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世の中、自分以外誰も信じれる人間なんていませんよね?

世の中をよく知っている方に質問です。 自分が世間知らずで純粋だと思う方は回答をご遠慮ください。 よく、「信用してたのに裏切られた」と言う人がいますが、当たり前のことですよね?笑 人間そもそも信用なんてできない動物なんだから。 『弱さ』というものを持っている限り。 人を信じるという行為自体していることがおかしいですよね?

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noname#23056
noname#23056
回答No.13

おかしくは無いと思います。 信じるというのは、相手を受け入れることだと思います。 私は綺麗ごとを言っているつもりは無いですし、世間の汚い部分も身をもって実感してきました。 イジメや陰口なんていわれていた時は誰も信用できませんでした。 「信用していたのに裏切られた」というのは、そもそも 相手を自分の思い通りに動かしたいだけだと思います。 信じるという行為は、自分が勝手にするのですから、 相手にそれを求め、「裏切られた」なんて言う事自体がおかしいです。 本当に信じるというのは、自分に利害に関わらず、相手を受け入れることだと思います。 だから、信じれば、裏切られることは無いと思いますよ。 自分の利害に関わる行為をも受け入れるということですから。 相手に恩着せがましく、「私は信じているから」なんて押し付けるから「裏切られた」という結果になってしまいます。 自分が勝手に、この人は信じられる。たとえどんな結果になってもこの人は受け入れる という心も持ってこそ、信じるという事だと思います。 よく、「信用してたのに裏切られた」と言う人がいますが、当たり前のことですよね?笑 >ようするにこの信用とは、自分の害になるような裏切りはするなよ と相手に求めているので信用しているとは思えません 人を信じるという行為自体していることがおかしいですよね? >こういう押し付けの信じるという行為しかできない人間はかわいそうだと思います。 自分の利害に関わらず信じようと思える人が居るなら素敵だと思いますね。 質問者様は、今まで生きてきて一度以上は人を裏切ったり傷つけたりした経験がありますよね? 誰しもあると思います。自分がしたことがあるのに相手に、自分にはするなよ と求めるのはおかしな話です。 過去のお礼にありますが、極論ですが、 もし私が命を投げ打ってまで友人を救うか?と言われたら、できないです。 だから相手もできなくて当然ですし、弱さとか関係なく、そんなの人として当たり前です。 誰しも自分がかわいいんです。たとえ助ける人だって、助ける自分がかわいいからするんです。 自分がかわいくない人が居るとしたら、本当に無気力でいつ自殺してもいいくらいの神経の持ち主です。 自分が嫌いだと言っている人も、ホントに嫌いなら自分などどうでもいいはずです。 自分の命を投げ打ち、愛人や家族の悲しむ顔をも省みぬほど 助けたい人が居るなら、助ける人もそこそこいると思います。 信頼関係は相手と築いていくものですから、いきなり相手に期待しない方がいいでしょう。 話がこんがらがってしまいましたが、 ようするに、信じるという行為はおかしな事ではないと思います。 裏切られるのが怖いというのは、そもそも 何を裏切らない前提で"裏切られるのが怖い"なのか?相手と約束でもしたのか?と私は思います。 ただ、世の中には信じるに値しない人も多いですから、そういう目は養っていく必要がありますね。

noname#21611
質問者

お礼

お礼が遅くなって申し訳ございません。 なるほど!非常に解かりやすく信用とは何かについて整理ができました。 ご丁寧にありがとうございました!

その他の回答 (13)

