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性善説を貫いて生きていけますか?

特に「仕事、ビジネス」を中心にお伺いしたいと思います。 よろしくお願い申し上げます。 日本でも米国型ビジネスの影響で契約書をかわすことが主流に なりつつあります。 契約書を交わすことが全て性悪説に基づいているとはいえない かもしれませんが「相手はもしかしたら悪人かもしれないし、 万が一何かトラブルにあったら…」ということですから、 基本的に相手を信用してないということが前提だと思います。 (性悪説) 仮に「性善説」で通す人がいたとして、その人が全ての相手を 最初から信用しきって生きていったら、その人はどうなると 思いますか? 例えば、こんな時代ですからネット詐欺に遭ったり、 ビジネスでしたら 「あんた契約書にこうやって判子押したでしょ?」とか言われて 言いがかりぎみに付け込まれて大損するリスクもあると思います。 その一方で、こんなこいい面も考えられます。 「こんなに私を心底信頼しきって下さって本当にありがたい。 この人とはずっと付き合っていこう」と、どこかの有力者に 感謝されて、いい取引にめぐり合えることがあるかもしれません。 「心に愛をもって」生きていくことは大切なことだと思いますが、 振り込め詐欺に騙された人に「用心しなかった自分が悪い」という ような声も聞きます。 はたして「性善説」だけで通してこの世で生きていくことって できるでしょうか。それともいつか身ぐるみ剥がされてしまうのが オチなんでしょうか。 あなたはどう思いますか? 皆様のご意見を伺いたいのですが よろしくお願い申し上げます。

みんなの回答

noname#207138
noname#207138
回答No.5

私は、性善/悪説とはもっと奥深い人間の根源の部分の性を指して言っている言葉だと考えています。 日常の生活の中で人を騙すとか、殴るとかそういうのは現象としての現れであって、人間のソース付近の性とはかけ離れたものを見ているに過ぎないという事です。 例えば、平たく例えると、自分は善を為したいと思っているが、自分の弱さの故にかえって人を傷つけてしまう。 傷つけられた方からしてみれば悪人に見えるかもしれませんが、傷つけた本人はそんなつもりではなく、日常の生活習慣や文化的な影響下で自分でもしたくないのにしてしまったと自責の念に打たれているかもしれません。 この場合、この人は悪人でしょうか? 「弱い人」である事は間違いなさそうですが、悪人か善人かは現象を見ているだけでは解りません。 ですから、「性」とはもっと深い人間のオリジナルの部分を指して言っていると考えています。 その意味で私は「性善説」支持者です。いや、この意味で言うなら人間は神さながらの完全な善だと思っています。 ところが、どういう訳か、その性からかけ離れたところで意識が活動している。 この現状が普段私達が見ている世界です。 この世界に於いては人は悪人でもあります。 見つめるべき焦点が違うと考える訳です。 とはいえ、私達は普段私達が活動している意識層から完全に解放される事は難しい場合もあるかもしれない。 その場合、考えるだけ無駄と言う事になります。 どちらでもない訳ですから。 壁に映った影を見てこれは男か女かと議論してもそれはただの影です。 男でも女でもありません。 影とは反対方向を向いた時、自ずと答えが目の前にあります。 この「本体」が善なのです。 影は壁の形によっていかようにも歪みます。 普段私達の意識が活動している世界もまた歪んだ壁に映った影のようなものと言えば何となくわかりますでしょうか。 あれほど強烈な太陽光ですら、鏡によって、大気によって、様々な要因によって歪みます。 でも、太陽そのものが歪んでいる訳ではありません。 さて、前振りが長くなってしまいました。 前述のように、人間は善であるか、悪であるか「以前に」弱い存在です。 簡単な理由で簡単に歪んでしまいます。 これは善悪の問題ではなく、強弱の問題です。 歪んだ状態のイメージが鮮明に心に焼き付いて、人間/自分とはこう言うものと記憶してしまい、その記憶故に常に刻一刻と同じ様に歪んだ自分を創造している人も沢山いると思います。 この人達は人を傷つけていますがある意味可哀想な人達です。 こういう考え方の私には、そうしたビジネスシーンなどの現象の世界で性悪説、性善説を議論するのはある種のナンセンスかなとも思う面も無きにしも非ず。 時間的にあまり頭がよく回転していませんので、もっと意識のハッキリしている時に書けばまた違うかもしれませんが。

kissski
質問者

お礼

アドバイスありがとうございました。 ちょっと難しそうでしたが、よく読んでみると確かにそうだな、と 感じました。善と悪、強と弱、状況や深さなど、複雑に絡み合う ことですね。ナンセンスな質問だったかもしれません。 どうもありがとうございました。

