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質問者に手放し過剰に共感することが多い
よく、相談系とか、意見を表明する質問者たたきみたいなことがあるようですが、私は反対で、過剰に質問者の側に立ってしまうのです。 人間関係の質問系ならば、「私にこんなことをいう人がいる。どう思いますか」とかなら、 「そんなことを言うほうがおかしい。徹底的に無視するか、徹底的に論駁しろ」というような、質問者の背中を過剰に押すようなところがありまして。こういうのはどうなんでしょうね。 また、質問者たたきのパターンはこういう問題に対して 「それはあなたが未熟だから」「もっと反省して相手に礼儀を尽くせ」とかになり、明らかに質問者たたきの類です。こういう心理も私には理解不能。 また、私自身がやっていることも理解不能です。 説明していただけると助かります。
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>また、私自身がやっていることも理解不能です。 恐らく、理性が先に立つか感情が先に立つか、だと思うのです。 理性勝ちな人は、質問文を冷静に分析し、現実的な対処方法を考え、事務的に書き込みます。 感情勝ちな人は、質問者の悩みに同調し、慰め、なだめる書き込みをすると思います。 その違いであって、基本的には「質問者を少しでもラクにさせたい」と願っていることは同じだと思うのです。 BakaAlice様は優しいのです。 だから、質問者の苦悩に敏感に反応して、それをわがことのように感じてしまうのでしょう。 それはそれで、全然かまわないと思いますよ。 メンタル系の悩み事には、「同情」が欠かせません。 特にこれは、今の若い人に多いのですが、「否定に弱い」からです。 「そうじゃなくて、これはこうしたほうがより良いですよ」とアドバイスしても、「そうじゃなくて」だけしか耳に(心に)届かない人もたくさんいます。 そうなると、「否定された!」と憤るのです。 ですから、そういう人たちにとって、BakaAlice様のように多少理屈が通らなくとも味方になってくれる人は、有難いのではないでしょうか。 自信を持って良いと思います。 共感ではありますが、「過剰」とは思いません。 そりゃ、回答者全員が共感していては始まりませんが、そういう人も中には居なくては、質問者さんは八方塞になってしまいますから。
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No5です。 コメントありがとうございます^^ >問題は、理屈ではなく、共感なんだ、と言う思考法が社会から抜けているのはなぜなんでしょうね。 あ、いえ、「問題解決」のために必要なのは、多くの場合理屈なんですよ^^ 共感「だけ」していても、何も解決されないんです。 でもね、メンタル系の質問者さんは、実は「問題解決」を望んでないことが殆どなんですね。 これが、例えば「エクセルで、これこれこういう式を作りたいのだが…」というような質問であれば、回答者に必要なのは理屈のみ。 共感は全く無用です。 そうですよね? ですが、メンタル系だと、そうはいかないんです。 悩み、苦しみ、悲観的になっている人に必要なのは、まず「共感」 そして、苦しみの元をいかに断つか、その理屈があとから来ます。 従って、「共感だけ」でもダメだし「理屈だけ」でもダメなんです。 「必要なのは共感であって、理屈ではない」言う思考法が社会から抜けている、と質問者様がお感じになるのは、ちょっと極端かもしれませんね。 世の中、問題解決には論理が必須です。 難病を知らされて嘆き悲しむ人に、同情することは非常に大切です。 それは、その人を心理的に救います。 ですが、同情は、命を救いません。 外科的・内科的な医療のみが、その人の命を救います。 ここでいう同情が、質問者様のおっしゃる「共感」に当たり、医療が「理屈」に当たります。 どちらが欠けてもダメなのです。 ですから、共感を前面に押し出す人(例 : 質問者様)、理屈を前面に打ち出す人(例 : 私)、どちらも悩む人の役には立つのです。 父親が厳しく叱り、母親が陰に回って慰める。 それが正しいありかただと思うし、どちらが欠けても問題解決には至らないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 まったくもってごもっともです。論理と共感はともに補い合わなければなりません。 論理だけで行く人が結構いるんですよ。