  • mimi-_-
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回答No.14

#5です。 もっと簡潔にしてくれというご要望ですが、 信用と信頼をわける・わけないとは、私の文章では 「信じていたのに裏切られた」とは 「期待を裏切られて損害をこうむった」という感想であるとの定義の上ですのでその損害の種類と思ってください。 お金・物などをにかかる損害と、 精神的なダメージをわけています。 (非常にあいまいな辞書をお持ちのようですね。大辞林 第二版ですと信用と信頼は違いますよ?) また「XX信用」とつく「会社」ですが、「信用」が正しいのです。 経済活動における信用とは、「個人そのもの・人格・好き嫌い」に対する信用ではなく、その個人の経済状況・勤めている会社などにより、その個人と取引することで自分がどれだけリスクを軽減できるかという判断です。 クレジットカードなどの意味をよく考えてくださいませ クレジットカード会社はあなたが好きだから、買い物代を1ヶ月肩代わりしているのでしょうか。 あなたがもし払わずに逃げた後「人は信じられないのさ!」といって業務停止しますでしょうか。 つまりあなたも誰かを信じる・信頼する・信用する、と言う場合、(包括して信じる、でいいのですよ。それが常用されている言葉ですし。)何に対して信じるのか、を考えて見ましょうということです。 で、私の話が長くて困惑だということがあったかもしれませんが、私はご質問の表面ではなく、深層に対して回答したつもりです。 的外れだったのかもしれませんがそれはそれでいいのです。 言葉遊びにはあまり意味がありません。また哲学的に命題を解きたいのであれば私は専門家ではありませんのでそろそろ退散いたします。 「誰しも信用できない」にマルをして、はやく問題を片付けてしまいたい。これも若い時にありますね。 ただ、そんな風な問題の片付け方では最終的に世間にもまれて岩のようにかたくななオジサン・オバサンになってしまいますよ。 おぼこい悩みがいけないのではなく、極論的な問題の片付け方・自己と他の間に壁を作る厭世的な結論へと容易に流れてしまうのがおぼこいのです。 ある意味「おぼこい悩み(青春の悩みってやつですねw)」を持ち続けていることが、若さを保つ秘訣かもしれませんよ。 「世間知らずで純粋」なことに対する付与価値が低そうですが 「世間を知っているとは誰も信用しないこと」ではありません。 お金の問題と、精神のつながりの問題を分けて評価すること。 信頼とは何かを深く考察すること(つまり今回のようにこの問題について投稿し、深く考えるのもいいことです)。 冷静で的確な判断力と、白と黒の間の「グレー」を知ること。これが「世知に長けている」ということではないでしょうか。 #以上自分も若い時には厭世的な結論を好んだものの独り言です。 「とかく人の世は生きにくくても、”人でなし”の世にはいけません」 この辺なら信じてもいいか、という自分なりのグレーゾーンを見出していってください。

noname#21611
質問者

お礼

お礼が遅くなって申し訳ございません。 度々ご丁寧にありがとうございました! なるほど。。グレーゾーンですか。 この一つの投稿だけでとても勉強になり、自分の未熟さを知りました。 本当にありがとうございました!

  • chonchi
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回答No.12

自分自身の感覚では信用って理性でするものじゃないと思います。 少なくとも頭で信用しようと思って信用したことはありません。 信用は本能や無意識に近いように思います。 だからここで理屈を言われても変わらないんじゃないかと。 信用と言えば聞こえは良いかもしれませんが、結局は感情と利害です。 感情や利害はコロコロ変わりますが、だからこそ相手の気分を良くしたり利益を与えれば信用してくれます。 逆のことをすれば冷たく去って行きます。基本的に人間ってそうじゃないですか? 嫌いな人は信用できないし、好きな人は無条件に信じてしまいがちです。 僕は、好き→信用  嫌い→不信 であって信用→信用ではないと思います。 信用できるかどうか見極めるってこと自体まず疑うってことです。 それに頭での信用は信用ではなく義理とか義務です。 「信用しなくてはいけない」「信用すべきだ」は義務です。 信用されるようにならまだしも信用する努力なんておかしい。 信用できないならできないなりの生き方もあるだろうし、他人を信用できるから上ってもんでもない。 他人の心を信用できないからこそ気を遣って相手の心を敏感に読み取れたり、危険を回避できるとも考えられます。 信用・不信は感情や本能の結果で、頭で考えるほどのことじゃないし 頭では分かってても信用してしまう裏切ってしまうんではないでしょうか。 で、裏切りを抑えるのが頭での信用である義務・義理です。 人それぞれ性質が違うんだから社会と関わる方法も違って当然だと思います。 だいたい文章や口での綺麗事や正論を実践できてる人はまずいませんからね。 批判も同じで他人を批判できるだけの器の人間は批判なんてしません。 世の中のことを分かってる人間なんていません。そういう意味で皆未熟だしバカです。 あんまり分かった風に他人に偉そうにものを言うもんじゃない。自戒をこめて。

noname#21611
質問者

お礼

お礼が遅くなって申し訳ございません、 ありがとうございます。参考になりました。

noname#160718
noname#160718
回答No.11

 No.8,No.10再びです。 >どんなに強い人でも、自分の命に関わるようなことなど、とてつもないひどく大きなことで追い詰められたりしたら、最終的にほとんどの人が弱さに負けてしまうと思うんですよ  そんな極端な最終局面のことを考えなくても良いのでは。それにそういう局面だと自分自身も信じることはできないということですよね?  それとそういう時に自分を「裏切る」のが"弱さ"ですかね?  むしろ、そこまでの局面でまだ自分の利益を優先してくれると期待する方が「甘え」だと思うのですが。それで信用できないと言われた日には・・・  他人を信用できるかどうかは、その局面局面で判断していけば良いだけの話です。最終的な極限状態でどうなるかなんて考慮する必要はないでしょう。

