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親密な人間関係を避ける。
親密な人間関係が苦手です。 苦手と言うレベルじゃないぐらい,例えるなら酷い猫アレルギーの人が猫に近寄れないぐらい酷いです。 相手を嫌いな訳じゃないけれど【用事】がなければ誰かと一緒にいられないんです。 気が合いそうな友達とも用事がある時じゃなければ私から連絡をとる事が出来ず。 いつも会ってる同僚とも働いてる間は普通に明るく過ごす事が出来るのですが,定時になると逃げたくなります。 浅くならあたり障りなく平等に話が出来るので,【協調性がある】【優しい】【誰かの話を聞く事が上手】と言われる事がありますが,受け身なだけです。 たまに私になつく様にべったりする友達が出来ますが,結局,私がその娘に支えられてるんです。 凄く苦しんで精神安定剤を貰ったり変わる努力をしてわずかに明るくなれて,楽しく振る舞って遊んだり,前より友達を大切に出来る様になりました。 何ヶ月か置に精神的に落ち込み,力が出なくなります。 同じ様な事で苦しんでたけれど,克服出来た方いますか。 変わりたいです。お願いします。
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私は医師ではありませんので軽々しいことは言えませんが、精神疾患を患った経験で思い当たるのは、何かの「強迫神経症」か「アダルトチルドレン(以下ACと省略します)」かも知れません。 ご質問内容の、猫アレルギーの人が猫に近寄れないくらい人間関係が苦手なのに、べったりする友達に支えられているという相反する行動は、ACの思考に似ているように思えます。 質問者様のお父様はアルコール中毒ではなかったですか? あるいは子供時代の家庭が辛いもので、親の機嫌をとるために本来大人がしなければいけないことをしていて、子供らしい暮らしをしてこなかったことはありませんか? 思い当たるのであれば、ACが強く疑われます。 ACとは子供のような大人という意味ではなく、子供時代に子供らしい生活や感情を抑えて大人になってしまった人の思考のことです。最初に述べました相反する二つのことですが、人間関係については、相手がどんなつもりで自分に接しているのかが分からなく、相手が好意を持って接してくれていることさえ、何か裏があるのではと疑ってしまうのです。つまり、いつも心に寂しさを持っていますので、仲良くなってその関係が壊れるのを無意識に恐れているのです。これは、男女関係では顕著に現れます。 もう一つの、べったりしてくる友達については、普通であれば鬱陶しく感じて、出来れば係わりたくないと思うものです。しかし、ACは何が正しく何が間違いか、何が愛で何が愛ではないのかを正しく判断することが難しいので、間違った付き合い方になってしまいます。つまり、物事を オール オア ナッシング で捉えてしまうのです。 そうではなければ、やはり何かの強迫神経症的な症状ですので、いずれにしましても一度「心療内科」を受診(もう受診されているのですと、症状をもっと詳しく医師に説明してください)されては如何でしょう。質問者様の苦悩を解決する一番の早道はプロ(医師)に診てもらうことだと思いますよ。
引用で回答します。スミマセン。 ヒントになれば幸いです。 負担にならないことしかしないから疲れないし、我慢もほんの少しだけ。ワガママというのは「我が侭」が元の意味で、本当は自分のあるがままを生きるということだと聞いたのでNOを言うのも上手になった。 http://www.h5.dion.ne.jp/~fleur/essay2005-7.htm 自我の確立、自我境界が不鮮明、「自分は自分、他人は他人」、 また、不安は欲求の裏返し、 「ゲシュタルト療法」 「本当の『自分らしさ』とは何か」
お礼
【自我の確立,自我境界が不鮮明】ここに一番の問題があるみたいです。有り難う御座いました。
- poyo3
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思うに変わりたいとか克服したいと思うその辺が原因の一端なのではないかなと思います。 というのは何故親密(普通の打ち解けた関係)が築けないかというとどこか相手の希望に沿わないといけないと思う部分があるのではないでしょうか?相手に気に入られないと嫌われるとか、嫌な風に思われるのではないかなとか。相手に受け入れられることを気にするためにいつも何かを演じていないといけないからいつも気が張り詰めて疲れてしまう。 なので人といると人に合わせなければならないので深い関係がもてなくなるのではないかなと思います。 簡単にありのままの自分でいられないことが人と親密にできないのではないかと思います。無理に関係を作ろうとすれば薬でものんで結局振り回されるだけではないかなと思います。 人間関係はある程度これまでの生活環境に影響するので簡単に変えられるものではないと思いますよ。 個人的に一番の方法はいい人と接することではないかなと思います。 相手に支えられてもいいのでその人といれば変に緊張したり気を使わないそんな人といることではないかと思いますしそういう人を探すほうが無理に人と付き合うよりいいのではないかなと思います。 人間関係は量の問題でもないでしょうし少ないのは少ないでしょうがないことではないかなと思います。 受身というのもありのままの自分を出せないことによるのではないかと思います。まずは自分が自分でいられる生き方、それは決して頭が良いとか金があるとかではなくこれが自分というものを探すほうが良いのではないかと思います。もしかすると自分の好きなことを聞かれると何かわからない事はありませんか?なければまずは自分というものが何かを見つけるほうがいいのかもしれません。個というものがないために人と親密になれないのかもしれません。何か参考にでもなれば。
お礼
演じてるって当たってる気がします。皆に合う様に演じてるだけで,私のありのままの気持ちや考えが解ってないみたいです。
- kobito05
- ベストアンサー率35% (14/39)
克服できてませんが、私も同じです。 克服したいなんてすばらしい。 私はもう、あきらめてます。 今は、間に旦那を挟むことで、何とか人とかかわりを、保てています。 たまに落ち込む様ですが、そんなこともありますよ。 私の周りには、4人ほど同じような人がいます。 みんな自分のペースで、無理なく人付き合いしています。 自分のペースでも、良いんじゃないでしょうか。 克服法じゃなくて、ごめんなさい。
お礼
マイペースで過ごしてらっしゃるんですね。自分を受け入れる素敵な諦めかたですね。考え方がちょっとずつ楽になりました。
お礼
有り難う御座いました。
補足
ACについてネットで探してみたら全て【アルコール依存以外】当てはまりました。 幼稚園の時から感情を抑圧してた記憶があり,また,転校が多く深い友達関係が持てずにいました。 今はただ【大人しくて緊張が強い性格】と言う理由で軽い薬を飲んでますが,善くなる方法を考えれば考える程,心が疲れて薬が効かないです。 今更,主治医に新しい話を言い出す勇気が持てるか不安があります。