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精神科医のやりがい
統合失調症の娘を抱えた父です。発症してから13年になります。薬は飲んでいますが、なかなか良くなりませんし、家族会でお話を聞いても、もう長い間治療を続けているという方ばかりです。統合失調症は他の病気と違い、薬をやったからといって、てきめんに効き、治る病気ではありません。精神科医は毎日患者の支離滅裂な話を聞き、特効薬もなく、若干しか効果のない薬を与えるしか方法がない現在、患者が治ったという,やりがい、喜びが少ない仕事において、どうmotivationを保っているのでしょうか?私達は精神科医の方のみが頼りです。それほど大変なお仕事についている先生に対し、motivationが下がらぬよう、家族としてどう接するのが一番でしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
発症して13年、長い年月を娘さんと過ごされてきたんですね。 私にはNo.3の方がおっしゃっているような冷たい父親とはとても思えません。 事実、家族会にも参加され、統合失調症の方のお話も聞かれ 娘さんを理解したいという前向きな姿勢があるように思います。 質問者の方の年齢はわかりませんが、精神科医のモチベーションを 心配される辺りとても心優しいのだと思います。 私は精神科医ではないので実際どのようにモチベーションを保たれているのかはわかりませんが、医療従者として活動していた頃の経験から言いますと生きている生身の人間を相手にその人の話しを聞き、 その人が少しでも良い状態になるよう日々共に考え 決して幸せが少ない職業ではないと思います。 もちろん精神科医も十人十色だとは思うので一概には言えませんが ご家族の方が病気の事を理解せず、治療に参加してくれないケースも多いです。 質問者様のように娘さんの事を考え一緒に精神科医の元へ行き 少しでも良くしてあげたいという思いがある家族がいらっしゃると思うと、 それだけでモチベーションは保たれるのではないでしょうか。 拙い文章ですみません。
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- ka030025
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医学部の学生で、医師になっても一番儲からない、一番報われない、精神科を選択する人は、自分の家族や身近に精神病患者がいたり、自殺で亡くしている人が多いと、精神科関係者(臨床心理士やウンセラー)に何度となく聞いたことがあります。 他の診療科の医師にも身内の病気からその科を志した方は多いと思いますが、精神科医には特別に多いということでした。患者と手に手を携え精神の深みに降りて行くことで、自らも精神を病んでしまうことも少なくないそうです。 診療科は違うのですが、以前、主人が脳の手術をしました(その後遺症で私は、精神科医や関係者の方々とも交流があるのです)。その時に、メス1つで人の命を救うことが脳外科医の喜びなのだろうと思っていたのですが、私が朝夕となく病室に通い、ベッドの傍らで医学書を読んで病気のことを勉強したり、他の家族の方がしないような細かい世話や、独自に考え出したリハビリなど試行錯誤をしているのを見て、その脳外科部長の先生は「あなたがそんなに一生懸命だから、私もとても勉強になるし、毎日治療するのが嬉しいのですよ」と言って下さいました。 医師の喜びは患者を治すことだけでなく、患者やその家族に寄り添い交感することにもあると思うのです。精神科医なら、なおさらだと思います。 ですから、どうかお父様にしかできない方法で、娘さんに治療のプラスになりそうなこと、喜んでくれそうなことを、何でもなさってあげて下さい。 医師は、そんなご家族を見ていたら、絶対モチベーションが下がることはないと思います。
お礼
あるがとうございます。精神科医の方はそうかもしれませんね。娘の今後の生活と回復は私の最大の目標ですので、あらゆる努力をするつもりですし、定年を過ぎた人間ですが、これからも働けるよう、現在、勉強に邁進中です。担当医の方にも、邪魔にならないくらいの頻度で訪問し、家庭での近況を報告して行きます。
