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分子の定義・・・・IUPACの1994年勧告
以前から何度も分子の定義についての質問が出ています。 「原子と分子はどう違うのか」です。 日本語版のwikiでは 「電荷的に中性な1つ以上の原子から構成される物質である」 英語版のwikiでは ”an electrically neutral group of at least two atoms in a definite arrangement” となっています。 日本語版では「単原子分子」と呼ばれているものを認めています。英語版では認めていません。 ところがおかしなことに参考資料として同じ記事が載せられています。IUPACのGOLDBOOKという記事です。 http://goldbook.iupac.org/M04002.html それを読むとIUPACの1994年勧告として An electrically neutral entity consisting of more than one atom (n>1) と書かれています。 英語版はこの内容を踏まえています。 日本語版はこの内容を無視しています。 なぜこういうことが起こっているのでしょうか。 命名法については「IUPACの勧告では・・・」という文章をよく見ます。分子の定義について「IUPACの勧告では・・・」という文章を見たことがありませんでした。 勧告はもう15年前のことです。 理化学辞典(岩波書店)の第5版は1998年の発行です。分子についての記述は1987年発行の第4版と全く同じです。単原子分子を認めています。 1994年発行の化学辞典(東京化学同人)では分子の項目と単原子分子という項目の両方で認めています。この辞典の執筆者の中にはIUPACの日本人委員(?)が多分含まれていると思います。1994年の勧告ということはそれ以前に混乱を意識して定義を整理しなければいけないという問題意識があったはずです。1990頃にはすでに議論されていたのではないでしょうか。 なぜこういうことが起こるのでしょうか。 1)IUPACの勧告を知らない 2)IUPACの勧告は知っているが辞典の内容を書き換えるほど重要なことであるとは考えていない。 3)単原子分子という表現に疑問を感じない、混乱があるとも思わない 4)IUPACの勧告の権威を認めていない どれでしょう。 バーローの「物理化学(第6版)」では「単原子分子気体」という言葉が使われています。英語版を見ると”monoatomic gases”となっています。翻訳者が勝手に「分子」という言葉を入れてしまっているのです。 レベルが低いというか、思い込みがきついというか、ちょっと呆れました。 この本の翻訳者は当然、IUPACの勧告のことは知らないだろうと思います。 「分子は構造を持っている」ということを要求する決定的な現象はゲイリュサックの気体反応の法則で表されているものです。これがアボガドロの分子説につながります。 n>1であるとしている英語版のwikiではこの法則が出てきていません。定比例の法則と倍数比例の法則だけです。 n≧1としている日本語版のwikiでは気体反応の法則がでてきています。 どちらのwikiも文全体として見たときは「?」が付きます。整合性がないのです。 構造を持たないものに対して「分子」という言葉を使うのであれば別に分子の定義が必要なはずです。 どの辞典にもその定義は示されていません。 日本語版のwikiでは希ガスだけを単原子分子としているようです。 単原子気体は希ガスだけではありませんので意味が狭いです。希ガスの別称という程度のものであれば学術用語に値しません。
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#2です。補足をありがとうございます。 > これで定義は完了していると言えるでしょうか。 私は、辞書的な定義としては、完了していると考えます。さらに詳しい説明が必要であれば、教科書や参考書や専門書にあたるべきです。 > 「1個の原子」は「原子の結合体」ではありません。この普通に考えると矛盾するものを同じものとみなすということが成り立つためにはそう見ても構わないということを示す丁寧な考察が必要なのです。 丁寧な考察があったほうがいいと私も思いますが、一項目の文字数に強い制限がある辞典などでは、ちょっと難しいと思います。 以下の(例1)~(例3)は、岩波理化学辞典第5版にある項目で、「もうちょっと説明が欲しいなあ」と私が思うものです。 (例1)「原子核」の項には 核子すなわち陽子と中性子からなる複合粒子 という定義が示されています。この定義によれば、陽子は原子核ではありません。陽子を原子核の仲間に含めるためには、「複合粒子でなくても、陽子は原子核である」という一文をいれる必要があります。または複合粒子という定義を捨てて、IUPAC Gold Book にあるように、まず原子を定義してから原子核を定義することになります。 http://dx.doi.org/10.1351/goldbook.N04256 原子核ぬきで原子(ドルトンの時代の原子ではなく、今日における原子)をきちんと定義するには、非常に丁寧な考察が必要になります。 (例2)「アルコール」の項には ヒドロキシ基について第1級化合物であるものは第1級アルコールまたは第1アルコール,1級アルコールとよばれ,第2級,第3級化合物であるものは(以下略) とあります。この分類によれば、メタノールは第1級アルコールではありません。メタノールを第1級アルコールに分類するためには、「第1級化合物でなくても、メタノールは第1級アルコールに分類される」という一文をいれる必要があります。なぜ?と聞かれたら、メタノールの化学的性質は第1級アルコールの化学的性質に似ているから、と即答できますので、この場合は丁寧な考察は不要です。 (例3)「炭化物」の項には 炭素とそれより陽性の元素との化合物 という定義が示されています。この定義によれば、炭化水素は炭化物です。炭化水素が炭化物ではないというためには、「水素は炭素より陽性の元素ではあるが、炭化水素は炭化物に含めない」という一文をいれる必要があります。なぜ炭化水素は炭化物じゃないの?と聞かれたら、私には答えられません。これは丁寧な考察によって答えられる類の質問なのでしょうか。 >「分子の概念は、ドルトンの原子論とゲーリュサックの気体反応の法則との間の矛盾点を除くためにアボガドロ(1811)がはじめて提出した。」 (しばしば見かける)このような説明が、いろいろな誤解のもとになってるんじゃないかなあと思います。 アボガドロの分子説は「単体気体に対して」分割可能な構造を持つとするものです。化合物気体に対する考え方は、ドルトンの原子説もアボガドロの分子説もほとんど同じです。 http://web.lemoyne.edu/~giunta/archema.html#atom http://web.lemoyne.edu/~giunta/archemm.html#molecule 分子の概念がアボガドロによってはじめて提出されたのなら、なぜ1811年のアボガドロの論文に、「分子」という言葉が何の説明もなく現れているのでしょうか。 http://web.lemoyne.edu/~giunta/AVOGADRO.HTML http://www.bibnum.education.fr/files/AVOGADRO_MASSES_RELATIVES.pdf アボガドロがその論文の冒頭で引用している、ゲイリュサックの論文に「分子」という言葉が登場するのはなぜでしょうか。 http://web.lemoyne.edu/~giunta/gaylussac.html 私は、アボガドロの論文のタイトルにある「分子」という言葉は「独立して運動する小さな粒は分子である」という用語法に沿ったものである、と考えます。 > アヴォガドロの項を引くと「2原子が1つの単位を作っていると仮定し、これを分子とよんだ」という文章があります。 ドルトンの原子説とアボガドロの分子説の最も大きな違いは、「ドルトンは気体の単体(酸素,水素など)は1原子からなることを自明の前提としたが,アヴォガドロは2原子が1つの単位をつくっていると仮定し,これを`分子'とよんだ」ことです。この文の前半部を省略するのは、まずいです。 > 1個の原子を分子とするというのはアボガドロの分子説からは出てくることのできないものです。 アボガドロの分子説 ↓ アボガドロの法則 ↓ pV=(w/M)RT ↓ 気体の分子量の決定 ↓ 原子量の決定 という流れを考えてください。レイリー卿とラムゼーによる、「空気中に含まれる非常に不活性な分子」の発見とその分子量の決定は、この流れの中にあります。 http://rspl.royalsocietypublishing.org/content/57/340-346/265.full.pdf > 「原子1つでも分子である」という展開は化学の流れの中からは出てこないものです。 上の論文を読むと、彼らは、「アルゴンが8族(今で言う18族)だとしたら、原子価がゼロなわけだから『単原子分子』になるのも納得できるよね(意訳)」と書いています(286ページ1行目)。 > IUPACの勧告はアボガドロの定義に戻ろう、化学としての定義を確認しようというものだと思います。 ウェブ翻訳 http://babelfish.yahoo.com/ の助けを借りて、ウィキペディア各国語版の「分子」をちょっとだけ調べてみました。数でいえば n>1 のほうがずっと多かったです。ただ、確固たる信念をもって n>1 にしている国ってあまりないような気がしました。n≧1なのは日本とイタリアだけ。オランダは(たぶん)明言していない。韓国語版はよく分かりませんでした。 IUPACの意図がどこにあるのかは私には分かりませんけど、n≧1 でなく n>1 になっている理由は、多数決でなんとなく、だったりするかもです。
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- Tacosan
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1点だけ: 「単原子分子」を「1個の原子からなるという構造を持つ分子」という解釈は (少なくとも言葉の上では) 可能なはず.
