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国債は、借金なのか、資産なのか?
「国債(円建て)を増発する」ことに対して、「国民の借金が増大する」という見方と、「国民の資産が増える」という見方があるようです。「経済の基本」は、「貸し手がある(=資産)から、借り手がある(=借金)」ということから生じる、「考え方の違い」のようです。「素人のイメージ」では、「国民の資産が増えるのなら、税収の不足分に対して、国債の発行額を、どんどん増やせば、良い」ようにも思えます。 何か、「経済の基本の理解に、無理がある(=トリック?)」ような感じを受けるのですが、「この、素人が理解に苦しむトリック」を、「素人にイメージできる」ように、うまく解説してもらえませんか?
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- cse_ri2
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もっと、単純に考えてみましょう。 あなたが、T自動車という会社に勤務しているとします。 (もちろん、架空の会社です。ト○タ自動車ではありません。;^^) ところが、最近ちょっと景気が悪くなったので、運転資金を確保するために、株式を1000億円発行して資金を調達しました。 その際、社員からの株式の購入を優先して、仮に95%が社員が買ったとします。 さて、ここで問題です。 T自動車この1000億円の株権は、会社の資産でしょうか。それとも買った社員の資産でしょうか? 私は、この問題に対して、 「これは私の資産です。私も社員の一人として100万円買いました。残念ながら配当は1%くらいしか期待できませんが、銀行に預けるよりは利息が高いので、ちょっとは儲かります」 と考えるでしょうね。 さて、T自動車を日本国に、T自動車の社員を国民の一人である貴方に、そしてT自動車の株を国債に置き換えます。 さて、あなたはどう考えるでしょうか?
- 0120man
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今の資本主義はお金が増殖し続ける事が前提になっています。 単純化すると金利3%なら毎年毎年お金が3%増え、そしてそれに連動して物の価格は高騰していくという仕組みです。お金の量が増えればお金の価値が下落し物価が上昇します。15年ほどで物価は5割増しになります。 これがお金の トリック(?) です。 で、何らかの問題で不景気になって国が財政出動などを行うのは、このトリックを安定的に持続させる為です。 民間が景気が悪くなって金を使わなくなると、需要がなくなってお金を借りる人が減るので、国が金融面、実事業面において需要を作り出して民間需要を刺激しようというものです。景気刺激策などと呼ばれます。 要するに ”お金そのものがトリック ” であるという事です。 それと、20世紀にはこのトリックを積極的に行った資本主義経済国が反映し、計画的人為的に社会システムを運営しようとした共産主義国家が衰退しました。目的はどちらも国家国民の繁栄。
- y0OilIo1lm
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国債の有価証券としての性質からの説明では、国民の持っているお金(預金など)が、国の発行する国債という有価証券に変わるだけで、国民の資産が増える訳ではありません。つまり資産の形態が変わるだけです。 国債が借用証書であるという性質からの説明では、国の発行する借用証書によってお金を貸し付けているだけであって、国民の資産が増える訳ではありません。 「国民の資産が増えるという見方」があるとのことですが、どういうところからそんなとんでもない説が出てくるのでしょう?
- dai1000
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>「国民の資産が増えるのなら、税収の不足分に対して、国債の発行額を、どんどん増やせば、良い」ようにも思えます。 はいそうです。ただし、利付きの国債を発行しすぎると、利息支払いで税収が食われてしまい、行政サービスと返済がそのうちできなくなることが問題です。
- wiz0621
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整理されていればいつでも全体が見渡される。 細かしいことでまごまごする必要がなくなる。 複式簿記が商人にあたえてくれる利益は計り知れないほどだ。 人間の精神が産んだ最高の発明の一つだね。 ゲーテ 『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』より というわけで、とりあえず"簿記"を知っておけば混乱しないで済むみたいです。 この"簿記"というのはお金の管理の考え方です。 この考え方では、帳簿の真ん中に線を引っ張って、左側を資産・右側を負債とします。 一番重要なルールは『左(資産)と右(負債+資本)はかならず同じ額になる』ことです。 簿記のやっていることを突き詰めれば、単純にこれだけなんです。 大航海時代の初期までは、一航海ごとに会社を解散し帳簿を締めてしまうので、 単純に資産と負債の帳簿(単式簿記)だけで運用されていました。 現代では資産は長持ちする機械であったり、信用取引により借金を複数年で返したり するので主に毎年の成績である利益費用の帳簿と、より長期的視野でその年毎の成績を つなぐ資産負債の帳簿の2つ(複式簿記)で表現します。 これらは企業・社会の成績をぱっと見て理解できるようにつくられています。 多少複雑な面もあったりしますが、それでも組織の全体像を 混乱しないでチェックできる。