noname#21611
質問者

お礼

お礼が遅くなって申し訳ございません。 ありがとうございます。参考になりました。

noname#160718
noname#160718
回答No.10

 No.8再びです。  どうも「信用」と「信頼」を分けて考えているため、余計混乱しているような印象を受けます。  分けて考えるのはある意味正しいですし、私も使い分けたりすることもありますが、根本的には同じものです。  人には弱さもありますが強さもあります。ですから「信用できない」という結論に一気に走るのは短絡的すぎますね。  それに「信頼」という言葉の意味をどれだけ重みを感じているのか判りませんが、他人に対する信頼は、その人を「信用する」ことでしか示すことができません。  いくら「信頼している」と口で言っても、いざというとき「信用できない」と貴方が言ったとしたら、相手には「口先だけの人間で信用できない」と認識されるでしょう。  信頼と信用は本質的に同じ、と言ったのはそういう意味です。  で、元に戻りますが、他人を信用できない人は他人からも信用されない、ということです。他人から信用されない人間は居場所がなくなるわけで、だから生きていくために「他人を信用するスキル」が必要なわけです。  それはどんな局面でどんな人をも信用しろ、と言っているわけではなく、ある局面で信用できる人間は誰か、を見抜くスキルが必要、というだけの話です。  それを「人には弱さがあるので誰も信用できない」と考える人は、自分が何もやり通せないほど弱いので、他人も同じだと考えているのでしょうか?

noname#21611
質問者

お礼

再びご丁寧なアドバイスありがとうございます。 『信用』と『信頼』は別物、という人もいるし・・・ 根本的には同じもの、という人もいる・・・ うーん(>_<)。。 私の言いたいこと伝わらないですかね(>_<;? どんなに強い人でも、自分の命に関わるようなことなど、とてつもないひどく大きなことで追い詰められたりしたら、最終的にほとんどの人が弱さに負けてしまうと思うんですよ。 なんていったって人間一番自分がかわいいですし、尊徳でほとんど動いていると思いますから。 今まで色々なタイプの多くの人を見てきましたが、そのような大きなことでもないのに、ほんの小さなことでも弱さに負けて裏切ってしまう人がほとんどです。 やはり完全に信用できる人間などこの世に存在しないと思うのですが・・・。 もしどんなにひどく追い詰められても絶対に曲げない超強人が居たとしても、激レアだし探し出会うことすら中々難しいのではないでしょうか?

noname#21611
質問者

補足

失礼しました訂正です。 尊徳→損得

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.9

信じるべきは「相手」ではなく、「相手を見る自分の目」だ。 という考えもあるそうで。

noname#21611
質問者

お礼

ありがとうとざいます。 信頼に関しては相手を見る自分の目が大事ですよね。 参考になりました。

noname#21611
質問者

補足

アドバイスくださった皆さんへ。 すみませんm(__)mなんか頭が混乱していて、 No.5さんのように『信用』『信頼』『信じる』を分けて考えると解かりやすいのですが、 どれも同じようなニュアンスで考えると余計に頭が混乱してきます。。。 同じようなニュアンスで捉えると、 『世の中、自分を含め誰も信じれる人間なんていない』ということになるのでしょうかね? ワケが分からなくなってきました。。;笑