お礼
御礼が遅くなって申し訳ありません。 「原子1つでも構造である」という解釈は分子の定義によっては可能です。その場合は「構造」という言葉が構造一般を意味するという文脈になっていなければいけません。 理科学辞典や化学辞典では構造や結合の概念規定がアボガドロの分子説の意味でしかなされていません。他の分子の定義、アボガドロの分子説を含むような定義はなされていないのです。そうである限り「構造」は「構造一般」ではなくて「アボガドロの意味での構造」という事になります。「原子1でも構造である」とは言うことはできないのです。 だから「単原子分子」は木に竹をつないだような形で出てくるのです。 それでいて単原子分子の中に金属蒸気は含めていません。希ガスだけののこととしています。しぶしぶ認めたが希ガスだけの事に閉じ込めてしまいたいという無意識の願望かもしれません。 標準化学用語辞典(日本化学会編)という本があります。 第2版(平成17年)が出ているのに気がつきました。 第1版には不思議なことに「分子」という項目がありません。 第2版では「いくつかの原子が結びついたものをいう。・・・分子中の原子は共有結合で結びついている。」となっています。 「いくつかの」は1つを含むのか含まないのかという議論がまた起こりそうです。 なぜはっきりと英語版の辞典にあるように one or more atoms とか two or more atoms の様に書かないのでしょうか。 a group of atoms held together by chemical forces (McGraw-Hill Dic.2003) two or more atoms chemically combined (Penguin Dic.2009) という表現もあります。
- 101325
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> 日本語版はこの内容を無視しています。 > なぜこういうことが起こっているのでしょうか。 日本語版のその箇所を書いた人のレベルが低いか、思い込みがきついためでしょう。 履歴をみると、「定義をGOLDBOOKにあわせ」た結果、あのような記述になっているようです。 http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%86%E5%AD%90&diff=prev&oldid=15924190 つっこみを入れる人がいないのが何故なのかは、私にはわかりません。 英語版のほうでは、いろいろ議論されているようです。例えば http://en.wikipedia.org/wiki/Talk:Molecule#Definition_of_molecules_does_not_require_bonds.21 では、“The definition of a molecule is the smallest component of a pure compound that retains all properties of the compound.”という、日本の中学理科・高校化学における定義とほぼ同じもの[1]が提案されています。 > 理化学辞典《中略》化学辞典では... > なぜこういうことが起こるのでしょうか。 ごめんなさい。私にはわかりません。ただ、IUPACも ときどき変なことを言ったりするので、無条件に従う必要はないんじゃないかな、とは思います。例えば http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/~nagano/ssp.htm http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/~nagano/ssp2.htm には、IUPACによって化学熱力学に引き起こされた混乱が書かれています。また http://cicsj.chemistry.or.jp/14_5/hata.html には、「命名法によほど関心のある人でも“Guide 1993”が出たことを知る人は極めて少ない。長い伝統のある化合物名をいまさら改めようとしてもまず不可能とあきらめるしかないだろう」との記述があり、その後に「英語の論文なら but-2-ene と書いてあっても戸惑う人はあまりないだろうが,日本語では『ブト-2-エン』ではまず理解できないだろう。『2-ブテン』という日本語名を捨てるわけにはいかない」と書かれています。 > 構造を持たないものに対して「分子」という言葉を使うのであれば別に分子の定義が必要なはずです。 > どの辞典にもその定義は示されていません。 岩波理化学辞典第5版の「分子」の項には 1個の独立の粒子として行動すると考えられる原子の結合体をいう.1個の原子でも化学的に不活性で独立の粒子として行動する場合(希ガス原子)は分子である. という定義が示されています。