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主人方がクリスチャン。子供が生まれたら・・・
こんにちわ、よろしくお願いします。 主人の実家は車で遠方の他県、私の実家は今の住まいのすぐ近くです。 義父がプロテスタントを信仰しています。 義母は嫁いでから義父について教会に通い出したのもあってか、子供達にも私にも教会へ行く事を強要することはありません。 よって、主人は幼児洗礼は受けているものの、今では帰省しても教会に顔すら出さない状況で、 帰省すれば私だけが義父母と一緒に教会に挨拶に伺うような感じです。 主人は今後、信仰告白もするつもりはないようです。 私は浄土真宗を信仰する家に育ちましたが、両親とも私がプロテスタント家系に嫁ぐ事には反対はしませんでした。 主人の実家の教会にも来て、「婚約式(結納のようなもの?)」にも普通に参加してくれました。 我が家は割と柔軟な考えを持っている方だと思います。 さて、このたび私に妊娠が発覚しました 今後「戌の日」や「初宮参り」「七五三」などの行事をどうすればいいのか悩んでいます。 主人も幼少時から教会で育ってきているので、そのような行事も経験しておりませんし、 やはり教会でするもんじゃない?と漠然と考えているようです。 (私からすれば、主人のその適当さがすごく嫌でもあります) 義父が敬虔な信者なのですが、神社などに行く事をあまりよく思っていません。 主人の実家が近ければ問題ないのですが、 このような行事のたびに主人の実家へ帰省し、教会へ伺うべきなのか・・・ (現在、もし万が一私たちに不幸ごとがあった時のお葬式でさえ、宙ぶらりんの状態なのです) 私としては、出産前や出産直後に遠方に出かけるのは大変ではないかと思ってしまいます。 知識不足で申し訳ありませんが、お宮参りは主人方の母が赤ちゃんを抱くのが主流なのですよね? そうなるとやはり、私の両親も一緒に彼の実家の教会へ行くことになるのでしょうか? とても難しい問題ですし、主人と義父母が話し合うのが一番だとはわかっているのですが、 もしプロテスタント(クリスチャン)の方や、ご主人方がそうである方、 また、こういう距離の問題がある方はどのようになさってきたのか聞かせていただきたく、質問させていただきました。 ※ 私がプロテスタント信者ではないため、言葉や見解が間違っていること、また、発言の中に失礼な文言があったらすみません
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曹洞宗の僧侶です。 すでに多くの方が回答されているのですが、蛇足ながら少し補足させて下さい。 「戌の日」「初宮参り」「七五三」といった、子供の誕生を祝い、成長の無事を祈る行事は、仏教や神道の教義(おしえ)に根拠があるわけではありません。あくまでも日本の風土習慣に基づいているもので、それ自体は「宗教的な」行事ではありません。 ですから、「七五三」だから神社にいかなければ‥‥と思い悩む必要はありませんし、お守りもどうしても神社やお寺で受けなければいけないというものでもありません。 iconoclasmさんのお悩みのようなケースの根本にあるのは、たとえば仏教とキリスト教といった”宗旨の対立”ではなく、実は”信仰の不在”ではないかと思います。 自分が何を信仰しているのか、という態度が明確であれば、「○○教の慣習にない行事はしない」「○○教の慣習にはないけれども、良い機会なので日本の習慣として、自分なりのスタイルで祝いたい」といった風に、どうすれば良いのか自ずから決定できるはずです。 信仰を持つということは「何かに縛られる」のではなく「何から自由になる」ことだと思います。 両方のご実家の宗旨が何であれ、まずiconoclasmさんのお家(ご主人とiconoclasmさんのご家庭)が何を信仰されるのか、ご主人とよく相談されてはいかがでしょうか。 初産の方が出産前や出産直後に遠方に出かけるのは、信仰云々とは関係なく、とても大変だと思いますので無理をなさらない方が良いと思います。
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- katyan1234
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読んでわかります。まずクリスチャンの立場から言えば戌の日」や「初宮参り」「七五三」などの行事はありません。 後はご主人がどのようにいうのかが問題 良いというなら義父母に黙ってやればいい >主人と義父母が話し合うのが一番だとはわかっているのですが たぶんだめでしょうね。主人が熱心でないなら主人に聞きあなたの お母さんとお父さんに出てもらいましょう 事情が事情なので 聞くことが間違い それよりも義父母が幼児洗礼を 施すのか それとも神社にいくのか?まずそこが難しいかな >主人は今後、信仰告白もするつもりはないようです。 ならご主人に聞きましょう。結構仏教徒はおおらか 熱心なクリスチャンは嫌いますから相談を避けてもいいかも・・・
お礼
コメント、ありがとうございました。 また、お礼が遅くなり大変申し訳ありませんでした。 そうですね、行事云々より先に、義父母が孫に対してどのように思っているのかも確認していません。 主人の気持ちがはっきりしていないため、彼は私とはおろか、自分の両親ともそういった話はしたことがないのです。 彼が今のような中途半端?な状態を続けるのであれば私も理解しようにもできないので改宗するつもりはありません。 また、そのような状態で子供にも幼児洗礼は受けさせたくありません。 まず彼が今度どうしようと思っているのか、夫婦でじっくり話し合ってみることにします。 ありがとうございました。
