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本当の優しさ

たとえば、有名なこんな話があります。 目の前に今にも飢えそうな人がいたとき、あなたは魚を与えるか、それとも魚の釣り方を教えるか。 この場合、魚を与えれば一時の空腹しのぎにはなるでしょうが、その人は、その後また飢えに苦しむことになります。 しかし、魚の釣り方を教えれば、その人はその後自力で食料を得ることができ、飢えることはありません。 よって、後者が正しいのだと。 この話は、発展途上国に対する援助のあり方を考える際にも非常に参考になります。 このように、見かけの優しさと、本当の優しさは違うということは、よくあると思います。 先日、サウナに入っていたら、母親同士でこんな会話をしていました。 母親A「子育ては大変よね~」 母親B「うちの子なんて全然言うこと聞かなくて」 母親A「あら、子どもなんて悪いくらいがちょうどいいのよ」 母親B「そうらしらね~。おほほほほ」 この二人はかなりの仲良しで、いつも二人でサウナに来ています。 これを、世間では「主婦の友情」と言うのかもしれませんが、私は非常に違和感を覚えました。 「子どもは、悪いくらいがちょうどいい」 そんなことはないだろう。 子どもは悪くない方が良いに決まっている。 悪ガキなら、その性格を改善するよう教育するのが親の務めではないか。 なら、そう言うべきではないのか。 それとも、本当に悪いくらいがちょうどいいと思っているのだろうか。 だとしたらこの母親大丈夫か。 私には、母親Bの性格までは分かりませんが、この返答には本当の優しさを感じませんでした。 たしかに、相手の言うことを肯定していれば争いになることはないでしょう。 しかし、親しい友人同士でそういう関係はどうなのだろう、と思ってしまいます。 ちょっと例えが長かったですが、みなさんが今までに感じた「見かけの優しと本当の優しさの違い」を教えてください。

みんなの回答

回答No.4

こんばんわ。2番です。 ご返信ありがとうございます。 本当のやさしさは 「(一方的に)与えること」ではなく、 「(根気良く)受け取ること」です。 愛するのはなぜか、 それは相手が自分を必要としているからです。 その、相手が、 何を求めているのか訴えているならそれを受け取り、 何を求めているのか表現できずにいるなら、 それを汲んであげる、それがやさしさです。 言葉が足りなければさらに補足します。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 はじめから、そのような回答を頂けたら嬉しかったです。 なるほど、あなたの愛に対する考えはよく分かりました。 補足は必要ありません。 僭越ながら、私の意見を付け足すとすると。 相手が求めているものだけではなく、相手にとって本当に必要なものをも考え、与えること。 これも愛でしょう。

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1846/10420)
回答No.3

第一の例え話と第二の例え話間になんら繋がりが見つけ出せないのは私の読解力不足だとして。 第一の例え話が途中で終わっています。 釣りを教えてもらった者はそれを既得権として釣り場を占有します。 その者がそこでの釣りを許す一部の者達から益を受けるのと同様に釣りを許された者達は飢えている者から益を得ます。 こうして皆が平等に貧しかった所に貧富の差が生まれます。 富を得た者は更なる富を求めて大掛かりに季節も関係無く魚を取り続け、やがてそこには魚が一匹も残らない池が残ります。 その時にやっと気づくのです。 魚の釣り方を教えるなら釣った魚をどうすれば皆が永く幸せに暮らせるのかも教えて欲しかった。 物質的な全てを失い、憎悪と偏見という人々の心だけが残った今よりは誰も魚の釣り方など知らなかったあの頃、たまに通りがかる旅人から一片のパンを貰い、心から感謝していたあの頃の方が良かった。と。 ご質問者さんが挙げられた部分は約20年前、バブルの頃にさかんに耳にした話で最近は私は後半が付け加えられた方に納得しています。 第二の例えはちょっと頭が固すぎると感じました。 トップブリーダーに躾けられた犬のような「いい子」が子どもらしいですか? 私はご質問者さんに逆にこう訊いてみたくなりましたがそれは規約違反(だと思う。)ので止めておきます。 人間は生まれたときが悪の固まりと言っても過言では無いでしょう。 腹が減った、眠い、排泄したい、ちょっと寂しい等々で全力で泣き叫び、理不尽に怒る存在です。 それが教育によって矯正されることを私は成長と呼びます。 その途上である「子ども」という時点で「悪いくらい」は異常ではない、むしろ「出来上がったいい子」の方に違和感を強く持ちます。 もうちょっと書きたい部分もありますが、かなり長くなっているのでこの辺で失礼いたします。

