• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:余命幾ばくも無い『母』のことで・・・。)

余命わずかの母の状況について

このQ&Aのポイント
  • 高齢の母が大腿骨を折り、受け入れ先を探しているが年齢のせいで断られることが多い。
  • 母は骨の状態が悪く手術はできず、ギブスで固定している。
  • 現在は寝たきりで口からの食事が難しくなり、鼻からチューブを通して点滴の食事をしている。声も出ず、表情も乏しくなってきている。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • sfxxq
  • ベストアンサー率42% (3/7)
回答No.6

 質問者さんがどういうアドバイスを求めていらっしゃるのか正直わかりませんけど、質問を読ませていただいて、普段私が感じているところと重なる部分がありましたので少し書かせていただきます。  まず、お母様はお話はされますか?たとえ言葉は話せないとしても、筆談や身振り手振り、表情などで自分の意思を相手に伝えることがお出来になりますか?介護をする上で一番大事なことは、介護する人がどうしたいかではなくて、介護される方(お母様)がどうして欲しいか、何を希望しているかを第一に考えることです。自分が希望することは、たとえ辛い治療やリハビリも前向きに取り組むことが出来ます。年齢は関係ありません。でも反対に、本人は希望しないのに、医者や家族の判断した「最善」の治療やリハビリを行うと、本人は苦痛で溜まりません。最悪の場合、そのせいでかえって生きる気力を失う事だってあります。  今お母様が意思を伝えることが出来ない状態なら今までの人生を振り返ってお母様の意思を推察してみるのもいいかもしれません。そこではあなた自身の感情は出さずにです。お母様の御兄弟やお友達に話を聞くこともいいと思います。   傍からみると大変なことや辛いことにみえることでも、本人にしてみれば何でもないことって結構あります。お母様もお嫁さんのやることには「またあんな事いってるわ」みたいに、余裕で対応されていたかもしれませんし、あなたが思うより幸せな人生を送っておられたかもしれませんよ。  

その他の回答 (5)

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.5

老人医療ですが、私の母は以前、そういった関係の病院でヘルパーとして勤めた経験があります。だからこそ、無理なことなどもわかっていたと思います。  若いと手術などして回復する可能性が高いですが、老人になると、回復力が遅い、手術に耐える体力がないなど。  プロだからこそ、見て見ぬふりもしてしまうのではと思っています。 お金を沢山だして、無理矢理延命治療は可能でしょう。しかし、それは良いことなんでしょうか?むしろ静かに看取ってあげるのが良いのか。 悪いのか。  このあたりは、いかに自分を納得させるかどうかなのだと思います。私には心の準備がある程度出来ていました。たぶん、ただ今の状態を支えるだけの医療になってしまうでしょう。回復の可能性があれば手術の話など出てきます。しかし、リスクも多いのでご家族に確認されると思います。私の父も説明を聞いて納得するしか有りませんでした。  病院も全力は尽くされています。しかし、辛いですが手を尽くしても無理な場合もあります。元気にさせる病院でしょうが、神様でもない人間のすることです。限界はあります。絶対に元気になれるのなら不老長寿の世界になっているでしょう。  残りの時間、あなたが出来ることをして挙げて下さい。

S-magdara
質問者

お礼

こんにちわ。 再度のアドバイス有難うございます。言われている事はよく判ります。 >“延命治療”はもう無理な段階に入っています。医療云々といったものではなくてもう母の体力がいつまで維持できるかとした“神のみぞ知る。”の世界に居ます。だからこそ気持ちばかりが焦り続けているのかもしれません。 でもお蔭様で大腿骨の骨折の部分も完全ではないにしろ治っています。膝も曲げられるようになりました。しかし、その先がわからない・・・。 ただ、言いたい事はこちらから言わないと何故、家族の者に言うなり、やってくれないのかという事です。医師でしか出来ない様な医療措置以外の範囲のことです。 昨日も口の中の乾きを抑える薬を買い、看護士に、食後暫くしたら塗ってくださいと渡したら、『・・・これです。これが一番良いんです。高かったでしょ・・・。』なんていう・・・。 誰か見舞い客が居れば、『はい、○○さんお食事が入りまーす。』なんて言ってはいるが、誰も居なければ事務処理の如く無言で済ませていくのかと・・・。感情移入は出来ないのはわかりますが“声かけ”くらいはしてほしいと・・・。 うっかりしていたのかもしれないが、取り替えた汚れたオムツをそのまま布団の上に置きっぱなしだっつたり・・・。 病院も施設も看護士、介護士とは言え、みんな人のすること、ミスはつきものだとは思うが、レベル(意識)の低さを感じます。 NSばかり盛り上がり、甲高い笑い声が聞こえてきたりすると不快な気分になってしまう。よく解釈すれば、これくらいしないとやってられない。といったところでしょうか。? >残りの時間、あなたが出来ることをして挙げてください。 有難うございます。これ以外のなにものでもないですね。母が1日、いや1分でもこの世に長くいられる様にいつも手を合わせ合掌しています。 お気遣い頂き有難うございます。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.4

