※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:母の死因)
母の死因は感染症?病状の経過とリスクについて知りたい
このQ&Aのポイント
母は85歳で亡くなりました。3年前に腸閉塞で緊急入院し手術を受け、助かりましたが、認知症を患っていたため施設に入所していました。
施設での生活の中、父のパワハラモラハラが原因で母はうつ病になりました。食事や基本的な動作が困難になり、入院することになりました。
入院後は病状が悪化し、中央静脈点滴で生命を維持していました。胃瘻造設の手術後に感染症にかかり、熱や尿路感染、貧血などの合併症が発生しました。最終的に肺の白くなり、心臓が肥大しました。
母は85歳で、つい一週間前に天に召されました。
3年前に、腸閉塞で緊急入院、そして手術となり、助かりました。危なかったようでした。
でも10年程前から始まったと思われる認知症があって、しかも父(現在89歳)も同時進行で認知症だったので、この手術をきっかけに施設に入ってもらいました。
当初は帰宅願望が強く、大変でしたが、去年年明けくらいから少しずつ落ち着いてきていました。ところが足腰も弱っていたこともあって、父と一緒の施設での生活の中、母はうつ病を患ってしまいました。(父のパワハラモラハラが原因でした)
毎日していたお化粧もしなくなり、食事中父に強く言われると目を閉じ口を開けという自分のからに閉じこもる症状が出始め、ある晩ついに血圧が200となって、施設併設の療養型病院に入院しました。
そして食事を全くせず、ただひたすら寝ていました。
2ヶ月程そういう日が続いた後、やっと目をあけ私にだけ反応するようになりましたが、他の人には全くだめで、相変わらず食事をほとんどしなくなって、結局は中央静脈点滴で生きていました。その為廃用症候群が進み、歩けなくなり、トイレにも行けなくなり、施設には戻れなくなりました。療養型病院は積極的な治療もなく、でも手厚く看護していただいていました。
入院したのは4月で、毎日病院に行、手足を動かす練習をしたり、車椅子に移していただいたり、9月末頃から週に一度介護タクシーを使ってショッピングセンターや、父の施設に連れて行ってあげるととても喜びました。
いつも必ず言う言葉が、「トイレに連れて行って」でしたが、点滴が太ももについているので、連れて行ってあげることができず、そんな姿を見ている内に、このまま病院の白い天井を見て亡くなるのを待つだけなのはあまりに可哀想に思い、高齢ですし、リスクがありましたが、大学病院で胃瘻造設しました。ところが術後MRS感染を起こし、もとの療養型病院に戻りましたが2ヶ月間熱が下がらず、抗生剤を投与して2~3日下がっても尿は汚れていて尿路感染、貧血、なかなか回復しませんでした。胃瘻経管栄養どころの騒ぎではなく、経管栄養をすると嘔吐と下痢。すぐに中止となりました。
そしてあまりにも回復しないので、先生がレントゲンを撮ると、肺が白くなっていて心臓が肥大していて酸素血中濃度?は74にまでなってしまい、酸素マスクをつけることになって、呼ばれ、行くとまだ話ができました。夜だったので、翌日父を連れてくる約束をしたら夜中に急変し、心臓が止まり、亡くなりました。
私は母がなぜ亡くなったのか、原因を知りたいのです。
いわゆる感染症なのでしょうか?この二ヶ月は熱があったので、入浴もできませんでしたし。
出も貧血は何だったのでしょうか・・・。助けたあげられなかったことが残念で、でも父の時に同じことをしたくない、母の死を無駄にしたくないと思いました。
勿論胃瘻造設する時は、こうしたことが起きるリスクについて説明を受けました。
それでも、母が家に来たい、トイレに行きたい、必死に生きようとしていたので、リスクをおかしました。母一人なら静かに逝かせたかったけれど、一人残った父のことを思う時、胃瘻を選びました。
どうか教えて下さい
補足
お忙しい中、ご丁寧に、そして真摯にどこの誰かもわからない者に、お答えをありがとうございました。 やはりそうでしたか。私が胃瘻造設を決断し、母は感染症で亡くなったのですね。 私は今鬱病で抑鬱反応が激しく、抗鬱剤安定剤睡眠薬などを飲みながらの両親の介護をしていて、この現実は死刑宣告にも値するものですが、今私が自責に苛まれたり、結果自死してしまったりできない、それは一人残った父を看てあげなくてはならないからなのです。 でも、今後父にも起こりうる選択(胃瘻など)の時に、今回の失敗を父の時にしないように第三者のドクターにお伺いしたかったのです。 兄は小頭児で生まれ障害があって父は認知症、誰もこの決断に是非を口にする人がおらず、私は目の前に時限爆弾を抱え、その前に青と赤導線があって、どちらかを切れば爆発(母の死)から逃れられる、さあどうしますか・・・という状況でした。結局は、どちらを切っても、切らなくても爆発(母の死)は起こった、ただ切らずにいたら(HVIのみだったら)もう少し爆破時間を遅くできた。そのようでしょうか。 現在89歳の父は自分も母のように鬱病になったら胃瘻にしてほしい、そう言っていますが、決していたしません。 