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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:母の死因)

母の死因は感染症?病状の経過とリスクについて知りたい

このQ&Aのポイント
  • 母は85歳で亡くなりました。3年前に腸閉塞で緊急入院し手術を受け、助かりましたが、認知症を患っていたため施設に入所していました。
  • 施設での生活の中、父のパワハラモラハラが原因で母はうつ病になりました。食事や基本的な動作が困難になり、入院することになりました。
  • 入院後は病状が悪化し、中央静脈点滴で生命を維持していました。胃瘻造設の手術後に感染症にかかり、熱や尿路感染、貧血などの合併症が発生しました。最終的に肺の白くなり、心臓が肥大しました。

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  • jing0708
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回答No.1

かなりきついことを申し上げますね。本当にすみません、あくまでも純粋に医療従事者の立場から見た場合の話だと思ってください。 1)胃瘻は明らかな選択ミス 80歳を超えた認知症患者の場合、手術に耐えるだけの体力や免疫力がない場合が殆どです。家族から要望がない限り、患者さんのQOL(生命の質)を低下させる胃瘻は選択しないというのが医療上の常識です。おそらく担当医からも説明はあったと思いますが、決して正しい選択ではなかったということを理解してください 2)死因は感染症 MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)の除菌はおそらくバンコマイシンかテイコプラニンを使ったと思います。当然ですが、一般の体力があれば回復しようもありますが胃瘻術後では体力がありません。そのためMRSA感染から立ち直る可能性は5割を切ります。このリスクがあるからこそ、そう簡単には手術をしたくないのです。 そして、状態を伺う限りだと 術後手術部位からMRSA感染⇒免疫力が極めて低下しているため身体が対応できない⇒菌血症発症⇒腎臓(血尿)・肺(酸素飽和度の低下)の感染⇒多臓器不全による死亡 となったのは当然の帰結だと思います。 3)経管栄養は間違い ここで経管栄養を選択したのは正しくないと思います。本来であれば中心静脈栄養を選択するべきだったと思います。ただし、これは医療側のミスではなく患者さんの体力が持たなかったのが最大の原因です。おそらく多少でも持てば経管栄養ではなく中心静脈栄養に変更していたでしょう 4)貧血は腎性貧血の可能性が高い 腎臓は赤血球を作るためのエリスロポエチンというホルモンを作っています。そのため腎臓が障害されると貧血になります。なので、お母様が貧血になったのは当然です 要は胃瘻が最大の原因だということをご理解ください