- maremare
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#4です。ちょっと「お祈り」という言葉の意義について補足です。 神道で神主さんにやってもらう祈祷とは意味がちょっと違うんですね。 プロスタントにおいて「お祈り」は日常生活の行為に過ぎません。 信徒も牧師もそうじゃない人も、誰でも行なうことができる 神様との「対話」「会話」なんです。 だから「神様はどうしてこんな辛い目にあわせるんだろう?」とか 「今日すごくいいことがあったんです!」とか、 そんな自分の思いを神様に語りながら、自分を深く吟味したり 感謝を捧げたりして、神様との関係を深めていくという意義があります。 結婚、葬儀など人生の大きな節目になる行事や 日曜日の礼拝において、牧師は神様からの祝福やメッセージを 信徒に取り次ぐ役に過ぎません。 ただ、人前で語るメッセージは日常会話的な祈りとは違い、 聖書や神様のことを正しく伝えるものじゃなきゃいけません。 牧師はそのために身を(精神的な意味で)正して訓練を受けます。 しかし、そのメッセージをどう受け取るかは、 受け取る本人次第です。本人が自主的に信じてこそ本物の信仰です。 強制された信仰は本物ではありません。 だから我々は、形ではなく気持ちを大切にします。 結婚・葬儀・洗礼は神様と共に歩む、 新しい自分を神様の前で改めるといった重大な決意を、 正しく神様に伝えるという点で決まった手順をとった式をやりますが、 妊婦さんの健康や子どもの成長を祝ったり感謝するだけなら、 日々の生活で毎日、誰でもいくらでもできますよね。 形にこだわらず、日々そういう気持ちを持つことを 大切にするのはそういう意味合いもあります。式をしなくても 「○○さんが無事に出産できますように」 「○○ちゃんが健康に育ちますように」と毎日神様に願います。 その中で、日本の四季折々を愛し節目を大切にする文化を尊重し、 教会の人々の交流の意味もこめて (教会では全ての子どもを信徒全員の家族として大事にします) プロテスタントに見合った行事をすることがある、といった感じです。 体を大事にして、元気な赤ちゃんを産んでくださいね。
お礼
とても感慨深いコメントをありがとうございます。 お祈り=対話。これはどんな場所でも毎日お祈りはできるという解釈で間違いはないでしょうか。 教会でお祈りをしなければ意味がないのかと思っておりました。 私のプロテスタントに関する知識不足。そして何より私の信仰心が宙ぶらりんであること。 やはりここなんですよね・・・ 私と主人が話し合って、定めていかないといけないことだと思っています とてもいいお話をありがとうございました。心に留めさせていただきます。
- maremare
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プロテスタントの者です。 #3の方もおっしゃるとおりです。 「戌の日」「初宮参り」「七五三」にあたる行事はありません。 強いて言えば、教会によっては「献児式」と言って、 産まれた子どもの頭に牧師が手を置き、 子どもの健やかな成長と祝福を祈る行事をやるところもあります。 夫婦で子どもを抱いて牧師の前に出てきて、 頭に手を置いてもらってお祈り。それだけです。 牧師からは勧められると思いますが、やる・やらないは自由です。 やったことで子どもが信徒に加えられるとか、 教会に所属するとか、そんな重たい意義など全くありません。 教会の日曜学校には、信徒ではない家の子どももやって来ますが、 信徒ではない親御さんの中には、子どもの祝福を願う 七五三にあたるような行事をやってほしいというご意見もあります。 私の通っているところでは「子ども祝福式」と称して、 年齢に無関係で全ての子どもと一緒にお祈りをし、 おやつを少し食べるという、シンプルな行事をやっています。 それも参加する・しないは完全に自由です。 欠席したことで誰かにとがめられるものじゃありません。 家族や子どもの幸せを願う気持ちを差し置いて 宗教や形式にとらわれ過ぎてもめるのは、好ましくないですよね。 プロテスタントの人間は形式より気持ちを大切にしますので。 両家が納得する形をと思われるのでしたら、 無宗教で単純にお祝いの場を設ければ、それで済むと思いますよ。
お礼
#3さまにも申し上げたとおり、私の知識不足で、 戌の日やお宮参りに変わる、教会のお祈りがあるのだと思っていました。 おっしゃっていただいた献児式や、七五三の代わりに子供のお祈りの集いがあると聞いた事があったのですが、 これらには義務的な意義はないのですね、勉強になりました。 >プロテスタントの人間は形式より気持ちを大切にしますので。 こちらも私の思い違いといいますか、クリスチャンだから厳しいのではと思い込んでおりました。 主人方が遠方なので、お祝いの際は両家どちらかが遠征をしなくてはならなりませんが、 私たち一家が主人方へ伺えば自然と教会に顔を出すでしょうし、 こちらに義父母が来てくれることになれば、食事会なりでお祝いになるだろうと思います。 そのあたりは話し合いたいと思います。 安産のお守りは、私個人のことなのでお守りを持ちたいという気持ちを正直に話そうと思います。 ありがとうございました!
