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貨幣紙幣(相当物)の受給方法の発端
貨幣紙幣(相当物)は、一番最初はどうやって受給できたのでしょうか? 一番最初は、発行所へ物や役務を提供し、その対価として受給したのでしょうか?(例えばローマ兵士の給与として等) 更に現在は、例えばキャベツを10個計千円相当作って売却した場合、千円の価値が新規に生じたことになりますが、この千円は、流通源を(流通過程を)突き詰めて行くと、結局のところは日銀が新規に造幣発行した物を受給した、という形になるのでしょうか?(融資破産回収不能金や為替等の余金流通分を無しとした純粋な仮定事例の場合です。)
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- hirosi3
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●明治初期に153の国立銀行が設立された 貨幣が市場に流通し始めることについて、サムエルソンは『経済学』の中で「銀行はどのようにして金細工業から発展したか」について説明している。 しかしこれはイギリスの話。日本では違う。 また米国FRB議長のバーナンキはアグリコーラという仮想国の例を引いて説明している。 しかしどちらも日本の実際とは違う。 日本では明治初期、維新政府が太政官札を発行したが普及しなかった。そこで民間の金持ちが銀行を設立し、持っていた金を担保に紙幣を発行した。国立銀行という名の民間銀行が153設立され、第一銀行の1円札、とか第14銀行の1円札が発行された。これらは主に旧士族への授産金として支払われたものが多い。 しかし日本各地の金持ちの所有する金には限度があり、明治18年5月に日本銀行が日本銀行券を発行した。江戸時代から使われていた、金貨、銀貨、銅貨、藩札、明治初期に発行された太政官札、国立銀行という名の153の民間銀行が発行した紙幣など、それまでの通貨と交換し、ここに日本で統一化された通貨が発行された。
紙幣の始まりはある種の証文です。 金貨とかって結構重たいですから、「ここに金貨をどれだけ預けてあるから、これを受け取る権利をあげます」ってものをやり取りしました。 日本でも明治のころの紙幣は兌換紙幣といって額面相当の金貨と交換できました。 キャベツの場合は、「キャベツで紙幣を買った」のです。 紙幣の価値も刻々変わりますので、紙幣の価値が維持できるように日銀が流通量を調整しています。あなたが作ったキャベツは誰かに消費され、あなたが買った紙幣もどこかで消費されるので、日銀が紙幣を発行することと、なにかが生産されることは直接の関係はありません。
お礼
昔「ヘルメス」(一説では貨幣経済システムの原型を発明した商業の神様とか)というアニメ映画の中で、多国間貿易のシーンがあったことを思い出しました。 例えばですが、A国が貨幣管理元となり、B国が持参した壺に対し30万の価値ありと記した証文を渡し、C国が持参した織物に対し20万の証文を渡し、交換流通を超える部分には新たに証文を渡せば、経済流通ができて行くのでは、と思えました。 断定はできませんが、そうかもしれないのでは、と思うことができました。 御回答が一つのきっかけになりましたので、ありがとうございました。
補足
早速の御回答に感謝申し上げつつ、質問を補足させて頂きます。 (1)貨幣や紙幣は当事者同士ではなくて第3者的造幣所が発行するものですから、結局は当事者間でやり取りして貯めていた証書的な物を、造幣発行所へ持参して貨幣紙幣と交換してもらった、という形式が発端になるのでしょうか? (2)最初はAさん作のトマト1個とBさん採取の魚1匹相応の貨幣を各々100円ずつ造幣所からもらったとしても、次にAさんがトマトを3個作り、Bさんが魚を3匹採取したら、各200円計400円分の貨幣を、造幣所から新規にもらう必要がありますよね?
お礼
NO1様へのお礼以外に考えたところ、公的機関への物品や役務提供の対価として支給、というパターンもありえるかもしれないとも思えました。 (もちろん定かではありませんが。) ともあれ、御回答の明治のお話が考察のきっかけにもなりました。 ありがとうございました。
補足
御回答ありがとうございます。 明治は大変参考になりましたが、「一番最初」の受給方法が知りたいのです。 (御回答にある明治の民間の金持は既に金を持っているわけで、)この世に初めて第三者的存在が貨幣相当物を造幣した際、それをどうやって庶民は受給することができたのか、が知りたいのです。 更に、現在も、新規生産分相当の金銭は、最終的には日銀等で新規造幣発行された物を(流通過程を経て)「受給」しているという形になるのでしょうか?