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人間
自分は人を信用できません。 すぐに人を裏切り、自分のことだけしか考えない。 なんで、この世の中には、お金というものがあるのでしょうか? 皆が平等にご飯を食べて、楽しく笑って、助けあって。 なぜ、人を憎み、さげすむのでしょうか? 憎しみは、憎しみしかうまないと思います。 自分が1番ならそれでいいんですか? 偉くなれればいいんですか? お金があればいいんですか? この世の中は、おかしいと思いませんか。 もう一度じっくり考えてみてください。
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- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
前半は同感です。私は人間嫌いです。 でも理想主義者ではないです。それが自分も含めて活きるものの本性だと知っているからです。 二人の人が居て、一つの食べ物しかない場合、分ける事ができないならどうしますか? 食べないとか分けるとか言ってるうちはたいした事などないのでしょう。それ一つを食べるかどうかで生死がかかってもそんな事言えますかね。 仏陀は餓えた虎に我が身を呈したといいますが、これもまた自我でしかありません。もし家族が居たらどう思うでしょうか? 虎に与えてよかったと思うでしょうか?家族の悲しみを以ってしても功徳なのでしょうか? 二人の人が居て、Aは農作物を持っています。Bは魚を持っています。 Cは肉を持っていますが欲しい物は特にありません。Aは魚が食べたいのですが、Bは肉が食べたいのです。 すなわち、この時点で売買は成立しません。 この時お金があれば、Aはお金でBから魚を買い、Bはそのお金でCから肉を買います。Cは今は買う物は無くても、肉を腐らせずに済む上に後日欲しい物があった時にお金で買うことが出来ます。 お金こそ全ての物を公平な価値に置く手段なのです。 つまり、お金が悪いのではなく、その使い方を間違っている=悪いのは間違った使い方をしている人間なのです。 自分の為にと考えなければ善い事も長続きしません。 昔から苦労を重ねて一事を為した偉人の話は山ほどありますが、なぜ、人から罵詈雑言を浴びせられても続けたのでしょうか? 人は誰も喜んでくれなかったのですよ。 それは自分の信念で正しいと考えていたからです。 でも、善い事も後にさらに善くなることもあれば、逆に邪魔になることも多い。善行も永久ではないのです。 過去の偉業も多くが今は跡形もなくなっています。 それもまた歴史です。 私は短絡的でいい加減な人間という存在が嫌いです。 自分さえ良ければいいので、人に強要はしません。 必要な選択肢は与えても、それ以上は何も言いません。 この仕事を始めたとき、三人の人が来て「家族が大切なら儲けようと思うな」と言われ、30年以上それを護っています。必要な時には必要なだけ収入が自然に上がります。 お金はあった方がイイに決まっています。子供が病気になった時、お金がなければ死ぬのを待つだけです。病気にならないように、いい物を食べさせるのにもお金が必要です。 ネロも収入があれば死なずに済んだでしょうね。 お金が必要ないなんていうほどバカではありません。 お金は可能性を広げてくれます。いざと言う時に役に立ちます。 だからと言って必要以上に無理やり稼ぐ必要は無いでしょう。金を稼ぐ事と欲は別です。 活きた金を流せる事が大切で、無駄金を使ったり、溜め込んだりする事が悪いだけです。遊興に使う事が悪いことなのであって対価として活かすのなら兌換金(だかんきん)と言って喜びを生み出す物なのです。 私はその道理を護らないから人間が嫌いなのです。
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
おかしいとは思いません。多様性という事を考えれば画一的な人間ばかりでは全滅します。 まず、お金は信用というものがあって成り立つ物体です。単なる紙切れ、単なる金属です。今では電子マネーなどもありますから、単なる電子信号でしょうか。 一人ですべてを得ることが出来ません、物々交換も交換できる物が無ければ無理です。みんな同じ物を作ればどのように交換出来ますか?様々な物を生み出し、それを交換する。しかし基準が曖昧なのと腐ったりすると困るので貨幣という物を作り出し、それに物の価値を移動させました。それはみんなで共通の価値があると認識し認めることです。 現代はその価値だけが一人歩きしてしまった。数値だけで扱うようになった。そこには信用というものがあって意味があるが、信用というものが無くなれば、価値は無くなってしまうはかない物です。 偉い偉くないも信用がなければ偉くも何ともないのです。 あなたは信用という物を失うから、世の中にある信用で成り立っている物がすべて失っているように感じるだけです。 人を信じないのならば、あなたも逆の立場からみれば信用がないのです。信用が無い人間が平等など言われても困ります。なぜなら、お互いを信用するから平等なんです。信用しないから自分の事だけ考えているのでしょう?相手を信用するには、相手のことを考えているからなんですよ。
お礼
ありがとうございます。 相手を信用してみることから始めていこうと思います。