 こんにちは。  私の父が最近無くなりました。パーキンソンという病で何度も入院もしています。車いすを使うことも多かったのですが、とこずれが有り、入院しましたが、体を自由に動かせないので体位変換が必要だったのですが、自宅では困難でした。3ヶ月ごとに転院しないといけない今の制度のおかげで母も苦労していましたが、長期療養型の病院で最後を迎えました。いろいろしてあげたかったですがね。  胃に直接食事を入れる状態でした。延命治療は断りました。最後は一生懸命息をして、最後は静かな寝顔でした。  病院での通院はわが子たちをつれて何度も行きました。可能な限り面会に行きました。でも、人はいずれ亡くなります。大したことも出来ないけれど、子供の声を聞かせたり、どんなことをがんばってきたのかも聞かせてあげました。それが私が出来る精一杯の事でしたね。  あなたが出来る限りのことをして挙げて下さい。悔いは残ると思います。でもやらないよりやった方が良いのですから。しばらく、辛い状態かもしれませんが、無理をしない程度にがんばってください。がんばりすぎたらあなたが倒れますよ。

S-magdara
質問者

お礼

励ましのお言葉有難うございます。 >体位変換、胃に直接食事をいれる状態・・・。 現在の母もそうで、口から摂取すると言う事は無いので、舌の粘膜も弱り、色も白っぽくなってきているのを感じ、直ぐに担当者に言うと、『・・・あーそうですねぇ、乾きを抑えるスプレーがあるので1階の売店でも市販のものでもいいのでそれを使ってみますか。』? という。いつも見ている者が何故それを言うなり、やってくれないのかと思ってしまう。 半身不随、アルツハイマー、高齢者を相手にしてる病院なり、施設の看護士はそうした患者ばかりを相手にしているからか、もう“マヒ”しているのか、見てみぬ振りをしているとしか思えない。プロ意識というものがまるで無い。! 一番哀れなのはやはり患者さんですよ。だれも好き好んで、病んでいるわけでもないし、長生きをしているわけではない。! 高齢者ともなると仮に亡くなったとしても何とでも理由付けできますからね。 ここ数年間で施設がいくつか建設されたものの、完成するや否や、直ぐに“満床”です。との返答・・・。言葉になりません。 ・・・しかし、今は母が1日でも1分でも長生きをしてくれたらとそれだけです。 もう、すでに“キャパ”は超えに超えている状況・・・でも投げ出すことはできないし毎日をこなしていくしかありません。 愚痴っぽくなってしまってごごめんなさいね。 頑張ります。有難うございました。

  • seturi3
  • ベストアンサー率18% (6/32)
回答No.3

出来るかどうかわかりませんが・・・・。 ここでお書きになった文章を、そのまま (義姉の部分は省いて)首相にメールして やりなさい。 今の老人医療は、元気にしようとは全く 考えていないのです。 病院は患者を元気にするところなのに。 その本当の現場の状況を、お国は何一つ わかっていません。 誰が首相になろうが同じこと。 でも、知らせる意義は十分にあります。 お母様のためにも、伝わるかどうか わかりませんが、やってみるべきです。 泣いているだけでは、何もかわりませんよ!

S-magdara
質問者

お礼

また違った角度でのアドバイスを有難うございます。 >今の老人医療は、元気にしようとは全く 考えていないのです。 病院は患者を元気にするところなのに。 まったく仰るとおりです。施設から病院に移る時もなじみの介護士の人達が『今度は病院だから良いね、安心だね。』なんて声を掛けてくれてはいたが、いざ入院となり入ってみれば驚きの連続・・・。 最初の頃は食堂でみんなと食事をしていたが、看護士曰く、『誤飲を起こして肺炎になる恐れがあるので点滴での食事となります。私達としたらこのほうが安心なんですよね。』という何とも釈然としない言い方・・・。 ある日、『日課計画表』を見せられて1日の流れを事細かく書いてある。 こんなものを見せられても実際にやってくれなきゃ“絵に描いた餅”と変わりない 。何故ここまで信用できないかというと、たった1日お見舞いに行かなかった翌日にキレてしまうことがあり、口の中をきれいに拭いてあげたら、血液らしきものがついている。足を見れば、重なった足の部分の皮膚が擦れて赤くなっている。直ぐにその事をNSに言いに行きました。患部を見るなり『ワー、ほんとですねこちらのミスです。』とは言ったものの、放ったらかしているとすぐわかる。 痛いとか、痒いとか言えない患者を相手にしているのだからもう少し配慮してほしいとおもいますよね。 “生かさず殺さず”ではなく、生かさず生かさずでは・・・。 日本は高齢者医療に対してどうしてこうも冷たいのかと思います。まるで感心が無いと言うより、無視しているように感じます。先の無い高齢者に、お金など掛ける必要は無い・・・と言われているのと同じです。 施設にしろ、高齢者相手の病院にしろ賃金の低さが問題。? それが患者に対してのいい加減さに繋がってきて、一番の被害者はやはり患者さん。しわ寄せがみんなそこに来てしまう。これでは生かせる者もだめになってしまう。 やはり、一番の原因は低賃金ではないかと・・・。 そんなふうに感じています。話があっちこっちと飛んでしまいましたがごめんなさい。アドバイス有難うございました。考え方もかわってきました。

