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宗教を信じる(または勧めてくる)人への対処方法ってありますか?
宗教を信じる(または勧めてくる)人への対処方法ってありますか? 私はいわゆる2世といわれるもので、キリスト教のプロテスタントを信仰する母に育てられたおかげでその影響を人生に色濃く受けて育ちました ただ、小さいながらに教会の裏の面も見て育ってきたのと、(見栄の張り合いや派閥争い等) 個人的にキリスト教に対し魅力を感じない事もあって教会への誘いは断固拒否しています ただ、やはり母からは「神様がどうのこうの…」と話を聞かされたり、 教会の人からも誘いのメールや電話が来たりするので非常に苦痛を感じています 一般的にキリスト教は穏やかなイメージを持たれていますが、それは本当に最初だけなんです 慣れてくると強引な家庭への干渉や、行動制限が待っています どんなに「私は2度と関わりたくない」と言っても、「本心ではそう思ってないでしょう」としつこく関わろうとして来ます(あの意味不明なポジティブさは何なんでしょうか?) 一応、実家を出て一人で暮らしているので母親と会うのは月に2・3回ほどなんですが 彼らは一生私の人生に関わる気まんまんの様で、どうすればいいのか悩んでいます… 県外へ出て行ってもいいのですが、もう先が長くない祖父母の事が気がかりですし、このまま逃げるような生き方をするのも癪です なるべく着信拒否や実家に寄りつかない等、関わらないようにするしか平安に生きる方法は無いんでしょうか? 同じ様な経験をされた方がいらっしゃれば、ほんの少しでも良いのでお知恵を拝借させて頂けないでしょうか? どうか、お願いします
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- mdh57
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ただ、「拒否」するのではなく、その人達に、「なぜ拒否するのか」を、説明すれば納得してもらえると思います。しかし、そのためには「なぜか」を、きちんと説明しないと納得してもらえないと思います。 私事で恐縮ですが、私は仏教の「法華経文底独一本門(無神論)」という信仰をしています。 これは、10年間かけて勉強と経験を積み重ねて出した結論です。 前半は、外道(キリスト教などの神論)や爾前教(日本人が仏教だと思っている教え)を学び、 後半で法華経を学び、最終的に文底独一本門(無神論)にたどりつきました。そして、邪宗や占い師など、(もちろんカルトも)信じたり、それらにお金を出すのも誤りだと気づきました。 10年かけてしっかり宗教比較学を勉強してきたので、他の人より少しは詳しいです(まだまだ勉強不足ですが)少しでもお役に立てれば嬉しいです。
- saesayaka
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現在、うちも親が信仰しているのですが、しょっちゅう顔を出したらとか言ってきます。私も嫌なので、そのうちね~と答えていますが、自分にかかわりがなければ、宗教や信仰自体を否定しているわけではないので、親・親戚に何か言われても気にしていません。 実は、母に『今薦めてもすんなり行くことがない人や信仰することがない人は、そういう時期なのではないか。信仰しないで不幸になったり、大変なことになったりしても、そのことから何かを学ぶ時期なのではないか。薦めるのはいいけど、行かない・信仰しないという選択は残さないといけないと思う。信じない人や嫌う人は、その信仰とかに入った時に、そういう人の気持ちもわかるから、余計にそういう時期とかあったほうがいいのではないか?』とゆっくりと穏やかに言って、一度黙らせました。 また、その時、母に『私が信仰をした方が幸せになれると思って言っている親心はわかっているけど、そのことと信仰を喜んですることができないという自分を理解して欲しい』と伝えました。 それから、前よりも楽な感じになりました。 もちろん、いまだに言ってはきますが、そのうちね~とか、まだ今はそんな気持ちにはならないんだよね~と言うだけで、黙るようになりました。母的にも色々思うことはあるのでしょうが、信仰とかを勧めることを話すことによって、大丈夫なの?幸せなの?みたいな確認もかねてるようです。 体験談でした…。
- Us-Timoo
- ベストアンサー率25% (914/3620)