まさに『人類の精神が生んだ最高の発明の一つ』です。 ところが、単式簿記を使用している団体があります。国のような公共機関です。 現代でも"利益"を出さないのですから、政府の会計はお金の出入りだけで表現する 単式簿記が主流です。(一部自治体で例外もあります。) 国が単式簿記なのはつまるところ、入ってくるお金が決まっていて そこから分配の為の予算を組むという大前提があったればこそなんです。 戦後日本で行われてきた『分配するお金を決めて、入ってくるお金を増やす』というのは 結局、能力以上のお金を調達することになるので、法律上できない・・・・ 筈なんですけど、ここ50年の政治家(当然自民党も民主党も)は それを守るつもりが無いのは周知のことかと思います。 ここから本題。 左のお金が増えれば、右の借金も増えるんです。 借金というのはやはり返さなければならない"義務"であるわけです。 将来的にはお金が出て行くことが決まってしまっている。 これは嫌なことですよね。 ところが、見方を変えてこれを"能力"として考えた場合。 嫌なことである右側の借金は"現金を調達する能力"とも言えるんです。 もし、右側を際限なく増やすことができるならば、 当然ながら、資産である左側も同じく増えていきます。 帳簿の左側である国民の(共有の)資産を増やす原資として存在するのが 帳簿の右側である、国がお金を調達する能力であるとも言える。 もし右側が増やせるのならば、左側も増えるわけです。 簿記の大前提として、右と左は同じ値になりますからね。 もちろん企業ではこれは不可能です。そこまではだれもお金を貸してくれないですから。 ところが国はこの"現金を調達する能力"を際限なく有しているのではないか? というのが、この議論の"キモ"であるのではないでしょうか。 さて。 この"トリック"に多くの人が違和感を覚える理由は 現金を調達する能力を増やすことによる、社会にかかる負担が 考慮されていないことです。借金しすぎて利子が払えなくなったら潰れる。 これは一般的な企業では当たり前の話ですからね。 ところが、国の簿記では、そもそもそれを表示することが無いのですから、 負担を表示できない。さらに、技術的には国の借金が増やせてしまうことも 事実ではあるんです。(当然、お金が増えることにより、社会的に何らかの 影響が出ることは予想できますが) この両者のズレはつまり、国のお金の考え方から経年の変化が すっぽり抜け落ちているが故の感覚の"ズレ"なんですよね。 やっぱり国の帳簿を"複式"へ作り直して、国が(技術的にではなく社会的に) どれだけの負担に耐えられるのか、どれだけの借金をできる能力があるのか チェックしてみた方が混乱しないで済むと思うんですけどね。
- 織田 信長(@id_system)
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<「国債(円建て)を増発する」ことに対して、「国民の借金が増大する」という見方と、「国民の資産が増える」という見方があるようです。> 「国民の借金が増大する」という見方をした場合、「国民の資産が増える」という見方も正しい事になります。要するに国家という一つの括り(一家の例え話)にしてしまうと、そうなってしまうのです。 市場が危機的な状況では、連鎖的な大破綻が起こりかねない状態にあります。そこで国家が国債を発行し、国が市場の安定を計ります。市場が一定の安定を取り戻し、国民の経済活動が守られれば、企業も個人も消費をし、そしてその過程で税を納め、国家の税収も安定します。 これを放置してしまうと市場は崩壊、税収は激減、社会は戦後並みのいたましい状態になってしまいます。GDPが1/4になってしまえば税収は1/4以下です。失われたGDP分だけ仕事も消滅、企業も消滅してしまいます。 なので景気低迷時の国債発行は、市場の安定は税収に繋がりますので、将来の配当目的で株式投資をするようなものです。国家の手元には物は残りませんが税を納めてくれるだけのGDPが残ります。金のなる木が残るといったところ。 国債は、国民が後で税金を納めることで返済すると仮定しています。日本の国債を買っているのは銀行や保険会社などの金融機関などです。なので国の借金の利息は日本国内の主要金融機関が受け取り、そして金融機関から個人や企業が利子として受け取ります。 あなたが歌って、私が拍手を送りお金を払い、私が歌って、あなたが拍手を送りお金を払った。なんて事態となんら変わらないのが、経済であったりします。 ハニさんが歌って、ホヘさんが拍手を送りお金を払い、ハニさんはおにぎりを買って食べました。ホヘさんがケーキを作り、トイさんが美味しそうだとホヘさんはケーキを買って、ホヘさんはケーキを売ったお金でお肉を買いました。と国民が消費しお金が回る事が経済。
- mojitto
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#1です。 あとから質問文を読み返してみたところ、重要な一文を読み抜かしていたようです。 >「国民の資産が増えるのなら、税収の不足分に対して、国債の発行額を、どんどん増やせば、良い」 ですが、国債を発行すれば現金が手に入ります。 つまりこの時点では資産が増えるわけです。 しかし国が現金を消費する活動をすれば、当然ながら資産は減ります。(#4様が詳しく説明をしてくれていますが) まぁただ、建前では国が現金を消費する活動は行政サービスのほかに、景気の回復でも現金が使われ、景気がよくなれば税収も増える…というシナリオがあります。 (一種の投資のようなもの) あくまでシナリオですが… この辺のことは経済や簿記をやると分かりやすいのですが、とにかく >「国民の資産が増える」 のは国債を発行して現金を得て、使うまでの間です。 その後、公務員の給与や事業などで使ったり、現金資産を建物や車などの資産に変えた場合でも、(後者は緩やかにですが)増えた資産は減っていくことになります。 (生活費と一緒のようなものです) 私たち国民は生活費で支出することで日々を暮らすことで、勤労を可能にし、給料を得ますが、それと同じで、国も税収を得ることになります。 ただ、借金は利息を支払わなくてはいけないので、国債は発行しないに越したことはありません(収入の範囲で必要な支出をまかなう)し、国を家計に見立てた場合、火の車なのは明らかですけどね。