- green1957
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両親がプロテスタントです。 ご存じのようにキリスト教に 「戌の日」や「初宮参り」「七五三」などの 行事の習慣が無いわけですからね。 教会は何もしないと思いますよ。 私も初詣だって行ったこと無いですし。 (かわりに元日礼拝がありましたが) だから敬虔な信者の方にしてみれば なんでもない普通の日なんじゃないですか。 (おかげさまで「戌の日」も「初宮参り」も「七五三」も どういうものか、ほとんど知りません(^_^;) ただ、宗教とは関係なく日本の風習として 質問者さんがお祝いしたいのでしたら すればいいんじゃないかと個人的には思います。 だいたい、宗教の慣習の違いで 大切な人たちとの間がぎくしゃくすること自体 宗教の理念から大きく逸脱する話ですから 合わせられるところは合わせるで良いと思います。 まぁキリスト教も本来はとっても柔軟な宗教なので あんまり堅苦しく考えないでください。
お礼
まずは私の知識不足でした。 私は名称こそ違えど、そういった行事に変わる教会でのお祈り行事があると思っていたのです。 そもそもそういう概念がないということ、勉強になりました。 ただそうなると、日本人として日本の風習をならい、何かひと通りの行事をしてあげたいという親心が生まれてきます。 (別に家族の顔合わせでも構わないのですが) また、個人的な意見をいえば安産のためには、安産祈願もしたいしお守りも欲しいと思ってしまいます。 そういう宗教間の意見の違いを、主人方とキチンと話さないといけないですよね。 勉強になりました、ありがとうございました。
- aquiz-c
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法的な事柄ではないため、ご家族、親族と相談して決められるのが 一番良いのではないかと思います。 自分は、母がドイツ人のカトリック信者で、父が日本人には 良くいそうな「強いて言えば仏教徒」です。 両親は教会で結婚式を挙げていて、自分は洗礼を受けており、 日本で生まれ育ちましたので一般に普及している日本式の 行事は、大体経験しています(例えば神社での七五三です)。 父方の親族の葬式などでは仏教式で行われて、参加しています。 あまり厳しい親族が双方にいなかったおかげかも知れませんが、 悪く言えば適当に、良く言えば双方を認めて…という感じでした。 うるさく言えば、仏教徒が神道系の行事に参加するのも変な話 なのでしょうし、みなさんが納得する形が一番良いのではと思うのですが。
お礼
早々のご回答ありがとうございます。 ご回答者さまはお父様方、お母様方が上手に折り合ってこられたのですね。とても理想的なご関係でうらやましく思います。 まずは主人方で話してみようと思います。ありがとうございました
>「戌の日」や「初宮参り」「七五三」などの行事を… どなたが一番やりたがっているのかな? 質問者さんだけが「やらねば!」と思っているだけかしら…?? 別に義務じゃないからやらなくてもいいし。 家族が そういう”けじめの日”を作って祝いたいなら ”世間で言う「初宮参り」だから”お祝いしましょう と 正装して写真をとるなり、ご馳走を食べるなりすればいいだけのこと。 神社に行かないと成立しないとか、教会でやるべきとかいう考えがおかしいのよ? うちは父が日蓮宗、母はキリスト教(母の父親は神主)、私は多分ダンナの方が浄土宗、私もダンナも無宗教。それぞれのお墓に対して必要なら行くだけで… クリスマスもやるし、お正月もそれなりの料理を食べます。 でも 「戌の日」や「初宮参り」「七五三」は一切やってないです。 お子さんの親の考え方次第なのですヨ
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 そうですね。風習ですから、やらねばと思っているわけではないのですが、 どういう場所・形であれ、ひと通りの儀式をやってあげたいという親心はあります。 それが教会でも神社でもお食事会でも構わないと思っています。 一方、私個人の事でいえば安産のお守りも持っていたいし、安産祈願はしたい気持ちはあります。 ただ教会には、名前や日取りは違えどそのような行事に変わるお祈りなどがあると思っており、 距離が遠いのでどうしたものかとわからなりました。 ありがとうございました。
お礼
コメントありがとうございます まさにsgmさまのおっしゃるとおりです。 自分の中のモヤモヤとしたものが何だったのか、ようやく自分でわかった気がします。 自分の信仰心が定まっていないのです。 主人がクリスチャンである以上、自分なりにプロテスタントを理解できれば改宗を・・・と決意をして嫁ぎましたが、 主人は「生まれた家がたまたまクリスチャンだった」というくらいなので、話し合うことがなく宙ぶらりんなままだったのです。 このままでいいとは思っていませんでした。 これはよい機会を与えていただいたのだと思い、主人とキチンと話し合おうと思います。 よいお話を本当にありがとうございました。