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質問者

補足

ありがとうございます。 私は、ここで知識自慢大会を開きたいわけではありませんので、そのことはご了承ください。 他の回答者への補足にも書いてあるように、例えの部分には量をとりたくなかったので、すべては書いてありません。 私が言いたいのは「見かけの優しさが本当の優しさとは限らない」ということです。 例えの部分でうだうだ言ってくるような人はいないだろうと思っていたのですが、私が愚かだったようです。 こんなことなら、例えなど書かなければ良かったです。 後悔しています。 以後気をつけます。 >トップブリーダーに躾けられた犬のような「いい子」が子どもらしいですか? 他の回答者への補足にも示してあるように、私は「親の言うことを何でも聞く良い子ちゃん」にすべきだと言っているのではありません。 他人に迷惑をかけてなんとも思わないような人間でも構わない、というのならそれは間違いだという意味です。 よろしいでしょうか? 例えの部分にこんなに食いつかれるとは意外です。 しかも誰も質問には答えていないという現状。 驚愕です。 また、赤ん坊は、言葉を話せませんから、泣いて主観をアピールするしかないのですよ。 それを「悪の塊」だというのなら、あなたと私は相容れないでしょう。 あなたのいう「出来上がったいい子」がどういう子かまったく示されていませんから、私はなんとも言えません。 しかし、それが、献身犠牲の精神に満ちた子どものことをいうのなら、私は違和感どころか、感動を覚えますが。 私も、書きたいことは色々とありますが、あまりに長くなるのでこの辺で失礼いたします。

回答No.2

こんばんわ。 ご質問文の例についてのみ回答させてください。 もちろん子どものしつけをするのは親の義務です。 >「子どもは、悪いくらいがちょうどいい」  そんなことはないだろう。 :はい、人に迷惑をかける(他人を尊重しない)とか、  自分の行動に責任を取れないのは、いけません。 ただ >「子どもは、悪いくらいがちょうどいい」 :この言葉はいくらか省略されているような気がします。  一人の親として、  省略されたであろう部分を補足してみると、  「子どもは、【親にとって】【都合が】悪いぐらいがちょうどいい」 ということになります。 親にとって都合の良い(親の言うことを何でも聞きすぎる)、 エンジェルみたいな子どもでは心配すぎますから。

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質問者

補足

ありがとうございます。 すいません、少し説明不足でしたね。 例えの部分であまり量をとりたくなたっかので、省略して書いてしまいました。 本当は、もう少し長い会話だったんですよ。 すくなくとも、母親Bは「子どもは、親にとって都合が悪いぐらいがちょうどいい」という意味では言っていませんでした。 明らかに、他人に迷惑をかけるような子どもの話をしているときの返答です。 仰るような指摘が来るかなと思ったのですが、面倒くさかったので省略してしまいました。 申し訳ありません。 また、たとえの部分の検討は重要ではありません。 みなさんが今までに感じた「見かけの優しさと本当の優しさの違い」を知りたいだけです。

  • i-_
  • ベストアンサー率0% (0/17)
回答No.1

_こみゅにけいしゃんGAPに陥穽している_わたくしがとんちん回答|_|をば|やさしさのまえに_かわいそうと_きのどく_をわける_これがまず前提だなあ_とアンケィトニ参考反応|_|テルミット|終|

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