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認知症の母の胃瘻
認知症で要介護3の両親が約二年前からサービス付き高齢者住宅(有料老人ホーム)にお世話になっていましたが、母が食事をあまり食べられなくなり、夜間に血圧も200となったため、施設から連絡があって、隣の施設併設の病院で診ていただき、そのまま入院となりました。ちょっとした検査だけでしたが、特に異常はなかったけれど、その後主治医と相談し、脱水があったので、水分点滴をしていただいていましたが、全く食べないので太ももの付け根からの高栄養点滴になりました。 経験も知識もない私はその時は、母が点滴で元気になって、食事が摂れるようになると信じていました。 ところが母はその後も問いかけにも無反応、口を開け目を閉じるような不可思議な無反応症状がしばらく続き(以前から施設でも父にきつく言われるなど何かストレスがあるとそのようになっていました)ずっと寝たきりのような状態になり、後からわかったのですが、結局うつ病で自分の殻に閉じこもって、そうした様相になっていると精神科の医師に言われました。 一方入院した直後から施設のケアマネから、人間の尊厳についてのお話しや、食事が摂れないリスクをおかしてでも施設に戻るようにと言われていて、どうして良いかわからず(点滴をとればたちまち亡くなってしまいます)、またこうなる(病院で治るどころか寝たきりになる)想像ができなかったために、5ヶ月も経ってしまいました。 とにかく同じ経営者の病院と施設ですが、考え方が真逆で、病院では生命維持を、施設では人の尊厳を最優先準備として考えていて、私はその間にいて、どうしたらよいかわからなくなってしまいました。どちらかを選べと言われても、人の生き死にに関わることを簡単に決断することができないのです。 そして一人施設に残っている父が可哀想で、というのも父は母に会いたがり、けれどうつ病の原因が父のきつい言葉のせいだと精神科の先生に言われたので、面会をしないでほしいと言われ、しばらく控えていました。(母は父を心配したり会うことを嫌がっていませんが、支配されたくないと思っているそうでうす)でもあまりに可哀想なので、先生にお願いして、点滴止めをして母を父の施設に連れて行くことを条件に、面会させることにしましたが、それでも母は食事をしません。 私が行って食べさせてあげる時もあって、それでもせいぜい5口程。とても点滴が取れる量ではありません。 最近では母は寝たきりなので、発声もしにくくなっているのと、認知も波がありますが、進んでいると感じる日とそうでもない人あって、毎日病院に行けないので、人と話すこともなく、めっきり話さなくなってきました。それでも私は長くいるようにして、そうすると帰る頃にはけっこう話をするようになってきます。 食事は誤嚥性肺炎が怖いということでとろみのつけてあるお茶とペイスト状の物です。 ここ何回か会いに行った時、私が「お母様私と一緒に暮らしましょう。その為にはまず食事をして下さい。点滴が取れないとここから出られません」というと母はうんと言って、私が在宅で看ることも考えましたが、家族親族全員から反対され、そして私自身も母を守れる自信がなくなってしまい、ならば当初ケアマネが言っていた点滴を取って施設に戻してあげることを考えるようになって、久しぶりに施設のスタッフと病院の看護師に聞いてみました。 施設スタッフは、もう今となってはお風呂も施設対応の入浴方法はできないし、食事も誤嚥性肺炎が恐いので、リスクが大きくなるし、もとの施設には戻れない、行けるとしたら特養になってしまう。それでも誤嚥性肺炎で亡くなってしまうリスクが高くなる。あの時(母が血圧200になって入院した時)どこも悪くなかったのならすぐに施設に戻してあげれば、こうならなかった、とおっしゃいました。 この言葉に私は自分の初動判断ミスでこんなことになってしまったのだと今やっとわかったのです。 施設スタッフはさらに、病院にいてこのまま話す人もなく天井を見て手にはミトン(点滴を抜いてしまうから)されて、どんどん認知も進み・・・と言われ、私のせいで両親にとんでもないことをしてしまったと自責で涙が止まりません。 そしてさらにスタッフは自分なら病院には入れず施設で看てもらう、病院を変えたらどうかとか、もっと要望を病院に強く言った方が良いとか・・・いろいろおっしゃっていて、私は混乱してしまいました。 母はトイレに行きたがりますが、行かせてはもらえません。太ももからの点滴のことや、人手がいるからなのでしょう。そうしたこともこのスタッフはとても嫌がっていて・・・ 療養型病院なのですが、出されることもなく最後まで看取って下さる病院なのです。 そんな時、病院にも施設にも全く関係のない方が、胃瘻を勧めて下さいました。 胃瘻のメリットデメリットは少しだけ理解していますが、まだ先生とお話ししていないので・・・。 それと胃瘻でお父様を9年間在宅で看ておられる方に反対されました。 理由はいつまで生きるかわからず、それは家族の苦しみがいつまで続くかわからないということだからと言っていました。 父や母に申し訳なく、また今になって私のせいだと言われたことで(きつい言い方ではありませんが)誰の言うことも信頼できません。どうしてあげることが両親の為になるのかわからなくなってしまいました。父は88歳。母は85歳です。
