透明さにやたらに拘るんですね。拘ると言ってるんだから、反省の意味が籠っています。だから、こだわりのコヒーなんて大嫌いです。もう一つ、研究者として生き残って来たお陰で、根性が歪んじゃって、訳の分かんない不透明な文章を読まされると我を忘れて反応しちゃう。私の学生が訳の分かんない文章を書いて来たら、躊躇無くアカハラをします。ところで、日本にはアカハラってツグミぐらいの鳥がいるのご存知ですか。東京辺りでも一寸した広い公園などで見掛けることが出来ます。話しを元に戻して、だから、反省しちゃうのです。今回は、そんな子供じみた感情でまたbragさんにアカハラしたくなちゃったのです。でも、作文には米師大工さんのクーク・ラックス・クラウンのじゃなかった、キス・キック・キスの原則をきちっと守って作文したつもりです。でも、KKKの原則を守ろうとするとどうしても、もう一方の亡霊が出て来てしまうようで、ブラベクトルさんに対して、偏見に基づいた差別表現が出て来てしまうようです。 さて、ブラベクトルさんてbragさんということぐらいはお察しが付いているとは思いますので、他の意味を聞いているのだと思います。これは物理屋の傑作なお遊びの一つで、米虫さんお察しのごとく、ブラケットのブラです。20世紀の生み出した超天才の物理学者にディラックと言う方が居ります。彼は量子力学と特殊相対性理論を両立させた基本方程式を導いたイギリス人です。話しがそれますが、イギリス人て物理学史では特異点中の特異点なんですね。物理学には、ニュートンの法則、ハミルトンの運動方程式、マックスウェルの電磁気方程式、ディラック方程式、シュレーディンガー方程式、ハイゼンベルグ方程式、ラグランジュ方程式、リウビル方程式、アインシュタインの宇宙方程式の以上九つの基本方程式が知られているのですが、このうち始めの四人がイギリス人です。4/9とは凄い確率ですね。人によっては、ハミルトンとラグランジュとリウビルの方程式を一括りにする方もいるので、増々割合が高くなりますね。 さてそのディラックが量子力学で使う状態ベクトルと呼ばれる二つのベクトルAとBの内積を書く時に、数学者は(A,B)と書くのですが、彼はそれをベクトル<A|とべクトル|B>の積として、<A|B>と書くことにして、ベクトル<A|をブラベクトル、べクトル|B>をケットベクトルと呼ぶことにした。そしたら、この記号のお陰で計算が途轍もなく見通し良くなってしまったのです。だから、ブラケットは物理屋ではブラとケットで出来ているのです。 ノーベル賞をもらった先生の話しですが、先生はそれを戴いた後、2年ぐらいは、さてこれから何をしようかと悶々としていたそうです。そのまま、自分のやったノーベル賞の仕事の延長をやるのか、どうしようかと考えた。しかし、その仕事は先生は離れて最早一人歩きしており、年間それに関連する論文が数千出るようになっている。そんな状況では、自分は今後その分野の宣伝係や営業係になりかねない。そこで、先生は一大決心をし、自分がノーベル賞貰った問題の裏に潜んでいる問題で、物理学に残されているある大変重要な基本的な問題に全精力をつぎ込むことに決めたそうです。その問題は直ぐに応用がどうのこうのと言うレベルの問題ではなく、従って、そんなことをやっていても、研究費を出してくれるようなところは、常識的に考えたら先ずないのですが、自分がノーベル賞をもらったお陰で、それにお金を出してくれる機関を幾つも簡単に見つけることが出来たそうです。 ある時、ノーベル賞を貰ったことの意味は何にかと先生が聞かれたとき、 「それは動物園のゾウさんになったようなものだ。皆が自分を見た時、ほらあそこにゾウがいるよって言うみたいなことを言うんだ。しかし、もっと違った意味も他に在った。私がこれだけ応用とはほど遠い基本的な問題をやるのに、皆が私にお金を出してくれたのはノーベル賞のおかげだった」 と言っていました。先年ノーベル賞を貰った益川さんが言っていましたが、ノーベル賞を貰った後の感覚よりも、ノーベル賞を貰えた論文を書いた直後の何年も前のときの感覚の方が益川さんには決定的だったと言っておりました。ただし、論文を書いた後と言うのは、まだまだ続きがあるので、余り悶々とはしていられない筈です。きっと、益川さんもノーベル賞を貰った後、さてこれからどうしようと眠られない夜を送っている最中なのかも知れません。
