- ベストアンサー
なぜ人は宗教を求めるのか?
- 最近漠然となぜ人は宗教を求めるのだろう?という疑問が湧いてきました。友人が宗教に勧誘された経験を聞いて驚きました。宗教についての知識も少なかったので、その友人から「創価学会も知らないの?!」と驚かれました。
- 宗教施設を見かけることが増え、人々が集まる様子に興味を持っています。宗教に入信する人の経路や理由、入信して良かったことについて知りたいです。
- 宗教に入信する人の心理や動機は様々ですが、自分だけでは満足しきれないという欲求や、職場や家庭での関係性の影響があることがあります。宗教に身を委ねることで、人々は心の安定や希望を見出すのかもしれません。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
宗教(教団)に入信するきっかけは人それぞれだと思いますが、私の場合、ある精神病で苦しんでいた時に知人に声をかけられたのがきっかけでした。苦しみから解放されるのならと藁をもすがる思いで入信したことを覚えています。 仏教のことは何も知らず、全く興味もありませんでしたが、とにかく言われるままに精進しました。精進といっても住居周辺の清掃や福祉施設でのボランティア活動がメインで、余裕があるときに布施をするくらいでしたが、不思議と半年ほどで病気は治ってしまいました。 確かに病気の苦しみから解放されたのは喜びでしたが、何より嬉しかったことは心にゆとりができたというか、考え方が自分でもびっくりするくらい前向きになれたことです。これは私にとっては初めての感覚でした。 どんな宗教であっても「大乗利他(他人に仕える)」を解く教えであればきっと良い宗教だと思います。また、そこの開祖の人生を知ることで、ある程度善し悪しの判断ができるかもしれません。 中には苦しいのは布施が足りないとか、他宗教を批判して布教活動をする教団があると聞きますが、それは仏教ではないですね。また布教についてはとても難しいところなのですが「自分だけでは満足しない」と言われるとそうなのかもしれませんが、自分良くなりたいというご利益心での精進は悟りに限界があるんです。仏教の根本はあくまで大乗利他ですから、いろんな執着を捨てて他に教えを語っていくことは、結果がどうであれとても功徳があると言われています。その功徳はまた信仰心となって現れる場合もあるでしょう。 立派な施設に関しても賛否両論あります。お金儲けは論外ですが、例えば大きな建物は贅沢していると思われるから小さな建物にした方が良いという意見と、仏様を奉るところだから最高のものにしようという意見です。多分どちらも間違っていないと思うのです。このように人によってさまざまな捉え方があるのですね。 仏様が望まれていることは、きっとこうした異なる意見や考え方をお互いが尊重できる真の和合平和だと私は信じてます。 長文になってしまいましたが、何かお役にたてれば幸いです。
その他の回答 (4)
- nontro_08
- ベストアンサー率19% (33/173)
質問者様の宗教に関する見解を拝見しました。質問者様が言われたように、宗教に関しては、世間では疑念を抱かれているのが実情でしょう。しかし、宗教には正邪、すなわち正しい宗教と誤った宗教とがあるのです。 まず、神や御教祖様におすがりして、多額のお金をお布施すれば救われると説く宗教なら、確かに誤ったインチキ宗教と言えるでしょう。いやそれどころか、カール・マルクスが言うように「阿片」で、有害ですらあります。 一方、正しい宗教とは、「神や御教祖様にひれ伏して、救いを求める」ものではなく、「自分自身に内在する無限の可能性を引き出す」ものなのです。教祖とか絶対者といった「外部のもの」に頼るのではなく、だれの内面にも秘められている、限りない知恵と生命力を開発していくものです。よってそこには「他の者にひれ伏してなんとかしてもらう」といった、人間を矮小化させる他力本願的、受動的な消極性はなく、「自分自身で自分の行動を決定付ける」という自律性、積極性があります。他の者に盲従して、自分を見失うことなど決してないのです。 そしてその引き出した「知恵や生命力」があれば、目前の課題や困難があっても、それらに立ち向かい、乗り越えていくことができます。あたかも山登りで、体力、脚力が弱ければ、登ること自体大変で、辛く感じられますが、体力も脚力も強ければ、周りの景色を悠々と楽しみながら登っていくことができるようなものです。 ところで、そのためには「生命と宇宙とを貫く根本法則」に基づく必要があります。それを仏法では「妙法」といいます。「妙法」とは「南無妙法蓮華経」(日蓮仏法)のことです。正しい本尊に向かい、「南無妙法蓮華経」と唱えることが、その「知恵や生命力」を引き出す具体的な実践です。これによって、生活上の行き詰まりが打開され、不可能だったことが可能となり、自在の境涯になれるのです。これを「宿命転換」とも「人間革命」とも言います。この日蓮大聖人の教えを正しく実践している世界唯一の教団は、「創価学会」だけです。真の正しい宗教は創価学会の中にしか存在しない、これが私の結論です。 「なんだ、お前はただ創価学会の宣伝をしたいだけではないか」「独善だ」と思い、しらけるかもしれません。しかしこれは事実なのですから仕方がありません。真の力ある宗教には「文証」、「理証」、「現証」の三証がなくてはなりません。文証とは、ある教義・主張が経文等の文献上で裏付けられているか否かという基準。理証とは、その教義が道理に適い、また理性のうえから普遍妥当性があるか否かという基準。また現証とは、教えを実践した場合、現実のうえでその通りの結果(功徳)が現れるか否かという基準のことです。三証の中でも「現証」こそが重要です。この三つが創価学会における信心の実践の中にすべて具わっているから学会は正しいのです。 一般論的な言い方ですが、人間には自分の心を律する羅針盤のような存在が必要です。世間は人の精神を堕落させる悪縁に満ちています。どんなに立派な決意をしても、結局悪縁に流されて、自分を見失い、破滅してしまう人間のなんと多いことでしょうか。そういう弱い心を律し、自分を良い方向へ高めてくれるもの。それが正しい宗教であり、また、正しい宗教を実践する団体における師匠の存在です。それこそ、創価学会と学会における最高指導者・池田名誉会長なのです。 こういったところで、質問者様は「はい、そうですか」と簡単に納得できるものではないでしょう。しかしながら、世間での創価学会の評価は、必ずしも真実を示してはいないのです。どうか、真の学会の姿を、質問者様にはわかっていただきたく願望するものです。
