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新撰万葉集巻之上第37歌と慕景集第28歌の関係について
- 新撰万葉集巻之上第37歌と慕景集第28歌に関する質問です。
- 「如此時不有芝鞆思倍者一年緒惣手野春丹成由裳鉋」という歌の意味や作者の不明な点について尋ねています。
- また、新撰万葉集巻之上第37歌と慕景集第28歌の関係が本歌取りであるかどうかについても質問しています。
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「新撰万葉集」「画像」で検索なさってみてください。「谷本蔵寛文七年版『新撰万葉集』(上巻)画像」というサイトがあります。 さらに「6ウ(本文4ウ)」をクリックなさると問題の和歌が出てまいります。 和歌の左に漢詩(七言絶句)がありますが、この漢詩との関連で考えていただければ、Q3以外の答えは出そうです。いかがでしょう。 例によって資料紹介だけです。考える楽しみはとっておきませんとネ。
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- SPS700
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Q1。「こんな時」すなわち「今」 Q2。「こんな時」は二度とないと思うから、ですから Q3。ここが研究者の腕の見せ所 Q4。本歌取りの定義は下記に三つ出ています。 http://dic.yahoo.co.jp/search?stype=0&ei=UTF-8&dtype=2&p=%E6%9C%AC%E6%AD%8C%E5%8F%96%E3%82%8A それを合わせると (1)本歌が、よく知られた古典であること。 (2)第1句か、第2句が使われていること。 (3)語句や、趣向が似ていること。 したがって、条件の(2)(第一句の「かかるとき」が同じである)は満たしていると思います。(3)は語句は似ていますが趣向が似ているかは疑問です。第一条件ですが、『慕景集』(下記)は太田道灌(1432-1486)の作ですから「古典」ですかね?こういった理由で本歌取りではないような気がします。 http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-ymst/yamatouta/sennin/doukan.html
お礼
小野寛著「新選万葉集抄」(笠間書院)は手にしてみました。この書は『「新撰万葉集」の「抄」』ではなく、『小野氏が新たに選んだ「万葉集」の「抄」』であることが判りました。よって、この書籍に「新撰万葉集」からの採録はなく、今回の質問に直結した手掛かりは得られませんでした。とんだ笑い話です。 後日談としてご報告まで。
補足
拝見しました。お礼を兼ねて疑問を記しておきます。 疑問1 >> Q1。「こんな時」すなわち「今」 >>Q2。「こんな時」は二度とないと思うから、ですから これで正しいのかもしれませんが、少々面食らいました。 道灌作とされる歌の場合、「かかるとき」=「今」と答える人は少なくて、見識の違いにより、「かかるとき」=「道灌自身が賊に襲われ臨終のとき」、あるいは、「かかるとき」=「中村冶部少輔重頼が敵の武将を討ち取ったとき」とか答える人が多いのではないでしょうか。これに準じた回答を期待していました。 研究者といえどもこの歌の字面以外の情報は一切掴んでいないのだという意味ででもあったでしょうか。 (参考1) http://たけし.jp/jyozan/jyozan014.html 疑問2 >>本歌取りではないような気がします。<< 分かりました。しかし、依然として本歌取りの条件を備えている可能性も残ります。 (1) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%92%B0%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86 によると道灌にとっても慕景集の作者にとっても室町末期の歌に明るい人達にとっても、新撰万葉集は「よく知られた古典であった」かもしれない。 (2) 「かかるとき」が採用されている。 (3) 趣向や歌想が似ているか否かは、Q1、Q2に答えられないと判断できない。 (参考2) 『慕景集』の作者についてですが、新編国歌大観には「江戸後期以後、道灌の作ではないことが定説になっている」、「作者は今も明確にされていない」などの記事があります。この説を承知の上でのご発言かもしれませんが。 なお、その後、小野寛著「新選万葉集抄」(笠間書院)の存在を知りました。疑問が解けるか否か手に取ってみようと思っています。
お礼
拝読しました。 「如此時…」の和歌にも、「偸見年前風月奇…」の七言絶句(以後、漢詩)にも分からない点があって自信のもてる直訳が出来ません。それ故、自信のある意訳もできません。 その後、「新撰万葉集注釈 巻上 1」、「新撰万葉集注釈 巻上 2」(新撰万葉集研究会編、和泉書院)の存在を知り、これを通覧した後にお礼文を記したいのですが、手元に届くのに時間が掛かりそうですので、只今現在の感想めいたものを記してお茶を濁してしまいます。 1.Q1の件 「如此時」とは漢詩のいう転句と結句、もっと絞ると転句、さらに絞ると「春天」を意味するということになるのでしょうか。 ところで、起句にある「年前」に重要な意味はないのでしょうか。陰暦の新年(現、2月3日頃?、春の到来?)と何らかの関係があるような匂いを感じます。その場合、「如此時」=「年前」という可能性もあるのかもしれません。 結句の「觴を携え」だと答える粋人も居られるかも(?) 