お礼
ありがとうございます。 先生の暗号には何か素晴らしい意味が隠されてると思ったのですが、なるほど物理学のウルトラCにちなんだ名前だったのですね。勉強になりました。 昔見た西部劇で若いカウボーイがJeremyと自己紹介するのですが、ジョンウェイン扮する老カウボーイが勝手にJamesとか呼ぶんだな。初めのころは「JamesじゃなくてJeremyですよ!」と訂正するがジョンウェイン扮する爺は頑としてJamesと呼び続ける。そのうち諦めてJamesと呼ばれて返事するようになっちゃうんだ。cyototu先生もそれ狙っているのですか? 別の見方をするとジョンウェイン扮する老カウボーイは脳の劣化が進んでいて、聞きなれない名前を受け付けないようになっちゃただけかもしれない。とくにフランス語風の発音なんて何度聞いても一時記憶域にさえ入らない。これが真相かもしれませんね。もうひとつ、日本の実話です。10人兄弟の長男が年老いてきて娘とか娘の娘(=孫)がどんどん増えてくるんだか、若い女の子たちをなぜか姉妹の名前で呼んじゃうんだな。それでも、一瞬の間をおいた後に意味が通じてしまう。聞く側のインテリジェンスが前後関係で誤謬訂正をしてしまうからなんですね。いやぁ、老後は未経験ですから面白そうですね。 周回遅れのコメントで申し訳ありませんが、失敗に掛ける時間の話に関して、昔、渋谷でガールハンドに絶対成功すると豪語していた男の事を思い出しました。この男、存外に統計とか期待値などの高等数学を理解している男でね、”ガールハントに絶対成功する秘訣”をこう語っていた。「つまり、最初に断られるまでの時間を短く、次に断られるまでの時間も短くすることですよ。下手な男は、みな、断られる前に断られたらどうしようなどと考え、断られた後にはなぜ断られたのか悩んだりするようですね。そうして時間が過ぎると一晩で声かける数が少なくなっちゃうじゃん。だから、時間切れで一人寂しい夜を送ることになるんだね。」なんと、渋谷のプレイボーイが物理の先生のそのまた大先生と同じ人生訓で生きていたんですね。物理学会の先生達もきっとガールハントでも失敗しなかったのだと思います。 本題に戻りますが、良い家を建てさせてもらって引き渡しの時に充実感を感じる程度の充実感では賞味期限が短いが、物理学で世界的に認めてもらうぐらいの仕事をすると、その充実感は賞味期限が長くて、おいそれと虚脱することはないのかもしれませんね。益川さんが虚脱感に襲われているとは思えませんもの。
- Full_Energy
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>これまた有り難いわけではない、フルエネルギーさんらしい回答ですね。 猫に小判、豚に真珠、大工に音楽ということでしょうか(・◇・)?
お礼
これまたフルエネルギーさんらしく。
- Full_Energy
- ベストアンサー率4% (1/24)
No.4様の回答を見ないで回答し、投稿後にそれを見て補足したくなり、連続投稿させて頂きます。 私も最初、No.3様の回答はギャグなんだと思いました。人様のことを悪く言うのは止めようと思い、No.5で「逆であり、ギャグでもあるように見える」と言及するのは止めようと思っていたのですが、とにかくNo.3の回答は逆である、という印象を持ったことだけは伝えておこうかと想います。 それにしても、本人は案外本気かも知れません。 謎ですねぇ^^
お礼
これまた有り難いわけではない、フルエネルギーさんらしい回答ですね。
- Full_Energy
- ベストアンサー率4% (1/24)
カッパ理論を受け入れるとたぶん虚脱感がますと想います。そうなると他者からエネルギーを奪ったり、寄生することでしか充実感を感じられなくなります。 尚、通奏低音のボリュームは最弱か、ミュートでお願いします。 まともに答えるかどうかは反応を見てからにします。
お礼
