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日本の常識、死んだ人への常識とは。

前の質問とは別の事が聞きたくて、書き込みました。 仏壇に線香を上げる事は常識なのですか? 僕は常識というより、お線香は上げたい人が上げるものだと思っています。 自分の心で死んだ人を敬う気持ちがあればよいのではないでしょうか、絶対に上げなければいけないというわけなのですか?

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回答No.5

常識や慣習にいつもかならず機能的根拠があるとは限りませんよ 常識は往々にして「やっとかないと何か落ち着かない」ものです 線香についてもたとえば先祖を常に想うことは現実的でなく かといってほったらかしも何かしらとがめるものがあるとき それならたまに仏壇に向かういっときだけでも心から想いたいが その動作が日常から一続きに行われてはイマイチやった気にならない そこで、いったん日常から切り離す「儀式」というものが生まれます お香上げて、鐘を鳴らして手を合わせて目をつむる 嗅覚・聴覚・視覚・触覚をいつもと違う形に定め、空気を変えてみる それをすれば心が沈潜モードに入るように習慣的づけておくわけですね 無駄なようですが実はこれが最も合理的だったんです 気持ちがとがめない程度に、また動作もわずらわしくない程度に 日本人全員の最大公約数的な落とし所がこの「儀式」だったのです 常識とか慣習とはそういうふうにできてるものが多いですよ また質問者様のように疑問に思う・納得いかない人が増えれば 常識や慣習も変わっていきます

killerhome
質問者

お礼

ふむふむ、先祖がなんとか、ではなく、落ち着くために線香の上げる事もあったんですね。 上げろと言われれば上げますが、率先してあげたいと思う事はないですね・・・。

その他の回答 (4)

  • winder500
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回答No.4

線香を焚く意味に関しては、他の方が回答しているので割愛させていただきます。 仏壇に線香を上げる事は日本国においては(半)常識となっていると思います。 こういった考えは出来ないでしょうか? 恩師や友人や両親に感謝の気持ちがあった場合、人はその感謝の気持ちを行動や言葉で表そう(示そう)とすると思います。 心の中で「感謝しています。」といくら思っていても残念ながら人には伝わり難いし感謝しているのにちょっとした言動で逆に取られる事も考えられますよね。 死者に対しても同じでは無いでしょうか。 仏壇に手を合わせ感謝の気持ちを伝えるのも良いですし、線香を上げるのも良いと思うのです。 言って見れば相手(死者)や見ている周りの人に対して自分がどの位相手を思っているかを行動で示していると考えられないでしょうか? 自己満足の部分もあるかと思いますので絶対に線香を上げなければいけないとは思いませんが行動で示すって事です。 (文才無いので、まとまり無い文章or駄文は許してね。)

killerhome
質問者

お礼

半常識ですか。 友人や恩師は生きているのならば、感謝の気持ちは行動や言葉でしようとは思います。 死者に対しては、そうは考えられないんですよね・・。 ただ周りの人に「俺ってあの人の事を思ってるんだぜ~」のような事にしか思えてきません、自己満足に見えます・・。 自分は周りからよく変わっていると言われるので、もしかしたら他の人とは考えがまったく違う事もあるかもしれませんが「こう考えろ!」と言われて考えることは出来ません、考えを強要されるのが苦手です。

回答No.3

歴史には疎いので、記憶は曖昧ですが、織田信長が主君だか父君だかの葬儀の時、土足でずかずか仏壇の前まで言って、焼香の粉(?)だか灰だかを撒きちらした、というのが逸話として残っているようです(大河ドラマなんかで何度か目にしたことがあります)。 しきたりなんて、くそくらえってとこでしょう。 要は、儀式なんです。 儀式だから、織田信長の“儀式を壊した行為”は皆を驚かせ、後世まで逸話として残っているのです。 単なる儀式ですから、先に回答がありますが、別に絶対にお線香を上げなくてもいいと思います。 ただ、儀式として行為を見せれば、皆、納得するのです。 皆、同じようにお線香を上げることで、「私は仏壇に祀られている人に対する思いがあるのですよ」ということを示しているのです。 逆にお線香を上げないと、「お線香を上げられないということは、故人に対して何か嫌悪感や文句があるのか」と思うわけです。 前の質問を見るに、お線香の件でお母様と喧嘩になったとか。お母様としては、お線香をあげるという行為で、あなたのお父様への気持ちが目に見える形で分かる、それで安心したいと思っているのだと思いいます。 逆に言えば、仮にお父様への気持ちが入っていなくても、「五月蠅く言うから、形だけお線香を上げる」ということであっても、行為を見れば納得するのだと思います。 どうしてもお線香を上げるのが嫌なら、お線香なんて上げなくても、自分がいつもどれだけお父さんのことを考えているかを、毎回、かんで含めるようにお母様に言うようにしてください。 毎日欠かさず、お父様との思い出を、お母様とじっくり話してみてください。 そのくらいすれば、そのうちお母様も納得してくださるでしょう。 まあ、毎度、「お線香を上げろ」と五月蠅く言われるくらいなら、小生なら「ハイハイ」と言って、お線香に火を付けますが。お線香を上げるだけで母親を黙らせることができるわけですから。 少し質問から逸れてしまいました。 仏教において、仏壇にお線香を上げるのは“常識”です。 お仏飯をあげ、お水やお茶を供えるのも“常識”です。 お線香は、仏様にとって最上級の“食事”です。そしてご飯やお水などは人間だった頃の名残といいましょうか、「生きている時と同じようにご飯をあげましょう」というのは、残された者の多くが感じる自然な気持ちだと思います。 もちろん、あなたのようにそんなふうに思えない方もたくさんいらっしゃるでしょう。 無理にお母様に合わせる必要はないと思いますが、毎度喧嘩になっては疲れますから、きちんと、お母様に納得してもらえるまであなたの気持ちを説明してみてください。