noname#107497
noname#107497
回答No.2

心の痛み、かける言葉もありません。 自分は、質問者さんよりかなり若い人だと思います。 自分は、一度入院したことがあります。入院していると思うのですが、家族に来て貰っても、家族が来たから、家族がどうにかできる訳ではありません。 また、手術する前日も、その重みは、家族がかわることできないと感じました。 それでも、近くにきて、自分を思ってくれると、心が休まりました。 何もできなくても、大切にして貰っている。これで充分だと私は思います。むしろ、これが何よりも欲し、何よりも得難いものだと思います。 人は産まれて、親の中で眠り、次第に離れていく。その過程に人から大切にされる喜びを忘れてしまいがちです。 人は、どうしようもない時に、大切に思ってくれるという存在が、安らぐものです。 今のままの気持ちで接することで100点満点だと思います。

S-magdara
質問者

お礼

現実感のある励ましのお言葉を頂き有難うございます。 確かに“代わってあげる。”という事は出来ませんよね。しかし、もし母が元気になれるのなら、臓器のひとつ、指の1本や2本無くても構わないと思っています。 しかし、そうしたことは到底無理なこと・・・。 でも、あなたに対してはそれほどの想いがあるんだよと。母は自分を慕って来てくれている事は分かっていると思います。人には“感情”というものがあるし、こちらが情を込めれば相手には必ず通じるはずです。 この世に生あるうちは母の『魂』との会話になりそうな・・・。今はできるだけのことをしてあげたいという事だけです。(限られてはしまいますが。) 先の(No1)様にもお話ししました様にやはり肌に触れてあげる。手を握って“・・・1人ではないよ、ずーといっしょだよ”っておもいながらメッセージを送っています。 > 今のままの気持ちで接することで100店満点だと思います。 この言葉に勇気づけられます。有難うございました。心から感謝致します。

  • kissski
  • ベストアンサー率30% (7/23)
回答No.1

私は経験もありませんし、アドバイスをできる立場でもありません。 ただ、大変辛いお気持ちは十分に伝わってきましたので、 何かコメントせずにはいられませんでした。 今日、たまたま般若心経の本を買ってきて、これから読むつもり なのですが、ちらっと目に入った文がありました。 「人は亡くなるとまた元の場所に戻るだけ」 「死んだら終わりではない…」 などの言葉です。その前後はちょっと今見失いましたが… ご存命なのにこんなこと書いて、大変不謹慎で失礼かと 存じますが、人は誰も霊があって、この世にいるし、 亡くなってもまた元に戻るだけということでした。 本当に大変で心身ともにお辛いときでしょうけど、 出来る限り今お母様にして差し上げられることを されればそれでよいのではないでしょうか。 ごめんなさい。私には、これくらいしかコメントできませんが、 どうか気持ちを落ち着けてください。

S-magdara
質問者

お礼

温かいお言葉有難うございます。 >「人は亡くなるとまた元の場所に戻るだけ」 「死んだら終わりではない…」ということは私もそう思います。 もし、『無』であるなら『霊』なんて存在しないと言うことですよね。 遡れば、母からの一本の電話からで、悲痛な言葉を無視できず都会での生活を切り上げ、帰ってきて、はや10年以上の時が過ぎました。 両親の在宅介護から現在に至るまでは言葉では言い表せないほどのいろんな事がありました・・・。その長い間から現在に至るまでの間に、認知症の怖さや、老いていく母の姿を目の当たりにしてきた者としては人一倍思い入れが強くなるのは当然のこと・・・。 父は現在、施設での生活を余儀なくされてはいますが元気なので安心しています。 皆さんの励ましのとおり、“自分のやって上げられることをすることが一番なのでは・・・。”確かにそれしか出来ないですものね。 お見舞いに行っては、唄をうたってあげたり、目ヤニを取ったり、手を握ってあげたり、頬づりしたりとなるべく身体に触れてスキンシッブを忘れない様にしています。 声も出せず、表情もかわらないけど何となく喜んでくれているように思います。 微かではありますが、娘だという事は(家族の者)分かってくれている様なのでそれだけでも喜びです。ここまでくるともう、赤ちゃんの様です。愛しくなってしまいます。 本当は一日中、母の傍に居てあげたいのですが、いい訳がましのですが、生き物を飼っているとそうもいかないですよね。犬とはいえ我が子も同然で、やはり帰らなきゃ、と・・・いつも病室から出るときは“後ろ髪引かれる思い”でこのときが一番辛いです。 その帰りに施設に立ち寄って洗濯物(汚れ物)を袋に入れ、次の着替えを用意して父の顔を見て少し話しをして帰ってくる。これが日課になりました。 今は母のことで頭がいっぱいですが、母にもしもの事があっても今度は父の番 ですよ。長生きはしてくれてはいますが、『死』は避けようが有りません。 私のこれからの“使命”めいたものは始まったばかりのようで苦難はまだまだこれからです・・・。 重い話になってしまいごめんなさいね。感情のコントロールが出来ないでいます。   有難うございます。心から感謝いたします。

関連するQ&A