sekaiheiwa55
質問者

補足

お忙しい中、ご丁寧に、そして真摯にどこの誰かもわからない者に、お答えをありがとうございました。 やはりそうでしたか。私が胃瘻造設を決断し、母は感染症で亡くなったのですね。 私は今鬱病で抑鬱反応が激しく、抗鬱剤安定剤睡眠薬などを飲みながらの両親の介護をしていて、この現実は死刑宣告にも値するものですが、今私が自責に苛まれたり、結果自死してしまったりできない、それは一人残った父を看てあげなくてはならないからなのです。 でも、今後父にも起こりうる選択(胃瘻など)の時に、今回の失敗を父の時にしないように第三者のドクターにお伺いしたかったのです。 兄は小頭児で生まれ障害があって父は認知症、誰もこの決断に是非を口にする人がおらず、私は目の前に時限爆弾を抱え、その前に青と赤導線があって、どちらかを切れば爆発(母の死)から逃れられる、さあどうしますか・・・という状況でした。結局は、どちらを切っても、切らなくても爆発(母の死)は起こった、ただ切らずにいたら(HVIのみだったら)もう少し爆破時間を遅くできた。そのようでしょうか。 現在89歳の父は自分も母のように鬱病になったら胃瘻にしてほしい、そう言っていますが、決していたしません。 決断するに当たり、5人のドクターにお聞きしました。 お一人は母の精神科の主治医(母は当時重度の鬱病でしたから)と母の内科の主治医、医大の胃瘻執刀医師、私の内科の主治医、私の精神科の主治医です。 他に、施設のケアマネなどの介護従事者の方々、80代の胃瘻患者を家族に持ち成功した方々(この成功者の言葉が私の背中を押しました)でした。 誰一人手術に失敗した人がいなかったのです。 母の主治医は胃瘻にするにあたり、鬱病や何かしらの原因で食べなくなったのだから、胃瘻経管栄養にしても胃が受け付けるかわからないし、胃からの食べ物が逆流し誤嚥性肺炎になったら、HVIに戻す以外ない、ということと、胃瘻にするにあたり胃カメラを二回飲まなくてはならないこと、母が苦しむこということでした。 私の医大の内科の主治医は、叔母様が胃瘻に成功し、在宅で看ていると言うお話をされ、胃瘻造設手術は15分ほどで終わり、胃カメラも麻酔をしているので患者に手術の苦しみはないとおっしゃいました。 私の医大の精神科の主治医は、医師が誰も反対しないと(胃瘻警官重栄養がせいこうするかどうかはわからないとは言われていました)いうことは、今回の胃瘻造設選択の是非はグレーゾーンで、医師はダメな場合は反対するし、成功する可能性があれば、可能性の程度を話し、それ以外はグレーゾーンで、最終的に患者家族に決めさせる、今回のことは正にそれだねとおっしゃって。 最後に・・・手術をした医大の医師は、その前に母を診て下さって、ですからその時に、「私のしようとしていることは見当外れではないのでしょうか?」と確認すると「HVIか胃瘻、栄養を摂らせてあげる1つの選択肢として胃瘻を試すのはいいんじゃないの」とおっしゃいました。 そうなんです。誰一人手術そのものの危険性と感染症のことを話して下さった方がおられなかったのです。「胃瘻造設手術=簡単なもの=だめだったらHVIに戻す。」 手術そのもののリスクは(感染症や最悪亡くなること)常識なのかもしれませんが、「胃瘻がだめだったらHVIに戻せる」そのように思いこんでいました。 白い天井を見てミトンはめられ身動き1つできない中、家に帰りたい、トイレにいきたいと言っていて、HVIで生きているので、医療行為のできない家や、施設にさえ母を連れてきてあげることができず、生きてはいるけれど、母に何の希望も持たせてあげられない状況で、そんな母を何とか助けてあげたくて、一度でいいのでトイレに連れていってあげたくて、HVI入院8ヶ月で胃瘻に踏切ました。その時は車椅子にも移せたり、私にだけですが話をするようになっていて、HVIを一時止めて3時間のシンデレラで外出もさせてあげていました。こんな日々が胃瘻になれば毎日になる、そう希望的観測を持ちました。 本当に可哀想なことをしてしまいました。 母は術後高熱が続く中「自分の為に申し訳ない。お世話してくれてありがとう。」何度も私にそう言いました。亡くなる一週間前には「お世話になりました。本当にありがとうございました」そう言って辛いであろう体で身を起こし私にお礼を言ったのです。 亡くなる直前まで意識があって、酸素マスクをしていたのに、自分で体を起こしてまでやはり感謝の言葉を必死に言っていました。明日父を連れて来るからと言うと「うん」と言っていました。でもその4時間後に急変し、心不全という診断でで亡くなりました。 はい、勿論医療ミスとは思っていません。母は胃瘻にした為に亡くなったのです。 貧血はそう言えば、若い頃からありました。私の中でモヤモヤしていた全容が解明でき、父がいるので今は自責を棚上げし、母の分も父に仕えていこうと思っています。 最後に、もう一つだけ教えていただけますでしょか? 母はうつ病ということで父へのストレスが高じ入院しました。 その時、ケアマネに「すぐに施設に戻すように」と言われ、主治医に相談すると「そんなことをしたら大変なことになります。食事をしない摂食障害なのだから、施設に戻ったら栄養状態が悪化し最悪亡くなる」と言われ、HVIになったのです。その時鼻からチューブや、胃瘻の選択肢も言われましたがするつもりはありませんでした。その時は母の回復を想像できず、静かに逝かせてあげたいと思っていました。その時の母の様子はまるでドラマに出てくる脳溢血の方のように、口を大きく開けいびきをかいていて、目を閉じ呼びかけにも答えず、でした。実際起きているのですが、主治医によると自分の殻に閉じこもっているそうです。トリプタノールという抗鬱剤を、ゼリーなどに入れて飲まされていました。 母は、その時施設に戻したら(父とは別のところ)元に戻れたのでしょうか? ちなみに父にきつく言われた時など、目を閉じ口を開け、フリーズすることが頻発していたようでした。入院後半年ほどたってケアマネに知らされたことでしたが。 施設では私が戻してあげたら元に戻れたのに、すぐに戻さなかったので、母の廃用症候群が進み、寝たきりになったと言われ、病院ではこれしかなかったのだと言われ、ここも真実がわかりません。 もしご迷惑でなかったらどうか教えて下さい。ご無理でしたらスルーして下さい。この度のお答え心より感謝申し上げます。

