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従姉妹の死による自己嫌悪と心の汚さ
- 従姉妹が病気により他界し、自己嫌悪に陥った主人公。従姉妹との関係や頼まれごとについて述べながら、自分の心の汚さを反省する。
- 従姉妹の持ち物処分について欲しいものがあった主人公。しかし、他の従兄妹が先に頼まれていたことを知り、心の中で複雑な思いを抱く。
- 主人公は従姉妹のためにできるだけのことをしてきたが、物欲について反省する。自分の心が汚いのではないかという思いと後悔の念が入り混じった心境に悩む。
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質問者が選んだベストアンサー
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こんにちは。 私は、質問者様を戒める気持ちにはなれません。 おっしゃるように、物が欲しいためにやったわけではなく、心底から従姉妹さんのためを思ってやっておられたのでしょう。 今の質問者様のお気持ちは、その気持ちを誰も理解してくれないことに対する憤りかもしれません。 いえ、憤りというほど強い感情ではありませんね。 虚しくて、寂しい、そんなお気持ちではないでしょうか。 従姉妹さんのために「よく頑張った」「よくやったね、ありがとう」と言ってくれる人がいれば、そんな感情はないと思います。 でも、誰も理解してくれないと、“私は誰のためにやったのか”と空虚な気持ちになるのではないでしょうか。 まして、従姉妹さんは亡くなられています。 その感情は、ますます強くなるのではないかと思います。 決して、「物欲の塊」ではありません。 従姉妹さんの母親である叔母様の対応に問題がありますよね。 母親なら、自分の娘がお世話になった人であれば、普通は感謝の気持ちを持つものです。 それを態度に表せば、質問者様も救われるはずです。 以前、私の両親も似たようなことがありました。 他界した叔母の世話をしていましたが、叔母の配偶者である叔父に何も感謝されなかったと言っていました。 叔母が他界してから、愛用していたミシンを形見に欲しいと言ったら、叔父に断られました。 結局そのミシンは、他界した叔母の世話をしなかった親戚にやったそうです。 母は、物が欲しいのではなく「ありがとう」の一言が欲しかった、 その気持ちが叔父の態度からは見えなかった、このように言っていました。 ですから、質問者様の釈然としないお気持ち、お察しします。 親戚間の付き合いは非常に難しく、複雑な感情が絡み合うものだと思います。 例えが悪くてすみませんが、ご友人が亡くなって質問者様が同様のことをしていたらどうだったでしょう。 ご友人のお母さんからは、とても感謝されるはずです。 従姉妹さんの母親が叔母様だから、親戚同士の感情が絡み合っていろいろな問題が発生してくるのです。 ここは、お気持ちを切り替えた方が良いと思います。 従姉妹さんは従姉妹さん、叔母様は叔母様です。 叔母様は従姉妹さんの母親ではない、無関係な赤の他人であると思いましょう。 質問者様は、従姉妹さん、ただ一人のためにやったのです。 従姉妹さんが亡くなられた今、その品物はもちろん、その家族も質問者様とは無関係になったのです。 このようにお考えになってはいかがでしょうか。 天国にいる従姉妹さんは、質問者様に感謝して旅立ったはずです。 そして今も、質問者様に、「今までありがとう」と言っているはずです。
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- Tori_30
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僕も戒める気にはならないな。 だって、もう既に貴方は自覚してるんだもの。 それは無自覚な人に比べればはるかに潔いよ。 人間、見返りがなければがっかりもするし悔しくもなるだろ。それは自然な事だよ。神様じゃないんだから。無償で人生や命かけての奉仕なんて”出来るわけがない”。 見返りったって、お金や物じゃなくても良い。そうだよ、面と向かってお礼の一言、感謝の一言でも言ってもらえたらきっと救われた。 でも、貴方に対して、それらの見返りはついに与えられなかった。「ありがとうって言ってたらしいよ」という伝聞だけ。 まあ、その従姉妹さん本人からは、笑顔や楽しかった時間というかけがえのないものをもらってるのかもしれないけど。(まあ、それだって見返りさね。その為に頑張れるし、耐えられる)でも、周りがあまりにも酷すぎた。 常々思うんだけどさ、こういう質問文を見ると僕らは反省しなければいけないんだと感じる時がある。 僕らの無神経さで貴方のように傷つく人がいるって事を。 少なくとも、自分で頼んだのなら、プラスアルファの見返り、というかフォローは心掛けるべきなんだよな、って。 他人に思い遣ってもらったなら、僕らだってその人の事を思い遣ってあげないと、って。 なんだろね。 貴方のその心の動きは人間として自然だと思うよ。心が汚いなんて責められない。 正直者が馬鹿を見るってこういう事なのかな。やるせないね。 とにかく、貴方はやるだけやったし、それは紛れもない実績。それは誇っても良いこと。 その上でお礼でもあれば言う事なしだったけど、残念だったね。相手方にそういう気遣いはないみたい。そういう人達みたい。 仕方ないよ。理不尽に感じるだろうけどそれが結果なら仕方ないよ。 まあ、それでも神様は見てるよ。きっちりやった貴方と、きっちりやらなかった相手。評価はいずれ厳しく下される。きっちりやった貴方は偉いんだよ。 貴方は見返りこそ得られなかったけど、人として恥ずかしくない事をした。それって立派だよ。 それもまた、見返りとしては上等なものなんじゃないかな?