はじめまして。 心療内科の患者です。 わたしは、スーパーで先月まで働いていました。 スーパーには、色んな役の人がいますが、大きく分けると、 売る人、計算する人、世話をする人に分かれると思います。 売る人は、結果が全てです。結果が出なければ叩かれるし、やりがいもありません。でも、それが好きな人もいます。 計算する人は、ずっと人のお金を数えています。ただ、ずっと数えて、間違っていないか数えて、答えを公表するだけです。間違っていたら、叩かれるし、別に数えても所詮は、会社のお金です。それでも、向いているという人もいます。 世話をする人は、来る日も来る日も、新たな問題の処理を任されます。ゴミ置き場の担当の人は、片付けても片付けても、従業員がゴミを運んで来ます。清掃員さんは、掃いても掃いても、お客様に汚されます。設備管理さんは、毎日何処かで何かを修理しています。きっと明日もまた、お店のどこかが壊れます。総務さんも、いつも雑用係に回されたり、あれこれ病人の介抱したり、皆のわがままを一生懸命処理されています。 それでも、ずっとそれが良いという人がいます。 わたしは、色々なところへ異動になりました。わたしは、全部向いていなかったけど、仕事には、「この仕事がいい」という人が、必ずいらっしゃいます。 わたしの先生は、たぶん、心療内科医が良いと思って、開業されたようにお見受けします。 先生は、たぶん、本当に「心療内科医」でいらっしゃるのだと、わたしは、感じます。
お礼
診療内科医の先生は使命感を持ってやっておられるんでしょうね。ご回答者様も長い治療でも根気よく対処していってください。
- IceCocoa31
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>患者が治ったという,やりがい、喜びが少ない仕事 そもそもここは、本気で精神科・心療内科・カウンセリングなどをされている方々にとっては「関係が無いところなのかと思いますよ。 それはきっと彼らが「本質的にもっと人として大切なところをしっているから」だと思います。 患者が治るからやりがいがでる、というのは少し違うのではないでしょうか。 もっと純粋なもので「この人(子)に少しでも元気になって欲しい」とか「助けてあげたい」とかそういうところなのだと私は思っています。 そもそも「モチベーションという概念」は一部の人にとっては無いものかもしれません。 一途に「患者さんを助けたい」と思い続けている人は「それをモチベーションとしている」のではなくて「勝手にそういう思いが結果に繋げていってくれるもの」だと思いますので。 (中にはモチベーションを頼りに、診察されるかたもおわれるかもしれませんけれどね) もっと本質的な、根本的な、本能的なもので、活動されているのだと思いますよ。 「心を救うには、その人の心を、救いたいと思う人が、救ってあげる事」が不可欠でしょうね。 プライドも、羞恥心も総てを捨てて本当に救われていく心掛けが必要になってくるものですから。 お医者さんのモチベーションも多少は関係するかもしれませんが 回りの現象を良くするのは「自分の心に相手が共鳴してくれたとき」ですよ。 「娘さんが元気になれる場所」を探していってあげてください。 「どんなところで喜んでくれて、どんなところで笑ってくれて、どんなところで嬉しがってくれるのか」、質問者さんはおそらく、ご存知ではないのではないのでしょうか。 精神病の大半は恐らくは 「その人の性質に合っていない場所(環境)に居続けるさせていること」が原因かと思われますので。 遺伝的なものもあるようですが あったとしても「その人(子)が元気になれる場所」というのは、探していくことで必ず見つかるはずですから、探していってください。 お医者さんとの接することも大切かもしれませんが、 もっと大切なのは「娘さんの心」を父である質問者さんがよくしり、娘さんが社会に適応できないからといって、無理矢理世間の中には押し込まれようとされないことが大切になってくるかと思います。 「知っていると思って知ることをやめてしまっていることと、少しでも知っていくこととでは意味が変わってきますからね。」 人の心の中は生涯かけたって、分り辛いものだと思います。 質問者さんはご自身の娘を、ご自身の娘だからといって、分り切られている点、或いは、知っていると思っているので、いままで以上に理解を示そうとされたりされたことが無いのかもしれません。 (当てつけで言っている訳ではありませんのでご容赦ください。) ですから質問者さんも「娘さんの心のこと、まだ知らないことが沢山ある」のだと思います。 大切にしていってあげてくださいね。 世間体とかそういうのではなく「心に優しく接してあげること」「心で相手と接する事」というのはとても大切なことですからね。
お礼
いろいろ試行錯誤しながら、娘すべてで頑張っております。
>私達は精神科医の方のみが頼りです 医者は、患者が治る“お手伝い”をするだけです。 ご自分の娘ではないのですか? 父親が見放して、どうするのでしょうか? 統合失調症は“必ず”治る病気です。 ただ、家族(特に、親)が、否定的(無理解)である場合は、治らないでしょう。 どうして、自分の娘に、これだけ冷たく当たれるのか、私には理解不能です。 一人の人間です。(ペットではありませんし、慰み者でもありません) 自分を犠牲にしてでも、娘を何とかしてやろう、と考えてしまう私は、甘いのでしょうか?