> 自分は人を信用できません。 親以外は信用してはいけません。経済外的な“愛”なんて親の愛しかありません。 > なんで、この世の中には、お金というものがあるのでしょうか? お金の効用に付いては、勉強してください。『価値尺度』『交換手段』『価値貯蔵手段』がお金の果たしている役目です。 > 自分が1番ならそれでいいんですか? > 偉くなれればいいんですか? > お金があればいいんですか? 今の日本では、とりあえず、これが『幸せ』を保証してくれる(かも知れない?)ものだからです。 > この世の中は、おかしいと思いませんか。 おかしいですが、それがこの国に住んでいる多くの人の総意?らしいです。 > 人は皆、平等であるべきだと思います。 今から40年位前に、そんなことを考えてヘルメットを被って街に出ました。『世人皆濁 何不乱其泥 而揚其波 衆人皆酔 何啜其汁』って『漁夫辞』のおじいさん?が屈原に言ってます。結局、世人・衆人が決めるのです。私も、世塵に汚れ、酒に酔って、今に至りました。今は、『利益を上げることは、他人に幸せを売ること』って『資本主義の原点?』にすがっています。悲しいけれど、これが現実と言うものなんです。
お礼
ありがとうございます。 これが現実ですよね。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
若い方が既存社会に疑問をもたれるのは、大変良いことです。 社会はゆっくりとしか変われませんが、そのような疑問を持つ人が いなければ、変わることもできません。 誰一人、数千年生きてきたわけでも、一人の一存でこの社会の風習をつくりあげたわけでもありませんから、大人を批判すればすむ問題でもありません。誰もが、この社会の理不尽な風習のもとで生きてこなければならなかった人の一人です。 >この世の中は、おかしいと思いませんか。 この社会は、社会全体として、まだまだ未熟なのです。 それは、一人の人間がまだ未熟なのと、大変よく似ています。 完璧な世界、あるべき世界、そのようなものとは遠く離れたものです。 それを思うとき、私たちの魂は、そのような完璧な世界からやってきたとしか思えません。 宗教・哲学・精神世界の勉強もされると、いっそう理解が深まると思います。 このサイトの哲学カテゴリの回答者の方々は、あなたの疑問に対して、 真摯に答えてくださると思いますし、あなたが「人はこうあってほしい」と願う人間像に、近い方々もおられると思います。 社会や他人を変えようとしても、なかなか変わりません。 外側から加えた力というのは無理がありますから、反動もきます。 相手を変えよう、とするのは、とても直接的ではありますが、 一方、乱暴な対処でもあります。 どんなに理不尽な考えの持ち主であっても、 相手がそれを自主的に選択している以上、 尊重するという姿勢をもつことなしには、 相手に影響を与える人間になることもできません。 今は、理不尽な考えの持ち主に出会ったら、 「その人はそういう段階にある」と、相手の進化状況を認めることにしています。 その人が自分の意思でえらばなければ何も変わらないのです。 それより、あなたの内面が変わることによって、人々に影響を与えることの方が、遠回りのように見えて、ずっと近道です。 >なんで、この世の中には、お金というものがあるのでしょうか? 最初は、物々交換のための仲立ちの道具として考案され、 貝などが使われていました。 「約束手形」「借用証明書」がお金の正体で、 人間がその価値を合意しあっているだけで、実態は存在しません。 日本円は知りませんが、アメリカドルには 「この紙幣は借用証明書である」と印刷されています。 >皆が平等にご飯を食べて、楽しく笑って、助けあって。 本来人間が社会生活を営む理由ですね。 個別より社会を作ったほうが生き延びるのが容易である、 というのがその理由でしたが、 最近は協力社会ではなく競争社会になっていますね。 人口が増えすぎたことが原因だと思われます。 >なぜ、人を憎み、さげすむのでしょうか? 人を憎むことでしか、自分を守るすべをしらないからです。 現代の人間の進化の度合いは、あなたが期待するよりも残念ながら低いです。 もっと高等な手段を身に着ける段階までいっていないからです。 >憎しみは、憎しみしかうまないと思います。 そうでもありません。あわれみや、いつくしみも生みます。 相手の心しだいです。 同じ土俵にたっていると、憎しみを返すと思いますが。 >自分が1番ならそれでいいんですか? >偉くなれればいいんですか? >お金があればいいんですか? これらはすべて、「サバイバルへの不安」が肥大しすぎたことが原因です。 人間は本来、生活ができれば、サバイバルへの不安から解放されてもよいのです。 この社会全体が一段高い精神レベルに進化するには、 誰もが「生活」のために心配しなくてよい、という状況になることが必要です。 相手への思いやりは、サバイバルへの不安につぎこんでいたエネルギーが解放されたら、ようやくそこにまわされます。 優先順位では、自分が生き延びることの方が高いのです。 より利己的な人というのは、より不安の強い人と言えます。
お礼
ありがとうございます。 もっと勉強したいと思います。
- matumotok
- ベストアンサー率35% (431/1203)
こんにちは。 そう言う貴方は社会の役に立っていますか? 具体的に何をどのような形で社会貢献していますか? ご説明ください。
補足
特に社会貢献はしていません。 今は、学生で、親におんぶ抱っこされている状態です。 でも、誰にでも、わかることだと思います。 人は皆、平等であるべきだと思います。
お礼
ありがとうございます。 自分の考えが甘いと思いました。