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今までの殺生への償い
私は(というか人は誰でも)「食べる」という行為を通して、間接的に他の生物を殺生してきました。これは自然の摂理だとか食物連鎖だとかの一部だと言ってしまえばそれで済むかもしれません。でも家畜とか養殖の魚とかってやはり不自然ではないでしょうか?当たり前のことですが、人間が食べる作物を育てるために罪もない雑草の命を奪うという行為も、やはり人間の知により為せるものでしょうが、この1ヵ月半、農家民泊で農作業をしながら違和感を覚え続けました。 お聞きしたいことが2つあります。 (1)自然の一部でありながら、上のように自然を操作できてしまう生物として、どのように割り切って生きていったらいいのでしょうか?皆さんのご意見をお聞かせください。また、そういうことについて書かれた読みやすい書籍などがあれば教えてください。 (2)そして、今までこうした間接的・直接的(虫を殺すetc)な殺生をしてきたことに対して償いをしたいのですが、どのような行為が考えられますか?「植林」というのを思いついたのですが、あまり償いになっていないような気がして・・・ というかこの質問そもそもこのカテでいいんですかね?笑
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質問者が選んだベストアンサー
> 実は「ブッダ」はついこの前読みました。むしろ読んでからこういうことを考えるようになった、と言えます。自分の身近な人の死というものをまだ体験していないというのも大きいかもしれません。 そうだったんですね。失礼しました。 死生観に関しては、自我の確立の部分の一つと私は考えます。この部分の確立の過程を人に頼るのは当たり前の流れですが、そこで生じる苦しさを楽になるための手段として人に頼るのは精神的な隷属の一種になってしまうので。 以下、人それぞれという部分の話に踏み込んでしまいますが。 自分という存在自身が、自然という真理のなかに存在する役割の一つという理解であるなら、植林に限らず、ごくごく小さなことであったとしても、自然や地球、宇宙に役立つであろうことを行うのは有意義だと思います。 ただ、殺生に対しての償いと考えるなら、相手に対して失礼かもしれません。あなた自身が何かの役に立つことで、「相手」も存在した意義を持てることになるわけですから。
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- desertz199
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養殖を否定して植林というのもおかしく感じますけど。 特定の答えはないので考えてください。
お礼
回答ありがとうございました。 そうですよね。だから何か違うなと思ってまして・・・
- potachie
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「雑草」という言葉を使う時点で、殺生への償いという言葉は不似合いな気もするのですが。「罪」とは、相手があって成り立つ考え方です。その相手に対してもし仮に敬意があるのなら「雑草」とは呼ばないはず。博物学者さんが一番嫌う言葉の一つです。 ということはさておき、2つの回答をします。 ひとつは、手塚治虫の「ブッタ」を読まれたことがないなら、倫理についての入門書として一度、読んで見られることをお勧めします。多くの人は、一度、思春期で迷い、答えを出してきたことが、いままで伸びてきてしまった部分があるのかもしれません。死生観について、見直すのは、自我の確立のためのひとつの行為だと思います。 行動の前に、内面で結論を出す必要があるのは、ご質問者のお考えの通りだと思います。 ひとつは歴史を紐解くと、人が殺生をすること以上の力で、自然は人を殺そうとしてきました。現代人は、すでに過去の人たちの業績で守られた環境で過ごしています。殺生について考えることができるのも、その余裕のひとつともいえるかもしれません。郷土や住まわれている土地の民俗史を調べてみられるのも答えに近づくひとつかと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 おっしゃる通りですね。口だけで、草花のことを本気で考えられていないのかもしれません。 実は「ブッダ」はついこの前読みました。むしろ読んでからこういうことを考えるようになった、と言えます。自分の身近な人の死というものをまだ体験していないというのも大きいかもしれません。 民俗史も調べてみようかと思います。
- バグース(@bagus3)
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(1)世の中には、答えのない疑問がたくさんあります。 これもそのひとつでしょう。どうやっても割り切れない と割り切って、後ろめたさをもったまま生きていくと 覚悟を決めましょう。 (2)これまで殺生をして生きてきたという罪の意識が あるなら、生き方を変えるのがいいです。 これまでどおり罪を犯しながら、同時に償いを するのは矛盾しています。とりあえず殺生をやめるか 減らす必要があります。 まず肉食をやめてベジタリアンになりませんか。
お礼
回答ありがとうございます。 >後ろめたさをもったまま生きていくと覚悟を決めましょう。 その覚悟が決まらないんですよね。 >まず肉食をやめてベジタリアンになりませんか。 質問文に書きましたように、家畜も野菜も一緒に思えます。殺生をやめるには食べることをやめるしかないのでは?それはつまり死を意味します。正直申しますと、現在私の心はそちらに傾いています。
- haragyatei
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ほとけに目覚めるというかようやく自分も自然の一部だと気づかれたようです。ぜひ、仏教を勉強してください。釈迦尼仏の言われたことがわかれば悩みは消えると思います。興味を持ちたければ歌舞伎役者の中村勘太郎主演の「禅」をDVDで見てください。西洋流の自然を克服し、従えるという考えではなく、自然と共に生きる東洋の知恵を学んでください。仏教の十戒では最初に不殺生戒があり、西洋の神様と違うことも面白いと思います。私は殺生するなは自然の輝きを見よと言われたと思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 実は「禅」は劇場で観ました。仏教の入門書などにも手をつけてみたことがあったのですが、あまり気が乗りませんで・・・。
- trajaa
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ここは一つ仏門にお入り頂くのがよろしいかと。 煩悩と殺生三昧の私にはそれしか・・・ 「植林」だって、そもそも近隣の樹木の子孫が育とうとしていたかもしれない場所の雑草や幼木をはらって、害虫を駆除して育成した苗木を植え、下草を刈るのですね。 嗚呼なんと罪作りな生き物なのでしょう人間は(o^^o)
お礼
回答ありがとうございます。 植林がそういうことだというのは薄々わかってました(笑 砂漠に植林だったらまだいいかもしれませんね。
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お礼
再度の回答ありがとうございます。 >あなた自身が何かの役に立つことで、「相手」も存在した意義を持てることになるわけですから。 非常に心に響きました。やっぱり自殺はいけませんね。