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- SPS700
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#1です。補足です。 >>母一人であれば、胃瘻な絶対にしませんでしたが、一人ぼっちの父が可哀想で、胃瘻でたとえ短い時間でも元気になるのであれば、もう一度車椅子でどこかに連れて行ってあげたり、天井を見て虚しい日々を送るよりはと思いましたが、胃瘻は寿命の来ている母にとって単なる延命でしかないのですね。父は最近はずいぶんきつく言わなくなっていますが、体の不自由な母にとっては、ちょっとした父の言葉にもストレスで、嫌いじゃないし、会いたいけれど支配されたくない、というような感じです。 色々ご心配のことと思います。僕も義妹の夫(アメリカ人)がまだ70歳ですが、認知症でトイレにも付いて行かないと帰り道を忘れているほどです。 日本にも同級生で認知症で妻を失ったのが一人、現在施設に入れて毎日妻に会いに通っているのが一人います。 現在ご両親ともに正常な判断は出来ない状態ですから、延命だけを重視するのではなく、患者の苦痛に同情のある医者の意見だけを尊重なさるのがいいと思います。
- 15261526
- ベストアンサー率23% (71/306)
社会福祉業務に関わっており、ケアマネ資格もある立場として指摘させてもらいます 「初動判断ミス」との見解ですが、 残念ですが、精神性疾病などを予見するのは、身近にいる介護士だけが判断できることです。家族はそのような可能性などを判断することは不可能でしょう。 廃用症候群についての理解がなかったことは問題でしょうが、社会全体が病院の実像を正しく理解できていない上に、病院が「病気を診るに留まり、新しい別の疾病を生み出している」ということにさして自己批判がないのが問題でしょう。 そもそも、ほとんどの介護関係者は、病院入院後に『下がる』と思っています。 『下がる』とは身体機能が落ちて、それまで出来ていた日常生活動作が不能になることですが、施設介護従事者は、要介護者の病院入院を本質的にはイヤがります。 このような事実認識について知らない貴方が、判断するに、病院と選択するのは必然でしょう。 初動ミスではなく、介護の現実に対する無知が原因による”悲しい事故”だと思います ちなみに、胃瘻ですが、療養型施設で適応することが可能ではあります 私個人は、胃瘻には反対です それは、上記した『さがる』というのが加速度的に進むこともありますが、表情と感情が急速に失われます。 これまで面会時には一応の会話が出来ていたようですが、胃瘻になれば、認知症の症状とは別次元に表情・感情が失われ、人とは思えなくなります。 貴方はそれに耐えられる自信がありますか? そもそも、貴方の責任ではありません。貴方が無知であったが故という批判は可能ですが、その無知は回避しようもない無知なのですから 根本的には、この話は、ケアマネとジックリ相談することです。 有象無象の無知な回答者の話は、聞くべきではないです。むしろ、害悪です。(私の回答もそうなりかねないです) 経営母体が同じならば、一般的には病院側の方が強い立場です。それでもケアマネが施設に戻ることを進めた事実を鑑みると、決して悪いケアマネではないと思います 所詮は、貴方とご両親の生活環境および生活歴を知る立場ではない我々の回答は、重要な事実が欠如しています。しかし、ケアマネ・生活相談員には必要な情報があります。 悩むことで問題解決はしません。まずは、ケアマネ・生活相談員に思いを ぶちまけて 相談してください ・・・・・・・・・・・・・・ 蛇足 ちなみに、私の経験では、「胃瘻して良かった」と思えた要介護者は 皆無 です 見送った数、事務的に関わった数は3ケタに留まりますが、一つとして「胃瘻してよかった」と思えたことはありませんし、そのような感想をもった家族を聞いたことがありません おおよそ介護者が、胃瘻に肯定的ではありません。胃瘻は病院経営側の都合に最適かつ日本型医療に適しています。 日本型医療とは極論すれば、『寿命が長ければ長いほど良い医療体制であり、良い医療サービスが提供できている』という考えです 胃瘻は在宅介護性がある医療行為ですが、心的負担の意味では、介護者とその家族に 「心中する覚悟はありますか?」と問い詰めたくなるほど過酷になることが推測されますし、事実でしょう
- no_account
- ベストアンサー率45% (1660/3617)
