• 締切済み

自然の中のムダなもの

よく、自然の中には、何一つとして、無駄なものはない。なんて言い方をしますが、本当にそうなのでしょうか? 例えば、“紅葉は、なぜ、赤くなるのか”を調べてみると、エネルギーを消費してまで、赤くなるのは、天敵であるアブラムシに、自分は丈夫であることを知らせるためであるみたいな説明があります。これは、赤くなるのは、無駄なことではなく、意味のあること、ということでしょう。 このようには、説明がつかない、無駄な、自然現象や形態があれば、教えてほしいのですが。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • OKWaveGT5
  • ベストアンサー率35% (93/262)
回答No.10

太陽が消滅するとき、太陽系の惑星は総て吸収され消滅します エントロピーの増大は状態を示すもので方向性を示すものではありません 話が大きくなりますが、地球上の生物学におけるエントロピーがブラックホールのエントロピーに総て吸い込まれたら、前者のエントロピーは拡がらず、すでにエントロピーではありません

noname#111804
noname#111804
回答No.9

自動車の開発において試作車をつくりデータを取ります。 良い結果が得られない場合、開発をやめます。 この場合、この試作車は無駄かと言うと、そんなことはありません。 欠陥のある新車を開発して販売することのほうが、よっぽど無駄です。 日本狼やトキはこの欠陥を持った試作車に該当します。 神が試作車をたくさん創り、どれが一番環境に適しているか 競わしているのです。 太陽の寿命はあと50億年です。このままでは人類は滅亡するかもしれません。そのときは人類は試作車にすぎなかったことになりますね。 しかし、中には、太陽がなくても生存増殖できる生物が いるような気がします。 人類は宇宙ステーションを発展させようとしています。 月を開発しようとしています。 宇宙へ飛び出そうとしているのです。太陽なしでも増殖、拡散 しようとしているのです。 これらの活動が、太陽が消滅したときの準備活動に思えてならないのです。 生物の増殖、拡散は神のなせる業ではなく ”エントロピーの増大、エネルギーの拡散”法則が原因と言えます。 それでは、何故その法則が存在するのかと言えばそれこそが 神のなせる業なのです。

  • OKWaveGT5
  • ベストアンサー率35% (93/262)
回答No.8

地球誕生が46億年前、RNA誕生が40億年前、生物は進化し、それとともに、ニホンオオカミやトキのように幾多の生物も絶滅しています。 生物の意義が種の存続なら、性同一性障害の方や絶滅種【EX(EW)】は自然の中では無駄なのでしょうか? 太陽の寿命が後50億年、それまでに地球上のDNAが総て滅び去るとしたら、現存する地球上の生命もまた無駄なのでしょうか?

noname#194289
noname#194289
回答No.7

生物が存在するのは存続できる仕組みがあるからで、増殖というのは存続を確実にするための安全装置だと思います。有限の資源はなるべく無駄に使わない方がその生物は長く存在出ます。どんな生物でも(人間は例外です)この増殖に対する安全装置を備えています。また増殖するにしてもなるべく資源を使わないように調節されています。ウイルスでも同じだと思います。もともとのインフルエンザウイルスは鳥の腸管で増殖して糞の中にウイルスが出てくるらしいですが、鳥は全く健康だそうです。つまり鳥を殺してしまうようには増殖していないので、この増殖は子孫を絶やさないための投資なのではないでしょうか。ところがとり以外の生物に感染できるようになったインフルエンザウイルスが時々現れて人にも流行を起こすのですが、こういうウイルスは安全装置が外れたようなものでそれこそ無駄に増殖しているのではないでしょうか。インフルエンザウイルスが安定して一人の人の中にいられないのはやたらに人の粘膜細胞を破壊しているからだと思います。

noname#111804
noname#111804
回答No.6

自然の中と言うよりも生物の中には無駄はないように思います。 生物の目的は種の保存、増殖にあります。 人間はこの地球上に66億人います。これからもますます増加することでしょう。こればかりは、だれにも止められません。 一方、今流行の新型インフルエンザウイルスがいます。 これらは人間に寄生することによって、増殖しているのです。 ここに、人間 VS ウイルスの戦いがあるのです。 人間もウイルスによって数を減らすわけにはいかないようです。 ”タミフル”で打ち負かそうとしているようです。 生物の進化の目的が種の増殖、拡散だとしたら、 それは、エントロピーの増大がその原因のように思います。

SAJ
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 生物の目的が、種の保存、増殖にあるというのは、理解できます。 地球上の人間は、増加し続けるのでしょうか?少なくとも、日本は、頭打ちですね。 日本人は、種の目的を忘れてしまったのか?それとも、増殖し続ける弊害に気づいて セーブしているのか? すみません。本論とずれてしまいました。