noname#160718
noname#160718
回答No.8

 私はNo.5さんのご意見にほぼ全面的に賛成ですが、私なりに簡潔な補足を。  なお、私は「信用」も「信頼」も、確かにニュアンスも違うし使い分けもするのですが、本質的には同じものだと思っていますので、ここでは同意で扱います。  「人を信用する」のも"人が持つ強さ"のうちのひとつなので、人を信じる強さを持てない人は他人だけでなく自分も信じることはできまい、と思います。なので表題(自分以外誰も信じることができない)はのような状態はあり得ないと思っていますし、これを言ったり感じたりするのは、単に世の中に拗ねているだけの甘え、と思っています。  他人を信じる、というのはその人を信じた自分の判断を信じる、ということでもあります。なので「誰も信じることができない」というのは、自分の他人を見る目を信じることができていないということになりますね。  だまされたら学習して自分の判断をまた磨けばいいだけのことですし、こいつを信じて良かった、ということも自分の判断の正しさを裏付けるわけですから、やはり成長の糧になるわけです。  信じたことの結果を、その信じた相手に被せるような考え方だと、「信じていたのに裏切られた」という怒りだけで終わってしまい、自分の成長もあり得ませんよね。つまり同じ間違いを何度でもやりそうです。  もうひとつ。  人を信じることができない人間は、他人からも信じてもらえません。  この世の中、他人から孤立した人は居場所を見つけにくく、たいへん生きにくいです。  ですので、「人を信じる」というのは、社会で生きていくための必須のスキルのひとつでもあるわけです。正確には「信用に足る人を見分けるスキル」とでも言えばいいのでしょうか。  ですので、「誰も信じれない」と言っている人は、やはり必須スキルを身に付けないまま拗ねている甘え、と感じます。  とはいうものの、私も何度も痛い目に遭ってますが。  痛い目に遭えば勉強すればいいだけです。  でも「こいつを信じて良かった」と思うような人物にも多数、会っています。

noname#21611
質問者

お礼

ご丁寧にありがとうございます。 まずNo.5のお礼の文をご覧ください。 すみませんが、Jagar39さんがおっしゃることの以前の問題で、 どんなに「人を見分けるスキル」というものを身に付けたとしても、 人間、『弱さ』というものを持っている限り何が起こるか分かりませんし、信用することはできないと思います。信頼することはできると思いますが。 『信頼』という面では貴重なアドバイスとなりました。ありがとうございました。

  • tateisu
  • ベストアンサー率26% (41/152)
回答No.7

お初です 漠然と「信○」は、とても広いので難しいです。 元々、群れ成す獣だった(と思われる)人間は いまも群れで生きています。 群れは生きる為の共同体で、 余力がある分は犠牲に出来ますが、 我が身を犠牲にしてまでという事はありません。 私の場合、 余力のある相手の余力の一部は信じます。 余力の無い相手は信じません。 群れの外の相手に対しては慎重になります。 気を付けていても、 獲物を狙う捕食者に襲われる事があるかもしれません。 それでも余力を分け合える信○できる群れがあると安心です。 よほど余力を持て余していない限り、 見知らぬ何の繋がりも無い誰かに 与えたり、与えられたりするものでもありませんし。 信○できる相手が居ないと生きることは出来ません。 以上でした

noname#21611
質問者

お礼

なるほど。とても参考になりました。 ありがとうございます。

回答No.6

ご質問者様は信用と信頼を混同されているような気がしないでもないですが。 私は多数派の人たち比べて常識や先入観が無いですから世間知らずと言われてしまう事があります。でも子供じゃありませんから純粋だとは思っていないです。 私は他人に執着できないので人は信用していないですけど、信頼する人はいます。信頼関係は無いと人間社会はビジネスの世界であれ、プライベートの世界であれ成り立たないと思います。 裏切られる事だってあるでしょう、恩を仇で返される事だってあるでしょう。人間はお互いみんな好き合って生きているわけではないですからそれでなんぼだと思います。 信用はともかく、信頼とか人を信じるというのはアリだと思います。

noname#21611
質問者

お礼

アドバイスありがとうございました。 とても解かりやすいです。 その通り、深く言葉の意味を理解せず遣っていました;すみません。 下のお礼の文をご覧ください。 そうですね(^_^)信用はともかく信頼は勿論アリですね☆