まず質問者さんご自身が決断しなければならないのは延命治療を行うかどうかです それさえ決断すれば、おのずと選択する道は決まってきます 口から食物を摂取する事は生物にとって大事な事です それが口から摂取できなくなったという事は、体自身が終焉への準備を始めたとは考えられないでしょうか? 胃瘻はお薦めしません すでに高栄養点滴で5ヵ月 5ヵ月間、胃や腸に食物がはとんど無い状態で経過しているので、内臓の機能も低下して食物を受け付けない可能性も考えられます 胃瘻をおこなっても胃や腸が食物を受け付けない場合は一挙に容態は悪化します 私は延命治療を行わないで自然の流れに任せるのが良いと思います 自然の流れですから、誰も悪くはありません 2年前に74歳の父が誤嚥性肺炎により口からの食事が出来なくなり、栄養剤の点滴で2ヵ月が経過してから経鼻栄養に切り替えましたが、2ヵ月間 内臓に食物が無かったので内臓機能が低下して食物を内臓が受け付けない状態で、それから1週間程で父が亡くなった者の意見です
お礼
お答えありがとうございました。胃瘻=延命治療 これはずっと思っていたことでした。けれど一人ぼっちの父の為にもう一度母に元気になってもらいたい・・・どう思ったのです。母一人であれば、絶対に思わないことでした。 でも確かに5ヶ月もの間物を食べないということは内臓が弱っていますし、胃瘻にすることで元気になる可能性も低いのであれば、したくありません。 ただ、母に会いたがる父に何と言えば良いのかわからず、最近父と交換日記を始めましたが、母の事ばかり書いてあります。 今日親戚にも延命措置はせず、高栄養点滴もいずれは取るように言われました。 私にはそんなことはできません。 「体自身が終焉への準備を始めた」まだこのことを私が受け入れられないので苦しんでいます。
補足
あの栄養点滴は延命措置だったのですね・・・ 私には何も見えていなかったのです。 そのことをふまえ、痛み苦しみなく母に逝ってもらいたいと思います。 ありがとうございました。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
人間に、100%確かと言うものは少ないですが、そのうちに一つゼッタイ間違いないものがあります。それは死です。 下記では日本人の男子平均寿命は81歳足らず、女性は87歳足らずとなっています。 http://www.jili.or.jp/lifeplan/lifesecurity/oldage/2.html お母様はもう植物人間で、お父様も認知症の妻にきついことしか言えないならもう正気ではありません。ですからお二人とも生きていることを楽しむ時は終わっています。 質問者さんはご自分を責め続けると共倒れになります。医者と相談してご両親に苦痛の期間を短くしてあげるのが、まだ正気の子供として思いやりのある孝行だと思います。
お礼
お答えありがとうございました。母の死は近づいているのですね・・・。母一人であれば、胃瘻な絶対にしませんでしたが、一人ぼっちの父が可哀想で、胃瘻でたとえ短い時間でも元気になるのであれば、もう一度車椅子でどこかに連れて行ってあげたり、天井を見て虚しい日々を送るよりはと思いましたが、胃瘻は寿命の来ている母にとって単なる延命でしかないのですね。父は最近はずいぶんきつく言わなくなっていますが、体の不自由な母にとっては、ちょっとした父の言葉にもストレスで、嫌いじゃないし、会いたいけれど支配されたくない、というような感じです。
- yuyuyunn
- ベストアンサー率41% (20359/48650)
こんにちは 先ずはお父様と別にした方がいいです お父様も慣れてくると思います 病院と施設の考え方が違うのも どこでも同じ私も板挟みです 胃ろうになるとあとは余命と言う感じですよね 生きていると言うよりも生かされている感じ 今、胃ろうの方も入れる施設に家族がいますが 家族も胃ろうと言われたのを拒否して普通の食事ができるようになりました 病院でエンシュアとか飲みながら 環境替えたのが良かったようです
お礼
ご解答をありがとうございます。父は隣の建物の施設にて、母のいない生活を送っていて、この5ヶ月間に母に会ったのは3回程度です。胃瘻をして元気になった方のお話しを聞いたので、考えてみようと思いましたが、やはり胃瘻はベストチョイスではないのですね・・・
お礼
お言葉ありがとうございます。こちらに相談したことで、無知な私はようやく母の現在の点滴が延命措置であることを、母の命のカウントダウンが始まったことも自覚しました。 知ってどうするのか・・・まだわかりません。それは母がわたしが来ると嬉しそうに話をしたり、私と一緒に家に帰ると言ったり、回復の兆しのようなものを見せてくるからです。 胃瘻をしても口から物を食べることができなくなったということは、昔は自然死をする準備だったのです。 悔やまれるのは、施設にすぐに戻してあげたらそれを自然に遅らせることがもう少しだけできたかもしれなかったことです。 私も少しずつその日が来る準備をしていかなくてはなりませんね。