お礼
回答ありがとうございます。 とても難しいお話で多々理解するのが難しい私なのですが、貴重なご意見が聞けて嬉しいです。ただ私の中で読んでいて思ったことは、その宗教に属している方は「この宗教こそが」と思っているのですね(当たり前の話しですが)。 >世界唯一の教団は、「創価学会」だけです。 世界には沢山の宗教がありますが、はっきりとした明確な信頼というかそういうのを持っているのってやっぱり宗教って凄いですね。 私はどの宗教にも批判的な考えがあるわけではないのですが、よく「創価」という言葉を耳にするので意見が聞けて良かったです。ありがとうございました。
- conntian4
- ベストアンサー率40% (318/787)
日本人は古来より森羅万象を、つまり自然界のものを神とあがめ畏敬の念を持っていました。 巨石や樹木、川の水あらゆる自然界の物を「神」と見立て信仰の対象としてきました。 新興宗教の場合、経典よりも熱狂的なカリスマ性をもった教祖をあがめ奉り、 真実は教祖の言動にあり、と言うような思いで間違った方向に思考が進んで事件まで起こす結果となる場合があるのでしょう。 私自身は森羅万象を司る「奈良の大仏様」が好きですね。 大仏様自身が宇宙を表現し、全ての宗教の集約と言う感じがします。 宗教法人は税制のメリットも多々あるので。。。 入信の勧誘が多いほど「徳を積む」と表現するようですよ。 小冊子も自ら購入し、布教に努めると徳があがり、皆に慕われる人物になれるという事が囁かれ、まるで暗示にかかったように入信を勧めるのです。 宗教に入信するのは「死ぬ事が怖いから」と書かれた物を読んだ事があります。 その不安感を煽り、信者を獲得するのでしょうね。 キリスト教は輪廻転生が無く、この世は一回限り。 私の親戚は、転勤が多く、その地域ごとに教会があり、そこに行くとまるで旧知の仲のように接してくれ淋しくないからと入信しました。 また違う親戚は、指を切断する事故で入院の時、2~3人の初対面の人物が入信を勧めたそうです。 弱みにつけ込むのは、宗教の本音の部分でしょうね。 因みに私はミッション系の学校卒ですがキリストの「我々は。。。」の表現が 唯一神として違和感のあるものなので、質問して教師を困らせました。 ですから無宗教ですし、何教だからと非難することはしませんが唯一自分の中では 「自然宗教」なのかなと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >転勤が多く、その地域ごとに教会があり、そこに行くとまるで旧知の仲のように接してくれ淋しくないからと入信しました。 これが自分ならばと考えるとすごく分かる気がします。なるほど!と思う一番の回答な気がしました。
- ma3zu
- ベストアンサー率27% (285/1036)
入信の経路は十人十色かな、 たまたま見つけたり、布教活動に誘われてセミナーに行ったら感化されたりとか そういうのも含めて「出会い(導き?)」によって引き寄せられたということかな 布教するというのは自分たちが受けた幸福を多くの人に分けてあげて 幸せを広めることで自分たちも幸せになるという事を信じたりしているわけです。 入信するのはきっとそこの教えに 自分の抱えている悩みなどの答えやヒントがあったりするのではないでしょうか 自分はひとつの宗教を選ぶ事が難しいですね それぞれがそれぞれ「確かにその通りかも」と思える教えがありますから
お礼
回答ありがとうございます。 私も一つの宗教を選ぶというのが難しいということに同感です。 この言葉はすごく共感できるとか、この考えは仏教だったんだ、キリスト教だったんだなんてことがありました。確かにその通りかもと思う教えはちりばめられているように感じますね。
- myeyesonly
- ベストアンサー率36% (3818/10368)
こんにちは。 私はちょっと例外的回答ですが。m(__)m 私には何かと勝手に弟子入りしてくる人が結構いるんです。 弟子を取る趣味はないのですが、断りきれず、フルートで4人ほど手ほどきしました。 何かと言うと教祖様?状態に頼られるというのか、あがめられるというのか、私自身訳の判らない存在です。 私は人を頼る事が大嫌いなのですが、世間一般では人は誰かに頼らなければやっていけない、という方が普通のようです。 その「誰かに頼る」心が、宗教の根源ではないでしょうか。 元々、人間の根源的部分に「誰かに頼りたい」という部分があって、特に、精神的に参っている時、頼りがいのありそうな人を見ると、心酔してしまうのが宗教の最も原始的な姿だと思います。 心酔させてしまえば、あとはいいなりですからお金を巻き上げる事も簡単なのでしょう。 現在の日本では新興宗教はいい商売のようです。
お礼
回答ありがとうございます。 入信する回路というのがすごく分かりやすかったです。 頼りたいという気持ちが心を支えるという点は自分にも当てはまるなぁと思いました。
お礼
回答ありがとうございます。 体験談を聞かせていただきありがとうございます。なるほど~と思う事ばかりです。 建物に関してもそういう考えがあったのですね。