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DiorHomme エディ・スリマン
みなさんの意見をぜひ教えてください。 DiorHomme エディ・スリマンは当時(一部で現在でも)、なぜあのように熱狂的に支持されたのでしょうか?よくキーワードとして「少年性」「ロック」などがいわれていますが、そのような表現はすでにモード以外でも様々な分野でおこなわれてきましたし、それでその熱狂を説明出来ているようには思えません。 よろしくおねがいします。
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> あの細さ、あのジャケットのシルエット という場合は、恐らく2005年頃のコレクションを指すのではないでしょうか? 最初からあの細さ、シルエットだったわけではないですし 07年頃からは新しいシルエットの模索を始めています。 (でも、完成しないままディオールを去ってしまったと思います。) > 一般に云われるように新しかったのでしょうか? > もしくは実はすでに一部の人たちにとっては > 既知のものだったのでしょうか? エディがディオール・オムのデザイナーに就任した最初の数シーズンは 大変注目され評判にもなったものの 決して「新しい」とは評価されていなかったと思います。 むしろ、先の回答に書いた通り ラフ・シモンズ以降の流れを継いでいたと思います。 少なくとも「少年性」「ロック」はそもそもラフの特徴を指す言葉であったと思います。 百聞は一見にしかず、ということで ラフの初期のコレクションをご覧頂きご自身でご判断頂ければと思い 探してみたら、あった! http://ameblo.jp/fashionvideo/entry-10312718981.html http://ameblo.jp/fashionvideo/entry-10312715444.html (残念ながら音がないようですね。) で、これとエディのディオール・オムの初期 http://ameblo.jp/fashionvideo/entry-10311876281.html http://ameblo.jp/fashionvideo/entry-10311880415.html を較べてみて下さい。 ラフは97/98秋冬にパリ・コレに彗星のごとくデビューしたのですが この97/98秋冬のコレクションは本当にその後に影響を与えたなあと (エディよりずっと衝撃を与えたと記憶しています) 今ひさしぶりに見直して、ちょっと驚きました。 ラフは2001年頃から新しい方向を模索し始めます。 一方、それまでのラフが好きだった人たちが目をつけたのが (ユナイテッドアローズの栗野さんとか) エディであったと私には見えていました。 エディは徐々に頭角をあらわし始め デザインも固有性を獲得し始めました。 特に人気を博したのが2005年春夏コレクションだと思いますが http://ameblo.jp/fashionvideo/entry-10312048956.html 今あらためて見ると97/98秋冬のラフに重なると感じました。 (どう思われますか?) でもね。 じゃあ、ラフは全く新しかったのか?と言えば 必ずしもそうだったとは言えないと思います。 というか、ラフの評価はデザインではなく 何でもない服を、サイジングとスタイリングを変えることで 新しく見せたことだと言われていました。 何でもない服を新しく見せることに最初に成功したのは レディースではマルタン・マルジェラ メンズではヘルムート・ラングだったと認識しています。 まあ、ぶっちゃっけて言うと メンズのスーツをスクエアな細身にして 細いラペルと細い黒のネクタイを合わせる、といったスタイルを 現在に普及されたのはヘルムート・ラングですよ。 (プラダのせいで、もうファッションはやらないと決めたみたいですが…) http://internationalfashion.blog49.fc2.com/blog-date-20080715.html
> なぜあのように熱狂的に支持されたのでしょうか? フランス人だったからだと思いますよ。 しかも、確かパリ生まれでしょう?エディは。 記憶で書くので間違いがあるかも知れませんが 80年代半ばくらいからパリのファッション業界は フランス人の若いスターデザイナーが出てこなくなったことを憂いていました。 当時のパリのファッション業界は 必死になってゴルチェとラクロアを持ち上げていた感がありましたが 90年に入るとパリモードは完全に外国人デザイナーに引っ張られるようになった。 この勢いにパリの老舗メゾンまでが喰われていくわけです。 90年代後半になるとグッチの復活に倣って パリの老舗メゾンが若いデザイナーをクリエイティブ・ディレクターに登用し メゾンの若返りを始めますが その結果、パリの老舗メゾンのクリエイティブ・ディレクターが ほとんど外国人になっちゃったんですね。 多少時期が前後しますが シャネルとクロエは既にドイツ人(カール・ラガーフェルド)でしたし (クロエは英国人ステラ・マッカートニーに引き継がれた) エルメスはベルギー人(マルタン・マルジェラ) ジバンシーはイギリス人(ガリアーノ→マックイーン) ディオールもイギリス人(ガリアーノがジバンシーから移籍) ヴィトンはアメリカ人(マーク・ジェイコブス) など、枚挙に暇がありません。 ディオール・オムにエディが就任し バレンシアガにニコラ・ゲスキエールが就任したときは 「待望のフランス若手デザイナー」として パリのファッション業界の大歓迎ぶりが 日本のファッション誌でも報道されていました。 フランス人が熱狂的に支持するのは 分からなくもないですが それがなぜ日本に伝播したか?と言えば スタイリスト・ブームに目をつけたビッグ・メゾンが 人気スタイリストに(ダイレクトに)仕事を依頼するようになったかならだと思います。 祐真朋樹なんて、スタイリストというよりも エディの宣伝マンになってましたよね。 要するに、自分の感覚としては > 熱狂的に支持された というよりは熱狂が仕掛けられた、という印象でした。 ちなみに当時の日本のモード好きからは エディ=ラフ・シモンズのパクリ、みたいな評価だった。 トム・フォードのグッチのメンズも 初期は「アン・ドゥムルメーステールとジャン・コロナを 上質に仕立て直した服」と嫌味を言う人が多かったと思う。 私はエディもトムも大好きですが それでも、やっぱりメゾンの資本力がなければ 現在の評価は獲得できなかったと思います。
お礼
わたしのようなド素人からは思いもよらなかった角度からのご回答いただきまして、大変参考になりました。ありがとうございます(風邪で寝込んでいたため、書き込み遅くなりました、失礼しました)。 モードでも業界全体での「仕掛け」が存在するのですね。売れる構造から作り上げるという。60年代のビートルズの「仕掛け」を思い出しました。踊らされた部分があるのでしょうかね。ちなみに私はいまごろ遅れて踊っています(笑) あの細さ、あのジャケットのシルエットは一般に云われるように新しかったのでしょうか?もしくは実はすでに一部の人たちにとっては既知のものだったのでしょうか?