決断するに当たり、5人のドクターにお聞きしました。 お一人は母の精神科の主治医(母は当時重度の鬱病でしたから)と母の内科の主治医、医大の胃瘻執刀医師、私の内科の主治医、私の精神科の主治医です。 他に、施設のケアマネなどの介護従事者の方々、80代の胃瘻患者を家族に持ち成功した方々(この成功者の言葉が私の背中を押しました)でした。 誰一人手術に失敗した人がいなかったのです。 母の主治医は胃瘻にするにあたり、鬱病や何かしらの原因で食べなくなったのだから、胃瘻経管栄養にしても胃が受け付けるかわからないし、胃からの食べ物が逆流し誤嚥性肺炎になったら、HVIに戻す以外ない、ということと、胃瘻にするにあたり胃カメラを二回飲まなくてはならないこと、母が苦しむこということでした。 私の医大の内科の主治医は、叔母様が胃瘻に成功し、在宅で看ていると言うお話をされ、胃瘻造設手術は15分ほどで終わり、胃カメラも麻酔をしているので患者に手術の苦しみはないとおっしゃいました。 私の医大の精神科の主治医は、医師が誰も反対しないと(胃瘻警官重栄養がせいこうするかどうかはわからないとは言われていました)いうことは、今回の胃瘻造設選択の是非はグレーゾーンで、医師はダメな場合は反対するし、成功する可能性があれば、可能性の程度を話し、それ以外はグレーゾーンで、最終的に患者家族に決めさせる、今回のことは正にそれだねとおっしゃって。 最後に・・・手術をした医大の医師は、その前に母を診て下さって、ですからその時に、「私のしようとしていることは見当外れではないのでしょうか?」と確認すると「HVIか胃瘻、栄養を摂らせてあげる1つの選択肢として胃瘻を試すのはいいんじゃないの」とおっしゃいました。 そうなんです。誰一人手術そのものの危険性と感染症のことを話して下さった方がおられなかったのです。「胃瘻造設手術=簡単なもの=だめだったらHVIに戻す。」 手術そのもののリスクは(感染症や最悪亡くなること)常識なのかもしれませんが、「胃瘻がだめだったらHVIに戻せる」そのように思いこんでいました。 白い天井を見てミトンはめられ身動き1つできない中、家に帰りたい、トイレにいきたいと言っていて、HVIで生きているので、医療行為のできない家や、施設にさえ母を連れてきてあげることができず、生きてはいるけれど、母に何の希望も持たせてあげられない状況で、そんな母を何とか助けてあげたくて、一度でいいのでトイレに連れていってあげたくて、HVI入院8ヶ月で胃瘻に踏切ました。その時は車椅子にも移せたり、私にだけですが話をするようになっていて、HVIを一時止めて3時間のシンデレラで外出もさせてあげていました。こんな日々が胃瘻になれば毎日になる、そう希望的観測を持ちました。 本当に可哀想なことをしてしまいました。 母は術後高熱が続く中「自分の為に申し訳ない。お世話してくれてありがとう。」何度も私にそう言いました。亡くなる一週間前には「お世話になりました。本当にありがとうございました」そう言って辛いであろう体で身を起こし私にお礼を言ったのです。 亡くなる直前まで意識があって、酸素マスクをしていたのに、自分で体を起こしてまでやはり感謝の言葉を必死に言っていました。明日父を連れて来るからと言うと「うん」と言っていました。でもその4時間後に急変し、心不全という診断でで亡くなりました。 はい、勿論医療ミスとは思っていません。母は胃瘻にした為に亡くなったのです。 貧血はそう言えば、若い頃からありました。私の中でモヤモヤしていた全容が解明でき、父がいるので今は自責を棚上げし、母の分も父に仕えていこうと思っています。 最後に、もう一つだけ教えていただけますでしょか? 母はうつ病ということで父へのストレスが高じ入院しました。 その時、ケアマネに「すぐに施設に戻すように」と言われ、主治医に相談すると「そんなことをしたら大変なことになります。食事をしない摂食障害なのだから、施設に戻ったら栄養状態が悪化し最悪亡くなる」と言われ、HVIになったのです。その時鼻からチューブや、胃瘻の選択肢も言われましたがするつもりはありませんでした。その時は母の回復を想像できず、静かに逝かせてあげたいと思っていました。その時の母の様子はまるでドラマに出てくる脳溢血の方のように、口を大きく開けいびきをかいていて、目を閉じ呼びかけにも答えず、でした。実際起きているのですが、主治医によると自分の殻に閉じこもっているそうです。トリプタノールという抗鬱剤を、ゼリーなどに入れて飲まされていました。 母は、その時施設に戻したら(父とは別のところ)元に戻れたのでしょうか? ちなみに父にきつく言われた時など、目を閉じ口を開け、フリーズすることが頻発していたようでした。入院後半年ほどたってケアマネに知らされたことでしたが。 施設では私が戻してあげたら元に戻れたのに、すぐに戻さなかったので、母の廃用症候群が進み、寝たきりになったと言われ、病院ではこれしかなかったのだと言われ、ここも真実がわかりません。 もしご迷惑でなかったらどうか教えて下さい。ご無理でしたらスルーして下さい。この度のお答え心より感謝申し上げます。