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村上春樹が過小評価されていたと言う話をよく聞きますが
それは、いつごろの話ですか? 「ノルウェイの森」なんかは、確かに文学通の人間からすれば 物足りないというか、軽薄で大衆的な作品だととられても仕方ない気がしますが、 (あれだけ売れると、評価されにくいという面もあると思います。) 「ねじまき鳥クロニクル」あたりは、誰がどう見てもすごい作品だと思います。 (もちろん好き嫌いはあると思いますが、同時代の日本文学の中では突出した作品だと思います) 過小評価されていたのは、いつごろの話なのでしょうか? 「ねじまき鳥」のような作品ですら、反応はよくなかったのでしょうか。 発行部数とかではなく特に論壇や、文学通の人達の反応が知りたいです。
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- beingpeace
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文学評論研究者からは過小評価され、一般に読まれている人からは高い評価を受けているのは、それほどめずらしいことではなく、良くあることだと思います。 特に村上春樹の作風は理解できる人にしか理解できないように書いてあるため、高学歴の蓮見重彦や柄谷行人等からは評価されないのでしょうが、それぞれ見る視点が違うのですから、一概に評価が低いとは言い切れないと思います。 そもそも、蓮見重彦の存在を誰が知るのか、そちらの方が疑問です。良く知る人でも、ああ昔東大総長だった人ね、くらいだと思います。
- rkd4050
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wikiを読んだ上で重ねて質問されている理由が、よくわかりませんが。あれ以上の概要はありませんし、あそこで取り上げられている批評家の論文を読めば、かなり詳細に村上春樹に対する評価は分かるはずです。 単純に、村上春樹に対する評価が変わった時期があるのか? という質問なのでしょうか。 だとすると、ほとんど一定です、というのが答えになります。 肯定派はずっと肯定し続けているし、否定派はずっと否定し続けている。 「過小評価されていた」という話をどこで聞いたのかは知りませんが、そういう傾向は実際には見受けられません。 もう少し突っ込んで言えば、村上春樹が巧い作家であることは初期の頃から認められています。ただ、その技術の使い方が問題視されているのです。それで「詐欺のような小説」と言われるわけですが、巧妙な詐欺であるほど悪質であるのと同じように、否定派にとっては、村上春樹が巧くなればなるほど、否定する材料が増えてしまう構造になっています。 『ノルウェイの森』に比べて『ねじまき鳥クロクニル』が技術的に向上しているのは、おそらく大方の読者が認めるでしょうが、だから評価が好転するということは、村上春樹という作家にはありえないわけです。
お礼
wikiはネット上で目を通しましたけど、原文までは読んでません。 あの中にでてる人物で社会的影響力が強いのは大江健三郎、柄谷行人、蓮實重彦だと思います。 wikiにのってる彼らの言説は初期の作品群に対してのもののようなので物足りなく感じてます。 それに、論壇だけでなく一般の文学通の読者の評価も気になっているので質問させていただきました。
- rkd4050
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村上春樹の評価については、wikipediaにて概要があります(参考URL)。 かなりうまくまとめられていますので、そちらを参照するとよいかと思います。 過小評価されていたという話は、おそらく、芥川賞を2度受賞し損なったことを指しているのだと思います。 文壇での評価は、ずっと真っ二つです。その理由を簡単に言うと、村上春樹はラフプレーを多用する作家だからです。それが持ち味だと言う人と、正々堂々とやれよと言う人がいる、という感じ。 詳しく知りたければ、両派の論文を読み比べてみてください。
お礼
さすがにwikiくらいは読んだ上で質問してます。
お礼
文芸評論の世界での過小評価は現在進行中のものではなく過去のものというのが私の認識です。 再評価の契機が、「海外で評価され始めたから」なのか「作品に凄みが出てきたから」なのかが気になります。 もしかしたらただ単純に、「大江健三郎、蓮實重彦、柄谷行人の影響力が低下した」だけ? あと一般の文学通の読者の反応も知りたいです。