お礼
私の対処はNo4の方への返事をご覧になってください。 > 自分を犠牲にしてでも、娘を何とかしてやろう、と考えてしまう私は、甘いのでしょうか? 甘くはありません。家族会に入っていればわかりますが、親は自分を犠牲にしてでも子供の病気は何とかしたいと思っています。子供も病気と闘っていますが、それ以上と言っても過言ではないと思いますが、親は一生懸命、癌以上にしんどいこの病気と闘っています。娘の病気を私の命と引き換えに治してくれるのでしたら、いつでもこの命差し出しますよ。
親御さんとしては娘さんの生きがいや将来の過ごし方を見つけるというような、お医者さんより出来ることを考えていくことになるように思います。お医者さんだけが頼りであるというのもよくわかるのですが、お医者さんでも患者さんのごく一部しか理解できないと考える方がよいように思います。
お礼
勿論自助努力したうえでのことでのお医者様頼りで、家族ともども使命感に燃えたお医者様がいつまでもめげずに一緒に頑張って生きたいと思っております。
>患者が治ったという,やりがい、喜びが少ない仕事において そんなこと言ったら、機械を相手にする仕事は、どうなるのでしょうか? 人間と接することが無いのですよ? 患者は人です。(生き物です。) 機械なんて、モノ造り。(虚しい・・・) 患者さんと接するだけでも、いきがい、やりがい、喜びがあるかと。
お礼
やりがい、喜びというのは達成感であり、高い評価と思います。私もメーカーに勤務したことがありますのでわかりますが、良い製品を作り、お客に役に立っており、市場に出ている商品が自分が作ったものと関連していると思ったとき、喜びを感じませんか?頑張って納期に間に合わせ、お客様、上司からお礼を言われたとき、達成感を感じませんか?精神科医の場合、手術して治った、その薬で治ったという短期での結果は出ず、統合失調症は非常に長い治療を要します。私が先生とお会いするとき、「いつも娘がお世話になっています」とは言いますが、「お陰さまで治りました」とは言ったことがありません。この言葉こそ医者にとっての大きな喜びであり、やりがいで思っております。この頻度の低い精神科医の方がその使命感で頑張っていることに対し、私は敬意と感謝の念を持っており、家族として気持ちよくお仕事をしてもらうことを、皆さんがどうされているかと思い、この質問をさせていただきました。
お礼
ありがとうございます。私の質問文章がつたないせいか、ご回答様だけが私の気持ちを理解していただいたようですね。他の皆さんは「支離滅裂」という言葉に引っかかったかもしれませんが、妄想から来る言葉と理解してください。娘の病気を治すため、今までいいと思われるすべてをやっているつもりです。気持ちを明るくさせるため、スポーツジムや音楽教室、好きな勉強、書道、そして、カウンセリング(これらは娘が望んですることで、無理強いはしません)。テニスも1-2週間に1回は一緒にします。しかし、治るためには薬は欠かせません。精神科医の方には、3ヶ月に1回は私が訪問し、家庭における状況など話しておりますが、他のご家族の方は、苦労の多い担当医にどう接しているか関心があったところです。患者の方は十分親の気持ちを理解できないようですが、子供がご機嫌で、笑顔でいてくれるときほど、嬉しいことはないのです。