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その他の回答 (2)

  • jing0708
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回答No.3

2つめのご質問は極めて難しいです。 担当医が行った対応は悪いものではありません。摂食障害の出た認知症患者にはチューブ以外の選択肢が病院では出来ないのです。例えば聖ケ丘病院のように患者最優先の医療を実践するタイプの医師が常勤していれば別ですが、一般的な病院では患者さんに割ける時間は短く、食事についても全部解除するというのは難しいのです。そのためチューブなどで対応するしかないのですが 『施設に戻すべきではない!』 というのは施設をリスクと考えているからだと思います。確かに我々から見て老健施設というのは危険が多いようにも感じます。私も実際に老健施設に自分の祖父母を預けていなければ思い込んだままだったと思います。しかし、実際は施設によって千差万別で素晴らしい施設は療養型病院と比べても遜色のないケアをしてくれています。 従って、最高水準の老健施設であれば戻すことが正解だった可能性はあります。 病院でのチューブ採用は認知症を劇的に悪化させる可能性が高いからです。しかし、それは相談者さんが責めを負うべきものではありません。専門的な知識があっても悩むレベルの難しい問題だと思ってください。 それと1点ご承知置き頂きたいのは、胃瘻に当たって感染症のリスクを説明しなかったのは医療側の従事者のミスだということです。相談者さんのミスではありません。 おそらく感染症のリスクの説明があれば相談者さんは胃瘻を選ばなかったのではないでしょうか。胃瘻を選ばなければ、1ヶ月程度徐々に弱りながら亡くなりますが苦しみはケアチームが取り除くと思うので少し楽だったと思います。しかし、逆に言えば胃瘻が成功すれば半年は永らえられるのです。私は比較的胃瘻に反対の立場の人間なのでアレですが、感染症のリスクをご存知無かった以上、貴方は自分を責めるべきではありません。 お父様のときは是非感染症のリスクも考えた上で担当医とよく話し合ってみてください。

