• ベストアンサー

生きている意味

生きている意味 日常のふとした瞬間に 「自分に生きている意味はあるのか」 なんてことを考えてしまいます。 「自分がいてもいなくても何も変わらない」 だとかずんずんマイナス思考になってしまうので 困りものなのですが、日常を過ごすうちに忘れているので それほど深く気に病んでいる訳ではありません。 皆さんもこんな気持ちになったりしますか? もしそうなった時、どんな風に立ち直りますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.12

NO10です。 補足で説明します。 聖書は明快にこの問題に答えています。 旧約聖書、伝道の書1章2節で「何とむなしいことか!」で始まっています。 大昔、イスラエルの王様であったソロモンという人は、 贅を尽くしたりありとあらゆることをしたと、その後の記録は続いています。 何をやっても分からない、知らない、むなしいと何度も登場します。 結論として12章13,14節では、 「すべてのことが聞かれた今、事の結論はこうである。 まことの神を恐れ、そのおきてを守れ。それが人の務めのすべてだからである。 まことの神はあらゆる業をすべての隠された事柄に関連して、 それが善いか悪いかを裁かれるからである」 ユダヤ教の背景を考えれば、まことの神とはヤーベ、もしくはエホバとなります。 特定の宗教に勧誘はしませんが、要するに正しい行いをしなさいという意味だと 私は捉えています。 正しい行いをするとは、自分のため、人のためです。 それが自分に返ってきて、幸福感を感じるのではないでしょうか? なので、そこに生きている意味や目的があるのだと私は考えます。 あなたのような人生の意味を模索している善意の人がいるからこそ、 社会は成り立っているのだと思いますよ?

kanako0222
質問者

お礼

たびたびのご回答ありがとうございます。 私も社会の一部になっているんでしょうか。 そうだとしたら嬉しいですね。

その他の回答 (11)

  • taekweng
  • ベストアンサー率17% (81/468)
回答No.1

もちろん考えることはありますよ。 たとえば鹿は、そんなこと考えません。タブン でも、虎やライオンに襲われた時、一生懸命逃げます。 子供がいれば、子供を護りながら逃げ遅れて襲われることもあります。 でも、その逃げることが鹿の戦いなのです。 「死ぬまで一生懸命生きる」これが大事なのです。

kanako0222
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 考えだすと止まらなくなるのでぐるぐるしちゃうんですよね。 哲学?みたいな。 一生懸命生きる、ですか…簡単なようで難しいのかもしれませんね。

関連するQ&A