学研の学習百科事典[1]でも定義が示されています。これらの定義には不備があるということでしょうか。「どの辞典にもその定義は示されていません」のところがよく分からないので、補足していただけたらと思います。 [1] 中学理科での定義については学研キッズネットの学習百科事典を、高校化学における定義については啓林館のサイトを、それぞれ参考にしました。 http://kids.gakken.co.jp/jiten/6/60020350.html http://www.keirinkan.com/kori/kori_chemistry/kori_chemistry_n1_kaitei/contents/ch-n1/1-bu/1-1-C.htm
補足
>岩波理化学辞典第5版の「分子」の項には 1個の独立の粒子として行動すると考えられる原子の結合体をいう.1個の原子でも化学的に不活性で独立の粒子として行動する場合(希ガス原子)は分子である. という定義が示されています これで定義は完了していると言えるでしょうか。 「1個の原子」は「原子の結合体」ではありません。この普通に考えると矛盾するものを同じものとみなすということが成り立つためにはそう見ても構わないということを示す丁寧な考察が必要なのです。 「同じとみなすと定義したから同じである」というのはトートロジーです。(これは他の辞典でも同じです。) その文章の後ろに 「分子の概念は、ドルトンの原子論とゲーリュサックの気体反応の法則との間の矛盾点を除くためにアボガドロ(1811)がはじめて提出した。」 という表現が続きます。アボガドロの分子説は単体気体に対して「分割可能な構造を持つ」とするものです。(#3様の言われる「原子1つでも構造である」というこじつけは成り立ちません。) アヴォガドロの項を引くと「2原子が1つの単位を作っていると仮定し、これを分子とよんだ」という文章があります。1個の原子を分子とするというのはアボガドロの分子説からは出てくることのできないものです。アボガドロの説からは出てこない内容をただ書いておけば定義した事になるとというのは論として成り立たないのです。 「原子1つでも分子である」という展開は化学の流れの中からは出てこないものです。 気体分子運動論の中で使われた「独立して運動する小さな粒は分子である」というアボガドロの分子説とは無関係な用語法(デカルトに由来するそうです)から出てきたものだろうと思います。(磁性体の理論の中で使われてきたワイスの「分子磁石」という言葉もこの流れです。化学で言う分子とは何の関係もありません。単にミクロなサイズの磁石というだけの意味です。でも相転移の統計力学の中では最近まで「分子場近似」、ワイス近似という言葉が使われてきていました。・・・私もこの言葉を大学院の時には使っていました。) 化学で分子の定義を考える時には取り込む必要のないものです。「物理のある分野では~という使い方がされることがある」というぐらいの扱いでいいはずです。(英文のwikiの中ではそういう扱いをしています。)ところが化学での分子の定義の中に含めようとして変な事になってしまったのです。 IUPACの勧告はアボガドロの定義に戻ろう、化学としての定義を確認しようというものだと思います。
- ORUKA1951
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なぜ一部分だけ読んで、きちんと読まないのでしょう。分子という言葉は、その用いられる分野によってさまざまに使い分けされます。 英語版Wikiでも、 「イオンと区別するときには、うんぬん・・」 「有機化学、生化学では・・・」 「気体分子運動論では、この分子という用語は、その構成にかかわらず、ガス状の粒子についてもしばしば用いられる。 この定義によれば、貴ガス原子は単一の結合していない粒子であっても分子と考えられる。」 と書かれています。 >In the kinetic theory of gases, the term molecule is often used for any gaseous particle regardless of its composition.According to this definition noble gas atoms are considered molecules despite the fact that they are composed of a single non-bonded atom そもそも、分子という概念--今では当たり前の存在で実在は誰も疑わないけど--は、ずっと単原子のものばかり(ドルトン)でなく、複数原子からなる粒子の存在についての、仮説にしか過ぎなかったという歴史を忘れています。 IUPACの分子の定義の勧告というものを私は知らない。 