ご質問者は凄いですね。 自分にかかっている信仰をちゃんと冷静にみていらっしゃいますね。 どこぞのなんたら学会の信者とはえらい違いです。 さて、ひとつお尋ねしますが、信仰そのものに対してはどのようにお考えなのでしょうか。 もしも、信仰自体は嫌ではなく、その周りの環境に辟易しているだけなら信仰自体はやめる必要はないと思います。 ただ、ご家族には 「自分は、色々な活動に参加しないし、関わるつもりはないから」 とキッパリ宣言しましょう。 悪口や陰口をいう必要はないですが、親御さんのやっている宗教活動は自分が目指していることでもやりたいと思うことでないことをきちんと態度でしめしましょう。 もしも、今の信仰をすること自体が嫌なら それをキッパリと宣言して態度でしめしましょう。 そして、今回のご質問者に限らず、なんたら学会の場合もそうですが 自分が関わるつもりがないなら、キッパリ断る態度を示し、何があっても揺るがない信念を持って断り続けることです。 例え、罵られようと泣かれようともです。 ご質問者が信仰してもしなくても、宗教活動に関わろうと関わらなくても 誰も不幸にはなりませんし、害を与えるものでもありませんから。
お礼
お礼が遅くなってしまい、本当に申し訳ありません 回答ありがとうございます >ひとつお尋ねしますが、信仰そのものに対してはどのようにお考えなのでしょうか。 これを説明するのは非常に難しいです・・・ 私としてはキリスト教を今後信仰する事はまずありません かといって他に信仰する対象を探す気もありません では、特定の宗教を信仰する人を否定するのかと聞かれればそうではなく、それらは尊重されるべきだと思っていますし、信仰心そのものに対しては素直に尊敬する気持ちすらあります 厳密に言うと私は無宗教論者ではありません 神の存在も否定はしません 自分も含めた「人が作った宗教」に関わる気が無いのです こう言うと「本当は未練があるのだ」と勘違いする人が多いのが悩ましいですが・・・ ちなみに母親と教会に対しての決別宣言は、1年半ほど前に既にしてあります 理由は今までの葛藤も含めて色々ありますが、一番の要因は大切な人を教会のコントロールによって失った事です そのうえでの今の状態ですので、なんとも形容し難い状況です 確かに何が起こっても揺さぶられないようにしなければ、この状況から抜け出すのは難しいのでしょうね 私に足りないのは良くも悪くも覚悟なんだと思います
- yu-taro
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こんばんは。 これはなかなか難しい問題で、宗教によっては、病気になっても輸血を拒否し続けて、子供を死に至らしめて逮捕された事件が何度も起こっています。 これは極端な例ですが、宗教によっては生活の根幹に深く干渉してくることが少なくないと思います。 私の親戚に新興宗教の信者がいますが、付き合いはほとんどなく、親戚の間でも孤立した状態です。以前に何度か家に来てその宗教の広報誌などを持ってきていましたが、親戚の間では皆煙たがっていますし、我が家でもほとんどまともに相手をしていないのが実情です。 別の親戚の人で宗教の問題が嫌で家を出た者もいます。 対処方法としては、興味ないから関わりを持たないとはっきりと意思を伝えることが必要です。あとは、あまり接触を持たないことだと思います。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありません 回答ありがとうございます 確かにとても複雑で簡単に答えを出す事のできない問題だとは認識しております 私の母が所属している教会は、例に挙げられた輸血の問題の様に一般に認知されているいわゆる「カルト宗教」ではなく、本当にごくごく普通の教会だったりします(あえて名指しはしませんでしたが、お気を悪くされた方がいらっしゃいましたら申し訳ありません) ですがたまに信徒全員が客観性を欠いて暴走してしまう事が珍しくないのです そして教会内だけでなく、小さな教会同士のいがみ合いも深刻です ある意味、そういった末端の教会まで蝕まれてしまっているのが今のキリスト教界の現状なのでしょう きっと他の宗教も同じ問題を抱えているのだと思いますが おっしゃるように宗教が生活の根幹に深く干渉してくることは少なくなかったですね、 むしろ多かったです 子供のころから「宗教をやっていなければスムーズに事が進んだのでは無いか?」と思うような身近な問題に常に悩まされてきました 勿論、関わりを持ちたくない事は明確に意思表示してあります 自分が何をすべきかは本当はよく分かっています ただ宗教は本当は人生を豊かにする為のものなのに、なぜこんな事になってしまうのか、 なぜ自分(特に精神面)を守る為には家族を傷つける道を選ばなければならないのか、 この矛盾に苦しめられています やはり答えは誰にも見つけられないのでしょうね、きっと