  • gramin
  • ベストアンサー率36% (51/138)
回答No.5

ここは生物カテゴリなので、「自然」を「生物」に読み替えて回答します。 生物の持っている性質は、ランダムに起こる突然変異の中から、生き残るのに都合の良い性質が生き残って、 次の世代を作っていることが多いので、 「生物の持っている性質の中にムダなものは何一つない」といわれることがあります。 ここで言うムダは、生き残るのにムダかどうかという価値観でのムダです。 昔、その性質を生物が手に入れたときには、生き残るのにとても都合がよかったのに、 今では少々困った点もあるという性質などが、SAJさんの求めているものでしょうか。 たとえば、光合成のときに二酸化炭素をRuBPという物質に結合させる反応に働く酵素(ルビスコといいます)は、 酸素があると他の反応を起こしてしまいます。 その結果作られる物質の一部はとくに使い道がない物質のように思います。 仕方がないので、その物質に手間やエネルギーを費やして多くの反応を経てRuBPに作り変えます。 ルビスコを植物が使い始めたころは大気中に酸素は少なかったようです。 この一連のムダにも意味を唱える人はいますが・・・

SAJ
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 なるほど。ルビスコの話は、初めて聞きました。そういうことがあるのですね。 酸素が少なかったころから、随分、時間が経っているのに、その一連の作業は、 続けられているのですね。 淘汰されないのは不思議な気がして、異を唱えたくなる人の気もわかりますね。

noname#100814
noname#100814
回答No.4

 自然界の事象を無駄かどうかなどと仕分けする必要があるのでしょうか?  自然の中には、何一つとして、無駄なものはない、という言説は哲学のようなものであって、 少なくとも生物学のカテゴリーで論ずべきことではないんじゃないですか?  論じたい方はお好きなようにどうぞ、ではないかと思いますよ。

SAJ
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 確かに哲学的な意味合いもある気がしますね。 ただ、一見意味のない無駄なように見えることも、よくよく観察/考察して見ると、 理にかなっている。なんていう例は、良くある気がしますが、どう見て考えても、 無駄にエネルギーをロスしているようなことがないのだろうか?と思った次第です。

  • Komiker
  • ベストアンサー率16% (83/518)
回答No.3

>自然の中には、何一つとして、無駄なものはない。なんて言い方をしますが、本当にそうなのでしょうか?  お尋ねの内容は生物学カテゴリには入りかねますね (^o^)  無駄とか無駄でないという考えかた、概念の性質を検べになってはどうでしょうか。  ついでに言えば、全ての存在、現象はその成立に必然性を有するものです (^_^)v

SAJ
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 質問の中の、“無駄”という言葉の定義が、あいまいでしたね。 非常に主観的な意味をもつ言葉のようで、失礼致しました。 私の意図は、 “無駄” = “その生物が、かけるエネルギー < その生物にとっての成果” というようなイメージでした。

noname#194289
noname#194289
回答No.2

生物が関係しない、大地震とか火山の大噴火のようなものはどうでしょうか。生物が関係している現象は少し違うと思います。あるいは生物に関する現象と限定した問いなのでしょうか。

SAJ
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 質問は、生物をイメージしていました。 “無駄”は、その生物にとって、という意味で考えていました。 生物が関係しない自然現象は、どう考えれば良いでしょうかね。 大地震や火山の大噴火は、地球にとって、どういう意味があるのでしょう。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.1

こんばんは。 インフルエンザのウィルスなんかは、一例になると思います。 人体にウィルスが感染することは、ウィルスが生きる場をつくること。 感染すると発病しますが、治癒するとウィルスは死にます。 ですから、ウィルスは死ぬために感染しているようなものです。 絶滅する前に何かに感染しておけば、とりあえず種族の延命は図れます。 私は生物学の専門家ではありませんが、 ある生物が存在することに何かの意味があるとか、 生物がある形態にあることが「何々するため」というような、 あたかも、何かの「意志」があるという主張はおかしいと思っています。 ライチョウが冬に白くなり、外敵から見つかりにくくなっていますが、 それは、幾多の突然変異を経てさまざまなライチョウが生まれて、 その中で、生存能力のあるもの、さらには生き延びる確率が高い「冬に白」のライチョウが たまたま現存しているだけだと思います。 インフルエンザウィルスは、とりあえず生き延びているから現存しているだけ。 紅葉とアブラムシのことは知りませんでしたが、生き延びる確率を上げているのでしょうか。 進化は、誰かの意志で生じたものではないはずです。 ご参考になりましたら幸いです。

SAJ
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 なるほど、インフルエンザウィルスですか。 ウィルスが宿主に感染、発病しても、治癒すると、自らも死んでしまいますし、 ウィルスが猛威を振るって、宿主が死んでしまった場合、やはり、自らも死んでしまいます。 というわけですが、sanoriさんも書いてくれているように、ウィルス自ら死ぬ前に、感染して しまえば、種の延命がはかれるわけですから、より良い環境を求め続けるという意味では、 理にかなっているのかな、という気もします。 ライチョウの例の、進化が、“突然変異”と“確率”からなるという話は、理解できる気がします。

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