回答No.4

性善説だけでは難しいでしょうね。 もし自分が悪いと思うことが、世の中に起こらなければ、それでも生きていけるかもしれませんが、現実には起こることが予想できますので。 やはり物事により区別をつけることが良いと思います。 例えば映画館などで、カバンを椅子に置いてトイレに行くのは日本社会においての性善説と言えますよね。 盗む人は滅多にいないだろうと思うからですね。 ところが外国であればそうはいきませんよね。 日本でもコンビニで監視カメラもなく店員もいなくても、お客さんは商品の引き換えにお金を置いていってくれるかと言えば、いやタダでもってっちゃう人もいるだろうと想像すると思います。 同じ人間が、カバンはとらないけどコンビニが無人だったらタダでもってっちゃうということはあると思います。 どちらも悪人であり善人でもある側面がありますね。 それに価値観は人によって違いますから、何が良くて何が悪いかということが違えば、例え自分が良いことしかしないとしても、他人から見ればわかりませんね。 ですので全員が悪い人、全員が良い人であることが前提である性善説や性悪説に沿って生きることは現実的ではないと思いますね。

kissski
質問者

お礼

そうですね。ちょっと問題が抽象的だと反省してます。 多面的な要素がありますね。というか、いろんな 状況で変化することですし… アドバイスありがとうございました。

  • hyuuma8579
  • ベストアンサー率29% (326/1097)
回答No.3

善と悪は相対概念です。比べる相手次第でより善かより悪かが決まるのです。 従って、人間である限り、どんな組織でも必ず善と悪に分かれないものは存在しません。宗教組織一つとっても、ある宗教が悪なら、もう一方は善です。世界中の宗教を善群と悪群に分類するのは簡単なことです。地域社会も同じことです。その村に神社が二つ以上あれば、どちらかが善でどちらかが悪です。 政治家も同じです。善だった自民党が今は悪になっていますが、その同じ自民党の議員自体も善側と悪側に分けられます。 善に生きる警察も同じです。警察内部の人間もはっきりきれいに善と悪にわけられるのです。 世界レベルでもかつての二度に渡る大戦の国家軍を見てもわかる通り、キリスト教国家軍対非キリスト教国家軍というはっきりした善悪対戦になっています。 個人から家庭、社会、民族、国家、世界のどのレベルでも同じです。 家庭の中を見てみましょう。あるテーマに対する考えはいろいろありますが、その考えによって善側か悪側かにはっきり分類されます。 わかりやすく言えば、不平不満を言う方が悪で、感謝して受け入れる方が善です。会社も同じです。文句を言う側が悪です。感謝してやる方が善です。 同じキリスト教信者でも、政府の弾圧に屈して改宗した方が悪側で、牢獄へ入れられてまでも信仰を捨てない側が善です。 絶対善や絶対悪は存在しませんが、善悪どちらにも属さない個人も家庭も会社も地域も国家も世界も組織も存在しません。 必ずどちらかに属しています。 従って、二つの重要な問題があります、 一つは、自分という個人が善の位置に立っているかです。 厳密にはより善側に立とうとしているかです。 自分が善か悪かは、相手次第で相対的に決められます。自分より深い次元もしくは強い次元で感謝している人間の前では、自分は悪になりますし、自分より不満が多い人の前では自分の方が善です。 自分が善であり続けるためには、自分より善なる人に求心(吸収)されていく必要があるのです。同時に自分より悪の人からは影響されないようにし、且つその人をより善側に引っ張っていく必要があるのです。 二つ目は、相手が善側か悪側かを見極める必要があるということです。極論を言えば、善側に騙されるのはいいのですが、悪側に騙されるのは阻止しなければならないのです。(もっとも善側が人を騙すことはありませんが) 相手が悪側だと知って契約書を交わすバカはいません。 信じられるのは善側だからです。 ですから、あなたの質問・・・信ずることは大切なことは言うまでもありませんが、だれかれかまわず信ずる姿勢は善とは言いません。 相手を知って(善悪を見極めて)その上で信ずるというのなら善といえましょう。 この善と悪の問題は、テーマが深すぎるため、書けば分厚い論文が何冊あっても足りないかもしれません。 だいぶ省いた乱暴な回答になっているかも知れませんが、ここまででお許し下さい。

kissski
質問者

お礼

ありがとうございました。 確かに問題が深くて難しかったと思います。 善と悪、いろんな捕らえ方ができますしね。 参考にさせて頂きます。どうもありがとうございました。

  • 2009ken
  • ベストアンサー率21% (769/3580)
回答No.2

普通の商売であれば、今でも信用が第一ですから、ややこしい契約書とかなしでやってるとこがほとんどでしょう。まあ、上場企業とかISO登録企業であれば、それがないといろいろうるさいってのはあります。 まあ、その上で問題起きるケースはあまりないでしょう。手形や支払期日の問題で、倒産などで履行されないケースは、いくらでもありますが。まあ、商売やるなら、それぐらいのリスクは当たり前って奴ですがね。与信で何とか管理はしてますが。

kissski
質問者

お礼

ありがとうございました。 やっぱり口約束ビジネス多いんですね。いまだに。 現場の空気伝わってきてよく分りました。ありがとうございました。

  • nemoax006
  • ベストアンサー率14% (343/2433)
回答No.1

アルカイダとかオウム真理教を性善説で信じられるか? 日本赤軍は信頼に値する存在か、山口組系暴力団は信頼できるか?、普通の人でも麻薬に手を染め殺人をする時代ですから私は基本性悪説です。

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