実際に私の知人がやったことですが、あまりにもお母様に対しては荒っぽすぎると思うのでお薦めはできませんが、こんな人もいたということでご了承ください。 その知人もお母様が熱心な信徒でした。 質問者さんと同じように教会での嫌な部分や、信徒同士のいがみあいなどが嫌で成長とともに距離を置くようになったそうです。 でも、そんなことで納得してくれるはずもなく、大変に苦しかったようです。 それと、早くに寡婦となられていたためか、恐ろしいほど子供の交友関係、恋愛関係などのチェックは厳しく 知人が入浴しているあいだに財布の中のレシートまで調べられていたこともあったようです。 その知人とは仕事を通じて23歳のときに知り合ったのですが、同じ新入社員であったこともありましたが 私が大学で西洋史を専攻し宗教学も多少はかじっていたため自然と相談されるようになりました。 私以外の人間は、知人が信徒であったことも知りませんでした。 ある日、ちょっとした口論から、絶対に言ってほしくない一言を言われてしまったそうで(その内容は知らされませんでした)、お母様の目の前で聖書を燃やしたそうです。 あとの騒ぎは想像できると思いますが、3年ほどは完全に音信不通の状態だったようです。 その間に私は仕事をかわり、その知人との連絡も稀にしかとらなくなっていたのですが、聖書事件から5年ほどたった頃、話をすることがありました。 「“悪魔の子”なんて呼ばれたけど、その悪魔の子を生んでしまったのは母親だからさ」 とかって笑ってましたが、身体を壊して入院しているお母様の金銭面での援助はしているとのことでした。 「一生解り合えるとは思わないけど、親だから。 お金で援助できることはするけど、母親と直接話すつもりはない」 とも。 知人ほど割り切れる人はなかなかいないと思いますが、お祖父様が理解を示してくれたそうで、それが救いだったとも言っていました。
お礼
お礼が遅くなってすみません、複雑な話なのでまさかこんなに早く丁寧に回答いただけるとは思っていませんでした ありがとうございます ご知人の方、とても苦労されたのですね sakireiさんの様な理解してくれるご友人がいる事がとても羨ましくもあり、嬉しくも思います 恐らくご友人のお母様と私の母は同じタイプなのではないかと文章を読んで感じました そして、とても辛い道をお選びになったんですね 確かに肉親を傷付けてまで(本当は親が子を傷付けてしまった結果なのですが)自分の人生を選ぶことは生半可な覚悟では出来ないと思います 恥かしい話ですが、実を言うと、今までに何度も県外へ逃亡し現地で挫折を味わったり身内の入院等が理由で、その都度地元へ戻ってきてしまい今に至っております はたから見れば私の行動は奇怪以外のなにものでもないでしょう 割り切って受け入れる事も、悪人になって逃げ切る根性も無く、自分の覚悟のなさが非常に情けないです ですが、ご友人の出した決断に結果理解を示してくれる人がいる様に、 きっと私にも私なりの最善の方法があるのだろうと思って、希望を捨てない様にしたいと思います 普段耳にする事の出来ないお話を聞けて参考になりました 本当にありがとうございました。
お礼
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません 回答ありがとうございます saesayakaさんの対応はとても適切で理にかなっていますね、感服しました 確かにこちらの態度が硬化すれば、あちらも強引な方法を取らざるを得なくなるのかもしれませんね 宗教としてそれはどうなのかとは思いますが、それが人間の心理なのでしょう 勿論、親心も分かってはいたのですが・・・ 私の場合憎しみの方がどうしても勝ってしまって、母と話すとつい感情的になってしまい抑えが効きません これを書いている今ですら、何度想像しても母と教会に対して穏やかに対応できる自信がありません 実は似たような対応なら、以前に何度かやってはみたのですが・・・ これは多分、私と母の親子の問題でもあるのだろうと思います 自分の親ではあるのですが、どうしても彼女のした事、そして彼女をその様に変えてしまった教会を生理的に許す事が出来ないんです 義憤と個人的な感情がない交ぜになった複雑な感情です もっと大人になって割り切る必要があるのでしょう 憎しみが何も生まないのは理解しています 長年、時間をかけて理解する努力はしてきました きっと、もっともっと時間をかけて努力を続けた先に、saesayakaさんの行き着いた答えを出せるのかもしれません とても参考になりました 自分なりになんとか頑張ってみようと思います