- sudacyu
- ベストアンサー率35% (687/1961)
<「国債(円建て)を増発する」ことに対して、「国民の借金が増大する」という見方と、「国民の資産が増える」という見方があるようです。> 間違っていますね。国債を発行した段階では、国民の借金が増える分だけ資産が増えますが、その資産を国は消費財や人件費に変えて消耗してしまいます。 建物や自衛隊の兵器などのように30年以上資産価値がある物に姿を変える場合もありますが、いずれスクラップになります。 残るのは借金となります。 国債は、国民が後で税金を納めることで返済すると仮定しているのですが、現在の国債残高は、一切国が何に対してもお金を使わず国民の税金をすべて借金返済に充てても、20年以上かかる状況になってしまいました。 国民の貯金→銀行へ預ける→銀行は国債を買うという図式ですから、私たちが銀行に預けたお金のうち、800兆円は既に使われてしまっています。返済するには、私たちが800兆円税金を納めるしかありませんが、常識で考えれば不可能です。 国債発行を減らさなければ、今のデフレ(=工業製品が安くなって、輸入の食糧やガソリンの値段が横ばいの状況)がインフレ(食糧やガソリンが高騰)に代わって、国民の預貯金が800兆円分目減りする事態になります。
- yatoaa
- ベストアンサー率30% (110/362)
お金の本質 というものは世界レベルの経済学者でも理解できて いません ニクソンショックで ドルが金現物兌換の保証を放棄した時点で お金は、昔のお金の定義を逸脱してしまいましたので もはや ぉ金(紙幣)の本質・正体はだれにもわかりません (そのために、サブプライム問題など、際限無しのマネーゲームが 生まれた などなど) そもそも お金は「物々交換を円滑にする」ということだけが 目的のはずだったんですけどね・・・・・・・ ************************************************************ もともと 国の予算が足りなければ 紙幣印刷すればいいだけの 話ですし、もっと極端に言えば国が日銀経由で 財務省の口座へ 「50兆円入金」とプリントすればいいだけなのです (国には紙幣発行権があるので、どうにでもできる) ************************************************************* ではなぜ、国が紙幣印刷せずに 国債でお茶を濁しているかと言えば 「紙幣が多く流通すればインフレになるし、国際的に円為替が安くなる」 ということを恐れているので、「いきなりの紙幣増刷」をせずに ワンクッション置くために「国債」を発行しているに過ぎません ************************************************************* まぁ 国へはだれも取り立てにきませんから、債務であって 債務ではありません いざとなれば、国はどんな手段を使っても 債務をチャラに できるのです(法律を自由に作れますからね) ・税金を上げる ・新円発行して、交換手数料を取る ・国債の利率を下げる ・国債の破産(返還延期)を宣言する ・超インフレにもっていく などなど ************************************************************* ということで、結論ですが、わたしごときのレベルでは まったくわからない というのが 回答です 失礼しました
- tadagenji
- ベストアンサー率23% (508/2193)
国=国民と考えていませんか? 国債は、文字どおり国の債権=借金です。 直接・間接を問わず、それを購入したのは、国民の資産です。 考えの違いでも、トリックでもありません。 現在、人口が減っていってますね。 どんどん減っていき、とうとう日本国民最後のひとりになったとします。 その時、国債発行残高が、何百京円とかになっていたとして、誰の借金で誰が貸主か考えてみてください。 最後のひとりの日本人の右手に借金、左手に借用書である債権、どちらがおおきいですか? なんにもなくなりますね。 国債は発行しても誰も損をしていないという事です。 正確に言えば、借りている金なので利払いは必要です。 史上最低の国債利率の日本では、発行手数料のようなものです。 安心しましたか?
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お礼
「国=国民」という考えは、「好みの、ヒント」になります。ただ、「国は、数は1つで、規模は最大」、「銀行・証券などは、数は複数で、中規模」、「国民は、個々人の全体で、数は最大だが、規模は最小」というような、「3種類の、存在の数の違いと、規模の違い」のイメージが伴わないと、私のレベルでは、理解が難しいです。 これらは、私の視点では、「主体のサイズが違う、3種類のイメージ」なのですが、「主体の違いに伴う、借金や資産」の関係に展開されたら、多少、理解できたかもしれません。「経済には、持ち主の主体が、抜けている」ような印象が、かねがね、強いものですから。「主体を排除して、媒体の金だけを、1人歩きさせるるから、借金と資産が同居するような、経済学が成り立つ」と言えるのかもしれませんが? 多彩なご回答が寄せられたので、しばし、比較しながら、考えさせていただきます。