2.Q2の件 「不有芝鞆思倍者」とはQ1でいう「如此時」がそんなに度々あるとは思えない、ということでしょうか。Q1と密着しているのだと思います。 3.Q4の件 慕景集の第28歌は生を強く肯定した上での生への執着の否定で武士道の真髄を歌ったものでしょうし、新撰万葉集の方は一年中日々、天然自然を憐れむべし、との意のようで(?)両歌は本歌と本歌取りの関係にはないように思えます。 以下は余談です。 4.小野寛著「新選万葉集抄」(笠間書院)の早とちりは、お笑いでした。嘗て「***の早耳」という言葉がありました。私のは「+++の早見え」です。 5.質問文投稿前の国歌大観を閲覧した時点で、第37歌として「如此時…」の歌と、第38歌として「偸見年前風月奇…」の漢詩が併記されているのを承知していました。しかし、その時点では両詩の関係が意識になく素通りしてしまいました。猫と小判の関係です。 6.「6ウ(本文4ウ)」の漢詩に見える「多メ感」とは何と訓じるのか。「感をヒロメ」とでも読ませるのか。国歌大観では「多感(たかん)」として熟語で読んでいました。 7.「如此時…」の歌の「一年緒 惣手野春丹 成由裳鉋」の「惣手野春丹」とはどういう意味なのか、文法の上からは説明できませんでした。よって意味も掴みきれませんでした。2文字を入れ替えて「一年野 惣手緒春丹 成由裳鉋」とすれば文法の上からは疑問がありません。しかし、意味の上からの異同が判断できません。 8.和歌と、その翻案である漢詩の作者は同一人物で、しかも編者自身ではないのか(上之巻は道真?)。この巻は編者の個人用ノートであって世間に流出することを想定していなかったのではないか。そうだとすれば作者も、如何なる状況下での作歌であるかも編者自身が承知していればよいことで殊更序詞を記す必要はない。また、力量さえあれば容易に漢詩に翻案できる。 序詞がなく、漢詩がなく、ただ「如此時…」の和歌だけを見て、これを名歌だと評価できるものか否か疑問です。少なくとも「如此時」がどんな時であるかを承知していない者には、この歌の良し悪しを評価出来ないと思います。 これは門外漢のみに許される大胆発言です。 ご紹介のサイトの1オ(序文1オ)、1ウ(序文1ウ)、2オ(序文2オ)、2ウ(序文2ウ)辺りを読めば手掛かりが転がっているのかもしれませんが、その能力も根気もありません。 「新撰万葉集注釈」を通覧して後、何かしら理解が進展するか否かを見極めてから締め切ろうと思います。その際には補足欄に何かしら記します。但し、相当時間が掛かりそうですので、このシステム下でそれが可能か否かの調べは済んでいません。 有り難うございました。
補足
以下はお礼欄の後日談です。問い合わせはありません。 前略、「新撰万葉集注釈 巻上 1」(以下、「注釈」)は手元には届いていませんが、短時間ながら閲覧できました。新たな疑問は派生するものの、当面の答えは出たと考えます。 以下は先刻、ご承知なのでしょうが教えを乞うた立場の事後処理として報告し、お礼に代えます。 「如此時 不有芝鞆思倍者 一年緒 惣手野春丹 成由裳鉋」・・・・・質問文の表記、国歌大観。 1.「惣手野春丹」について 「注釈」によると、「寛平御時后宮歌合十巻本」及び永青文庫本では「すべては春に」とあり、「寛平御時后宮歌合」桂宮本では「すべつつ春に」となっているそうです。「すべて」は動詞「統べる」の連用形に「て」が付いたものであろうと推測し、「すべての春に」の解釈は「すべては春に」や「すべつつ春に」と同じでよかろうといっています。 これなら私にも、歌意は鮮明です。門外漢が迷うのは強ち無理はなさそうです。副産物として、「全て」は「統べる」と同根らしいと気がつきました。 2.漢詩に関して 「年前」は「歳前」の表記もあり、「年が明けるまで」、「年内」を意味するそうです。ここでは「年の暮れ」というよりは「この一年のうちに」と解するのがよかろうと述べていました。 また、「多感」は熟語で読んでいて「多メ感」の訓じ方は不明でした。 3.「注釈」によると「新撰万葉集」に先行する「寛平御時后宮歌合十巻本」に当該和歌が収録されている(「かかる時あらじとおもへばひととせをすべては春になすよしもがな」)そうです。それなら、当該和歌の作者は「寛平御時后宮歌合十巻本」に収録されている作品の詠み手の誰かであろうとまでは推測がつきます。 ところが、「寛平御時后宮歌合十巻本」には読み人知らずが大量に採られていることと、そもそも「寛平御時后宮歌合」そのものが机上での選択による架空の歌合であって史実ではないとの説まであるらしく(国歌大観、巻5)、作者の追及は闇に消えてしまいました。 4.漢詩の作者について 「注釈」は、「新撰万葉集」の序文の第6段に、「先生は和歌の華麗を楽しむだけでなく、絶句を作り数種の和歌の左に差し挟んだ。」との記述があることを述べています(ご紹介のサイトの「2オ(序文2オ)」の最終行に「先生」が見える)。 この先生とは誰なのか、道真自身ではないのか。これには誰かしら研究者が何らかの結論を出しているのだと思います。もっとも、この「先生」が「先帝」となっている資料も存在することを別の書籍が述べていました。「新撰万葉集」は分からないことだらけ、みたいな印象をもちました。 5. 「新撰万葉集 巻之上」が道真の個人用ノートであるか否かを念頭に置きつつ「注釈」、その他を読みましたが依然としてイエスらしいとする記述にもノーらしいとする記述にも出合えていません。こういう乱暴な疑問をもてるのが門外漢の楽しみです。 6.Q1もQ2も「これほどすばらしい春」、Q3は不明、Q4は否、が今日の私なりの結論です。 新渡戸稲造著、「武士道」の記述にあった、俗に言う道灌の辞世の歌から派生した疑問が、これにて全て解決しました。 大変、お世話になりました。有り難うございます。