【引用】____________ここから When trying to define rigorously whether an arrangement of atoms is "sufficiently stable" to be considered a molecule, IUPAC suggests that it "must correspond to a depression on the potential energy surface that is deep enough to confine at least one vibrational state".  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ここまで[Molecule - Wikipedia, the free encyclopedia( http://en.wikipedia.org/wiki/Molecule#Theoretical_aspects )]より
お礼
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。 あちこち調べたり、考えをまとめたりで遅くなってしまいました。 分子という言葉はアボガドロがはじめて使ったものではないということは確かです。アボガドロは単体分子が分割可能だということをはじめていった人です。水がHOではなくてH2Oだということも言っています。これを手がかりにして酸素と水素の質量比が7.5ではなくて15だということを導いています。 これが元になっているのですから分子の概念規定にアボガドロの分子説を出してくる限り、分子の構造は分割可能な構造のことを意味します。 原子1つでも独立に運動していれば分子であるというのは別の定義なのです。 もし「独立に運動する粒子を分子という」という定義を採用するのであればアボガドロの分子はサブの定義になるはずです。 「このように定義された分子の中には原子1つのもの(単原子分子)も複数のもの(多原子分子)もある。単体分子の中には単原子分子も多原子分子もある。単体分子の中に多原子分子が存在することをはじめて言ったのはアボガドロである。 高温では全ての元素が単原子分子として存在する。希ガスと金属は低温でも単原子分子として存在する。」 これはある意味でスッキリしています。 物質を構成する要素はイオンと分子の2つになります。電荷を持つか持たないかの違いです。原子はその共通の素材になります。 イオンは単原子イオンと多原子イオンに分かれます。 分子も単原子分子と多原子分子に分かれます。 多原子分子も高温で解離すれば単原子分子になります。 水素の分子式と言えばHとH2であるということです。 酸素原子からは3つの分子が出来ます。O,O2、O3です。 He、Ne、・・・は分子式であると言っていいのです。(これは入試レベルで言うと×になるはずです。でもどの辞典でもHeは単原子分子であると書いてあるではないかとねじ込まれたらどうするのでしょう。) 多くの辞典では単原子分子は希ガスのことだという扱いです。 Fe、Cu、・・・が分子式だというのはどの辞典にも書いてありません。
補足
アボガドロの使ったmoleculeという意味は「独立に運動する微粒子」と言う意味ではないようです。 ドルトンのatom、アボガドロのmoeculeはどちらも現在使っている対比的なものではありません。 ドルトンがatomと言っているものを全てアボガドロはmoreculeと言っているのです。ドルトンの論文にはmoleculeは出てきません。アボガドロの論文にはatomは出てきません。 ドルトンのatom、アボガドロのmoleculeは物質の最小単位のことです。 LONGMANの辞典(DICTIONARY OF CONTENPORARY ENGLISH)にある molecule:the smallest part of any substance that can be separated from the substance without losing its own chemical form and qualities という定義が近いでしょう。 ドルトンはatom of waterという表現を使っていますから同じです。 アボガドロはドルトンが○1つで表したatomが○2つで出来ていると言っているのです。原子であるとか分子であるという言葉自体はあまり意味を持たないのです。原子と分子を対比的に使い出したのはもっと後の人たちでしょう。(ペランの「原子」のなかでは原子と分子は対比的に使われています。) ※LONGMAN の辞典には上の文章の後ろに続きがあります。 of one or more atoms 第2版(1981年) of two or more atoms 第5版(2009年)