有り難いというほどでもなく、有り勝ちな回答ですね。
- cyototu
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今回はブラベクトルさんにラブコールと投げキッスです。 ブラベクトルさんが日々大変な訓練をなさりながら、タモリに対抗しようと言うお考えでいらっしゃるのに気付くのに、随分時間がかかりました。今回のご投稿は、そのことに気が付かせてくれる切っ掛けを与えて下さった点で、わたくしめに取っては貴重な投稿であったと思われます。わたくしも常々タモリの芸には感心しておりました。全く意味のない音を羅列しているのに、それがきちっと韓国語に聞こえたり、中国語に聞こえたり、ドイツ語に聞こえたりしますからね。しかし、外国語をそのようにして遊ぶのは昔からあった芸でした。タモリの真骨頂は、全く意味のない音の羅列を聞かせて、それが日本人にも日本語に聞こえるという芸を編み出したからです。その芸をブラベクトルは文章でやって見せようとの決意をなされ、この哲学欄を使ってその訓練をずっとなさって来られたことに今まで気が付かなかったのです。粗忽者のわたくしめをお笑い下さい。 でも、ブラベクトルさん、それは一見素晴らしい芸のようですけど、一歩突っ込むと、二匹め泥鰌を狙っていると揶揄されてしまうかも知れませんよ。まあ、エンターテイメントは人を和やかにしてくれるので、二匹目でも三匹目でも結構生き残れるのですが、見る人が見ると、ブラベクトルさんがこのエンターテイメントで人を感心させればさせるほど、さすがタモリの考え出した芸は凄いと、タモリを評価してしまいます。タモリを越えるためには、声を使った話しを文章で真似するだけでなく、やはり、何かタモリでも気が付かなかったような、この意味をなさないにも拘らず日本語を読んでいるような気にならせる記号の羅列に加えて、何かあっと驚く側面を引っ張り出す工夫が必要だと思います。エンターテイメント界に普及の名を残し、天下のブラベクトルだと言われることが出来るような閃きが浮かんでくることを、陰ながら応援致します。ブラベクトルさん、貴方はチャンと見守ってくれる人がいるので、無視なんかされていませんよ。貴方は一人じゃないんだ。ブラベクトルさん、増々この芸を磨いていつかタモリを越えるお方なって下さい。頑張って下さい。
お礼
ありがとうございます。 先生の回答からはいつも何か得るものがあり、今回は泥鰌という漢字を覚えました。 どじょうとかどぜうなどと平仮名で書くのに慣らされてしまっておりますが、漢字で書くと、なんということでしょう、あの泥臭い深川どんの感触まで思い出されますね。 さて、ブラベクトルというのはなんかの暗号ですか? ひょっとして、ケットベクトルを示唆するためにわざわざちゃめっ気出されてブラベクトルと仰ったのかと思ったりもしたけど、ブラとケット、合わせてブラケットでもないし、なあ。 タモリの真似して、いろんな発音でブラベクトル、ケットベクトルと言い続けてみても何も連想しないだけじゃなくて、家人から変な目で見られちゃいますよ。
補足
訂正です。 同じ泥臭いのでも、泥鰌と書いて思い出すべきは柳川でしたね。深川どんはアサリのぶっ掛けどんでした。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 充実感も虚脱感もあるいはあらゆる心理的なうごきも みなそれらは 相手や世間の人びとに起こるのを感受することで生じます。 《わたし》には起こっていません。(その意味では すでに死んでいると表現しても構いません)。 もしこの《わたし》を取り戻していない場合には ですから 自分の中でも心理的な動きがさまざまに起こっています。心理的という意味は 大海にたとえられる心(精神)の表面におこる波風という意味です。台風までを含みますが あくまで海面上の出来事です。 ですから 虚脱感について脱皮するしないということがありません。充実感にしても 言ってみればすでに初めに充実していますので 一時的・部分的な充実感は おのれには無く あくまで周りからやってくるものです。 こんな感じでどうでしょう?
