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体のダメージはポジティブになれるのに、心のダメージはネガティブになる

例えば、 お腹が痛くなったり具合が悪くなり 病院に掛かるほどでもなく、薬も手元になければ 「ちょっと我慢すれば治るや」とか 「ちょっと寝れば治るや」とか 楽観的・ポジティブになるのですが 会社で怒られたり 好きな人からの連絡を無視されたり 自分の思い通りにならなかったり イライラした時には 「ちょっと我慢すれば治るや」とか 「ちょっと寝れば治るや」とか とポジティブになれないのは 私だけでしょうか? 心にダメージを受けた時は ずっとうじうじ考えてしまいます。 でもいつの間にか治っています。 体より心が弱いのか みんなそうなのか教えてください。 よろしくお願いします。

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  • Tori_30
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回答No.1

それは確かにあるよね。体のダメージに比べて、心のダメージの方がきつい感じがする。 そりゃ、腕千切れたとかぶん殴られたとかならまた別だろうけど。(そういうのは心にもダメージくるからダブルパンチなのかも?) 切り傷で血が出たとか突き指したとかそういうのは別にそんな重大なダメージとも感じない。痛かったり苦しかったりするだけだよね、確かに。 どっちでくよくよするべきか?ウジウジ悩んで効果があるとすればどっちか?って考えると、その心の動きって合理的なのかもしれないね。 体の不調はくよくよ悩んで治るもんじゃないもの。自分が色々考えて動いて能動的に治すものではない。自分の与り知らぬところで治るわけだ。なら、その事について悩んでも仕方がない。そういうのは本能的に分かるのかもしれない。 対して、心のダメージって自分の振る舞いでもしかしたら好転するかもしれないよね。っていうか、それは自分で悩んで考えてどうにかするしかない。じゃあ、悩まなきゃいけないんだよね。 身体のダメージは身体の仕事、心のダメージは心の仕事という風に分業がなされてるのかもしれないよね。 で、”自分という意識”はどちらの側か、って言えば”心”の側だろう。 身体の事は身体に任せて「出来るだけ早く治してね~」で気楽に構える事が出来るけど、心の事は自分(という意識)の仕事だから面倒臭く重大に感じてしまうのかもしれないね。 ほら、他人の仕事って気楽じゃん?「俺、その仕事よく分からないからメインは任せた!」みたいに気楽じゃん?失敗しても「まあ気にすんなよ。次頑張ろうぜ」で他人事。 でも、自分の仕事ってちょっと重いよね。「俺が考えて色々段取り組んでいかないと・・・。」って思うと緊張するし責任感じる。 例えて言うとそんな感じなんじゃないかな?

1hdthd
質問者

お礼

とてもわかりやすい例えです。有難うございます。

その他の回答 (2)

  • nikosan77
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回答No.3

言葉は心に刺さるんだ、殴られるより痛い・・という言葉を 何処かで見た事があります。その通りだなと思いました。 体に受ける痛みは何日かすれば治りますが、心に負ったダメージというのは一生残るものもあります。このサイトでもそうなのですが、ちょっとした言葉が相手の心に痛みを与えてないだろうかと考えながら 回答をしています。何処かで聞いた 心はころころ変わるから心なんですという言葉を書いておきます^^

1hdthd
質問者

お礼

「心はころころ変わるから心」 いい事言いますね。 覚えておきます。 有難うございます。

回答No.2

みんなそうですよ。僕だってそうです。 たぶんそれは、心が「ポジティブになる必要はない」と伝えてくれてるんじゃないですか?ウジウジしろ、ネガティブになれと。心って、傷つかないと成長しないと思います。

1hdthd
質問者

お礼

>心って、傷つかないと成長しないと思います。 なるほど!確かにそうですね!