お礼
温かいお言葉、ありがとうございます。 私はどこかで卑屈になっていたんだと思います。 告別式に、遠方からわざわざ駆けつけてくれたお友達がいて 私は初対面でしたが、帰りの新幹線のため主要駅までお送りしました。 車中で従姉妹の話をしていて、お友達が 「○○ちゃんは本当にあなたのことが好きだったんだね」と言ってくれたんです。 もう意識が半分朦朧とするなか、ほとんど寝てばかりいたのに 私が最後にお見舞いに行った時、起きて話がしたいと言って起き上がってくれました。 その時も私は頼まれごとをしていたので、気を使ってくれたんだとしか思っていませんでした。 お友達が言うには「本当に好きな人にじゃなきゃ起き上がらないよ」と言ってくれて… Tori_30さんのお言葉はそれに匹敵するほど、私の心に届きました。 物にこだわった私が馬鹿だったと思います。 こうして本音(実生活では本心すぎて言わないですよね)をネットに書いてしまったことを 後悔しましたが、みなさんからたくさんの言葉をかけていただいて 自分がどういう気持ちでいるべきか、わかりました。 こんな短い時間で自分の気持ちに区切りをつけられるとは思ってもいなかったです。 見ず知らずの人たちにもいろいろな形で支えられている。本当に心から感謝します。 ありがとうございました。
亡くなった方の車が欲しいと言うのはどういう理由からでしょうか? その方がとても大切にしていた、愛着を持っていた車だから その方の替わりに乗ってあげたいという気持ちでしょうか? 車じゃなくても身に着けていた時計でも毎日使っていたマグカップでも愛読していた本でも、 故人を偲ぶことが出来るものを何か一つ譲ってもらうだけでは 納得できないですか? 結局何も残らない・・一緒に旅行や買い物に行ったり、色々お話したんですよね。 楽しい思い出は残らないものなのかな・・。
お礼
短時間の間にご意見をいただき、ありがとうございます。 車については、私の車が古く買い替え時期であることです。 これは本当に私都合の話で、ちょっと落ち着いて考えればとても恥ずかしいことです。 従姉妹から、自分がいなくなれば叔母の自由が利かなくなること、 私の車が古いのを知っていたので、よければ使ってほしい。 そして叔母が困っていたら車を出してほしいことを以前言われていたからでした。 母親などには絶対に言えませんが、 本音としては、感謝もされず便利に使おうとする叔母のことは好きではありません。 なので、車を譲り受けなければ(今回のことの本質はお金云々ではないのはわかっていますが、 もちろん払って譲ってもらうつもりでした)、叔母が出かけたい時の 送り迎え等を頼まれれば、もやもやしてしまうと思います。また私か、って。 どうしても、また私、私だけが、という思いが抜けなかったので 第3者の方のご意見を読むことで、自分の気持ちについて考えることも 客観的に見ることもできました。 明日も叔母のところへ行き、お手伝いの予定があります。 行く前に、自分の正直な気持ちを吐き出させてもらい、ありがとうございました。 だいぶ落ち着きました。 従姉妹の好物だったものを買って行こうと思います。
- 塾長(@ty470620)
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"遠い親戚より近くの他人"とか、"親戚と春の日は、暮れそうでくれない"とか、諺をご存知ですよね。 何方かが亡くなったら、遺品に何かを貰おうとか、決して思わないことです。"獲らぬタヌキの皮算用"と言います。 車や衣類など、亡くなられた方の怨念もありますから、敬遠するべきです。 貴方が精一杯やったと感じているなら、従姉妹様もそのように感じていたでしょう。
お礼
この短時間の間にご意見をいただき、ありがとうございます。 おっしゃることはごもっともで、自分の気持ちがいまだに ごちゃごちゃしていることが恥ずかしくなります。 精一杯やった。そのことに満足しています。 従姉妹もそう思っているだろうと第3者の方に言っていただけるだけで 救われた思いがします。
お礼
ありがとうございます。 実の母にもわかってもらえていないであろうことを わかっていただけて、心が軽くなりました。 aorakiさんの文章を読みながら泣いてしまいました。 悔しかったんです。 弔辞を断るような気持ちしか持っていない従兄妹が 平気でもらっていくよう早々に約束をしたことが。 他にも、亡くなった従姉妹と子供のころから仲良くしていたと思っていた従姉妹が 弔電もよこさなかったことが。 みんな私が一番仲良くしてたってアピールばっかりして、 でも実際にやってることは何よ?って言いたくてしょうがなかったです。 私は大人になってからしか仲良くしていなかったので、 そこに引け目を感じていた部分がありました。 でも、私はみなさんからのご意見を読んでやっとわかりました。 物をもらうこと=感謝されているっていうことではないという当たり前の事実。 むしろ、そうやってもらうことを期待することの恥ずかしさ。 天国にいる従姉妹が、私と過ごした10年ほどを楽しかったと思ってくれていたなら それで嬉しいですし、ありがとうと思ってくれているなら それがまさしく私がしたかったことです。 明日また行くことになっているので、好物を買って気持ちよく訪ねたいと思います。 私の気持ちをわかってくれて、本当にありがとうございました。 胸のつかえが取れました。