sekaiheiwa55
質問者

補足

私は誰のことも悪いと思っていません。主治医の先生も一生懸命して下さったし、胃瘻造設の手術も経管栄養もその療養型病院でもできたのです。 ただ、医大だと麻酔を使っての内視鏡でして下さる、2泊3日でゆっくりして下さる、ということとセカンドオピニオンが聞きたくて、それでわざわざ主治医の先生にお願いし、医大で胃瘻造設したのです。元の病院は術後すぐに嫌な顔ひとつぜず気持ち良く母を戻らせて下さいました。胃瘻も一回だけその病院でしていただいたのです。母は嘔吐下痢して、すぐ発熱で中止となりましたが、本当に手厚い病院でした。 絶命のリスクはドクターからゴーサインが出た時点で消えてしまい(無知な者です)術後胃瘻経管栄養が上手くいくか行かないか、それしか頭にありませんでした。 鼻チューブは苦しむ人、誤嚥性肺炎になってしまう人をたくさん見て来たので、もし先生がチューブに積極的であったとしても私の中の選択肢にはありませんでした。 確かに先生方は5人が5人共、感染症で亡くなることについてお話しされませんでした。ということは、医療ミスではなく、それが常識だからなのではないでしょうか?こんな偶然ありえません・・・ 自分を責めているわけではありません。もし仮に私が死んで詫びようとも(そんなことしませんのでご安心下さいませ)母は戻ってきません。 自責よりも今は妻に先立たれ独りぼっちになった父のケアーをしなくてはなりません。 まだらな認知症の為、幸い悲しみにおいての感じ方が思ったよりはソフトで、食事も睡眠も摂れていますが、記憶や思考は混乱状態にあり、行ってもいない所に行ったとか、ない物をあると言ったり、毎日会いに行って、お話を聞いてあげて「お父様は夢を見られたのね~」と言って安心させてあげて帰宅しています。 母にできなかった分も父の為にしてまいります。 子供の頃、祖父を医療ミスによる敗血症で亡くしました。ある日祖父はいつも通り膝にたまった水を注射針で抜きに病院に行きました。その晩から高熱が出て、今回の母の亡くなり方に少し似ていました。祖父は数日でしたが、母は二ヶ月も生きることができたのは、病院の献身的な看護と母の生きたいという思いだったと感じています。私の来るのを毎日待っていて、いろんなお話をしてくれました。最後の最後はさすがに死期を感じ、私にお礼を言ったのですね。 こうして第三者である優秀なお医者様に感情抜きのありのままを、真実を教えていただき、父の時は、もう母もおりませんので、父のことだけを考え、延命は一切考えず、躊躇なく胃瘻もIVHもせずに施設内で、もしくは私の家で人に囲まれた中で静かに逝かせてあげようと思います。(父に痛み苦しみがなければ) 私は心を病んでいますが、自分を虐待していた両親の介護を通して、人を愛すること、仕えることを学びました。音に乗せる物書きなので、同じような悩みをお持ちの方に、この体験を音に乗せ歌って発信して参ります。 この春も母をコンサートに招くことになっていました。 父も89歳、カウントダウンは始まっていると思いますので、悔いのない、父にとっての最善を成すことができるよう、強く生きて父の為に精いっぱい頑張ります。 本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

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回答No.2

シニア男性です。 施設に戻すべきだったか、、、。 手を尽くしたケースをAのケースとしましょう。 何もしなかったケースをBのケースとします。 どちらが良かったか? Aの方が長生きした? Bの方が良かった? いずれもほぼ変わりはなかった? 子供は「親を1分でも1秒でも延命したがる」ものです。 また選択がAであれBであれ「他に手はなかったか」と 思うものです。 私もそうでした。 また誰でもそうだと思います(医者でも自分の親のことに なると同じこと)。 これは子供の本能、または感情です。 冷静に、または理性で考えれば必ずしも適切ではない 可能性があります。 しかし、そうかどうかは、結局(誰にも)分からないもの なのです。 そうして歩んで行くしかない、歩むもの、なのでしょう。 施設に戻すべきだったか、否かだったかも同じことでは ないでしょうか。 それは施設にも、病院にも、そしてあなたにも分からない ことです。 人の寿命は分からないものです(医者にも)。 そしてA~Bのいずれか一つしか選択できないことですから。 母上の絶望にあなたが心を開き、 >9月末頃から週に一度介護タクシーを使ってショッピング >センターや、父の施設に連れて行ってあげ 喜ばれ、 そして感謝して逝かれた。 これはあなたにしか出来ないことでした。 あなたは母上を立派に看取られたのです。 今は母上の冥福を、この1年祈りましょう。 四十九日、百ヶ日、新盆、一周忌とあります。 すこし休憩し、また歩まれてゆくことをお祈り申し上げます。

sekaiheiwa55
質問者

補足

お言葉に心が癒されました。名も知らぬ者に、本当にありがとうございます。 この経験を、母の死を無駄にすることなく、父の為に心を尽くして仕えて参ります。 つくづく人の命は神の領域なのだと感じています。 真っ暗闇の中、何も見えず・・・ 出も1つだけ言えることは、母は今やっと楽になったのです。 眠るように亡くなりましたし、そのことだけを思い父の為に頑張ります。 心よりお礼申し上げます。

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