んーとですねー。これは回答してもいーのか、ちょっと考えちゃってたんですがー。 私ですねー、質問者さんの質問とか回答とか、今まで何度か読みましたけどねー。なんてゆーか、「ずいぶん相手に厳しい態度をとる人だなー」って感じてたんですよー。冷たいってゆーか、感情がないのかなこの人、ってゆー印象だったんですねー。 そう思ってた人が、こーゆー質問をされる。みんな優しさが欠如してる、私は人並み以上に共感してしまう、という。うーん、と考え込んでしまったんですねー。たぶん、あなたは本当にそう思ってるんでしょー。けれど、私から見たあなたの印象は、正反対だったんですねー。これ、どーしてなんでしょーねー。不思議ですねー? 人間って、「自分はこう思う」ってイメージをするときに、無意識のうちに自分にとって都合の悪い部分をうまいことオミットして考えてしまうところがあると思うんですねー。実は特定の人たちには冷たいのだけど、そーした人たちの存在をきれいに忘れて「私は相手にすぐ共感してしまう」と思う。そーゆーところ、ないですかー? それは、あなたのことだけをいってるんでなくて、あなたが「相手に冷たい」とゆー人たちも、きっとそーなんだと思うんですよー。自分が考え行動するとき、どこかで「自分にとって都合の悪い部分、あまり考えたくない部分」をきれいに自分自身の意識から取り除いて、自分をうまいこと正当化して考えてるんだと思うんですねー。私自身、きっとそーやって行動してるんだと思うし、みんな多少の差はあれ、そーゆーところあると思うんですよー。 だから、「相手にとって本当によかれと思って、あえて厳しい回答をする」とかゆーことになるんだと思うんですねー。そのとき、そうされた相手が果たして本当によい方向に向かうか、自分の行動にとってマイナスのイメージはきれいに取り除かれて、「そうでした、私が悪かったんです、よくぞ厳しくいってくれました」と相手が感謝感激雨霰な都合のいいイメージで行動しているんだと思うんですよー。 自分の姿ってゆーのは、自分では見られないし、うすうす気がついていても見えないふりをしてしまうんですねー。実社会では、それでも周りの人間によって「お前はこういう人間なんだぞ」と目を無理やり開かされることがありますがねー、こーゆーところではそれもないですねー。なので、安心して自分に都合の悪い部分に盲目でいられますねー。 質問者さんが「手放しに共感してしまう」と「思い込める」のも、人が「やたら厳しい態度を平気で取れる」のも、たぶんそーゆーことで、根っこは同じなんじゃじゃないかと思いまーす。ただ、それの現れ方が人それぞれ異なっているだけなのではではー。
お礼
ご回答ありがとうございます。 まさに、灯台元暗し、の言葉そのままですね。 なんか、じわーっと浸透しそうなご指摘です。 人間自己正当化がお家芸ですからね。本能かもしれません。 そういうものに操られて、「良かれと思ってやっている」ことが人の反発を食らったりうるさがられたり、逆にそんなこと思わないで何気なくやったことに感謝されたりやら、ほんとに、自己中心にならないような振る舞いは難しいですね。
こんにちは。 両方向から考えるとわかりやすいですよ。 たとえば質問文にある「私にこんなことを言う人がいる」という話なら、言う側に自分が立った目線で考えるのと、言われた側に自分が立った目線で考えるのと、両方考えると回答が偏らないと思います。 質問者さんの考えを受容することだけが、質問者さんの利益になるとは限りませんから。 私も経験があるのですが、質問者さんの意見が質問者さんにとって有益でないと感じたため「良くないと思う」という意味の回答をして、かなり質問者さんのご機嫌を損ねたことがありました。 それで、経験上思うのですが、質問者さんにとって耳の痛い事を回答する場合には、まず「あなたの思いは理解できる」と表明し、「でも、こうすればもっと良くなる」という形で自分の考えを述べると良いと思うのです。 ここの場所は匿名ですから、あまりにも直接的に自分の意見をぶつけると、匿名がゆえに攻撃さえ受けかねません。 でも、表現の仕方をちょっと工夫すれば、完全ではないにしても、攻撃を避けつつ自分の考えも表現できるのではないでしょうか。 そういう意味では、ここは「伝え方の訓練」が出きる場所だと思いますよ。 私もまだ訓練中の身ですが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 まさにそのとおりですね。物をどういうかのほうが、何を言うかより大事なことなのに、それがわかってない無神経な人間が多いように思われます。人間に角が多くなってきたと言うか、ここでよく感じることです。「優しさ」の欠如ですね。