  • mimi-_-
  • ベストアンサー率28% (55/191)
回答No.5

もう#1さんの名回答で終わっているとも思いますが あと、ご自分も人間である限り、この命題(人間そもそも信用なんて出来ない)では、タイトルの文章もまちがっている(自分も信じ。。れ ない)となります。 で、困り度は結構困っていると。なんだか色々矛盾していますね。 推測するに何か、人に裏切られたりして悲しいんだが、自分が世間知らずだからいけないんだ、悲しみを出したくないというご心情でしょうかね。 まずいえる事は、自分が本心を出さない限り相手はあなたを信用せず、あなたの信頼にもこたえようとしないことでしょう。 信用した人に裏切られる。これは、いってみれば「期待を裏切られ損害をこうむる」ことをさしていると思います。 期待を裏切られ、5000円貸したら50万返ってきて文句を言う人はいませんからね。結婚できない相手と思っていたのにプロポーズされたとか。 残念ながら、こういう事は日々起こっています。 わが身に起こってみると、この場合の「信じていた」とは、「自分に損害を及ぼさない人であってほしい」という願いであったと気がつきます。 そして、お金をだまして取ってやろうと言う悪意を実際金を手にしたら弱くなってしまう相手を見抜けなかった自分を「世間知らずでおぼこい」と責め、次からは「人は誰も信用できない」という極論に走ってしまうのです。 私から言えば、「人は誰も信用できない」と言う発言は「おぼこい」部類です。 で、質問者さんの場合、信頼・信用・信じるが入り混じっていますが、例えばお金を貸す場合、投資する場合の「信用」これは、相手の言うことだけで信用してしまうのはそれは間違いでしょう。相手の経済状態、勧誘されている商談の将来性まで判断しての投資が「信用」です。 この場合、結果として貸し金の回収が出来ないとか、投資が無駄になった場合責められるべきは「信用」の判定をした自分でしょう。 情に訴えられ、友達だろ、恋人だろ、息子だろ?と言われて借金・投資を申し込まれた、保証人を頼まれた場合。 情に応えてしまったら、バカだと思いますか? この場合、結果として、情で応えて困っている相手を助ける、で完結していることです。それ以上の何か(借金を返してもらうなど)を期待するならきちんと「信用」の判断基準を満たさなくてはいけないわけです。 ただ、自分が情に応えたために家族に迷惑をかけないよう、情に応えるなら自分の器量の範囲(自分まで借金をして貸すなどはダメ)で行うべきだ、ということを人は少しずつ学んでいくわけです。 そして、友人・恋人間の「信頼」の話になります。この場合、「相手の人間性」を信じる、ということです。 でも友達も人間。つい周りと一緒に1回くらいあなたの悪口を言ってしまうかもしれません。恋人もついお酒を飲みすぎて浮気してしまうかもしれません。 でも、信頼とはそこで「裏切られて」終わるものではないはずです。 「ほんとうは、そんな人ではない。」という、信頼。これを続けるのが友情であり夫婦でしょう。つまり1回裏切られたくらいでだめになる信頼は、本当の信頼ではなかったということです。 これからも、期待を裏切られ傷つくことがあるでしょう。 でも、「人は信じられないものだ」と片付けて、ふたをして、本質をみないでいたら何もかわらず取り残されてしまいます。傷つきながらも転がって生きていくのが人間です。自分や他人の弱さも、包み込んで。

noname#21611
質問者

お礼

長文、ご丁寧にありがとうございます。 すみません、確かに矛盾していました。笑 タイトルは「自分を含め」になりますね。 自分という人間も、『弱さ』というものがあるので信用できません。 言葉の意味を深く考えず使っていたので、信頼、信用、信じるが入り混じっていました; 申し訳ございません、長文なので少し頭が混乱していてmimi-_-さんの文章で理解しにくい部分があるのですが・・・ つまり整理すると、『人を“信用”する』という言葉の遣い方は間違っているし、存在すること自体もおかしく、「世間知らずで、人を信用できるものと勘違いしている人」が遣う言葉、と解釈していいのでしょうかね? 世の中によく、「信用~」という会社がありますが、よく意味を考えてみるとおかしく、「信頼~」という遣い方が正しいということになるのでしょうかね? 人間には『弱さ』があり何が起こるか分からないので、世間をよく知り人の弱さを知っている人は、『人を信用する』ということはできないと思います。『信頼』することはできますが。 また、『信じる』という意味を辞書で調べてみたのですが、「信用すること」「信頼すること」と両方の意味のことを指すようです。 なので、自分の意見を相手に細かく正確に伝える際は『信じる』という言葉は遣わない方が良いということですかね? 今かなり頭が混乱しているし言葉も不器用なので、 私の言ってることが矛盾していたり理解しづらかったら申し訳ございませんm(__)m いくらでも補足致します。 もう一度簡潔に解かり易いアドバイスの方お願いできますでしょうかm(__)m宜しくお願い致します。

  • jpnbloood
  • ベストアンサー率45% (9/20)
回答No.4

信用と信頼は別物 完全な「信用」はすべきではないが 「信頼」はするべき 人の言葉をそのまま鵜呑みに「信用」すべきではない しかし、頼れる人に頼っても良いと思う。 それが「信頼」する事だと思う。 だからこそ、ここようなサイトが成り立っていると思う。

noname#21611
質問者

お礼

ありがとうございます。 はい、その通り深く言葉の意味を理解せず遣っていました; となると、ここの回答者の方達へは、『信用』ではなく『信頼』している。ということになりますね(^_^)b