お礼
ありがとうございます。 要約すると、 「俺には充実感に満ちた日々も無ければ虚脱感に襲われる日もない。なぜなら既に死んでるから。」 ということでしょうか。 大工には少々理解しにくいです。
猪突さんの意見がすばらしいので参加したくなりました。 >「充実感を感じる時」「虚脱感を感じる時」をお聞かせ願いませんか? 集中しているときに充実感を感じ 虚脱感とは「ありたい自分」と「現実の自分」のギャップに直面したときに感じます。 その場合は、「現実の自分」に「ありたい自分」を引き寄せて可能な範囲で努力することが早期脱皮の秘訣だと経験上思っています。
お礼
ありがとうございます。 >虚脱感とは「ありたい自分」と「現実の自分」のギャップに直面したときに感じます。 私も同じです。 とくにその距離が段々大きくなるような気がした時、距離を縮める事が出来なくなったような気がした時に、虚脱感と焦燥感が頭をもたげてくるようです。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
私の先生の話をしましょう。その先生は例えば私の任された研究が巧く行っている時には、殆ど私のことを放っておき、「お前どうか?そうか、よしよし」で会話が終わってしまいます。ところが、先生のや私の出した考え方が巧く行かず、話しが混乱して来ると、先生の目がキラリと光り出します。そして、在ること無いこと、立て続けに機関銃のようにアイデアを出して来ます。その殆どのアイデアは外れです。しかし、肝心なことはその外れのアイデアを短時間のうちに一杯出してくることです。すると次々に失敗しているうちに、正しい答えがいきなり出てくる。だから、私が先生と一緒に落ち込んでいると記の時間は短かったです。また、落ち込んでいるときほど忙しかったです。どうも、落ち込んだときにこの機関銃を持っているかいないかが、物を創り上げることが出来るか出来ないかの分かれ目のような気がします。私の見て来た研究者の多くの方は、どうも落ち込んだ状態に長い時間でたっぷり浸かって、自分が悲劇の中心に成っていることを、スルメを味合うように味会っている節が有ります。そうか、ここがこの先生と他の人達との決定的な違いなのか、という気がしました。 実は、私はブラックホールの名付けの親のホイーラーという先生の話しを聞いたことがあるのですが、彼は「失敗をすることを怖れちゃ駄目だ。失敗をたっぷりしなさい。ただし、その多くの失敗を出来るだけ短い間にしなくては駄目だ。ゆっくり失敗しているなよ。」と言っていました。これも、私の先生と同じですね。挫折感や虚脱感やあっても良いが、その時には失敗の連続で自分を忙しくさせて、出来るだけ早くそこから抜け出せ、ということですね。 蛇足ですが、人間は失敗からのみ物事を教わると言っている方が居ります。だから、失敗による挫折感や虚脱感は必要ですら在るようです。ただし、転んだらその周りのどこかで1万円札を拾って起き上がってこいということらしいです。 新しい物が生み出される直前には揺らぎの増幅による混乱を必然的に伴わなければ成らないということを数理科学的に明らかにした、「分岐の理論」というのが在るのですが、気が向いたらそのことを調べて見て下さい。
お礼
ありがとうございます。 >失敗はできるだけ短い間にしなくてはだめだ この部分は本当に同感ですね。 人生で100回失敗する人が二人いて、一人は失敗一回当たり三日、もう一人は失敗一回当たり一月かけているとすると有限の人生で失敗度の大きな差がつきますね。 さて、研究で充実した日々を送って、その結果、ノーベル賞とかもらうとします。 その後に虚脱感ってのは襲ってこないもんでしょうか。 一つの研究で一生充実していることなどできないし、いつまでも研究を続けることもできないでしょう?
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お礼
ありがとうございます。 梵我一如ですね。 私はまだ幼少のころに人生が有限だということに気付いてしまい、夜な夜な、何度も母を困らせました。 ただ『生死の問題を発見した』子供になってしまっただけで、当時はあまりにも幼くこの大問題を突詰めて考えるだけの知性も無かったことが幸いし、ただただ夜毎に怯えるだけで、世捨て人になることもなく長じることができました。 一点、良かったことは、幼少にして大絶望を経験してしまったために、思春期から青年期、そして壮年期で経験する絶望が大抵は小絶望、高々中絶望と思えるようなったので、現世を放棄することもなく馬齢を重ねることができました。 現世でやらなければならない事、やっておきたかった事など、一通り経験し、そろそろ世間から必要とされなくなり、家族からも必要とされなくなる時期が見えてまりました。 そうすると、幼少のころ、寝床で母を悩ませた問題がまだ解決していないことを思いだすことがあります。 人生でこの問題が頭をもたげたときにどうすればよいかも解っておりますので、一夜の悪夢としてやり過ごしておけば、また一日を充実して過ごすことができます。しかし、そろそろ幼少の時に発見したこの問題を片づけ、『生死の問題が解決した』状態になれるか再度挑戦してみてもよかろうと思う事があります。 ただ、如何せん、私にとって最古の未解決問題で、この問題があたかも人生の伴侶のような感じですので、本当にこの問題を解決してしまってよいのだろうか、解決した後の人生ではどの問題と寄り添って行けば良いのだらうかと、要らぬ心配をすることもあります。 現世の雑事にかまけてかりそめの充実感を感じられた時期が終わろうとしている今、改めて梵我一如に取り組まなけれあばならないのかも知れませんね。