申し訳ないのですが叩かせて頂きます。 BakaAlice さんは人を舐めているのです。人の質問を軽んじているのです。何でも背中を押していいなんてことはありません。 質問者が未熟(この質問をしているBakaAlice さんも含めて)であることもあるし、礼儀を欠いた質問者も多くいます。 質問も回答も自分自身すら理解不能ということは、きちんと判断ができずにやたらと背中を押すというのは、ただ煽っているだけに過ぎず愉快犯に等しいと言えますよ。 「どうしても殺したい奴がいます。どうしたらいいでしょう。」という質問を読んだら、徹底的に殺ってしまえというような回答をされるのでしょうね。成熟する前に人間に育ちましょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は一番大事なことは 「質問者回答者が喜ぶようなことをしよう」 ということです。そうすれば人は正しいほうに向いていくと考えます。最も普通な人の場合ですよ。 真っ当でないものは放っておけばよろしい。 それから、あまり質問者を舐めるような感覚はなくしたほうがよろしいと考えます。
- red-clowns
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あなたみたいな質問者には「質問者たたきの類」の回答が沢山でてくるのでは? あなたは、そのあなたの言う「質問者たたきの類」の性格を持つ回答者が、毎回違う質問者に対しても、訳もなく「それはあなたが未熟だから」「もっと反省して相手に礼儀を尽くせ」などなど、叩くだけが能だと思っているのですか?回答者の多くは、しっかり質問者の言いたいこと、言ってもらいたいことを質問文から読み取り、内容に適したアドバイスや注意をしていますよね?それくらい分かりますよね。 ところで今、俺はあなた(質問者)にたいして回答、まぁあなたの言葉を拝借して「質問者叩き」をしている訳ですが、理由はわかりますか? 「こういう心理も私には理解不能。」とおっしゃっているので分からないかもしれませんが。ズバリあなたの考えが未熟な上に、少し考えれば理解できるような「常識」すら理解できていないからです。あなたが理解できないと断言した箇所は、常人なら考えて容易く理解できる事です。少しは考えてください。そして、「私自身がやっていることも理解不能です」。凄くムカつくフレーズです。自分自身のことも理解できない程なら、こんなところに質問する前に「自分で黙々と考える」という事をして下さい。 あなたの手放しに相手を褒める、共感してしまう。それは、なやんでる人を取り敢えずは励ます、元気にしてあげる、という優しくて直感的、そして頼もしく、良いところだと思います。でも例えば、完全に質問者に否があり、間違っていようとも、あなたは回答者として質問者の肩を持ちますか?「いや、それはあなたがいけない、もっと状況を認め、反省するべきだ」と助言(アドバイ)・注意してやってからこそ問題が解決する場合だってあるんじゃないですか? あなたの文を見ていると、言葉はキツイですが、馬鹿なんじゃないかなと思ってしまう人が大半だと思います。まずは、「理解不能理解不能」と、あまり書かないほうがいいと思いますよ。「偉そうに断言するわりには、何も考えられない馬鹿」と、腹が立ちます。 臨機応変に物事を考えて、柔軟に状況と結果、事物とその裏、自分の意見が第三者から見たらどう思われるか等を、考えたらいいんじゃないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうござます。 回答者さんはつねによい回答を心がけている、という意識から来るご回答ですね。しかし、そういう善意ではない回答というのも数限りなくあります。それは、「共感」とは全く逆方向を向いている。 私はまず大事なことは、 「質問者回答者、お互い喜ぶようにしよう」 ということです。まずこれが第一。後の些細な問題はとるに足りません。その取るに足らない数パーセントの中で、叱咤するなり、否定するなり、背中を押すなりすればよい。相手を喜ばすということは、「ピントの合った回答をする」ということでほとんど満たされますからね。それから、問題のある質問者、質問内容にはかかわらなければすむこと。わざわざ説教垂れにパソコン画面とにらめっこする必要はありません。私が馬鹿かどうかは、私のコメントから判断してください。
相談系は共感で良いとおもいます。 どうせ聞く耳は持っていないでしょうし。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そう思いまうす。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「質問者回答者が喜ぶ」と言うことが一番大事じゃありませんか? ちょっと、自分を抑えればそうなる、と言うことが予想できれば、自分のスタイルをあえて曲げる、と言う苦労も厭いません。 この、「優しくない」という人が多いことが問題です。それ自体、社会がやんでいるのではないか?とさえ思えます。 私は自分で言うのもなんですが、おそらく人の痛みをよく感じますね(これをいうとやたらに否定する人間が出てくるのでしょうが)だから、質問者を喜ばせないようなことはとてもできません。 問題は、理屈ではなく、共感なんだ、と言う思考法が社会から抜けているのはなぜなんでしょうね。