killerhome
質問者

お礼

私は、合理的だったり自分が納得するしきたりはくそくらえとは思いません、しかし線香を上げたりしなければいけないしきたり等は、くそくらえとまでは思いませんが、「なんで死人には線香なんだろう」と思います。 確かに「んじゃお父さんはただのお父さんなの?お前のただの親?」と言われるので、僕がお父さんの事を思ってないと、母さんは思っているのかもしれません、すごく思っているのですが、行動で示さないといけないのでしょうね・・・。 お線香を上げるのは嫌ではありません、ただやってる意味がよく分からなかったのです、霊や神がいないのだったら上げる必要も無いのではないか。 人は死んだらもうそれで終わりだと思っています、だって霊とか神とか見た事がないし、喋った事もないですし・・・。 やはり、毎日言われたとおりに線香を上げるのが喧嘩をしない方法なのですね・・・。 ありがとうございました。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.2

 仏式等の葬儀で、亡くなられた方の霊前等に供える金品を「香典」と言いますが、これって49日間お線香を焚き続ける費用を、縁者がカンパする為と言う意味の物ですよ。  (さすがに、現代では厳格に線香を焚き続ける方はあまりいませんが…。)  線香を焚く意味に関しては、下記のページの回答について…。    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110614991?fr=rcmd_chie_detail  >お経には、仏様の食べ物はお香であると書いてあるようですよ。  勿論、一番重要なのは亡くなられた方への気持ちですが、正直私は、焚く必要なんて無いと仏壇を前に言い切られるとチョット常識を…。  炊く事を忌避するような理由でも有るのですか?  仏教の発祥地のインドが香木の産地でもある事から、香は仏教と綿密な関わりが有りますが、キリスト教でも正教会では極めて頻繁に振り香炉という形式でお香を焚きます。  (カトリックでは昨今省略されてあまり使われませんが…。)

killerhome
質問者

お礼

炊く事を忌避するような理由はありませんが、何故上げなければならないのか、これは常識なのか疑問に思ったのです。 上げろと言われれば、理由は分からなくてもとりあえず上げますし。 心で思っていれば焚く必要が無いと思っています、これは自分なりの考えですが、「霊や神は存在しない」と考えているので、焚いてもただ焚いてるだけ・・?等と思ってしまいます。

noname#108157
noname#108157
回答No.1

特に線香を焚く事は無いでしょう。 この線香ですが昔は色々な事に使われてました。 多くは時間を計る為の使用ですね。 仏前では「お供え物」として線香を焚きます。 一般的にはお水と旬の果物をお供えするのがいいでしょう。 ただし、地方によって風習が違うので気を付けてください。 余談ですが、「突撃隣の晩ご飯」のヨネスケ師匠はなんであんなに ズカズカ他人の家に入り込んでも一切文句が出ないのは何故だと思います? 実は収録されてませんが仏壇がある家にはまず最初に 仏さんに手を合わす事で信頼感を持ってもらうんだそうです。

killerhome
質問者

お礼

お供え物ですかー、お供えって何の意味があるのかなぁ・・・。 霊的な物を信じない人とか、備えたってただ「おいてるだけ」としか考えられなくなってくるようなしてくるのです、私もなのですが。 ヨネスケさんは事前にそこらの町にアポでもとってるのかと思ってました。 違ったんですね、手を合わせていたんですね。