>ブラベクトルというのはなんかの暗号ですか?
私は論文を書いて来たせいで、文章の透明さにやたらに拘るんですね。拘ると言ってるんだから、反省の意味が籠っています。だから、こだわりのコヒーなんて大嫌いです。もう一つ、研究者として生き残って来たお陰で、根性が歪んじゃって、訳の分かんない不透明な文章を読まされると我を忘れて反応しちゃう。私の学生が訳の分かんない文章を書いて来たら、躊躇無くアカハラをします。ところで、日本にはアカハラってツグミぐらいの鳥がいるのご存知ですか。東京辺りでも一寸した広い公園などで見掛けることが出来ます。話しを元に戻して、だから、反省しちゃうのです。今回は、そんな子供じみた感情でまたbragさんにアカハラしたくなちゃったのです。でも、作文には米師大工さんのクーク・ラックス・クラウンのじゃなかった、キス・キック・キスの原則をきちっと守って作文したつもりです。でも、KKKの原則を守ろうとするとどうしても、もう一方の亡霊が出て来てしまうようで、ブラベクトルさんに対して、偏見に基づいた差別表現が出て来てしまうようです。
さて、ブラベクトルさんてbragさんということぐらいはお察しが付いているとは思いますので、他の意味を聞いているのだと思います。これは物理屋の傑作なお遊びの一つで、米虫さんお察しのごとく、ブラケットのブラです。20世紀の生み出した超天才の物理学者にディラックと言う方が居ります。彼は量子力学と特殊相対性理論を両立させた基本方程式を導いたイギリス人です。話しがそれますが、イギリス人て物理学史では特異点中の特異点なんですね。物理学には、ニュートンの法則、ハミルトンの運動方程式、マックスウェルの電磁気方程式、ディラック方程式、シュレーディンガー方程式、ハイゼンベルグ方程式、ラグランジュ方程式、リウビル方程式、アインシュタインの宇宙方程式の以上九つの基本方程式が知られているのですが、このうち始めの四人がイギリス人です。4/9とは凄い確率ですね。人によっては、ハミルトンとラグランジュとリウビルの方程式を一括りにする方もいるので、増々割合が高くなりますね。
さてそのディラックが量子力学で使う状態ベクトルと呼ばれる二つのベクトルAとBの内積を書く時に、数学者は(A,B)と書くのですが、彼はそれをベクトル<A|とべクトル|B>の積として、<A|B>と書くことにして、ベクトル<A|をブラベクトル、べクトル|B>をケットベクトルと呼ぶことにした。そしたら、この記号のお陰で計算が途轍もなく見通し良くなってしまったのです。だから、ブラケットは物理屋ではブラとケットで出来ているのです。
ノーベル賞をもらった先生の話しですが、先生はそれを戴いた後、2年ぐらいは、さてこれから何をしようかと悶々としていたそうです。そのまま、自分のやったノーベル賞の仕事の延長をやるのか、どうしようかと考えた。しかし、その仕事は先生は離れて最早一人歩きしており、年間それに関連する論文が数千出るようになっている。そんな状況では、自分は今後その分野の宣伝係や営業係になりかねない。そこで、先生は一大決心をし、自分がノーベル賞貰った問題の裏に潜んでいる問題で、物理学に残されているある大変重要な基本的な問題に全精力をつぎ込むことに決めたそうです。その問題は直ぐに応用がどうのこうのと言うレベルの問題ではなく、従って、そんなことをやっていても、研究費を出してくれるようなところは、常識的に考えたら先ずないのですが、自分がノーベル賞をもらったお陰で、それにお金を出してくれる機関を幾つも簡単に見つけることが出来たそうです。
ある時、ノーベル賞を貰ったことの意味は何にかと先生が聞かれたとき、
「それは動物園のゾウさんになったようなものだ。皆が自分を見た時、ほらあそこにゾウがいるよって言うみたいなことを言うんだ。しかし、もっと違った意味も他に在った。私がこれだけ応用とはほど遠い基本的な問題をやるのに、皆が私にお金を出してくれたのはノーベル賞のおかげだった」
と言っていました。先年ノーベル賞を貰った益川さんが言っていましたが、ノーベル賞を貰った後の感覚よりも、ノーベル賞を貰えた論文を書いた直後の何年も前のときの感覚の方が益川さんには決定的だったと言っておりました。ただし、論文を書いた後と言うのは、まだまだ続きがあるので、余り悶々とはしていられない筈です。きっと、益川さんもノーベル賞を貰った後、さてこれからどうしようと眠られない夜を送っている最中なのかも知れません。
お礼
ありがとうございます。 梵我一如ですね。 私はまだ幼少のころに人生が有限だということに気付いてしまい、夜な夜な、何度も母を困らせました。 ただ『生死の問題を発見した』子供になってしまっただけで、当時はあまりにも幼くこの大問題を突詰めて考えるだけの知性も無かったことが幸いし、ただただ夜毎に怯えるだけで、世捨て人になることもなく長じることができました。 一点、良かったことは、幼少にして大絶望を経験してしまったために、思春期から青年期、そして壮年期で経験する絶望が大抵は小絶望、高々中絶望と思えるようなったので、現世を放棄することもなく馬齢を重ねることができました。 現世でやらなければならない事、やっておきたかった事など、一通り経験し、そろそろ世間から必要とされなくなり、家族からも必要とされなくなる時期が見えてまりました。 そうすると、幼少のころ、寝床で母を悩ませた問題がまだ解決していないことを思いだすことがあります。 人生でこの問題が頭をもたげたときにどうすればよいかも解っておりますので、一夜の悪夢としてやり過ごしておけば、また一日を充実して過ごすことができます。しかし、そろそろ幼少の時に発見したこの問題を片づけ、『生死の問題が解決した』状態になれるか再度挑戦してみてもよかろうと思う事があります。 ただ、如何せん、私にとって最古の未解決問題で、この問題があたかも人生の伴侶のような感じですので、本当にこの問題を解決してしまってよいのだろうか、解決した後の人生ではどの問題と寄り添って行けば良いのだらうかと、要らぬ心配をすることもあります。 現世の雑事にかまけてかりそめの充実感を感じられた時期が終わろうとしている今、改めて梵我一如に取り組まなけれあばならないのかも知れませんね。