※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:投資と悪)
投資と悪とは?金融界での議論を考察
このQ&Aのポイント
金融界が悪と言われる理由について考察してみました。投機行為や貯蓄行動、利子の取り方についての悪い側面を指摘しましたが、一方で社会的に善い投資も存在することを示しました。
金融界の悪さについて、善悪の定義とともに考えました。投機行為は社会的な価値創出に基づかない行為であり、悪と言えるかもしれません。
貯蓄行動や利子の取り方についても悪い面があると指摘しましたが、一方で社会的に善い投資も存在することを示しました。マイクロファイナンスなど、社会への価値創出に対する対価を得る投資は善いと言えるでしょう。
巷で金融界のことが悪く言われていますが、何のどこがどういうわけで悪いのか明確に定義されていないと感じ、考えてみたいと思いました。
いくつか自分で考えた点がございますので、ご意見を伺えたらと思います。
1、善悪の定義
私が思うに悪とは他人の利益を害してでも自分の利益を追求する行為だと思いますが、自由競争経済でたとえば会社同士の競争があるのは仕方ないので一概には言えませんが、実業の場合なら顧客というか社会に価値を提供して対価を得る行為前提で企業間の競争があるのでいいですが、投機という行為に関しては、いわば買占めで、社会に価値を創出する行為に基づいていないように思います。したがって投機という行為は悪といえるのではないでしょうか。
また善悪の定義についてどうお考えでしょうか。
2、貯蓄という行為そのものについて
経済学で均衡式でS-I=X-Mというものを習いました。
完全雇用に近づけるための条件として、国の限界貯蓄性向を押さえ投資額と基礎消費を増やすこと、消費のための基礎輸入と投資のための輸入、限界輸入性向を減らし輸出を高めることが有効だと思いますが、逆に言うなら人々の「お金をためよう(購買力を貯蓄しよう)」という行為はとりもなおさず完全雇用を脅かす「社会悪」であるといえるのではないでしょうか。
ですが現実的に、人生に備えて必要分の貯蓄は実際必要であるし、まとまった金を貸せる人ないし機関がなければ企業活動も円滑にいかないので貯蓄行動のすべてが悪とはいえなさそうですが、いまの経済は金を生むために金をためる、そのせいで経済がうまく回らなくなる、それが行き過ぎているように感じます。
3、利子をとることについて
お金でなくたとえば食料を価値保存の手段として使うなら、時間がたつにつれ価値は下がるから同じ100円分の食料なら将来の方が高いですが、お金はその逆です。それに違和感を感じました。誰かに金を貸すのに、利子を取るどころか満額帰ってくることを期待すること自体社会的に見れば悪なのではないか、とすら感じました。
4、逆に社会的によいとされる投資とは
単純に考えて、人から人に金を貸す場合、金を貸すほうは、多少賭けの要素があっても元手を増やしたいと思うから金を貸すのだし、借りるほうはプロジェクトの運転資金がほしいから、機械損失を回避するためには借りてもよいと判断し、要はお互いの利害が一致する、winwinの関係が成り立つはずです。それが守られていれば何も金融が社会悪になりうるはずがないと感じました。少しさっきの議論と矛盾しますが。
であるなら消費者金融や銀行のような貸し金業は悪とはいえないことになります。
ですが実感がわきません。逆に貸し金業ならたとえばマイクロファイナンスが善い金融だと感じます。
確かに高い金利ですが、その分借りた人の生活を家庭教師のように管理し改善し、後で利息をいただくというのは、社会への価値創出に対する対価を得るという、「労働により得た賃金」であるように感じます。こういう投資を社会的に善い投資といえるのではないでしょうか。